第37話 魔族との戦い

 フィリアとクラリスが息を呑む音が聞こえた。

 二人は魔族を見るのは初めてのはずだ。


 俺は一歩前へ踏み出し、二人と気を失っている聖女ソフィアをかばうように立った。

 

 目の前の敵はそれなりの強さをもつ魔族のようで、しかも悪質な部類のようだった。

 蜘蛛のような六本足の身体は、背筋を寒くさせるような不快な見た目だった。

 その中心部は黒く濁っており、どろどろに崩れている。


 この魔族がこの屋敷の幽霊の正体だ。

 音で地下室に住人を呼び寄せ、姿を隠したまま毒殺し、捕食する。

 おそらくこの魔族はそうして生きながらえてきたのだろう。


 普通の魔族は人語を解さない。

 この魔族も大した知性を持っているとは思えないが、壁に血文字を書いたのは、一種の擬態だろう。

 魔族のせいでなく、幽霊のせいということにすれば、この地下室にいることがバレる恐れが低くなる。

 経験則でこの魔族はそれを学んだのだ。もともとは、どこか別の屋敷にいたのだろうと思う。


 いずれにしても、戦闘経験のない皇女フィリアやメイドのクラリスにとっては、この魔族はかなり危険な存在だ。

 けれど、俺は違う。


 騎士団の副団長だった頃、俺は聖騎士クレオンたちとともに、無数の魔族を倒してきた。

 そのなかには古代の暗黒竜だとか千年の歳月を生きた精霊だとか、そうした伝説的な存在も含まれていた。


 だから、この程度の魔族なら大した脅威ではない。

 ……本当なら、聖女ソフィアにとっても楽に倒せる敵のはずだけれど、ソフィアは幽霊と勘違いして気を失ってしまった。


 俺は宝剣を上段に構えた。

 ちらりと後ろのフィリアたちを見る。


「フィリア様、それにクラリスさん、決してそこから動かないでください」


「う、うん」


 フィリアが怯えた表情でうなずいた。

 不安なんだろうな、と思う。

 フィリアにとっては、初めて見る魔族だ。


 俺も最初に戦ったときは怖ろしくて仕方がなかった。

 俺はフィリアに笑いかけた。


「大丈夫です。フィリア様たちには、かすり傷ひとつ負わせませんから」


「そう……だよね。ソロンがわたしを守ってくれるんだもの。そして、わたしたちの居場所を脅かす敵を追い払ってくれる」


「そのとおりです。必ずやこの魔族を討ち果たしてご覧に入れます」


「うん。……ソロン、わたしに勝利を!」


 俺はうなずくと宝剣をかざし、前に一直線に進んだ。

 ほぼ同時に、魔族の足のうち四本が素早く伸び、俺たちに襲いかかる。

 

 俺は炎魔法を使い、それを宝剣の力で強化した。

 魔族に向かって放たれたその炎は、魔族の足を一瞬で焼き払う。

 

 魔族が痛みのためか、奇妙な叫びをあげた。

 敵の行動が止まったのを見計らい、俺は宝剣テトラコルドを魔族の中心にまっすぐ振り下ろした。


 魔族のどす黒い身体が真っ二つに両断される。


 けれど、ここで油断してはいけない。

 魔族はふたたび動き始めた。身体を引き裂かれても、なおしばらく動き続けるほどの生命力を魔族は持っている。

 

 死を目前にして、魔族は最後の反撃に出ようとしていた。

 

 俺はテトラコルドをかざし、短く呪文を唱えた。

 地下室の床に円形の魔法陣が展開され、次の瞬間、魔族はそのなかに吸い込まれていった。


 後には何も残っていない。


「勝った……の?」


 フィリアがおそるおそるといった様子で俺に問いかける。

 まだ魔族が倒されたという実感がわかず、不安なのだろう。


 俺は笑ってうなずき、ぽんぽんとフィリアの頭を撫でた。

 びくりとフィリアが震え、頬を赤く染めた。


「すみません。安心していただこうと思ったのですが、馴れ馴れしかったでしょうか」


 俺は慌てて言った。

 普通に考えれば、皇女相手に頭を撫でるなんて、することが許される振る舞いではない。

 でも、フィリアはふるふると首を横に振った。

 フィリアは恥ずかしそうに目を伏せて、小声で言った。


「ううん。あのね、ソロンに頭を撫でてもらうのって、これが初めてだなって思ったの。それに、ソロンのほうから、わたしに触れてくれたし」


「えっと、嫌でしたか?」


「そんなことないよ! とても……嬉しかったの」


 フィリアはうつむいて、ますます顔を赤くした。

 なんだか妙な雰囲気だ。

 

「えっと、ルーシィにしたみたいに、わたしの胸を触ってくれてもいいんだよ?」


「あれは事故ですから!」


「なら唇にキス?」


「それはもっとできないです……」


 頭を撫でるぐらいならともかく、皇女にそんなことをするわけにもいかない。

 フィリアは「残念」とつぶやき、くすっと笑った。


 俺は困って、話題を変えた。


「あの魔族は『バエルの子』と呼ばれる、毒を持った種類の魔族でした。だから、最後は魔法陣のなかに吸収して消滅させたんです。死ぬときに地下室内に毒をばらまかれたら、フィリア様もクラリスさんも危ないですからね」


「そうだったんだ。ありがとう、ソロン」


「いや、今回のことは元はと言えば、俺のミスですよ。幽霊物件なんて選ぶんじゃなかったなあ」


 俺はぼやいた。

 普通なら、魔族は遺跡のなかにしかいない。

 魔族はその性質上、太陽に弱かったり、澄んだ空気に耐えられなかったり、地上では生きづらいからだ。


 けれど、遺跡解放が進む中で、冒険者たちが仕留めそこなった魔族たちが遺跡から逃げ出し、地上に出て来ることも多くなっていた。

 俺がいま倒した魔族も、遺跡から屋敷を移り渡り、人を捕食して生きてきたのだろう。


 そんな魔族が住んでいる屋敷を俺は買ってしまったわけだ。

 クラリスが俺の目をのぞき込み、そして微笑みかけた。


「でも、ソロン様はあたしたちのことを守ってくれたじゃないですか」


「たしかにこれで一件落着ではあるけれど」


 ほんのわずかとはいえ、フィリアたちを危険にさらしてしまった。

 それにそんなに倒すのに困らなかったとはいえ、久々に魔族と戦って少し疲れた。


 少し腹も減ったような気がする。

 俺の心を見透かしたように、クラリスが弾んだ声で言う。


「さて、次にやることは一つです。お料理しなくちゃ!」

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