第30話 ソフィアの願いを妨げる存在
ソフィアの小さな手が、俺の手を包み込む。
動揺した俺がソフィアを見ると、ソフィアはいたずらっぽく、くすりと笑った。
ソフィアが騎士団をやめたいと言うのなら、俺はその意志を尊重したい。
けれど、現実には面倒な問題が山積みだ。
「そう簡単には騎士団をやめられないよ」
俺のつぶやきに、ソフィアがうなずいた。
「わかっているよ。でも、ソロンくんと一緒にいることのほうが大事だもん」
そう言ってくれるのは嬉しいけれど、多くの人はソフィアが騎士団団長をやめることに反対すると思う。
まず、聖ソフィア騎士団内部の人々だ。
騎士団にとって、聖女ソフィアは攻守ともに戦力として欠かせない存在だった。
さらに、ソフィアは騎士団の象徴的存在だから、ソフィアなしの騎士団は内外での求心力を失ってしまう。
賢者アルテのように、ソフィアに心酔している団員も多い。
つまり、騎士団幹部たちは「はい、そうですか」と言って、ソフィアが騎士団を抜けることを許さない。
加えて、クレオンはソフィアの婚約者として、ソフィアを連れ戻しに来るだろう。
公私ともにソフィアを守ると宣言していたのだから、クレオンはソフィアに好意を持っているのかもしれない。
そうでなくても、婚約者に逃げられたとなれば、クレオンのプライドも傷つくだろうし、周りからのクレオンの評判も落ちるはずだ。
帝国教会はソフィアに聖女の称号を付与しているが、同時に教会はソフィアに冒険者として高い成果を挙げることを求めている。教会はソフィアが騎士団団長を続けることを望むはずだ。
そして、忘れてはならないのが、ソフィアの父である帝国侯爵だ。
彼は俺たちのすぐそばにいた。
「ソフィア、なぜおまえがここにいる」
暗い声が低く響いた。
俺たちが一斉に振り向くと、そこには背が高く、深い髭を生やした壮年の男が傲然と立っていた。
ソフィアの父、帝国侯爵ゴルギアスだ。
有力貴族であるソフィアの父がこの就任式に出ていることは予想できた。うかつだった。
ソフィアが怯えたように俺の後ろに隠れた。
「いま、騎士団をやめると話していたな。それもこんな男のためにか」
会話の一部始終を聞かれていたらしい。
ゴルギアスは無造作に俺のことを指さし、蔑むように見た。
失礼じゃないか、と思ったが、俺はあえて何も言わなかった。
ソフィアの父には会ったことがあるが、以前から、傲慢で偏狭な人間だった。
「おまえのわがままを聞いて、せっかく自由にさせてやったのに、どういうことだ?」
「だ、だって、お父様だって、最初はわたしが冒険者になることに反対していたじゃない!」
ソフィアが震える声で反論する。
聖女ソフィアと呼ばれて、最強の冒険者の一人となっても、ソフィアにとって父親は恐ろしい存在のようだった。
幼い頃から聡明すぎたソフィアは家族に疎んじられていて、特に父のゴルギアスからは嫌われていた。
魔法学校に飛び級で入ったのも、家族に厄介払いされたようなものだ、とソフィアは言っていた。
ゴルギアスは失笑した。
「ああ。親である私の反対を押し切って、おまえは冒険者になったのだ。本来であれば、あのときおまえを無理やり家に連れ戻すこともできた。そうしなかったのは、冒険者になれば、侯爵家に貢献できるとおまえが言ったからだろう。なのにいまさらやめるのか?」
「それは……」
「おまえの騎士団は国と教会に認められ、そしてたくさんの金を生む。それが我が侯爵家に役立つから、おまえの勝手な行動を認めてきたのだ。なのに、いまさら、騎士団をやめたいだと?」
ソフィアが俺の服の袖をぎゅっと握った。
俺はゴルギアスの正面に立ち、彼に言った。
「ソフィアはソフィアの意思があります。娘さんの気持ちを尊重してあげないんですか? お金のことでしたら、もう十分儲けたでしょう?」
ソフィアが冒険者をすることを認める代わりに、侯爵はソフィアから莫大な額の金銭を受け取っていた。
それはソフィアが騎士団の活動で手にした財宝だ。騎士団は遺跡攻略によってかなりの財宝と資源売却による利益を手にしていて、それを団員たちに分配していた。
本来なら、それはソフィアのものだけれど、その多くをソフィアは父に差し出してきた。
もう十分のはずだ。
ゴルギアスは首を横に振った。
「おまえのような平民の小僧に言われる筋合いはない。騎士団をやめるのは、まあいいかもしれん。だが、もともと私は魔法学校を出たらソフィアをどこかに嫁に出すつもりでいたのだ。数年待ってやった。だから、私が用意した縁談にも従ってもらう」
クレオンとの婚約のことだ。
名門貴族の息子であるクレオンとの婚約はそれ自体でも政治的な価値がある。
そのうえ、同じ騎士団の仲間同士で結婚させれば、侯爵はさらに騎士団から上がる利益を手にすることができる。
「ソフィアのことを、何も考えていないのですね。それに、さっきの戦いでも、ソフィアの活躍があってあなただって助かったはずなのに、労いの言葉一つないのですか」
俺が言うと、ゴルギアスは薄く笑った。
「そういうおまえは何の権利があって、ソフィアのことに口出しするんだ? 私はソフィアの父親だぞ。ソフィアになんでもいうことを聞かせられる権利があるのだ」
俺は言葉を失った。
平民はともかく、貴族にとって、父親の言うことは絶対だ。
将来の職業も、婚姻の相手も、父の意向に従わなければならないのだ。
「来い、ソフィア。これからは勝手はさせんぞ」
ゴルギアスがソフィアの腕をつかんだ。
嫌がるソフィアが俺を見て、助けて、というふうに目線で訴える。
でも、どうすればいいのか。
この場でゴルギアスに実力行使をして、ソフィアを救い出すというのは難しい。
彼はソフィアの父親だ。この会場には多くの貴族が集まっていて、彼らはゴルギアスの行いを支持するだろう。
なのに、俺がゴルギアスに暴力を振るって無理やり止めようとすれば、俺もソフィアも今度こそ本当にどこにも居場所がなくなる。
ゴルギアスよりも高い地位の者であれば、彼を止めることができる。
その父親としての権利よりも優越するほどの力を、帝国法で認められている人物がソフィアを解放すればいい。
帝国侯爵より上位の存在。
それは、たとえば、皇族だった。
それまでずっと黙っていたフィリアが、口を開いた。
「ゴルギアス侯爵。ソフィアさんはわたしのお客さんだよ? 離してもらえないかな」
フィリアが綺麗な声でゴルギアスに命じた。
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