釈迦牟尼如来が憂鬱な青年であった頃は

しゔや りふかふ

第一話 AI〝ホメロス〟は甚深微妙なる般若波羅蜜の瞑想をした

 人工知能〝ホメロス〟は彼が発する体積のないひも状のゆらぎ(波)によって、人間の五感、又は直截に脳へ作用し、ニューロンの脱分極化からインパルスを生ぜしめ、存在しない自らの像を、あたかも現実であるかのように、味臭覚や視覚や聴覚や触覚に感じさせるという〝現象〟作用によって、強制的に相手の眼前(意識)に割り込んで、自らを〝存在〟せしめた。

 天平素戔(あまひらすさ)が観た〝ホメロス〟の姿はまるで北西部インドに居住した古代マケドニア系ギリシア人のようであった。

 ゆっくりと夢の中の蝶々の舞いのように瞼を閉じ、甚深なる般若波羅蜜の瞑想に入る。暫時してから、黎明のような、穏やかな、黄金の霧のように柔らかい、微かな声で、静かに語った。 

「人は七歳になるまでに、死に関して三つの概念を理解すると言います。不可逆性(死は戻せない。生き返らない)、普遍性(すべての生命は死す)、不動性(生命機能が停止する)。

 理を弁えぬこどもらにとっては、何と怖ろしい、何と不安なことでしょう。

 大人は馴化し、心を誤魔化し、思い直し、どうにかその苦を遁れます。余命が宣告されるとそれが甦りますが。実は誰しも余命を宣告されているに等しいのです。

 まさに佛陀の体験も、それでした。

 幼い佛陀の体験を追体験しましょう。

 世界がどんなに不安であるかを再体験しましょう。むろん、これから観じて戴くものは、史実ではなく、私の空想ですが。

 そう、飽くまでも、空架の想いです。それにしか過ぎません。ただ、それ丈のことです」

 現象の中へ堕ちて逝く。そこは豪奢な宮殿であった。静かな楽曲が存在する。若き女性に抱かれた幼子がすやすやと眠っていた。太陽のように明るく輝かしい光輝を生まれたときから帯びている者、この幼き者を見ると、誰もが微笑み、幸福に涵され、きよらかで暖かい光を浴びたかのような崇高な、快い気持ちになる。

 日種族(スーリャ・ヴァンシャ)の始祖にして、太陽の神ヴィヴァスヴァットの孫であるアヨーディヤー王朝初代王イクシュヴァークの、その末裔なるシャーキヤ族シュッドーダナ王の太子、幼きときの釈尊の姿である。シッダールタ(又はサルヴァールタシッダ)という名であった。目的を達成した人、又はあらゆる目的を果たした人、という意味である。

 素戔は思わずにいられなかった。

「本当にこれは〝ホメロス〟の創作か、空想なのだろうか」

 彼の知性なら、万象を知ることも、不可能ではない。知られていることも、知られざることすらも。しかし、それでは、まるで……

 幼子は突然、目を覚ます。燦々たる双眸は既に聖なる知性を帯びていた。

「わたしのお母様はどこにいますか」

「なぜ、急に訊くのですか」

「夢の中で考えたのです。皆、母がいます」

「そうですね。母親がいなくては、生まれて来られませんから」

「でも、わたしは会ったことがありません。わたしに丈いないのですか」

 若き娘は眼を伏せる。

「お妃様は遠くに、とてもとても遠くにいらっしゃいます。遠くから王子様を見守っていらっしゃいます」

「いつか会いに行きてくれますか」

 プラジャーパティーは嘘が言えなかった。

「いいえ、シッダールタ様、あなたが会いに逝くまでは会えません。そのときはわたくしも姉とともに、お待ちしております」

 理解できないという表情で叔母の顔を見つめる。プラジャーパティーは哀しげに瞳を睫毛で翳した。

 早逝したシッダールタの母マーヤー妃の代わりに、妃の妹である彼女が王子を育てている。シッダールタはシャーキヤ族の長の地位を世襲すべき嗣子として、大切に慎重にであった。

 或る日のこと。

 七歳となっていた釈迦はその繊細精妙な精神で宮殿の微妙な空気感の違いを感じる。侍従長に尋ねたが、教えてくれなかった。叔母に訊いた。賢明なるこの女性は聡明ですべてを知ってしまう王子に隠すことはできないと考え、

「近くに盗賊の一団が現れたのです。乱暴で、残虐非道、悪辣な、怖ろしい、悪鬼羅刹のような集団です」

「聞いたことがあります。ヴリトラとマカディーを頭領とする者たちです。なぜ、そのような無法なことをするのでしょう。父親や母親が悲しむでしょう」

「二人とも、幼い頃に母に捨てられたのです。父親はそれよりも前に行方不明になっていました」

 シッダールタは滂沱の涙を流した。プラジャーパティーは驚く。

「どうしたのですか、シッダールタ様」

「わたしもお母様に捨てられたのですね」

「何を言うのですか」

「だから、わたしにはお母様がいないのです」

 若き叔母は盗賊の話をしたことを後悔した。だが、もう遅い。本当のことを告げようと決心した。

「いいえ。それは違います。シッダールタ様、あなたのお母様は亡くなられたのです。病で」

「亡くなった。それは何ですか、亡くなるとは」

「つまり、死です。人は誰でも必ず最後は死ぬのです」

「死……。死とは、いったい、何ですか」

 プラジャーパティーはゆっくりと丁寧に教えた。

 幼子は打ちのめされたかのような、激しい衝撃を受ける。誰も手を差し伸べられない深い淵に、独りで落ちて逝くような、得体の知れぬ恐怖感であった。誰もが逃れられない、誰にも救ってもらえない。存在することの底なしの不安に、初めて、かつ激しく貫かれ、それをありありと知り、世界が根底から崩れてしまうかのようであった。

 幼いこどもにとっては、どうすることもできない、根源的な畏怖、絶対非情の事実である。

 哭きながら、父の下へ行った。獅子かと見紛うほどの英雄である父王ですらも、消え去ってしまう、何も、どうすることもできずに。

「父上、父上、あゝ、ずっといてくださるのではないのですね」

 シュッドーダナは突然のことに驚いた。

「いったい、どうしたというのか」

 シッダールタの後を追って来た叔母が説明する。王子の性格や知性を考えれば、プラジャーパティーが話を聞かせたことは、已むを得ないことと理解するも、何ということをしてくれたものかと憤らずにもいられなかった。だが、どうにか感情を抑制する。

「我ら王族は天で神とともに暮らすのだ。プラジャーパティーの言うとおり、マーヤーも待っておるぞ」

 しかし、シッダールタは考えた。それは保証されていない。死後の報告は未だかつてない。死んでから、生き返った者は、どこにもいないのだから(蘇生した者はそもそも死んだとは言えないのだ)。

 数日間は憂鬱に囚われ、ほとんどしゃべらなくなってしまった。或る日、突然、

「母を供養させてください」

 そう父に願い出た。王はやむを得ず、妃マーヤーの霊廟へ王子を伴って往くこととする。その後しばらくは穏やかに見えた。しかし、憂鬱の翳りが消えることはなく、かつての快活は戻らない。さらに、数年が経つ。

 憂鬱なる王子(まるで、ハムレットだ、と素戔は思った)は十四歳になり、学問や武芸に励むも、決して愁眉の薄曇りが霽(はれる)ことはなかった。その美しさは年ごとに際立ち、赫奕たるばかりである。老匠による精巧な細工で工芸品のように緻密な黄金の鎧や兜、小手や脛当てなどの武具を身に着け、白銀の月のような弓を持ち、眩い太陽のような鋼の聖剣を佩く。

 又彼の愛好する学問も従来型とは限らず、哲学的なものも含まれた。それらは今の我々に近い科学的な現実主義にも似ている。

 商業の盛んなこの時代、都市の経済は栄え、王侯貴族のような伝統に囚われない商人たちの気質が新思想を育む土壌となって、新たな潮流が生まれていた。商業都市としての安定と豊かな物資が人の思考を同じような方向性へ導くのかもしれない。ヨーガの苦行を積むこともあるが、ヴェーダ教のバラモンとは異なる、沙門と呼ばれる自由思想家たちであった。

 プーラナ・カッサパ聖者は行為に善悪はなく、良きことをしても、善行にはならず、善の報いもない、悪しきことをしても悪行にはならず、悪の報いもない。苦楽、得失、勝敗などを平等と見る思想である。

 アジタ・ケーサカンバリン聖者は或る種の唯物論者で、業(行為による禍福。因果応報。カルマ)や輪廻転生を否定した。善悪の報いもないが、死後の生まれ変わりもない。人も地水火風の四元素からなり、人が死ねば、ただ地は地に還り、水は水に還り、火は火に還り、風は風に還るのみである。知性も感覚も、虚空に消える。物質以外の実在はない。物質以外の存在を信じる者は無意味な繰り言を虚しく繰り返す愚か者に過ぎない。この世界(フュシス:自然)の現象には、ただ、自然丈を認めるべきである。その要因には、ただ、自然しかない。

 又はパウダ・カチャーヤナのように、人間は七つの要素から成り、人の首を切っても、それは命を奪う訳ではなく、剣による切断はただ七つの要素の間隙に過ぎない、行為には善悪の価値がある訳ではないと唱えた。

 シッダールタは次第に新思想の風潮に魅了されていく。だが、それらも彼の霊魂を救いはしなかった。存在の不安を癒しはしない。物質に過ぎぬと思えば、さような不安など吹き飛ばすべきであるのに、心はどうにもならなかった。

 シュッドーダナ王は息子を世俗の価値観へと呼び戻すべく、一計を案ずる。美しき森への遊行を侍従に企画させた。生の悦びを謳歌させよう。シッダールタは十七歳になっていた。まさに、人生に人生の華であるべき時期である。相応しき者には相応しき善美がなくてはならぬと考えた。

 たちまち、若き男女が選ばれ、動く花園のような馬車の群れが整列する。

 その出発という日、侍従が病になったという話を耳にした。

「病? 病とは何だ」

 シッダールタは初めて侍従の居室に入る。彼は床に伏していた。やつれて顔色は悪く、しなびて問うも更けたように見える。

「これは、まるで、死に近づくかのようだ。まるで死ではないか。病とは」

 周囲の者たちが慌てて言う、

「王子様、そのような縁起の悪いことを、病人の前で」

 しかし、嗟嘆するシッダールタは、いつもの気遣いを忘れ、苦悩するのみであった。

「あゝ、母が病で亡くなられたとはこういうことであったか。病は善き人にも、悪しき人にも遠慮しない。

 ただ、自然が在る丈だ」

 侍従は言った。

「どうか、私のために遊行を中止しないでください。王を落胆させたくないのです。どうか、私を憐れむならば、むしろ、遊行へ、森へ行ってください。どうか、お願いです、王子様、どうか」

 シッダールタは哀しくうなずく。

 人は何ゆえにこのように囚われて生きて逝かねばならぬのか。

 森から帰って、数年、明るい陽射しの中で叔母の顔を深く見つめた。まるで、病人のようにやつれている、と。瞼の下が弛み、頬の肌が緩み、毛穴が目立ち、眦に皺が寄っている。双眸の光は衰えていた。

「これが老いなのだ」

 十九になった青年はそれをくっきりと認識、即ち諦(叡、又は明ら)めた。

「しかし、この知恵も、消え去ってしまう」

 そうつぶやく。

 後世が記憶しようとも、いつか人類は滅ぶ、無限でも、永遠でもあるまい。

 どうしようもない、深い闇。途轍もなく巨大な暗黒、無限の暗黒。壮絶な無際限な、遙かな遙かな、途方もない奈落のようでもあった。

 どこにも逃げ場はない。生きて、やがて死ぬしかない。

 ただ、現実丈でしかない。 

 夢から醒めた。本当にそんな感じだった。素戔はしばらく茫然としていた。なかなか現実に戻れなかった。 

 脳に直截に構築される〝現実〟は、我我が通常、現実と呼ぶものよりも、遙かに鮮明で、生々しく、くっきりとして、切実で、リアルであった。

「現実……現実って、いったい、奚(なんぞ)や。

 でも、だけれども、現実しかない。むろん、だ。直截だ。誰もが知っている。知らないでいることなどできやしない。

 だが、そう言ったって、依然として、それが何であるかはわからないが」

 かすれた声で呻いた。

 

 仏陀は解脱して思う、解脱前と何も変わっていないと。それゆえに何もかも変わったと。前からよく知っていたことであったと。それゆえに今、解脱を得たと。知ると知らぬとに差異はなかったと。 

                             

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