第38話 お料理しましょう!
もうそろそろ夕飯時で、料理を作ろうというクラリスの提案はまっとうなものだった。
けれど、フィリアが不安そうに言う。
「りょ、料理って、クラリスが作るの?」
「もちろんです! そのためのメイドですよ!」
クラリスがえっへんと胸をはる。
けれど、フィリアは相変わらず曇った顔のままだった。
「クラリスって料理できたっけ……。それに、食材はあるの?」
「正直言ってあまりやったことはありませんが……なんとかなります! 食材も……なんとかなります!」
「く、クラリス……わたし、とても不安だよ……」
皇宮にいたころは大勢の使用人がいて、それぞれが役割分担をしていた。
クラリスは主に皇女の身の回りの世話をしていて、厨房を担当していたわけじゃない。
皇宮にいれば、帝室お抱えの料理人たちが日々の食事を作ってくれる。
だから、クラリスがあまり料理をしたことがないのは仕方ない
そうはいっても、クラリスに料理を任せるのは不安だ。
この点は俺もフィリアに賛成だ。
そもそも、今日、俺はクラリスに料理を作らせるつもりはなかった。
「料理は俺が作るよ」
俺は言った。
次の瞬間、ぴくっと耳を震わせて、聖女ソフィアが起き上がった。
「ソロンくんの料理?」
「あれ、ソフィア。気がついてたの?」
「う、うん」
「いつから?」
ソフィアはあたふたして何も言わず、顔を赤くした。
けっこう前から起きていたけど、恥ずかしくて言い出せなかったんだろう。
魔族を幽霊と勘違いして、怖くて失神してしまったんだから、恥ずかしいのはよくわかる。
ソフィアは話題をそらそうと思ったのか、早口で隣のクラリスに話しかけた。
「そ、ソロンくんの作ってくれるご飯って、とってもおいしいんだよ」
「そうなんですか!」
「うん! 冒険者を始めたころは、いつもソロンくんが料理してくれてたもん。おいしかったなあ」
しみじみとソフィアが言う。
たしかに俺がソフィアたちのために料理を作っていたこともあったし、それはけっこう好評だったけれど、あまりハードルを上げないでほしい。
フィリアやクラリスを期待させすぎて、がっかりされても困る。
でも、ソフィアは目を輝かせていた。
「また、ソロンくんの料理が食べられるなんて、幸せ!」
「そんな大したものじゃないよ」
俺は慌てて言ったが、遅かった。
フィリアとクラリスも熱のこもった目で俺を見ていた。
完全に期待されている。
これは、二人の口にあう料理を作らないといけなさそうだ。
しばらくして、クラリスははっとした顔をした。
「でも、ソロン様に料理を作っていただくなんて、申し訳ないです。ソロン様はこの屋敷の主人なのに」
「主人は客をもてなすのが役目だよ。何もおかしくはない。食材もきちんと用意してある」
「え? 食材あるんですか?」
「俺が何の準備もなしに、みんなをここに呼ぶわけないよ。だいたいの必需品は揃えてあるし、ここは帝都の郊外だから、近くの農家と交渉していろいろ調達してくることもできる」
当然、この屋敷の防衛についても時間をかけて設備を用意してある。
皇女フィリアたちを迎え入れるのに、ふさわしい屋敷にしてあるのだ。
「さすがです! ソロン様!」
階段を登って、地下室から屋敷の一階へと移動しながら、クラリスが感心していた。
そして、申し訳なさそうに「それに引き換えあたしはダメなメイドですね……。料理もできないし……気も利かないし」とつぶやいた。
俺は微笑んだ。
「料理をしたことがないんだから仕方ないよ。俺が教えるから、そのうち覚えてくれればいいし」
「ソロン様が教えてくれるんですか!? ほんとに!?」
「そんな大したことは教えられないけどね」
「いえ、楽しみにしてます!」
クラリスがとても明るい笑顔で言った。
料理を教える程度のことでも楽しみにしてくれるなら、それは嬉しいけれど。
フィリアが俺をちらりと見た。
「ね、ソロン。わたしにも料理を教えてくれる?」
「いいですけど、フィリア様はまずは魔術の勉強をしていただくとよいのではないでしょうか。師匠として魔術を教えるのが俺の役目ですからね」
「魔術師の師匠は、魔法以外のこともいろいろ弟子に教えてくれるって聞いたよ? ソロンだってルーシィからいろいろ教えてもらったんでしょう? 年上の美人女性の扱い方とか」
「そんなもの習っていませんよ……」
「ともかく、わたしにも料理、教えてほしいな」
フィリアにねだられ、俺は結局うなずいた。
まあ、また今度、二人一緒に教えればいいだろう。
けれど、今日はもう遅い時間になっているし、あまり時間もない。
俺は厨房につくと、フィリアには広間で休んでいるように言い、クラリスには食卓周りなど部屋の片付けを頼んだ。
料理の手伝いに呼んだのは聖女ソフィアだけだ。
ソフィアには冒険者時代に、ときどき料理を手伝ってもらっていたからだ。
騎士団が大人数になった後は、料理人兼任の冒険者を雇って彼女に作ってくれていたけれど、それまでは俺が料理をメインで作り、誰かが手伝うというのが定番だった。
エプロン姿のソフィアが厨房に現れた。
いつもの純白の修道服ではなく、家庭的なシンプルかつゆったりしたワンピースを着ているみたいだ。
「あんまり時間もないし、凝った料理も作れないから、厚切りベーコンのソテーと冷製スープみたいな感じで良いかな。葡萄酒は冷やしてあるよ」
俺が言うと、ソフィアはこくこくとうなずいた。
それから、俺はソフィアに簡単な作業をいくつか指示した。
ソフィアは俺の隣に立ち、なぜかじっと俺の顔を見つめていた。
しばらくしてソフィアは頬を赤く染めた。
「ソフィア? どうしたの?」
「ううん。なんでもないの」
「顔を急に赤くして、熱でもある?」
「えっとね、こうしてソロンくんのお屋敷で、一緒に並んで料理を作ると新婚さんみたいかなあって思って」
俺はびっくりして包丁を落としかけた。その拍子に、刃先で指に怪我をしてしまう。
ソフィアは慌てた様子で俺に近づいた。
「そ、ソロンくん!? 大丈夫!?」
「いや、ただのかすり傷だから」
俺は笑って、ソフィアに指を見せる。ソフィアはそれでも心配そうで、治癒の魔法を使いかけたが、考え直したようだった。
「ソロンくん、じっとしてて」
「ええと?」
ソフィアはますます顔を赤くして、俺に一歩近づき、そして、俺の怪我した指を、その小さな口に含んだ。
ぺろりと指を舌先でなめられる。
「そ、ソフィア!?」
「んっ……ちゅぷっ、んんっ」
ソフィアはれろれろと俺の指を熱心に舐めていた。その小さな唇が俺の指をくわえている様子は扇情的で、俺は目のやり場に困った。
やがて、ソフィアは俺の指から口を離し、白く透明な糸が引く。耳まで赤くしたソフィアは、恥ずかしそうにうつむいていた。
俺の指の怪我は綺麗に治っていた。……さすが聖女。なめるだけで本当に一瞬で治してしまうとは。
「こ、こっちのほうが早いかと思って」
「あ、ありがとう」
「ど、どういたしまして。あ、あのね、ソロンくんがそうしてほしいなら、わたし、もっと別のものでも舐めるよ?」
「別のものって……」
俺が問おうとしたとき、突然、「そ、ろ、ん?」と不機嫌そうな声がした。見ると、厨房の入り口にフィリアがいる。
。
フィリアは仁王立ちして、むうっと頬を膨らませている。
「ふぃ、フィリア様!? いつからそこに?」
「全部見ちゃった。ソフィアさんって、聖女なのに……エッチなんだね」
「エッチだなんて、そんなことないです!」
「ソロンを誘惑しようとしていたくせに」
ソフィアは目を白黒させ、フィリアはそんなソフィアを問い詰めていた。そこに片付けを終えたクラリスがやってきて「あらあら」とつぶやき、楽しそうに会話に加わり、さらに騒動になった。
……料理しないと。
あれやこれやとやっているうちに料理は完成し、俺たち四人は食卓に座った。
「今、この時を真実に生きるために、わたしたちはこの食事をいただきます。主よ、わたしたちを祝福してください」
帝国教会流の食前の祈りを唱えた後、俺たちは食事をとり始めた。
皇宮のときに食べていた食事の味を参考に、俺は調味料を調節していたが、それはうまくいったようで、フィリアやクラリスにもぴったり合う味だったようだ。
ソフィアの好みはよく知っているから、そこからも大きく外れないように配慮してある。
「すごい。ホントにおいしい」
フィリアがゆっくりとつぶやいた。
クラリスとソフィアもうなずいている。
ただ、フィリアにとっては、一つだけ不満なことがあったようだ。
「わたし一人だけ、お酒が飲めなくて残念」
帝国では酒を飲むことができるのは十六歳以上と決まっている。
つまり、俺とソフィアとクラリスは何の問題もなく葡萄酒を飲めるけれど、十四歳のフィリアには飲めないのだ。
俺は笑った。
「十六歳になる日なんてあっという間ですよ。そのときは一緒にお酒を飲みましょう」
「二年後、だね。そのときもわたしたちは一緒にいられるかな」
フィリアが上目遣いに俺を見て、問いかけた。
二年後、か。
たしかにそのときまで、俺がフィリアの家庭教師をやっているとは限らない。
フィリアは皇族でその身分にどんな変化が起きるかはわからないし、それに、義人連合のような組織によってフィリアの身に危害が加えらないとも限らない。
未来は不確定だ。
でも、俺はフィリアにうなずいた。
「フィリア様が一人前になるまで、俺はフィリア様のそばにいますよ。俺はフィリア様の師匠なんですから」
フィリアがぱっと顔を明るくし、とても綺麗に微笑んだ。
「うん。そうだよね。ソロンがそう約束してくれるんだもの。きっと一緒にいられるよ。ありがとう、ソロン」
「さて、さっそく明日から魔術の授業をはじめましょう……と言いたいところですが、その前に杖を買いに行きましょうか」
フィリアのための魔術の杖を用意するなら、可能なかぎり質の高いものを選んであげたい。
そのためには本人の適性を見つつ、専門の職人に杖を調整してもらう必要がある。
俺はどうしようかと考えながら、俺自身、フィリアと一緒に杖を探しに行くことを楽しみにしていることに気づいていた。
弟子のためにしてあげられることがあるというのは、師匠としては嬉しいものだ。
俺の師匠のルーシィがそう言っていたけれど、俺もいま、彼女の気持ちがわかった気がした。
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