第一五三話

使節団が出立した。代表に中納言・正三位下たる鴇柄増道として同行するは公家衆三名、官吏等凡そ一〇名。そしてこれ等の護衛・世話役等々に武士二〇〇名。退魔士二四名。下人・隠行衆らは八〇名。雑人・人足共が三〇〇名余りが動員された。


 総勢六〇〇名以上に上る使節団、その人員の殆んどが朝廷直属の人員でなかったのは政治的な理由であった。あるいは面子の問題であり、軍事的な合理性も考慮されていた。


 朝廷からすれば天狗は意味のある会話が可能でも所詮化物共に過ぎない。対等な存在である筈がなかった。故に中納言を使節に派遣するだけでも格別な慈悲として護衛その他まで朝廷が直接管理する要員で揃える事はあり得なかった。


 高圧的な上洛要請で四方の土地から多数の武家・退魔士家が都入りしている事も理由だ。反乱の警戒で都周辺の軍団を派遣する事に公家の多くが難色を示した。上洛した田舎者達を更に使役する事で朝廷との上下関係を世間に示す意味合いもある。


 最大の理由が戦力としての有用性であった。兵部省が編成する軍団は基本的に対人・対軍戦闘を前提とした訓練を受けている。此度赴くのは化物の巣窟。運用上明らかに不向きであった。


 退魔士家は当然として、扶桑国における武家は辺境開拓に際して対妖用に重武装化した自衛農民がその源流である。僻地の武士共は今でも不足する退魔士に代わり日常的に妖を狩り殺す事を生業としており、その点で彼らを引き連れた判断は的確であった。


 特に此度動員した武士団は南土諸藩から抽出した人員で以て編成されていた。南土武士は特に気性荒く勇猛果敢で知られている。西土等他土の武家は軟弱となって久しいとされる中、彼らは確かに戦力として大いに期待されていた。


 そう、戦力としては……。


「ここが北土の名門、鬼月の借りる部屋でありゃあすか?」


 訛りが殊更酷い、敢えて訛らせているような口調での問い掛けだった。冷笑と嘲笑を含んだ物言いに思われた。


 扶桑国央土、暗摩山行道中の宿場町。使節団の宿泊する旅館の、鬼月家に宛がわれた部屋の一つ。其処に来訪するのは部外者たる武士が三人……。


「お、御侍様で?一体何事……」

「如何にも。何事か?」


 慌てて前に出ようとした孫六を抑えて、俺は立ち上がった。そして普段に比べて若干尊大に答えた。鬼月家より派遣された護衛としての立場がそのようにさせた。


 ……あるいは、彼らの内の一人が刀に手を掛けようとしていたのを察して。


「ふんむ。鬼月家家人扱下人として使節団同行に任じられた者がいると聞きもうした。もしや、おどりゃんかな?」

「……左様。私だ」


 恐らくは出で立ちから元々予測していて、それでも尚、敢えての問い掛け。態々「下人」という単語を強調して……まぁ、元々此処に来た態度で友好的とは言えなかったが。


 そう言えば……。


「番の下人共が外にいた筈だが?」

「軽く顎を撫でてやりゃあ昏倒してしまいもうした!天下の鬼月の兵がまっことだらしない限りで御座ろう。常在戦場の心意気が足りもうす!!これでは到底守護の務めは果たせんも!」


 つまりは顎を殴って気絶させたと……あぁ。マジだ。庭先で昏倒してやがる。流石に骨は砕けては無かろう。しかし、これは。


「また随分と手荒な来訪な事で」

「南土武士は無学、礼節に疎く御座れば、勘弁してくんろ。……しかして、此れはそちらの責任でもあろう?この有り様で如何に使節を御守りしようとか?」


 使節団の宿泊部屋の近くに詰める立場での失態を、彼らは敢えて糾弾する。


「そうでありやした。名乗りがまだでいやしたな。我が名は右近某。此度、栄えある朝廷が使節の護衛として同行しもうした!主に聞きたい事がありもうす!!」


 大袈裟な程に大声での宣言。あるいはそれは周囲に向けたものであるように思えた。障子の向こうを見れば、叫び声に反応して幾人かが何事かと集まって来たようにも見受けられる。


「先日、風の便りにて事件があったと聞きもうす!北土関街、数多くの退魔の士が屯する中での騒動!」


 右近と名乗る男が口にしたのは、上洛団が遭遇した妖の襲撃に関してのものであろう。


「上洛団の代表たる鬼月の一族は、この案件で八面六臂の活躍をしたと聞きもうした!まさしく北土の朝臣の誉れ!……しかして、怪訝な話もごわす!」


 高らかに謳い上げるように叫ぶ。そして此方を蔑むように睨む。


「下人が家人扱に昇格するは数十年に一度あるかないか、まっことに名誉な事と聞きもうす。然れど、先日の騒動。お主は鬼月の女子共すら勤皇に奉公する中、何処にも姿が見えんかったとの話。実に実に、奇妙な話ではありゃあせんか?」


 武士の指摘は、まるで臆病者を糾弾するようなものであった。


「……何が言いたいので?」

「先程言ったように下人が家人に任じられるのは名誉。鬼月の姫君らなんぞはお主の武勇を誉め千切っとると聞く」

「是非とん聞かせてもういごち、お主の関街での武勇伝。……借り部屋の中、雑用侍らせてひたすら待機も退屈であんろ?」


 貸し出された部屋の内に控える孫六と毬を一瞥した後、ニヤニヤと右近が、その背後の二人が笑う。そして俺は昨日のトラブルを思い出して納得した。


 あぁ、成る程。そういう事か……面倒臭い相手だな。

 

「伴部様……」

「旦那……」

「大丈夫だ。後ろに控えていろ」


 明らかに友好的ではなく、しかも武器を持った武士が大声を上げているのだ。毬と孫六が怯えて警戒するのは当然だった。特に毬は相手の姿も分からぬのだから尚更だ。俺は安心させるために二人を宥めて、そして守るように前に出る。


「関街の騒動は……既に解決しました。それだけの事です。詰まらぬ話でありますし、機密事項もあります。お尋ねするのは勘弁頂きたい」


 俺は無難に答える。そしてさっさと帰れと警告する。


(そういや……前の上洛の時でも揉めてたっけな)


 文化習俗常識の相違は幾ら事前に備えていても備え切れるものでもない。上洛した南土の武士は事あるごとにトラブルを起こすという事で以前の上洛時も悪い意味で都では噂になっていた。赤穂の末娘曰く、元々武家だった事もあり赤穂家が良く騒ぎの仲裁に駆り出されていたらしい。武士道を履き違えた恥晒しの獣共、士道不覚悟の徒共……というのは彼女の吐いた罵倒だ。


 気候か環境か気風か。南土の武士は勇猛で勇敢であるが短気短絡狂暴な獣、田舎者として都では見られていた。庶民らは彼らを畏怖と軽蔑の両方の眼差しで見るのが常であった。翻って雅な西土、品行方正な北土の武家はその有り様から歓迎されていたと記憶している……。


「くくく……」


 武士達は俺の言に失笑する。小さく首を振るう。そして、否定する。


「いんや。知りたか。何故栄誉ある、格別な厚遇を受けんながら、一所懸命するんべき時んに姿を見せなんだも?やはり、巷で聞く噂は事実でありもうすか?」

「噂……?」


 右近某のその言葉に、俺は嫌な予感がして眉を顰めた。南土はこれ迄以上に嘲笑うように口元を歪めた。


「いやなに。詰まらぬ噂、誉れある家人扱を受けん下人ちゅうが……実態は身体で以て取り入ったちゅう話でごわす」


 右近某の口にした言葉はこのような場で言うべき内容ではなかった。余りにも下世話な話であった。思わず背後の孫六が息を呑む。剣呑な視線を右近某らに向けていた。


「……無礼な内容だと理解しておいでで?鬼月家を敵に回すおつもりか?」

「あくまでも噂じゃどん。怒るんじゃなか。……しかし見聞きした話は中々愉快じゃて。どんな内容か知ってるか?」

「……いいえ」


 俺が否定すると、右近某は一層笑った。そして、歌うように高らかに声をあげる。


「くはははっ!そうかそうか!じゃあ教えてやろうも!!話んよれば、お主の膝は三つあって、二の姫の傍仕えしていた頃んには御伽衆としてそん膝夢中にしていたのだとか!毎夜毎夜、淫声の歌合わせ、を……おっ!?」


 小さく乾いた音が響く。響かせた。身体強化と隠行で、右近某の眼前まで自然に肉薄していた俺は彼の顎を撫でていた。撫でるようにして、殴打していた。


 気付いた時には、手を出していた。


「ぬっ、あ……?」


 僅かの霊力を込めての顎への衝撃は頭蓋骨を響かせて、平衝感覚を狂わせて、瞬間的に前後不覚に陥らせる。


 トテン、と尻餅を搗いた南土武士。


「と、とてんて……?」


 食らった本人は己に生じた事態を理解仕切れず、唖然とする有り様で、俺は唯蔑みに満ちた眼差しで彼を見下して、直ぐに己の軽率さを呪った。


「……やっちまったな」


 無用なトラブルを引き起こす事になりそうだ……小さく呟いて、苦虫を噛んだ。身構える。次に生じる反応を想定して、急いで対応の準備をする。


「右近どん?」

「……おい、正気か右近どん?」

「あんな北土百姓の細腕で、撫でられて腰から落ちっとば!?」


 一方で尻餅搗いた右近某を、共にしていた二人の同僚は困惑しながら見つめて、しかしその様に思わず喜色満面となって笑い始めた。嘲りというよりも純粋に滑稽な場面を見ての笑面であった。


 ……笑われた本人からすれば、そんな事は何の意味もなかった。


「おいおい、右近どん!しっかりしもれ!」

「おはん、寝ぼけちょるんか!?」

「あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!」


 笑い交じりの呼びかけを絶叫が掻き消した。同僚も、俺も思わず怖じけて、そして直後に彼は羽織っていた装束をはだけさせた。怒りの形相で腹部を晒し出す。おい待て。今更だがこの流れは……。


「おいは恥ずかしかっ!!生きておられんご!!」

「右近どん!!」

「いや待て、やめい」


 物凄く既視感があったので取り敢えず右近某が引き抜いた脇差を蹴り飛ばしておく。危ねぇ。危機一髪だ。


 ……いや。というか人の部屋で切腹するのやめない?落命するの?落とし魂なの?去年に続いて二発目のネタなの?


「介錯しもす!!」

「いや。まだ割ってないけど!?」


 まだ腹切ってないのに介錯しようとした今一人の刀も蹴り飛ばす。人の部屋汚すなや。頭を落とすの?やっぱりこれが落とし玉なの?


「介錯しもす!!」

「さっきの見なかった!?」


 何かもう一人も介錯しようとしたので同様に対処。カランと転がる脇差と刀が計三本。二番煎じならぬ三番煎じ。


「「「……」」」


 空手となった三者。沈黙して三様に己の手元を見て……そして、此方を見た。


「「「もう言わんでよか!」」」

「話の流れェ!!?」


 三人揃って予備の短刀で襲いかかる南土武士達の台詞に突っ込みを入れた。入れながら俺は対処した。興奮して隙だらけの大振りの動きを手刀で制圧する。回避して、足を掬って、蹴り飛ばして、峰打ちで気絶させる。


 先程までの喧騒が嘘のように、静寂が訪れる……。


「え、えっと……兄貴?」

「伴部様?」


 昏倒する三人の武士を暫し見下ろして、背後から恐る恐ると掛けられる呼びかけに振り返った。何とも言い難い困惑顔を浮かべる兄妹。……まぁ、アレだな。ここはお約束を通すべきだよな?


「南土の狂犬共め。獣とは貴様ら如きを言う」


 半分程は本気の本音で、俺はそんな台詞を口にした……。







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「大変、申し訳ない事をした。全ては私の不徳の致す所。此処は監督責任を果たすべく、この場にて割腹して詫びを……」

「いや、だから。さっきから血生臭くないですかね?」


 武士三人を気絶させた後、使節団の宿泊する旅館の一室にての会話であった。正面で訛りのない厳かな口調で謝罪し、頭を下げるのは南土武士共三人の上司に当たる人物だ。


 亥角藩家老、使節団守護・猪衛保武。中年を過ぎた色々と濃い目の老武士は、沈痛な表情で部下の無礼を詫び続けていた。それこそ、要求されればその場で腹を切りかねない程に。


 切られても滅茶苦茶迷惑ではあるけれども。


「……私自身の名誉は問題ではありません。それよりも鬼月の家の名誉、それこそが問題です」


 家老の謝罪に対して返答。そして俺は視線を横に向ける。傍らで背筋を伸ばして正座する凛々しい少女を垣間見る。


 鬼月家当主直系一の姫、使節団守護・鬼月雛は目を閉じてひたすら沈黙し続ける……。


「姫様」

「……大事の前の小事。守護の任がある以上、徒にこのような騒動で貴重な兵を失うべきではあるまい。割腹なぞ、不要です」


 何れだけ沈黙していたのか。俺の呼び掛けに、漸く雛は口を開いた。淡々として、冷たい口調で先ずは贖罪の自裁を合理的な理由で否定する。そして嘆息。言葉を続ける。


「……然れども。鬼月の一門の名誉、それを嘲られるのは真に不快なれば、後程関係者一同に謝罪の書状を頂きたい。再発防止のために血判も頂きたいものです」

「それは勿論。折角の栄誉ある務めの最中にこのような恥ずべき事態、二度とあってはならぬ事なれば」

「それと。席次について、改めて確認を頂きたいものだ。宜しいか?」


 厳しく厳しく、雛は追及して要求した。容赦なく、しかしそれは必要な処置であった。


 そもそも、此度の騒ぎの発端は使節団の守護の序列によるものであった。


 使節団に参加する守護の武家退魔士家。彼ら彼女らの行軍中の位置、あるいは夜の饗宴における席次……身分制度の厳格な扶桑国においてそれは極めて繊細な話題であった。


 公家は兎も角、退魔士家・武家間の序列は曖昧だ。敢えて曖昧とされていた。明確な上下関係の指標を作らぬのは双方の面子を考慮したのであり、同時に分断も目的とされていた。分断する事で結束を阻止していた。


 そして八〇〇年の歴史を持つ北土の名門退魔士家の直系。但し母方は貧乏百姓の娘。対して南土有数の大名家、その一族に属する家老。其処に官位や年齢が複雑に絡みつき……先日の宿場町で執り行われた酒宴の席にて何方が上座に座るのか、それが争いの争点となった。本人達ではなく、周囲が争点とした。


 守護隊の任を命じられた退魔士家において最も家格が高いと言えたのが鬼月家であり、武家においては猪衛家であった。酒宴にて何方の代表が使節の傍らに席を占めるか……酒宴の直前で初めて議題に上がったそれは気付いた時には本人達の手元を離れた諍いに発展していたのだ。


 此度の騒ぎはその余波。周囲の有象無象の空気に当てられた猪衛家の家臣共が引き起こした軽挙妄動……その結果はある意味で最悪であった。


「……致し方ありませぬ。上座を御譲り致しましょう」


 苦渋の表情で、額に汗を噴き出しながら、家老は申し出た。元々使節団は鬼月家の雛を最も傍らに置いていて、それを追認すると彼は明言した。これは鬼月家の全面勝利を意味する。


 尤も、それで解決……とはならなかった。


「いや、その点については構いませぬ。……鬼月家は猪衛家に対して、饗宴の上座を移譲致しましょう」

「それは……!!?」


 雛からの意外な提案に目を見開き驚愕する猪衛保武。そして不機嫌そうに顔を顰める。


「一体どのようなご了見でありましょうか?我が家を哀れての事でしょうかな?この上、更に恥の上塗りをせよと……?」


 駄々を捏ねて、騒ぎを起こし、謝罪の書状まで出しながら上座を譲られる……それは恥辱を越えた恥辱であった。保武の表情は強張る。怒りと羞恥によるものであった。


「……言葉足らずでしたな。正しく申せば、我が鬼月家は此度の守護の任の間、上座を猪衛家にお譲りすると申したのです」


 厳粛に、そして重々しく雛が宣言した。その言に家老は首を傾げ、そして理解して憮然とする。


「……中納言殿はそれで宜しいのでしょうか?」


 そしてここで話題を振られたのが上座に座る老人であった。上等な装束を着こんだ朗らかな、あるいは気の抜けた呑気そうな老人。中納言鴇柄増道。使節団の代表……彼は保武の質問に何度も頷き、応えた。


「ふぅむ。鬼月家の一の姫殿からの提案は真に正当なものであるからのぅ……勅命を十全に果たすという点で言えばこれを退ける事は道理に合わぬのではないかな?」


 守護の任は一つには使節団の護衛であり、必要に応じて使節団の剣としての務めもまた期待されていた。


 そして鬼月雛の退魔士としての腕前は、その異能も含めれば使節団の守護の中でも随一であり、同時に純粋な護衛としては相応にして、不相応であった。


「知っての通り、私の異能は強力ですがそれを活かし切れている訳では御座いません。中納言様、あるいは他の守護の傍で発動した際の安全を保証出来ません」


 雛は実直に己の実力について語る。


 鬼月雛の有する『滅却』は概念の焼却である。その強みは通常の火遁系のそれと違い攻撃する対象を細分化・概念級で選択出来る事である。


 相手を単純に焼き殺し、殺し切れずとも治癒も再生も困難な損傷を与える。必要ならば相手の「一部」のみを焼き尽くす事も出来よう。また逆に己の傷、死の運命すらも『滅却』して見せる。万能かつ応用に秀でた異能は、しかし未だ持ち主の手に余る代物であった。


「いざという時、敵を討ち果たす事は叶いましょう。しかしながら……恥を晒す事になりますが、その余波については保証出来かねます。この未熟な身では己の異能を御し切れず、貴人方の御傍で戦う事になれば巻き添えにしかねません」


 そしてそれこそが上座を譲る理由であった。宴会、あるいは会談、その他の集いで襲撃があった時どうか?咄嗟の判断で最善の選択が行えるのか?制御の難しい異能を的確に行使出来るか?自身の炎が、味方や守るべき者達まで襲いはしないか?


「明確な席次、序列はこの際棚上げとするべきかのぅ。代わりにこの任の最中、即ち都への帰還までの間、儂の傍らには猪衛家が座って貰おうかな?鬼月の姫には逆、一番下座に控えて貰う。無論、理由については周知させよう。……それでどうかな?」


 中納言の提案する決。それはまさに明言したように事態の棚上げそのものであり、根本的な解決とはならない。しかしながらこのまま一方的に猪衛家に、武家に恥をかかせ続ける事は刃傷沙汰、流血沙汰にも発展しかねなかった。朝廷としては最も忌むべき所。故の、落とし所……。


「……慎んで。御提案、承諾致します」


 深々と、本当に深々と家老は頭を下げる。それを見下す雛は冷淡だった。冷淡に言い加える。


「改めて御伝えしますが、騒ぎを引き起こした武士共の自裁、処断はお避け下さるよう。使節を御守りする者が減る事が一番の大事。御理解頂けますか?」

「はっ。善く善く、皆に言い含めましょうぞ」


 内心、あの色々暴走気味な連中の手綱をちゃんと握れるのか不安に感じたが……俺は横から口出しはしない。この場において俺は最も立場が低く、鬼月の代表は雛であった。彼女が話す内容に俺が反対するなぞあってはならなかった。


「……ふむ。では此度の事案については此れにて解決、という事で宜しいかな?」


 頃合いを見計らっての中納言の呑気な口調での確認。鬼月と猪衛の者は俺も含めて頷き肯定する。


「そうかそうか。ではな、何時までも蟠りを抱えていても仕方あるまいて。……折角じゃ。両家の友好のためにも、ここは一つ茶を煎じて見せよう。ははは、最近、良い名品が手に入っての!!」


 朗らかに、本当に朗らかに、中納言は宣った。まるで騒ぎを他人事かのように語り、心底愉快げに茶の席を開かんとする。場に出席する誰もが、それを拒絶する事が出来なかった。


 ……いさかいの切っ掛けを素知らぬ顔で作り、見過ごして、萎縮させて、弱味を作らせて、宥めて、恩を売る。


 本当に本当に、公家らしい厭な振舞いだと思った……。








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「……漸く終わったな」

「……はい」


 約一刻近く続いた茶の湯の席。応対役の茶葉への蘊蓄に名物自慢に終始したそれは、正直参加する者にとってはかなり体力を使わせる代物であった。実際、俺は無論、雛にすらその声に疲労が見えていた。関心がない者にとっては茶も茶器も違いなんて分からねぇよ。


「申し訳御座いません。姫様にこのような御足労をかけさせてしまい……」

「気にするな。お前に過失はないだろう?」


 守護の代表として、同行する退魔士家の内で最も家格が高い故に、純粋な護衛以上に気苦労が絶えないだろう彼女に更なる問題を持って来る形となってしまった。己の不甲斐なさを心から恥じる。雛自身は苦笑しながら赦しを与えるが俺自身の内にはどうしても痼が残ってしまう。


「いっそ、本当に腹切らせても良かったんだぞ?南土武士は些細な事で切腹するって話だからな」

「流石にそれは誇張ですよ。……噂よりは」


 蛍夜郷に訪れた時にその話は聞いていた。世間一般で話されてる程には流石にポンポン切腹はしないそうだ。いや、それを差し引いても大概な話ではあったが。……中妖と出会したら相討ち狙いで一刀両断しにかかるのがデフォとか頭可笑しいな?


「助命を勧めたのはその辺りが理由か?」

「……はい。此方の都合で御迷惑をお掛け致します」


 此度騒動を引き起こしたのは亥角藩猪衛家臣従の武士……奇縁であった。先方は何も知らぬようであったが蛍夜郷にて用心棒をしている放蕩武士様はまさしく亥角藩の直系である。彼方側に必要以上に過酷な態度を取らなかった一因はその辺りに起因していた。


 噂は何処でどのように変質して伝わるか分からないし、何処でピタゴラスイッチしてくるかも知れたものではない。環が曇ったり、気まずくなったりする可能性は些細なものでも摘んでおく必要があった。


 それに……。


「それに、姫様が、雛が誰かの死を強いる姿は見たくありません。……人を呪わば穴二つ。因果は廻るものです。流血は、避けるべきです」


 例えそれがどのような経緯であったとしても、誰かの死に関わって、誰の恨みを買わなければ誰の恐れも抱かれないなんて事は、楽観的過ぎる考えであろうから。俺は兎も角、雛にはそんな重荷は背負わせたくはなかった。


 そして、そんな俺の内心を察して彼女は口元を緩める。


「全く、一丁前に他人の心配ばかりするものだ。お前は昔からそうだな?自分の事は後回しで他人の事ばかり。足下がお留守になっても知らんぞ?」


 若干からかうように、雛は肩を竦める。尤も、其処は俺にも言い分がある。


「姫様のやんちゃには、散々苦労致しました故。足下を見る暇が御座いませなんだ」

「……いや、中々酷い言い様だな?」


 若干拗ねたように口を尖らせる雛。そして、直ぐにまた口元を緩める。


「まぁ、何だ。此度の事は丁度良かったと考えているんだ。上座に座るのも、其処から降りるのも、色々と面倒でな?実は渡りに舟だと思ってる」


 先程の会談前に、既にある程度説明は受けていた。落とし所の目標も決めていた。雛は会談で説明した通りの理由から上座を降りたがっていた。


「加えれば接待が面倒でな。宿泊先の有力者相手のお喋りも厄介だ。……酷いのだと場も考えず、あからさまに不躾な目で見てくる者もいたかな。正直、かなりうんざりしていたんだよ」


 北土の名門の生まれ。独り身。そして美貌。邪な視線を向ける者、あるいは上手く手籠めに出来ないかと企てる者がいても可笑しくはなかった。彼女が上座から離れたのはそのような理由もある。


「上手く利用された訳ですか」

「不満か?私の貞操はどうでもいいか?」

「まさか。……姫様のお役に立てたのならば幸いです。家の方に、報告は?」


 一時的であれ、仮初めであれ、理由があれ、上座を譲ったとなれば鬼月の家からすれば面目として何かしらの不満があるかも知れない。事態を伝えなくても良いのかと尋ねる。


「今すぐ報告しても話が拗れるだけさ。全て終わった後に事後承諾させてしまえばいい」


 そういって問題を呆気なく棚上げする雛であった。ある種の真理ではあった。同時にその思い切りの良過ぎる物言いには好きな物は最初に食べて、習い事の宿題はギリギリで仕上げて、夜更かしする癖に朝は中々起きない彼女の幼少期の性格が垣間見えた。


「……宜しいので?」

「御当主……父上ならば理解してくれる筈さ。なぁに、心配するな。大船に乗ったつもりで任せろ。それとも、一筆必要かな?」


 そういって全ての責任を受け持つと雛は笑みを浮かべて宣って見せる。意地悪げに最後に一言付け加える。


「……いえ。其処まで必要ありません。姫様を信頼させて頂きます」


 僅かに沈黙した後に、俺は答えた。一瞬脳裏に過ったのは先日の記憶。膝枕してきた彼女の、此方を見下ろす、不穏な眼差し。纏っていた尋常ではない黒い雰囲気……あれは単なる思い過ごしだったのだろうか?


(あるいは、俺自身の見る目が変わってしまったか……)


 秘めた決意。覚悟。それこそ、他人を巻き込む事すらも厭わずに。実際に巻き込んだ、雛にとっては恩を仇で返すような畜生の目論見……その後ろめたさが俺の視界を歪ませたのか。分からない。


「姫様、自分は……」

「お前が含む所があるのは分かっている。しかし何も言うな。……口は災いの元だ。違うか?」


 思わず自白してしまいそうになる心中の思いを雛は静止する。自虐の笑みを浮かべながら。その意味は分かっていた。彼女自身、それで失敗したのだから。


 共に秘めていた筈の秘密。異能の力。つい漏らしてしまったそれが卑腹の仔として捨て置かれていた彼女の運命を狂わせて修羅の道へと誘った……。


「雛様……」

「ふふっ。お互い、立場のせいで大変だな。……いつか、心置無く腹を割って話せるようになりたいよ。何時何処でと周囲を気にする必要なくな」


 冷笑。苦笑。儚い眼差し。その振舞いが、その言葉の調べが、眼差しが、真っ直ぐ過ぎて俺は自己嫌悪に陥る。


「……」


 貸部屋に戻るまでの間、俺は何も言えなかった。次口を開いたら、己が何を言ってしまうのか分からなかったから……。


 







ーーーーーーーーーーーーーー

「ふぅ。……それじゃあ、そろそろお前達も寝ておけ。明日も早いからな」

「へい。了解致しやした!」


 雛と別れてからの夕食、入浴に雑務も済ませた夜間。俺は嘆息を吐いた後、孫六達に就寝を命じる。


「伴部様は……」

「今回は俺の番だからな。見廻りを終えたら直ぐに寝る。……何、心配するな。問題は解決したから連中が来る事はねぇよ」


 不安げに呼び掛ける毬を宥めて、安心させる。使節団の守護のための旅館の内外の見廻り。同行する護衛による時間と日付で順番に行われるそれの、今日の夜は俺が担当であった。正確には担当の一人が俺であった。


 ……よりにもよって、面倒な訪問者共が来たその日にである。毬が不安がるのは当然と言えば当然だった。


「いえ。私は……どうぞ、無事の帰りを御祈り致します」


 恭しく、正座して両の手に額まで畳に突いての見送りであった。


「あぁ。……孫六、頼むぞ?」

「へい」


 孫六に毬を布団まで運ばせて、それを見送った後に俺は部屋を出る。


「允職」

「家人扱下人だよ。……千鳥の奴は大丈夫か?」


 障子を開いた先、優美な枯山水が観賞出来る縁側で気配を殺しながら警備をしていた御影からの呼び掛けに、俺は注意と共に確認を取る。


「一応、今日は休ませました。お陰様で自分がここの番を。全く、迂闊な奴ですよ」


 応答、そして嘆息する御影。千鳥は以前、蛍夜郷においても入鹿に一発食らって昏倒した前科があった。そして今回である。妖相手ならば二度死んでいた計算だ。加えるならばその補填として班長の己が繰り上がりで番を務める羽目になったのだ。呆れ果てるのも仕方ない事ではあった。


「そういってやるな。……流石に今回はな」 


 同じ守護である筈の味方に突然顎を殴打されるなぞ、想定しろというのが無茶な話であった。


「ですが……いえ、了解致しました」


 尚も不平不満を言おうとして、御影はそれを抑えた。以前ならば更に食い下がって愚痴っていたであろうに。残念ながらその理由は分かっていた。


「これ迄通り……にはいかねぇか?」

「互いに、立場がありますれば」


 下人衆允職と、家人扱下人の間には大きな大きな差があった。絶対的な身分の壁があった。


 例えそれが当主の一言で取り消されるような仮初めの不安定なものであったとしても、それでも尚家人扱の意味は重い。故に、嘗ての同僚との距離もまた……最早以前のように接する事は出来ない。双方の立場のためにも。何時何処で、その行いを謗られるか分からないのだから。


「……そうか。立場か」


 返答に短く答える。茶会帰りの雛との会話を思い出す。そして頷く。納得する。納得させる。


 全てを投げ出せたら気楽なのだろう……そんな短絡的な逃避を捨てる。受け入れる。不条理な現実を。


 今は、まだ……。


「うん。そうだ、そうだな。分かった。……御影、改めて持ち場の死守を命じる。務めを果たせ」

「はっ」


 俺の命に淡々と応じる下人班長。俺は踵を返して縁側を進んだ。その向こうに佇む背の低い巫女装束を見据える。女装した少年は此方を見ると仏頂面を緩めたのを確認する。


 少年は此方を待っていた。待たせていた。故に小走りで向かう。今の俺は一下人と何時までも立ち話する暇はなかった。俺は家人扱の下人なのだから。


 立場には、それ相応の責任が伴うのだから……。



 





ーーーーーーーーーーーーーー

「…………」 


 冷たい冷たい、深夜。呪術的に結界で閉ざした宿屋の一室。其処に彼女はいた。正座していた。幾重にも白い布地を畳の上に敷き詰めて、その上に厳粛に座りこむ。


 一糸も纏わぬ白い細身の、しかし確かに曲線を描いた輪郭が、闇の中で幻想的に浮かび上がる。


「はぁ……」


 艶かし過ぎる程に艶かしい嘆息。閉じていた眼を開けば深い深い、煮え滾るような深紅の輝きが闇中に輝く。鉄の擦れる音が静かに鳴り響いた。


 水音がした。流れる。流れる。流れる。震える呼吸。恍惚の吐息。逢瀬に蕩けるように。


 抉る。抉る。抉る。己が心を引き抜いて、彼に捧げる。それはまさに最大級の愛情表現……綺麗に綺麗に傷つけず、新鮮な内に風呂敷に包み込む。


 己の身体が、伽藍堂になる事も気にせずに……。


「……足り、ない。足りないなぁ……足りないよぉ」


 胸の内を晒し出したままに、姫君は呟いて、呻いて、嘆いた。短刀を放り捨てた。血塗れの細い両の腕は自身の首元に。爪を立てて……おぞましい音がする程に思いっきり締めあげる。


「かっ゙、は、あ、あ゙ぁ゙……あはぁあ!!」


 酪酩する。酔いしれる。四肢の感触が死んでいく。五感も沈んでいく。寒さに震えて、焼け焦げるような胸の痛みに汗を流して、絶たれた酸素を求めて脳が悲鳴をあげる。思考が混濁する。生死の狭間を、半歩程乗り越える。


 苦しい。痛い。辛い。痛い。痛い。痛い……嬉しい。全てが彼のためだと思うと、彼によるものなのだと思うと胸が一層熱くなる。瞳が悦びに潤む。鬼月雛という娘は幸福の中に包まれていた。


 この割かれた胸の痛みは彼のためのもの。首を絞める腕が彼のものと想像すれば興奮する。雌が絶頂する。己の肚から赤い鮮血と共に零れ堕ちる。これが愛なのだと思った。愛なのだと知っていた。鬼月雛にとってはこれこそが「仲睦まじい夫婦」の有り方であった。


 頬を殴られて、腹を蹴られて、尻を叩かれて。


 髪を引っ張られて、首を締められて、肌を噛み締められて。


 摂食を制限されて、排泄も禁じられて、一挙一動も制約されて。


 命を握られて、権利を剥奪して貰って、心の一欠片すらも差し出して。


 文字通りに相手に全てを捧げて、尽くして、捨て去って……それこそが鴛鴦夫婦。支えて支えられて、二人三脚で末長く。雛の知る幸福な家庭だ。田舎の小さな家での、幼き日々。美しい思い出。純粋で純朴に単純明快に、小さな箱庭の楽園。


 何時か、拙い口で彼と約束した約束。日常。彼女の目指す、遠き日の理想……。


「ごめんなぁ……ごめんなぁ……?私が、未熟だから。私が、ばかだからぁ……」


 啜り啼く。謝罪する。己の無力を嘆く。


 彼との逃避行が叶わぬのは己の無力。己の無知故に。彼を縛る呪いも、彼を蝕む苦しみも、今の彼女では救い切れない。彼女の異能は余りにも強力で、しかし余りにも繊細で、今の彼女の腕前では彼だけを救う事は出来ない。彼すらも焼いてしまう。


 許されない事だ。赦されない事だ。彼への背信だ。万死に値する。お嫁さんなのにこんな体たらくでは、こんな無能では、何をされても仕方無い。


 棄てられても、仕方無い。


「っ!!」


 感情の高ぶりに思わず雛は怒り狂った。ゴキッと言う骨の捻れる音が響いて、頭蓋がゴツンと床に倒れる音がして、灼熱が室内を舐めた。


 蒼白い業火の中で、彼女は再誕する。


 傷一つもなく、後遺症一つもなく、産まれたままの姿で、起き上がる。その表情は酷く苦しんでいた。


 自動で発動する再生。死の滅却。こんな事ばかり融通が利いても仕方無いのに。寧ろ、忌々しい。


 何れだけ求められても、可愛がられても、愛されても、その痕跡が欠片も残らないなんて……。


「駄目だ……」


 俯いて、表情を歪める。やはり制御仕切れていない。床の布が少々焦げてしまっている。短刀は融けてしまっている。己の身体の話どころじゃない。彼が傍にいたら永劫に治らぬ火傷をしたかも知れない。赦されない。有り得ない。


「もう、一回……次こそはぁ!!」


 鍛練と、自罰と、否定と、快楽のために。彼女は悶える。苦しむ。夢中となる。愛を識る。記憶を頼りに実践する。恐らくは一晩中……。


『……』


 守護のために侍らせていた、その巨躯を縮める龍だけがその有り様を目撃していた。とぐろを巻いて、沈黙しながら、その狂気を見つめる。


 何処までも何処までも、主を哀れんだ眼差しを向ける。


 連綿と紡がれる、一族の業を背負わされた乙女を偲んで……。

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