第17話 優しい抱擁

 やはりこの世界はVRのゲーム世界なのだろうか……?


 しかしもうこの世界で暮らし始めて4ヵ月以上経っているボクにとっては、この世界が自分にとっての現実リアルとなり始めている。

 今更それを仮想うその世界として受けとめることは心情的に難しくなってきていた。


 これまでボクのことを心配しサポートしてくれたバロラやケレブリエルさんの思いやりは?

 テミスやロイと育んだ友情は?

 アイシャやブレイブ・ハートのみんな、この世界で出会った人たちとの間で築き上げてきた信頼関係は?


 全部、虚構うそだったということなのか?


 バロラに教えられて初めて魔術が使えるようになった時の喜びは?

 テミスやロイと一緒にクエストを達成した時の充実感は?

 「さえずる燕亭」でブレイブ・ハートのみんなとバカ騒ぎして楽しく過ごしたあの夜は?


 この世界が仮想世界VRならそれらは無価値なものになってしまうのか?


 この世界で過ごしてきた日々が自分にとってかけがえのないものになってきたことで、次第にこの世界を虚構として捉えることに抵抗を感じるようになってきている……


 これだけ親切にしてくれているケレブリエルさんを見ても「この人物キャラクター人工知能AIが操作しているNPCなんじゃないか?」と疑う気持ちがまだ自分の心の片隅に存在していて、そんな自分がどうしようもなく嫌になる。


 この世界がVR世界ではなく、異世界の現実リアルだと信じ込みたいという自分がいる。


 ラノベでも自分が死んだあと、自分が好きだったゲームやその続編の世界に転生させられるっていう展開はけっこう多いしね……



 でももしここがVR世界ではなく自分が異世界に転生されているのだとしたら、ボクはやはり冷凍睡眠コールドスリープ中に何か問題があって死んでしまったということなのだろうか?


 そうだとしたらもうお姉ちゃんやパパ、ママ、ミカエラや他の友達とは二度と会えなくなってしまうの?

 最後の別れを告げることさえ出来ずに……


 そう思うと無性に悲しみが溢れてきて涙が出そうになる。


 胸が締め付けられるように痛くなり、心臓が早鐘のように鳴る。

 心臓の鼓動は速まっているのに逆に血の流れは酷く停滞しているような……

 身体に流れていかない血液が心臓を内側から激しく叩く。


 呼吸も浅くなり、思考も鈍くなってくる。

 それはまるで身体が「これ以上考えるな!」と、脳に血や酸素を送ることを拒絶しているかのようだった……




「ニケちゃん、大丈夫!? あなた酷い顔色よ?」


 気が付くとケレブリエルさんがボクの両頬に手を添え、ボクの瞳をのぞき込んでいた。

 急に青褪めた表情になり、一人で悩みだしたボクを案じてくれたようだ。


 ボクの指は小刻みに震え、唇は萎れた花のように乾いている気がした。

 まだ盛夏を過ぎて残暑が残る季節なのに寒ささえ感じる。


 ケレブリエルさんの銀のまつげに縁取られた美しい緑色の宝石のような瞳には、心配と動揺の色が浮かんでいた。


「何か抱えていることがあるならなんでも相談しなさい! 私はあなたのことを実の娘のように思っているのよ?」


 ケレブリエルさんに本当のことを伝えても大丈夫だろうか……?


 ボクは自分が今置かれている状況についてケレブリエルさんに説明することにした。

 ボクの言葉はその多くが『賢者語』になってしまい、『賢者語』にならないように状況を説明することは困難を極めた。


 ケレブリエルさんはボクが説明している間も、ボクの不安が和らぐようにそっとボクの身体を抱きしめてくれている。

 ボクの後頭部に添えられた右手は、時折子どもをあやすようにボクの髪を優しくなでてくれる。


 そう言えば筋委縮性難病のせいで病院で寝たきりになってからは、こうやってママに抱きしめてもらうということも無くなっていた気がする……


 ボクがケレブリエルさんに「この世界はゲーム◇☆↓▼の世界かもしれない」と伝えようとすると、やはり「ゲーム」の部分だけが『賢者語』になった。


 だから『賢者語』にならないように注意しながら、

「ボクが元居た世界はこの世界とは違う世界で、その世界では現実の世界と仮想の世界を行き来することができたこと」、

「現実の世界には魔法は存在しなかったけど仮想の世界には魔法が存在し、仮想の世界の魔法がこの世界の魔法と似ている為、ボクはこの世界でも魔法が使えるということ」、

「自分は元居た世界では不治の病に侵されており、治療法が確立するまで凍らされて眠らされることになったこと」、

「眠りから醒めるとこの世界に居て、元の世界への戻り方が分からないこと」、


 そして「もしかしたら自分は元の世界では死んでしまって、この世界に魂だけが転生されているのかもしれず、元の世界の家族や友人とはもう会えないかもしれないこと」をケレブリエルさんに伝えた。



 『賢者語』に変換される為、本当に伝えたいことは話せないもどかしさはあったものの、これまで自分の内側で独りで抱えていたことを話せて少し心が軽くなった気がした。


「ニケちゃん、どうしてもっと早く言ってくれなかったの……?」


 ふとボクのことを抱きしめてくれているケレブリエルさんの顔を見上げると、その大きなグリーン・サファイアの瞳から涙がこぼれ落ちていた。


「ずっと側に居たのに、気づいてあげられなくてごめんね……」


 ケレブリエルさんが先に涙を流すのでボクも胸に閉じ込めていた悲しみが抑えられなくなる。

 悲しみは涙となって溢れ、ボクはケレブリエルさんの胸の中で声をあげて泣いた。


「これまでずっと辛い想いをしていたのね…… でも大丈夫。私があなたの側についているわ」


 ケレブリエルさんは優しくそう言うとボクの額にキスをした。


 ケレブリエルさんの優しさ、思いやり、温かさを感じ嬉しく思う気持ちと、でも自分の涙の本当の意味はケレブリエルさんには伝わらないという孤独感がない交ぜになり、心の中で激しい渦をつくると、涙はもっとあふれ出してきた。


 ああ、ボクはこのままもうこの世界に転生させられたということを事実として受け入れた方が良いのだろうか?

 そうすれば少しは気持ちが楽になるのだろうか?


 この世界がVR空間であるという可能性を捨ててこの世界の優しさや温かさに包まれて、この世界を受け入れ、安穏と生きる道を選択したいという想いで心が埋め尽くされそうになった。

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