二〇二四年バレンタイン記念短編
「そうです伴部さん!『情人節』って、知っていますか?」
「はい?」
それは鬼月家屋敷の二の姫の客間における、この上なく唐突な質問であった。
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扶桑暦で言う所の如月の一四日、その日は南蛮においては祭日であると言う。元は古い女神を祀る儀式であったとも、教会の司祭に由来する聖日であるともされる。
尤も、数多くの記念日がそうであるように時代を経るにつれて本来の意味合いは薄れていくものである。本場は兎も角、それが伝わった他地方においては今や宗教的意味合いは薄く単なる俗世的な慣習となっているそうである。
「それが『情人節』という訳です!あ!因みにこれは大陸での呼び方みたいでしてえーと……本場では確か『馬鎌太淫』という発音で呼ぶそうですよ?」
「はぁ」
茶室にて橘商会北土支店の幹部、橘佳世は己の知識をひけらかすように語った。大袈裟な身振り手振りで薔薇をあしらった着物が揺れる。
……何だろう。発音は合ってるのに凄く間違っている気がする。聖バレンタイン氏に対する特大の侮辱がなされた気がする。
「しかし……また突然のお話でありますね?失礼ながら、このような時に語る内容でもないかと思われますが?」
俺は此処に至るまでの経緯を思い起こして尋ねる。
話は先々週頃に行われた『追儺節分の儀』に遡る。
この世界は妖も呪いも当然のように存在する糞みたいな環境である。故に、前世においては単なる年中行事であるようなイベントも重要な意味を持つ。より正確に言えば本来の意味合いが強く出る。
前世においても鬼は外福は内と厄除け厄払いで豆を投げる節分の日、『追儺』と呼ばれる祭事であった如月……即ち二月三日。扶桑国においてこの日はそれこそ朝廷から農村の小作人までが皆が皆真剣にその儀式を執り行う。それは最早義務であり、法に等しい程に厳しくである。普段はケチで冷酷な地主すら大量の大豆を小作人から浮浪者に無料で配る。実際俺の故郷ですらそうだった。
決して無根拠な自己満足ではない。その催しの正体は霊脈と領域認識を基盤する国家規模の大霊術儀式である。無数の人間が同時に広範囲で同じ儀式を大小規模問わず行う……それを呼び水として各地の霊脈を管理する退魔士家や自社仏閣が土地に満ちる霊気の方向性を誘導するのだ。
霊気とは霊術の燃料であり、そして霊術は現実を改変する力だ。扶桑国における『追儺節分の儀』は元々を大陸王朝で開発された呪詛・神罰に対する防護術式を模倣・改良を加えた代物だ。この儀式により各地の結界は僅かながらに強化され、人々を守護する。
……因みにその後に慣習的に行われる恵方巻の丸食いは儀式の効果とは全くの無関係である。何処ぞの豪商が昔金儲けのために取って着けた催しらしい。何か今や庶民どころか公家やら退魔士家まで食うようになっている……世俗化の波に即堕ち二コマするのやめーや。
……さてまぁ、そういう訳で鬼月家含む北土全域においても先々週この儀式が執り行われた訳であるが、問題はその時に発生した。
この儀式において大豆は必須である。そしてそれ故に大事でもあり、妖共からすらば絶好の獲物でもあった。
『蝗海』は自然発生しやすい凶妖として知られる。精々成長しても成人男性程度の大きさに過ぎない大蝗であり、大抵は農民の鍬でも殴り殺せる存在であるが、厄介なのはその特性である。
河童連中程に知恵がある訳でも感染力がある訳でもない。ただ短期間の内に凄まじい繁殖を行い、一群の波となって人里に突っ込んで来るその様は恐怖の一言だ。よりにもよって節分の儀式の直前にこいつらが発生してくれた。そして各地の食糧を食い荒らしまくった。
数個の村が村人ごと食い荒らされた。その数倍の村と幾つかの街は早急に避難した事で民草の犠牲は防げたが代わりに大量の食糧が貪り尽くされた。群れ自体は過去の事例から比べると小規模であり、鬼月家筆頭とした退魔士家によって数日の内に掃討された。
日々の糧は後程朝廷の蔵が開かれるから良いとして、直近の儀式のための大豆が問題だった。鬼月家筆頭に幾つかの家が急ぎ民草に配布したものの、今度は儀式の要たる自分達が大豆不足に陥った。
大豆を筆頭とした市場の食料価格が急激に高騰する中で、事態を重く見た橘商会が倉庫を開き各家の不足を急ぎ補填した。確実な赤字を叩き出して。
(そして北土退魔士家の代表として鬼月家が商会との応対と損失の補償交渉を受け持つ次第になった訳だが……)
俺は直前の記憶を思い返す。鬼月家は宇右衛門を筆頭に招いた橘家令嬢を何処までも手厚くもてなした。彼らからすらば家の面子をギリギリで保つ事が出来たのだから当然の話である。
当の佳世はそんな歓待にニコニコ微笑みつつ、しかし補償については遠慮と謙遜ばかり口にしてはっきりと言葉を口にする事はなかった。のらりくらりと話を逸らす。
宇右衛門らはこれを謙虚とは受け取らない。交渉の駆け引き。要求の吊り上げと判断した。問題は何を要求しているのかという事で……其処に当然面して横槍入れたのがゴリラ様である。
『あらあら皆様、このように集まっては御客様が暑苦しい……いえ、むさ苦しいでしょうに。佳世さん、どうでしょう?私の対で一つお茶でも?』
態々酷く言い換える必要があったのかは疑問であるが、兎も角もゴリラ様の言葉に佳世は微笑んで承諾した。そしてこの姫様の対に設けられた庭園を観賞出来る茶室に招いたのだが……。
「葵様が退席している中、難しいお話をしても仕方ないと思いますよ?伴部さんは交渉の権限を頂いていないでしょう?」
「それは、確かに……」
ゴリラ様が自分で招いた癖に急に所用等と称して退席してくれやがったお陰で全ては宙ぶらりんであった。此処で佳世が勝手に宇右衛門らの所に戻っても双方の恥であるし、だからといって允職の護衛役に過ぎぬ俺如きでは間に合わせの歓待は出来てもそれ以上の何等の発言権もありやしない。既に彼女に伝えるべき事は伝え終えてしまった。故に、何も出来ない。
「いえいえ。出来る事はありますよ?さぁさぁ、客人たる私を楽しませて下さいませ?」
ぱぁ、と両手を広げて迎えるように微笑む商会会長令嬢様である。呆れそうになるが、同時に正論でもあった。
「……拒絶するのも無礼ですか」
そも、彼女に借りがあった。無下に出来ない。俺は嘆息すると周囲を見渡す。ゴリラ様の対である。覗き見はいないであろうが……人目がない事を確認すると縁側から畳の上に、南蛮令嬢の傍に近付く。彼女を持て成すために。
「……承知致しました。ですが、具体的には何を?」
「ふふふふっ!其処で最初のお話に戻る訳です!」
そして何処からか漆塗りに見事な麒麟の蒔絵の施された上等な重箱を持ち出して来た佳世様である。お高い箱を勿体ぶったように見せつける。
「じゃじゃーん!さて問題です!この中身は一体何でしょうか?」
「中身はって……最初の話に戻る、でしたか?つまりはそれに関わる中身と言う事ですね?」
直前の佳世の発言を思い返して、俺は考える。バレンタインとくれば朱古力……つまりチョコレートである。しかしそれは前世の日本におけるマイナーで歴史の浅い風習、というか企業の薄汚いマーケティングによる所が多分にある。この世界がエロゲーであるとは言え同じとは限らない。
「重箱となれば食物、あるいはそれに類するものですか?」
「さぁて。どうでしょうか?」
「勘弁して下さい。自分は無学な下人ですよ?舶来の風習なんて知りませんよ」
俺は両手を挙げて降参のポーズを取る。ヒントすら無いのに当てずっぽうも出来やしない。
「もう、降参するのが早過ぎますよ?……仕方ありませんね。後程罰則ですからね?罰遊戯という奴です!」
「後出し雀拳は酷くないですかね?」
「允職の接待役如き文句言っちゃいけません!」
頬をあざとく膨らませての佳世は要求。慈悲を期待するがむべなく断られる。文句があるなら立身出世して下さい!と付け加えられた。
「さぁて。……それでは答え合わせといきましょうか!」
がくり、と肩を落とす俺を無視して南蛮娘はニコニコとして重箱をご開帳される。むっ、これは……。
「薔薇……ですか?」
「あれ?知っていましたか?はい、薔薇……野薔薇じゃなくて南蛮薔薇ですけど、それを象った朱古力細工です!」
佳世が自慢気に見せつけたのは鮮やかな薔薇の花弁を表現した芸術的な朱古力細工であった。花びら一枚一枚まできめ細やかに表現されたそれはまさに職人の技の結晶で、見惚れんばかりの代物である。
「向こうの商人が言うには南蛮では親しい方にお花を贈るのが一般的だそうですよ?けど……ですが流石にただの花では芸もないと思いまして」
「だから朱古力細工、ですか。……この薫りと色、薔薇の実を入れてますか?」
重箱から広がる独特の甘い薫りと赤みを含んだ色合い俺は指摘する。
「はい!この辺り苦労しまして……最初は飴細工にしようかとも思ったんですけどそれですと薫りが中々。幾つかの菓子で試したんですが朱古力なら上手く薫りが調和しまして!」
「成る程……」
恐らくは偶然。しかしながら彼女の創意工夫がよりによって汚い企業マーケティングと同様の結論を導き出すとは……これが運命力というものか。あるいはやはり、この娘は生粋の商人という事なのだろうか?
「花より団子とは言いますが……別に朱古力でも構わないでしょう?それとも、やっぱり団子の方が良かったですか?」
佳世は俺の方を見て、己の判断の可否を尋ねる。若干不安そうなのは俺の反応を見ての事か。いや、気に入らないとかじゃないんだけどね?因果なものだよなぁ。
「私に聞くのも変な話だとは思いますが……確かに保存は効きますね。腐りにくいので何時までも見て愛でてられる。配慮が行き届いている」
「では合格で宜しいでしょうか?」
「私にそれを聞きますか……?」
ゴリラ様ならばいざ知らず、本来ならば自分如きが御客様の贈り物を目の前で品評するなぞ、分を弁えないにも程がある話だ。下手したらパワハラの類いですらある。勘弁してくれ。
「駄目です!先程言いましたよ?罰遊戯があると」
「此処でその話を持ち出しますか……」
「ふふーん、これが立場の差というものです!世間は理不尽ですからね!」
「世知辛い」
商家令嬢の冷酷な宣告に、俺は屈伏する。そして評価する。
「大変宜しい贈り物と存じます。此方はどのお方に差し上げる予定だったのでしょうか?」
「くすくすくす。今まさにお渡ししておりますよ?」
「?あぁ、そういう……」
一瞬困惑、そして理解して納得。佳世は悪戯が成功したようにころころ笑う。
「……親しい、ですか。ここまでして貰う程ではなかったかと思いますが?」
「まぁ、酷いです!折角共に都にて逢い引きした仲ですのに!私とは遊びだったんですか……!?」
「いやいやいや……」
佳世の態とらしい物言いに突っ込む。あれは逢い引きというよりもどちらかと言えば御忍び観光と護衛であろう。そんな誤解を招く言葉は止めて欲しい。
「共に危機を乗り越えた仲ですのに……!?」
「それは、まぁ……」
佳世の指摘に嫌な記憶を思い出す。拷問、戦い、そして……糞、頭痛がしやがった。鉛玉、頭の中に残ってたりしないだろうな?
「……傷が痛みますか?」
「いえ。問題ありませんよ。御心配なく」
俺が面越しに額に手をやって黙りこんだのに気付いて、佳世はふざけるのを止めて此方を気遣う。俺は苦笑しながらそれを宥めた。
「……悪ふざけ申し訳ありません。けど、伴部さんには二度も恩義がありますから。この朱古力はその御礼です。これだけでは到底返せるような物ではありませんけど」
そして再び笑う佳世。但し先程のような陽性のものではなく、何処か儚さと悲しさを纏うものだった。
賢い彼女は察しているのだろう。運命が少し違えていれば己がこの場にいない事を。狐に喰われているか、己は喰われずとも両親が喰われているか、あるいは叔父によって貶められているか……彼女はそれを良く理解していた。そして今を疑っているように思えた。
「実はこの贈り物も、大豆を皆さんにお渡ししたのも、別に善意って訳じゃないんですよ?……ただ、安心したかったんです。自分の『今』が夢ではなく現実なんだって。本当は食われる直前の走馬灯を見てる訳じゃなくて、座敷牢で幻を見ているわけでもないんだって。実感したくて」
そして、金髪翠眼の少女は媚態を見せつけるように此方に身体を引き摺る。すぐ目の前まで来て、此方を見上げる。
「伴部さん。これは、夢じゃありませんよね?」
媚びるように、すがるように、不安げに、華奢な身体を崩すように傾けて、問い掛ける。
「佳世様……」
「伴部さん、教えて下さい。どうしたらこれが夢じゃないって証明出来ますか?何をして貰えたら、これは現実何だって認める事が出来ますか?」
俺の太股に乗っかるように、胸元に手を添えて、首元に顔を寄せる。囁き声が空気を震わせる。生暖かい吐息が頬を撫でる。甘い香りが鼻孔を擽る。
「ねぇ?どうか私にこれが現実だと教えて下さいな?思いっきり刻み付けるように……」
眼前に、男を惑わせる魔女の蠱惑の微笑……。
「佳世様……」
「伴部さん……」
そして彼女が此方に顔を近付けていく。俺は無抵抗でそれを受け入れる。彼女の白い両の手が面に触れて、口元が覗くまでズラされる。南蛮娘はそのまま俺の頬を撫でて、瞼を閉じて一層顔を寄せて来て……。
「おふざけはこれ迄ですよ?」
「ふにゃっ!?」
取り敢えずご令嬢の両の頬を抓って子供のおませた恋愛遊戯を終わらせる。ずるりと佳世は俺の膝から尻餅突いて転げ落ちた。
「いたーい……伴部さん、酷いですよぉ?」
「おふざけが過ぎるからです。何事も限度というものがありますよ?」
抓られた頬を撫でて、お尻も擦って、佳世は若干涙目で口を尖らせる。尤も、これに関しては譲るつもりはない。
「人目がないからと遊び過ぎるのは感心しませんね。はしたなく思われてしまいますよ?」
「はしたない女は嫌いですか?」
「誰それ構わずはしたなくする女性は、万人受けはしないかと」
「じゃあ、安心ですね!私は誰それ構わずしませんから!」
一般論で指摘すればにへらと笑って見せる商家令嬢様である。いや、そうじゃなくない?
「佳世様……っ!」
「いいじゃないですか。……伴部さんくらいなんですよ?こういう自分を見せるのは」
「むっ……」
尚もふざけようとする蜂蜜色の彼女に注意せんとすれば、そんな風に取り繕って微笑まれて、その姿に怒る気勢を削がれる。
未だ彼女の立場は磐石ではなくて、遣り手の商人とは言え確かにまだまだ少女に過ぎなくて、そして先程の吐露していた言葉もきっと嘘ではなくて……。
(本音と冗談を混ぜ合わせて語る……商人らしいと言えばらしい、か)
立場故に赤裸々に己を見せる事が出来なくて、だからこういう場でそんな弱音を吐いて、きっと自分への対応はストレス解消の一環なのだろう。ふざけて、揶揄い、そして甘える……あるいは、ゴリラ様がこの場にいないのは彼女のためなのかも知れない。俺が此処にいるのも恐らくは。
「……成る程。ですがそれはそれとして節度は御守り下さいませ。余りふざけ過ぎると取り返しがつかなくなりますよ?」
「押し倒したいって思っちゃいました?」
「……否定出来ないくらいに魅力的だったのは認めましょう」
取り繕いのない剥き出しの質問に、俺は素直に答える。まぁ、何だ。確かにむらっとは来た。
「くすくすくす。正直ですね?」
「否定してもそれはそれで傷つくのが女心でしょう?」
「経験がおありで?」
「姫様……二の姫様の御言葉です」
因みに佳世のそれが幼さに妖しい色香を纏う魔性な代物であるとすれば、ゴリラ様は美貌とスタイルによるごり押しである。己の対の内では当然のように薄着で歩き回り、肉付きの良い脚を魅せて、胸や尻を揺らして見せる。此方が反応すると肉食獣のように笑ってからかい弄ぶ。身分差もあって、当然だが男というより玩具扱いである。
「……いやそれ伴部さん、もしかして根性無しなんですか?」
「打ち首獄門確実な未来を回避するのを根性無しは辛辣過ぎるかと」
色に負けて獣になっても待っているのは社会的生物学的破滅である。ゴリラ様の場合は刑吏が来る前に直に八つ裂きにしてくれそうだけど。何なら原作でも似たようなトラップがあった。好感度パラメーター詐欺止めろ。
「ふぅん、まぁ良いです。取り敢えずこれくらいの刺激では新鮮味がなかったって思えば良いんですね?」
「鮮度よりも真心が欲しいですね」
「甘味はありますよ?はい、あーん!」
「自分で食べられます!」
佳世が摘まんだ薔薇朱古力は無視して、自分で重箱より一粒摘まんで口に放り込む。旨いな畜生。
「むー、どうせなら食べさせあいっこしても良かったですのに」
「いやいや、そんな振る舞いしているとまた誰かを勘違いさせますよ?一度痛い目に会っているでしょうに……」
遊ばれるのは仕方ないとしても、リスキーなプレイは止めて欲しい。俺含めて男連中を狂わせかねん。せめて規約違反にならぬように遊ぼう。お兄さんと液晶ディスプレイの前の皆との約束だ。
「ふふふふ。今後の営業目標を掲げる上で参考に致しますね?」
「参考、ねぇ。検討しますくらいに信用出来ない台詞では?」
肩を竦める俺を見て、佳世は摘まんでいた朱古力を口に含むとあざとく、あるいは誤魔化すように笑った。やれやれ……図星か。
「くすくす。何卒御容赦を。……あら?これは?」
「雪、ですか。今年は冷えますね」
庭先を見れば深々と、あるいはゆらゆらとして舞い落ちていく粉雪。『迷い家』の内でこれである。屋敷の外はきっと豪嵐である事間違いなかった。
「まぁ、今日は此方にお泊まりするので問題はありませんが……」
「如何しましょう?障子、お閉めしましょうか?」
部屋に若干寒い風が入って来るのを感じて、俺は提案する。
「……いえ。これも中々風流というものでしょう。強いて言えば、温かいお茶が欲しいかもです」
雅な庭先に降り注ぐ雪を見ながらの佳世の提案。しかし其処には問題があった。
「……自分は下人です。正式な茶の淹れ方には自信がありませんよ?」
正確には宇右衛門に大昔教えられているが使う機会がないので今やうろ覚えである。素人よりマシ程度でしかない。
「構いませんよ?此処では無礼講です。あるいは真心こそ肝心、でしょうか?」
俺の先程の愚痴への意趣返しのように佳世は宣った。宣って、小さな赤い舌を出して揶揄う。やれやれ……。
「無礼講に真心、ですか」
さて、どうしたものかと考えて……俺は場の品を見て一計を思い付く。
「無礼講、ならば中途半端よりは極めた方が良いですね」
「?」
首を傾げた佳世に、俺は面の下でニヤリと笑う。そして暴挙に出る。
「あっ!」
「先ずはこの贈り物の花弁を数枚、と」
朱古力の薔薇を数個砕いて湯呑みに入れる。
「そしてえっと……これですよ」
そして唖然とする佳世を尻目に、俺は部屋の棚を探る。砂糖の壺を見つけて湯呑みに数匙注ぐ。そして抹茶も注ぐ。
「最後に熱々の湯を!」
囲炉裏にて温めていた急須の熱湯を、容赦なく湯呑に淹れる。そして全てをドロドロに溶かして見せる。そして差し出す。
「……これは?」
「熱湯朱古力の抹茶味……擬きです?」
自信満々に出した後、自信をなくして疑問形で答えていた。モデルは抹茶ホットチョコレートというか抹茶ココアというか……うん。完全に材料がないのに見切り発車は良くねぇわ。せめて味見してから出すべきだったわ。
「……薫りは、悪くありませんね」
「佳世様、自分で言うのも何ですが捨ててくれて良いですよ?」
「いえ。これは……」
俺の言葉を退けて一口、湯呑の中身を口に含んだ佳世。ごくりと味わいながら飲み込んで、今一口。
沈黙が、空間に満ちる……。
「……佳世様?」
「悪くはありませんね。強いて言えば牛乳が欲しいでしょうか?抹茶の種類も比べた方が良さそうですね」
ペロリと口元を舐め取って、佳世は評価を下した。そして微笑む。
「ほっとする味わいですね!これ、ご自身でお考えに?」
「えっと……はい?」
突然の問い掛けに曖昧に俺は応じる。佳世はそれにウンウンと頷いてまた一口含む。
「粉末にすれば保管も容易ですか……茶屋の品に使えそうですね」
鬼月谷村の何処かの茶屋娘が悲鳴をあげる様を幻視した。気にしては行けない。その内多分そっちにもレシピ渡すと思うから(未来視)。
「ふふふふ。良い商品になりそう♪御代わり、御願いしても?」
「え?あ、はい!」
いつの間にか空になっていた湯呑を差し出しての佳世の要望に慌てて応じる。先程より甘く仕上げて差し出す。
「有り難う御座います。……葵様もどうでしょう?一緒にお飲みしませんか?」
「へっ?」
佳世の礼。そして爆弾発言であった。俺は振り向く。見上げる。着替えた装束でも分かる位に豊かな胸を持ち上げるようにして腕を組む桃色姫様が君臨されていた。傍らに白狐を従えて。
「そうねぇ。じゃあ同じ物をあと二杯、用意して貰いましょうか?……あぁ、そうそう。注ぎ終えたら私の衣装箪笥を綺麗に片付けておいて頂戴な。皺一つなく、完璧にね。お分かり?」
「……はい。喜んで」
それ以外の返答を口にする権利なぞ、元よりなかった……。
ーーーーーーーーーー
「彼とのお話は楽しかったかしら?」
「はい、姫様。とても有意義な御時間でした。心より、感謝申し上げますわ」
互いに愛しい人の注いだそれを飲みながら、笑顔で談笑する鬼月の二の姫と橘の令嬢。尤も、白い狐の少女はそこに含まれる妖しい空気を感じ取っていたので二人から若干距離を取っていた。手元の湯呑に息を吹き掛ける事にひたすら集中する。
「……気にする事はないわ。貴女のお陰で今回も彼は助けられたわ。その細やかな報酬、とでも思って頂戴」
扇子を弄びながらの葵の言。先日の蝗共の掃討は、その数の多さから下人衆は総動員であり、その中で彼らに与えられていた橘商会斡旋販売の武具防具の数々が大いに役立てられたのは明瞭たる事実であった。
「伴部さんからもお礼がありました。ふふふ、律儀な事ですよねぇ?」
佳世は思い出す。目の前の姫が退席して歓待の無茶ぶりを押し付けられてから直ぐ、真っ先に口にした言葉がそれであった。商会の提供した装備のお陰で多くの部下が助かったと……。
「あの程度の装備で感謝されるなんて旨い話ですよね。どうでしょうか?次はもっと良い装備をお売りしましょうか?」
「いえ、それは止めておきなさい。此方の呪具師衆や薬師衆との関係が拗れるわ。……それに下人衆を贔屓していると悪目立ちする可能性もあるわね」
「危険ですか。仕方ありませんね」
葵の言に心底嘆息。退魔士家内の利権関係が関わるとなると己が余り首を突っ込むのは良くないだろう。残念ながら分を弁えるべきだった。
今の所は。
「我慢しなさいな。私だって、出来る事なら家の呪具庫を解放してしまいたいくらいなのよ?」
今すぐにでも鬼月の一族当主長老共が受け継ぐ宝具を全て捧げてしまいたい位なのだ。己が堪えているのだから同じように耐えて欲しいものだ。
「……承知致しました。そうそう、この抹茶と朱古力の混ぜ物、どうでしょう?姫様が考案したとしては?」
「これを?」
葵は突然の佳世の提案に首を傾げる。藪から棒な話である。
「何が狙い?」
「商人の世界には考案料というものがありまして。この飲み物を商会で売り出しまして……そうですね。相場から見て利益の二割程を葵様に御提供しましょうか?良い資金源になると思われますよ?」
佳世の発言は政治抗争のための弾丸、それを合法的に流すという事を意味していた。
「……これは彼の考案じゃなかったかしら?」
「代理、としましょうか?伴部さんにぽんっと大金が入っても危ないでしょうし。姫様としても褒美を与える理由になりますよ?」
「成る程ねぇ。それは面白そうね。話を聞いた彼の反応を見るのが楽しみだわ」
ちらりと佳世を見て葵は笑った。其処に含まれる意味を察して佳世は奥歯を噛み締める。愛しいその人の珍しい反応を、見れる者としての自慢であった。内心で舌打ちする。
おくびにも表情には出さないが。
「……衣装替えの御時間、随分と長かったですね?」
「えぇ。そうね。気にいった衣装が中々なかったのよね。あれでもないこれでもないって。お陰様で何度も何度も着替えて部屋が散らかってしまったわ。下着とか沢山脱ぎ捨てたから、皺くちゃになってるかも知れないわねぇ」
態とらしい言い種であった。彼への命令も含めればこの姫君が遊んでいるのは明白で、試しているのは確実だった。
「衣に下着、必要でしたら新調致しましょうか?舶来より良い生地を買っておりますよ?」
「……ふふ。またの機会で良いわ。どうせ期待通りにはならないんだから」
佳世の心遣いを葵は受け流す。この商家の娘もまだまだだ。彼がそんな誤魔化しに乗じた行為をする筈もないだろうに。……どうせまた肩透かしになるのを葵は知っていた。
それよりも……。
「貴女も、可愛い顔して中々攻めるわよねぇ?」
「さて、何の事でしょうか?」
澄まし顔で微笑む佳世。しかし葵はとっくにそれを察していた。
「別に責めてる訳じゃないわよ?ただ確認したいだけ」
「……」
葵の確信を込めた指摘に、佳世は黙りこむ。それは肯定を意味していた。
「……ねぇ、彼に食べさせようとしていたあの薔薇朱古力、何を入れていたのかしら?」
葵は尋ねる。あるいは尋問する。目の前の少女の企みを。
「……『愛』、でしょうか?」
南蛮娘は庭先の美しい純白の光景を一瞥すると、何処までも何処までも子供らしい笑顔で以て淫蕩な暴挙を自白したのだった……。
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