少女の氷は溶けやすく、脆い

くるみ

氷は脆い

「今日も良い天気だな〜」


 久しぶりに一人で昼ご飯を食べたい。なんていう捻くれた感情が芽生えた俺は一人庭のベンチで時を過ごしていた。購買で買ったパンと牛乳。何気ない教室で食べるよりも、不思議と美味しく感じてしまう。もしかしたら俺は孤独が好きなボッチ気質があるのかもしれない。

 拍子抜けに眺めた夏の空は清々しいほど澄んでいた。

 雲一つ無い、真っ青な空模様。そしてそれを後押しするかのように校舎同士の隙間から入り込む夏風。木々で鳴り響く蝉の音。一人という開放感。

最高の気分だった。

 けれど午後の授業があるため、いつまでも留まるわけにもいかない。十分前のチャイムが鳴ったと同時に重い尻を上げて教室に向かっていた。


「あれって……」


 通り掛かった花壇の目先で、軍手と麦わら帽子を身に付けたとある女子生徒を目撃した。

 雲鳥沙耶香。

 端麗な面相。流れる長い黒髪を一束に纏めたポニテール。地方のおばちゃんがよく似合う軍手と麦わら帽子を現在纏っているにも関わらず、その容姿が蹴落とされないほどの美女。半袖から出る白い肌は見るからにすべすべしており、腕に付いた土のおかげで一層その肌が強調されている。しかもこの外見を持ち得ていながらも文武両道。欠点の一つすら見当たらないエリート。そして他人を軽蔑するかのような冷酷な性格も相まってか、学校ではほとんど孤立し、周囲を氷漬ける事が多い点から『氷の魔女』とも呼ばれている生徒である。


「こんなところで何やってんだ?」


 彼女は汗を垂らしながらうっとしいと言わんばかりの鋭い視線を突きつけてきた。しかし相手が相模敦だと分かれば、すぐに視線を外し、真剣な目付きで作業を進める。


「おい無視かよ」


「私暇じゃないの」


「別に邪魔しようとはしてないんだが……」


 花壇を見渡すと、他の生徒が踏んだのだろうか、綺麗に咲いていたはずの花がペチンコに踏み潰されていた。どうやら彼女は新しい苗とスコップでそれを再生しようとしているらしい。


「お前美化委員だっけ?」


「美化委員ではないからとってやってはいけないという校則はないわ。私がただやりたくてやっているだけよ」


 あー、そういえば学校で花育ててるとか言ってた気が……しないようでもない。


「道理でそんなに気合いが入ってるわけか。……それにしても──」


 花壇を回り、正面からの彼女の服装の構図を眺める。制服美少女に軍手と麦わら帽子。改めて考えるとギャップは感じるものの、恐ろしいほどフィットしてない。思わず爆笑してしまいそうになってしまう。


「……何よ」


 ジト目で睨み付けてくる雲鳥はそれを自覚していない。単なる作業効率と作業後を考えての事だとその様子からして丸分かりだった。こういうところがあるから俺はこいつをそこまで高い存在だとは認識できないんだよなぁ。


「何でもない。……というか授業始まるぞ」


「分かってるわ。この苗だけ植えたら残りは放課後に行うつもり」


「放課後もやるわけ?」


「私が始めた事だもの。責任持って最後までやり切るのは当然よ」


「ま、だろうな。……なら片付けくらいは手伝ってやるよ」


 当たり前のように言ってる事だが、誰しもそれが出来ない。それ故に大抵の人間が中途半端に終わり、中途半端のまま放置する。結果、何も得ない。

 しかし雲鳥の場合、きっとそういうやり遂げる姿勢が高スペックという成果として現れた。それこそが彼女の本当の魅力なのだと俺は思う。


「邪魔だけはしないでくれると助かるわ」


「そこは素直に感謝したらどうだ」


 結局、後片付けに時間が掛かってしまい、俺たちは遅刻して五時間目の授業に参加した。


***


 放課後は寄り道せずに花壇へ向かった。

 手伝う約束を特にしていたわけではないが、放課後もやると聞いてしまった以上、流石に気にはなるもんだ。美少女との二人きりの時間を作りたいなんていうバカな奴とは勘違いしてもらいたくはないがな。

 昼の発言通り、彼女の姿が花壇にあった。

けれど昼間見たような服装はしておらず、様子もどこか違って見えた。もちろん、ポニーテールですらない。教室で見る、肩先まですらっと伸びた黒髪。そして彼女の背中がどこか悲壮の物陰を帯びていた。

 花壇に近づいた時、その理由を理解した。


「またやられてるのか」


 花壇の花がまた誰かに踏まれていたのだ。今回は前回と違って三歩の足跡で済んでいるものの、その中には昼間雲鳥が埋め直した新しい苗も混じっていた。


「あら、来たの?」


「あぁ、そんなことよりこれ……」


「えぇ、私が到着した時にはすでにこうなっていたわ」


 完璧に茎が折れている。何より三本ともそれに該当しているところがまた悲しい現実だった。

 周囲には二人の男子生徒がお互い離れてサッカーボールを蹴り合っていた。


「絶対あいつらだろ」


「…………」


 雲鳥は無言で彼らの方に歩き出す。


「お、おい! どこ行くんだよ⁉︎」


 雲鳥の後を追って、俺たちは手前でボールを受ける男子生徒の前に立ち塞がった。


「ねぇ、あそこの花を踏みつけたゴミってあなた達よね?」


 彼女の逆鱗が燃え上がっていた。たった初めの一言だけで証明出来る。挑発、威圧、軽蔑を含む言い方。さらには腕を組んで堂々とする姿勢。見事なまでに洗礼された威嚇である。


「花? そんなの知らないっすよ」


「あそこの花壇よ」


 雲鳥が指差す先に視点を移動する男子生徒は面倒臭そうに相槌を打つ。


「あー、もしかしたら踏んでたかもしれないっすね。でもただの花っすよね? 別にどうでも良くないっすか?」


「あなたそれ本気で言っているのかしら?」


 雲鳥は呆れたように溜息を吐いた。


「信じられない。そんなことを言う人間なんて幼児くらいだけかと思っていたわ」


「は? いきなり何言い出……」


「私があなたに質問したのはやったかやってないかの話だけ。その先の話は一切聞いてないわよね? なのに何故かあなたはそれを答える前に結果論を出した。何故だと思う? それはおそらく私が大切に育てていた花を心底どうでもよく思っていたからでしょうね。仕方ないことだわ。私だってあなたの大切な物なんてどうでもいいもの。けれどもし仮に私があなたの大切な物を壊してしまったとしましょう。きっと私はあなたのようにはしない。詫びるし弁償だっていくらでもする。それが人間として当然の義務だからよ。……そしてあなたはそうはしなかった。だから私はあなたをゴミと呼んだのよ」


 延々と綴られると思われた彼女の言葉の嵐がようやくそこで止んだ。

 男子生徒は序盤反発しようと苛立っていたが、徐々に彼女に圧倒される。最終的には何も言い返せないほど聞き込んでしまっていた。

 圧倒的な情報量で空間を支配する。この手法で何人もの男子生徒を地獄へ送り、女子生徒を泣かせてきたことか。彼女が得意とする展開だ。

 うわー、えげつねぇー。久しぶりに氷の魔女を垣間見たわ。もし俺がこの人の立場だってベソかいて泣いてそう……。


「何か言いたいことがあれば言ってみなさい。人の言葉を返す時は男なら早く、分かりやすく返すのが常識よ」


「……すいませんでした。俺がやりました」


 案外彼の心が折れるのは早かった。


「そっ、分かればいいのよ」


 魔女は男子生徒に背中を向けて花壇へ戻る。心を砕かれた挙句に置き去りにされた男子生徒を見ながら俺は彼女の後を追った。

 彼女は花壇の前で腰を下ろし、折れた茎をそっと手で撫でる。言葉は何も発しなかった。自分が育てた花なのだ。我が子同然の花をこんな姿にされたら誰であろうと怒りが湧くのは当然だろう。


「まぁなんだ、俺も手伝ってやるから切り替えていこ……」


 励ましを掛けようとした瞬間、彼女の瞳から一滴の涙が土に垂れた。次第に何適も溢れ出す。何度拭っても止まらない。雲鳥の手の甲が涙で覆われた。


「あれ? 私なんで……?」


突然溢れた水滴に彼女は動揺を隠し切れなかった。


「ごめんなさい。今日はこれで帰るわ」


 顔を俯けながら雲鳥が走ってこの場を去っていく。

 瞳は拭っていた手元で確認出来なかった。ただし髪の隙間から目に飛び込んできた彼女の口元は強く下唇を噛み締めており、悔恨の念に覆われているのは明らかで。

 あれはマジ泣きだった。

 常に冷静で、いつだって自分の意思を貫いて、初めて会った時から憧れてしまうくらいカッコ良かった彼女のあんな脆い姿を俺は初めて目にした気がした。

 女の子らしい一面もあるじゃんと浮ついた感情が無いと言えば嘘になる。

 でもこの時に限っては彼女のために何が出来るのだろうかと、つい考えてしまった。


***


 翌日の昼休み。

 俺は雲鳥を呼び付け、再び花壇に訪れた。

 花壇に到着すると、その光景に雲鳥は目を疑う。


「これは一体どういうことかしら?」


 花壇を囲うコンクリートと花の間にペグとロープで作られた柵が設置されていた。

 昨日彼女のために何が出来るかとその場で考えた結果がこれだった。


「お前が昨日いなくなった後、倉庫にあったペグとローブで簡易的だが柵を作ったんだ。どうだ? 素人としてはなかなか出来良いだろ?」


 我ながら自信作だ。とはいえ、もしこれで罵倒でもされたら最悪だなぁ。……うわ、考えるのやめよ。雲鳥なら全然あり得る。


「相模くん一人で?」


「見れば分かるだろ。らしくないな、いつもなら状況だけで推測するはずなのに」


「だって……」


 状況を理解しても尚、彼女の困惑の濁りは消えない。上手く言葉で表現するのが難しい。言葉で圧倒してこその雲鳥だが、今は声に出来ないほど情報が足りないようだ。


「それと昨日のあれはダメだと思うぞ。あんな感情任せに攻めてたら説教の意味も無くなる。端的な言葉で伝えてこそ意味がある。……まぁ無理な話か。そういう性格だからろくに友達居ないんだもな、雲鳥は」


「……もしかしたらそうなのかもしれないわね」


 柄にもなく遠い場所を見据えているように肩を撫で下ろす雲鳥。


「私って美少女な上に天才でしょ? だから他人と関わらなくても一人で全てをこなせると思っていたけれど、実際私もその辺の女子とあまり大差はなかった。……特にあなたには昨日の姿は見せたくなかったわ」


 自分でそういうこと言うか。否定はしないが……。


「確かに驚きはした。だがそこまでお前への印象の変化はないぞ? 逆に女の子らしい部分が見えて評価が上がったまである」


「意味不明だわ」


「ギャップだよギャップだよ。男子は女子のそういうギャップに惹かれるもんなんだ」


 男子って生き物はそういう簡単な生き物だ。女子の意外性を思わぬ形で目にした時、異様なまでに可愛く見えてしまう。一種の病気かもしれない。


「あなたもそうなの?」


「そりゃぁバリバリ惹かれるとも。他の人は知らないけど……」


 我ながら羞恥心を煽るセリフを言う最中、雲鳥は顔を背けて表情を隠す。照れ隠しなのかは分からない。けれど横から見える彼女の耳が先っぽまで赤く染まっていた。


「そういうものなのね。……なら————」

 ふいに彼女に肩を掴まれ、顔の位置を下げられる。気付けば彼女の唇が俺の頬に触れていた。


「は⁉︎ お前いきなり何してんだよ⁉︎」


 赤面する俺に雲鳥は悪巧みを企む魔女のように微笑み、人差し指を自分の唇に当てる。


「今まで私にしてくれたお礼よ。良かったわね。私みたいな女子にキスされて」


「冗談でもして良いことと悪いことがあるぞ……」


「あなた以外にこんなことしないわよ」


ボソッと聞き取れないくらい小さな声音で彼女が何かを言った。


「え? 今なんて言った?」


「感謝しなさいと言ったのよ。同じこと二度も言わせないでちょうだい」


「……やっぱりお前には勝てねぇよ」


 彼女の素顔を知れば、きっと彼女の周囲には沢山の人が集まるのだろう。

 しかしこの時だけは、自分しか彼女の魅力に気付いていない。

 そんな優越感に浸りたくて。

 そして俺は初めて彼女のことを——可愛いと思ってしまった。

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