魔法の環
@Kur0
第1話 夕暮れの道
少年の背を夕焼けが照らし、彼の行く先には長い長い陰ができていた。
ちょうど地元の中学校の下校時刻となる時間帯。
道は、学生の集団で混雑している。
少年はたった一人、その通行の流れに逆らって、病院へと向かっていた。
名前はジーク・ウォーカー。
エルフと人間のクオーターで、容姿は人形のように整い、銀糸を思わせる綺麗な銀髪も相まってどこか幻想的な外見をしている。
左耳に三つのピアス、首元には金のネックレス、そして、指すべてに指輪。少し過度に装飾を身に着けている。
が、それ以上に人目を引くのは、顔に入ったタトゥーだ。
偏見抜きに見れば、どこか色っぽさがある。
『ジーク、イライラしてますね』
突然、ジークの頭の中へと思念が飛んできた。
そして、ジークのローブのポケットからぴょこりと掌サイズの精霊が顔を出す。
彼女はジークが契約している光精霊のフェアだ。数年前に、精霊としての力を失って、精霊が棲む世界へと戻れなくなってしまい、人間界でジークとともに暮らしている。力を失っているため精霊魔法も使えず、今は空を飛べるただの小人だ。
『病院に行くのもだるいっていうのに、道がこれだからな』
授業の話や、今日起きた面白かった出来事の話、誰々と誰々が付き合っているという噂話、放課後にどこに寄り道しようかなど、すれ違う学生たちは種々様々な話に夢中になっている。そのため、マナーなど気にはせず、周りには自分たち以外いないかのように、集団で横に広がって歩いていた。そのせいで、ジークは道の端へと追いやられて、窮屈な思いをしている。
『学生なんて、こんなものか』
ジークはうんざりした。
『学生なんて、って言いますが、ジークも彼らと同じ学生でしょう?』
フェアは首を傾げる。
ジークは背が高く、見た目も大人びているため、すれ違う中学生たちよりも、四、五歳上に見えるが、年齢は彼らと同年代の十五歳。学年で言うと中学三年生になる。
本来であれば、彼らと同級生、または先輩後輩という関係になるが、ジークは学校には通っていない。
『一応な。でも、俺は盲目的なバカたちとは違う』
『どういう意味ですか?』
『学校なんて通う価値がないと気づいてるということだ』
『学校は楽しそうなところだと思うのですが……』
フェアは和気あいあいとした熱気を帯びた学生たちを見つめる。
『地獄のような場所だ』
ジークは少し先の方を見た。
そして、慌ててフードを被り、俯きながら歩き始める。
『ジーク? どうかしたのですか?』
ジークの動きを不審に思ったフェアが尋ねる。しかし、ジークの反応はない。ひたすらに息を殺し、気配を消している。
しばらくして、ジークの足はぴたりと止まった。
足元を見ながら歩いていたジークの視界に、ピカピカに磨かれた革の靴が飛び込んで来たからだ。
「よお、神童」
わざわざジークの前に立ち塞がって声をかけたのは、金髪の少年だった。
彼の名前はライアン。ライアン・クラン。
端正な顔立ちに、高い身長。その優れた容姿に加えて、国内はおろか世界中に名声が轟く名家の生まれ。
「あー、神童って昔の呼び名だったっけ?」
ライアンは、ジークをまじまじと見た。
そして、連れの少年二人に向かって、
「見ろよ、こいつ、顔にタトゥーを入れてやがる」
と大笑いした。
昔の話だが、顔のタトゥーには特別な意味があった。
健常者と区別するために、魔法因子欠乏症という障がいを持つ人は強制的に顔にタトゥーを入れられるという悪しき風習。時代の流れとともに差別撤廃の動きとなり、今ではそんな風習はなくなった。しかし、歴史の経緯から顔にタトゥーを入れようとするものはいない。
「魔欠者のやることはわからねぇなぁ」
ライアンは顔を歪めて笑った。
魔欠者とは、魔法因子欠乏症を持つ人の蔑称、差別用語だ。
差別撤廃の運動が広まって、社会的に差別が規制されたとしても、全員の意識がそうなるとは限らない。ライアンのように、差別的な人間も多くいるのだった。
特にライアンは魔法因子至上主義の人間で、魔法因子の優劣で人間の価値が決まるという考えを持っている。いわば、ジークとは対極で、魔法因子がない人間のことはゴミ扱いだ。
「にしても、久しぶりだな。元気に引きこもってたか? お前に会えなくて寂しかったぜ~? いじめがいのある奴がいなくなったからな」
ジークはじっとライアンを睨み返した。
「おい、なんとか言ってみろよ」
ライアンはジークが被っているフードを外そうと手を伸ばす。
パシッ、と乾いた音が響いた。
ジークがライアンの手を払い除けたのだ。
「ちっ」
ライアンは舌打ちをし、こめかみがピクリと動く。一瞬、鬼の形相でジークを睨んだが、すぐに柔和な表情へと戻り、口元に薄い笑みを浮かべた。
「ああ、すまんすまん。お前、声が出なくなったんだっけ? それが原因で、お得意の詠唱魔法も使えなくなって、引きこもりになったんだよな。久しぶりすぎて忘れてたわ。でもよかったんじゃねぇか? 詠唱魔法なんてのは、歴史から忘れ去られたダセェ魔法だ。俺がもし使えても使わねぇよ。恥ずくて死ねるわ」
ジークの手にグッと力が入り、爪が食い込んだ。
「ジークをバカにするな!」
我慢がしきれなくなったフェアがポケットから飛び出す。
数年前のある出来事で、フェアは精霊の力を失い、ジークは声を失った。フェアにとっても、魔法因子が生まれつき存在せず、普通の人が使う魔法の代わりに、詠唱魔法を使っていたジークにとっても、大きすぎる代償だ。
元々、あまり感情を表に出さないジークだが、声を失ったことによって、益々感情を隠しがちになった。しかし、フェアには思念を通してジークの感情がわかるため、フェア自身が我慢できなくなったとき、彼の気持ちを代弁するのだった。
「なんだ? チビ。バカな奴をバカにして何が悪い?」
「ジークはバカじゃありません」
「あー、はいはい。擁護してもらえて良かったなぁ、ジーク? こんなチビに守ってもらうなんて、腰抜けで弱虫だな」
「ジークはお前なんかに弱虫呼ばわりされるほど、弱くはありません!」
「お前なんかだと? おい、チビ、エレメントマスターって知ってるか?」
「もちろん。ジークから聞いて知っています。魔法の才能に恵まれたというだけで、この世のすべての頂点に立ったかのように、幻想を抱いているバカな人たちのことでしょう?」
ライアンはにやけた顔から一変、真顔になった。
「魔法因子に恵まれ、神に愛された完璧な人たちのことをエレメントマスターと呼ぶんだ!!」
手をかざし、魔力を込める。込められた魔力は魔法因子によって光属性の魔法へと変換され、閃光の衝撃波となって、ジークとフェアを襲った。
「!?」
ジークはとっさにフェアを掴んでポケットへとしまい、片腕に魔力を通してガードした。しかし、すべての衝撃を吸収しきれず、ガードの上から受けた衝撃で視界が真っ白になり、片膝をついた。
「魔欠者は魔欠者らしく、相応に生きろ」
ライアンは蔑んだ目でジークを見下ろした。
「ジークっ!? 大丈夫ですか?」
心配そうにポケットから顔を出すフェア。
『ああ、問題ない』
ジークはフェアにそう伝えたが、徐々に正常な視界へと戻るにつれて、じんじんとした痛みと熱を感じた。
至近距離からの突然の魔法攻撃に反応できたからよかったものの、遅れていればジークもフェアもタダではすまなかっただろう。
ジークの頭の中にはプチっと火種がついた。その火種は、過去のライアンが彼に対して行った数々の嫌がらせを燃料に燃え広がる。
(もし人生で、誰でも一人を殺していい権利があるとするなら、俺は今ここでこいつを殺すだろうな)
鬼の形相で自分を睨んでいるジークに対して、
「生意気な目をしやがって」
と、ライアンは直接拳で殴ろうとした。
彼は才能の塊。魔法だけでなく、体術にも秀でていた。学校でいじめられていた頃からジークはやられっぱなしだった。
しかし、今は違う。
三年前に声を失い、自分の拠り所だった詠唱魔法を使えなくなったことから、自身の肉体と体術を徹底的に鍛え上げた。
昔よりゆっくりに感じるライアンの拳を左手で受け止める。
そして、積年の恨みを込めて、渾身の右ストレートを返した。
左足を前へと踏み込み、体重を乗せて腰を回す。まっすぐに伸ばした右こぶしがライアンの顔面にめり込む。
ーーと思ったその直前に、ジークはぶっ飛ばされた。
視界はぐにゃりと曲がり、揺れている。何が起きたか全くわからなかった。
おぼろげながらライアンの右隣にいた大柄の男が服を直しているところをみると、ジークは、ライアンの連れの内の一人に横からやられたようだ、と理解した。
ジークの記憶では、横から殴った少年は現役の騎士団長の息子。剣の腕前はもちろん身体能力も高い。しかも、不意打ちだ。ジークはしばらく起き上がれそうになかった。
ジークの様子を見て、ライアンは気が晴れたのか、
「行くぞ」
と連れの二人とともに、歩き出す。
遠ざかるライアンの背中がジークの瞳に鮮明に焼き付いた。
ひそひそと横目に通り過ぎていく学生たちの目が痛いほど突き刺さる。憐れみの感情、しかし、ジークに手を差し伸べるものはいない。むしろ、避けて、ジークがいないかのように無関心を装う者もいた。
ジークはうめき声を上げながら、力を振り絞って、上体をあげる。
『惨めだなぁ』
独白。それは思念となって、フェアへと届く。
『倒れることは恥ではないと思います』
『わかってる。でも……。いつも、俺だけが周りと違う、その憤りが俺を前に進めてくれたけど、なんで俺だけがって嘆きたくなる時もある。魔法因子欠乏症は俺にとって呪いのようなものだ』
『ジークは、自分の人生を諦めきれますか?』
ジークはフェアの問いに静かに微笑んだ。
『諦めきれるわけがないだろう。俺の人生だ。何度も何度も嫌になって、自分を嫌いになって、死にたくなっても、期待を抱いてしまう。いっそ、諦めきれれば楽だろうが、俺はなんとなくそうなったら本当に終わりな気がしている』
ジークを見るフェアの目は優しげだ。
『絶対に……。強くなる。俺の全てを賭けて。じゃないと、俺に先はない』
『リベンジですね。原初の竜に』
原初の竜。それは、世界最古で最強の生物。魔泉という飲めばありとあらゆる病気を治す水が湧き出る泉を守護している。
ジークは十二才の頃、自身の魔法因子欠乏症を治すため、この竜へと挑戦した。
しかし、結果は失敗。
奇跡的に生還したものの、ジークは声、フェアは精霊の力を失った。
壁は果てしなく高く、支払った代償はジークにとって痛すぎたが、他に道はない。
魔法因子欠乏症は有史以来、治療法が見つかっていない不治の病。例えジークの人生をかけたとしても、原因の究明は望み薄だ。ならば、一か八か、原初の竜を倒し、魔泉の水を飲むことに賭けるしかなかったのだ。
(ぼーっとしてる時間はない)
殴られたダメージから身体が回復し、なんとか立ち上がれるようになったジークは、重い足取りで病院へと向かった。
気を張ってないと倒れそうになる。
ライアンに絡まれなければとっくについていた頃だろう病院への道のりがかなり遠く感じた。
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