第一〇三話

 清麗帝の御世の一四年、如月の十日……朝廷より認可を得た鬼月家は佐久間、五十嵐等北土退魔士家七家と共に第三等禁地『宝落山』へと出征した。目標は言わずもがな、『宝落山の迷い家』の討伐である。


 複数退魔士家共同による討伐作戦は三段階から構成された。先ずは先遣隊は宝落山までの道程を確保する。禁地内をさ迷う有象無象の雑魚妖を始末して目標の『迷い家』の元までの道の安全を確約する。


 第二段階は『迷い家』周囲の隔離と監視である。四方の境界線を見出して、霊脈の分脈から吸出した霊気を燃料に結界を展開する用意をする。これは『迷い家』が撃破された際に吐き出されるであろう眷属共を纏めて屠るためのものである。


 最終たる第三段階、ここで本隊が到着する。膨大な霊力を持つ者が密集すると不必要に妖共を呼び寄せる。故に下拵えが済んでからの投入だ。投入と共に先遣隊共々に大技を取り敢えずブッパしまくる。ひたすらにブッパしまくる。徹底的に火力を叩きつける。外殻を抉り、核を破壊して一気に始末をつける。家の内に潜んでいる眷属共が幾分か吐き出されるだろうからこれも結界で逃がさず掃討する。これで終いだ。


 因みに此度、鬼月家からは鬼月家当主夫人である鬼月菫、そして娘であるゴリラ様、師弟関係である紫と環が本隊として同行する予定である。鈴音と入鹿も恐らく付き添いで来る筈だ。この面子ならばいざとなっても危険な目に遭う可能性は無いだろう。無いと思いたい。


「……以上、猿でも分かる『迷い家』の駆除方法って訳だ。まぁ、主役は何時も通りに退魔士様方で俺達は雑用だ。ましてやお前らのような雛鳥の新米共に戦力として期待はしていねぇ。周囲の監視でもしておけ」


 宝落山の山道を進む隊列の半ばで騎乗する俺は直ぐ傍を歩く一隊に向けて尊大に宣った。


「……尤も、この分だと監視も厳しいかね?」

「五月蝿い、糞鬼面め!」


 山中を息切れしながら進む汗だくのへとへと小僧共に問い掛ければ、即座に子供特有の甲高い声で罵倒の台詞が飛び出した。ふむ、この分だとまだ体力に余裕はあるな。若いというものは羨ましい限りだ。だが……。


「感情的になって叫ばない事だな。妖共に自分の居場所を教えるようなものだぞ?長生きしたかったら感情を抑えて周囲に目配りする事だな。……気が付いたら化物共の御馳走になっていただなんて嫌だろう?」

「ちっ!」


 俺が先達としての助言を嘯いてやれば、糞餓鬼共の頭目は元気に舌打ちする。残りの連中は同じように此方を睨むか周囲を見渡すか、怯えるか、各々に反応を示してくれた。


「……允職、あんまり脅さないで下さいな。餓鬼連中が萎縮しちまうじゃあないですか」


 班長兼教官として小僧共の班に当てた柏木が翁の面を此方に向ける。怯える小僧の一人の頭をワシャワシャと撫で上げ、肩を竦めて嘆息する。


 下人衆内でも比較的古株で、二年前からそつなく班長の職に就く柏木は同時に年下の扱いにもこなれていた。そんな訳での人選であったが……小僧が不本意そうにしつつも無抵抗なのを見るに人事は間違ってはいなかったようだ。


 尤も……。


「おいおい、お前が言うか?綾香様と霧の中で酷い目に遭ったのを忘れたのかよ?」


 俺は互いの実体験から部下の意見に反論する。蜃の潜む山では霧で感覚の全てが狂い、いつの間にか妖共に囲まれて散々であったのを、忘れたのだろうか?


「幸い、自分は允職と違って襤褸雑巾にはならずに済みましたので。……油断する訳ではありませんがこの人数にお目当ての相手の特性を思えば其処まで気を張り詰める必要はないでしょう?小僧共が持ちませんよ」


 柏木は飄々と言い返すと隊列を一瞥する。先遣隊の人員は退魔士十名に下人衆四十名に達していて、隊列の側面及び周囲一帯を隠行衆十名程が警戒する。世話役の雑人に荷役の人夫も合わせて四十名を超える。目標の『迷い家』を完全に破砕するには若干戦力不足ながら十分な大所帯だ。


 尚、何度数えても人夫の数が一人多い気がするが、大声でゲラゲラ猥談している鬼がいるような気がするが指摘しない。無駄に認識阻害が上手い奴である。


 ……話が逸れたな。まぁ、これ迄の経験で感覚が狂いそうになるが大妖なんて滅多に遭遇するものでもない。中妖小妖程度ならばこの戦力で危なげなく撃破出来るだろう。其処に『迷い家』の受動的な特性を思えば柏木の意見も否定は出来ないものだった。どの道、訓練を満了していない糞餓鬼共が常時神経を尖らせて警戒するのは困難だ。


 そう、本来ならば……。


(確か、本隊が来る前に襲撃があるんだったか……?)


 俺は前世の記憶を思い返す。時期は大きく違うが、確か原作ゲーム・ノベル版では先遣隊に派遣された主人公様は妖群の襲撃を受ける筈だ。『迷い家』の敷地と妖の群れのサンドイッチにされるのだ。ゲームでは選択肢を誤れば、ノベル版では悪戦苦闘の末にそのまま押し込められる形で主人公様とその他数名は『迷い家』の迷宮に囚われる……。


(原作とは大きくかけ離れているから一概には言えんがな…)


 原作その他媒体と同じ道程を歩むのかはかなり不明瞭ではある。今回主人公様は本隊に組み込まれたし、雛だって原作では本隊だった。先遣隊は此れの半分程度の規模であったし、何よりも時期が数ヶ月も違う。同じ道程を歩む可能性は高くはない。しかし……。


「っ……!?」

「?なぁ、前の方が騒がしくないか?」


 俺が異変に気付いて、少し遅れて一際口の悪い小僧共の頭目格が指摘する。


「妖共とぶつかりましたね」

「一旦隊列を止めるぞ。気配からして大した物じゃあ無さそうだが……囮かも知れん。油断はするなよ?」


 柏木達にそう忠告してから俺は馬を走らせる。動揺する人夫共を宥めつつ、俺は隊列の先頭へと辿り着く。


 既に戦闘は始まっていた。人の気配に引き寄せられたのだろう、獣系に爬虫類系の小妖幼妖共が合わせて十前後。一体は今少しで中妖に脱皮出来そうな大物であった。大柄な、全身に鎧を着こんだような鰐の大物だ。二人の隠行衆に五、六名の下人衆が防戦する。余所の家の連中で、御世辞にも装備も練度も高くは無さそうだった。


「退け!」


 進路上の下人の一人に向けて俺は叫ぶ。此方に気付いて慌てて身を翻した下人。相対していた野犬の小妖が事態を呑み込む前に馬を跳ばしてその前足で踏み潰させる。重量にして二百貫近い巨体、しかも滑り止めを兼ねた突起付きの鉄製馬蹄を嵌めた足である。即座に野犬は頭蓋を砕かれ、肉を引き裂かれて絶命した。俺はそんな野犬を無視して更に馬を囃し立てた。


 俺の狙いはこの場で一番の厄介者、丁度隠行衆一人と下人衆二人が相対していた鰐である。先方は喧騒で此方の姿にまだ気付いていない。俺は短槍を構える。手綱を引いて馬を走らせる。


『ッ!!?』


 漸く俺の存在を認識したらしい鰐は慌てて此方を向くと顎を開いて威嚇する。寧ろ好都合……!!


「後がつかえてるんだ。手早く済ますぞ!!」


 俺はそんな事を叫びながら鰐の腮目掛けて全力で短槍を投擲した……。








ーーーーーーーーーーー

「おや、騒ぎが収まりましたな」


 鬼月家所有の『迷い家』、その内で茶に興じていた他家の退魔士の一人が物見窓を一瞥して呟く。まるで他人事のような物言いであった。その態度に上座の雛の傍らで控える宮水静は微かに鼻白む。


 元より人工『迷い家』の牛車はその内部の居住性も通常の牛車とは段違いだ。そして製造法が確立しているとは言え必要な材料は希少であり、新規の生産は遥か昔に朝廷により禁じられている。公的に運用出来る物は全て朝廷が記録しているので密造も容易ではなかった。


 此度の討伐に同行する退魔士家はどれもこれも中小の二流三流ばかりであり、当然遥か昔に生産禁止となった『迷い家』なぞ持つ家は少数だ。だからだろう、この茶会のようにあれやこれやと理由を付けては鬼月の『迷い家』に一秒でも長く彼らは居座ろうとしているように思えた。


(呆れ果てるものですね)


 鬼月の所有する『迷い家』が強力な防護機能を有しているとは言え、外の騒ぎにここまで無警戒では……いや、それだけではない。問題はそれだけではなかった。


「助職、外の様子の確認を」

「はっ」


 傍らで客人らに茶を立てる雛の、この先遣隊の統率者の言葉に静は少なくとも態度だけは恭しく応じると席を立つ。


 牛車の外に出ると共に如月のまだまだ冷たい空気が静の白い肌を刺すように舐める。牛車の内の暖かさとは正反対であった。思わず顔をしかめる。


「どうした!騒ぎの程は!!?誰ぞ報告をせよ!」

「はっ!今此方に!」


 静の命令に応じたように隊列の先頭からそれは駆けつけた。漆黒の汗血馬に騎乗した般若面の下人が側に寄ると即座に馬を降りて頭を下げる。


「允職か。騒ぎはどうした?」

「只今解決致しました。先頭集団が妖共の襲撃を受けたものの、全て討伐致しました。此方の被害は現状確認出来る範囲では隠行衆が一名、下人二名が負傷した事が判明しております。現在隊列の整理と周辺警戒を命じつつ、妖共の死骸は集めて油で焼却する用意をしております」

「そうか」


 淀みなき報告、的確な判断に宮水静の返答は冷たかった。


「宜しい。後処理が完了次第行進を再開しなさい。時間は限られている。無用な時間の浪費は許しませんよ?」

「はっ!」


 允職の返答よりも先に静は踵を返していた。そのまま牛車の内に戻ろうとした所で、「助職、お待ち下さいませ」と呼び止められる。


「……どうしましたか?詰まらぬ話でしたら処罰を下しますよ?」

「負傷した者達についてで御座います。負傷者共は我が家に所属する者達ではありませんが、先方の家では医療体制に不備がある模様。人員の頭数を減らす訳には行きません。此方で応急処置を施しても宜しいでしょうか?」


 允職の要請に、静は憮然とした表情を浮かべた。明らかな敵意を向けた。暫し無言で下人を睨む……。


「ちっ、分かりました。手早く終わらせなさい」

「はっ!」


 舌打ちと共に静が承諾すると、允職は恭しく礼を述べた。その声も無視して静は牛車に戻る。


「どうでしたかな、静殿?」

「既に始末は終えた模様です。今少しすれば動き始めるでしょう」

「それはそれは……」

「流石名門鬼月家ですな。下人相手にも中々良い馬を与えるものですな」

「それなりに教育も受けていますな。下人でありながら仕事が早い」

「恐縮です」


 茶碗を呷ってから五十嵐家から派遣された老退魔士が、それに続いて他の退魔士達が賛辞を贈る。静はそれに対して一礼しながら返答した。内心で罵倒しながら。


(わざとらしい事を……!)


 確か前衛の隊列に配備されていた下人衆は五十嵐家からのものであったか。老人が態態最初に口を開いたのは偶然では無いだろう。他家の手前、静は元よりあの下人の提案を拒絶するという選択肢は無かったのだ。そして、恐らくはあの下人はそれを予想していた筈で……。


(狡猾な事ですね。危険だわ)


 そもそも先程の一連の会話それ自体が異常なのだ。下人の分際で自律的に物事を判断し過ぎている。自身直属の部下共だけでなく、他家の連中にまで配慮しつつ協力と交流をして間接的に影響力を及ぼしつつある。そして、それらを無関心な大多数の退魔士達に対して悟られぬようにして行動していて……。


「っ!!」


 雛の傍らに戻った静は状況を再認識して思わず奥歯を強く噛み締める。


 実の所、宮水静という人物は下人という連中を軽蔑しているが決して無能ではなかった。あの允職は危険過ぎる。鬼月の二の姫の庇護下にある事、政争の具にされている事すらも利用して己の命と行動の自由を確保していた。そして、その経歴を思えば到底無警戒でいられるものではない。彼女が敢えて下人衆の消耗に無関心なのは允職の失敗と失脚、可能ならばその死を望んでのものでもあった。


 ……そしてあの允職は下人の分際で知恵と工夫を凝らして静の無茶ぶりにその想定を超えて対応しつつあった。寧ろ、下人衆内におけるあの男の人望と影響力は向上していた。


(本当に厄介な奴だ!)


 その内心の罵倒は果たして件の允職に向けてか、それとも允職の存在を政争に利用している傍らの一の姫に向けてか。何せよ、静にとっては憎らしい事この上なかった。どちらも彼女にとって忠誠の対象たる人物の、その栄達の障害であり、不安要素であったのだから……。


「静殿、どうぞ」

「……はい。有り難く御頂戴致します」


 内心に溢れんばかりの敵意と憎悪を溜め込んで、しかし静はそれを欠片も表に出さずに恭しく茶碗を受け取ると、厳かにそれに口をつけた。


「見事なお手前です」


 そして人当たりの良い表情を浮かべて宣う。己に対する評価が、己が尊崇する主君の立場にも影響する事を静は重々承知していたのだから。


「…………」


 そんな静を、ただ雛だけが誰にも悟られる事なく目を細めて睨み付けていた…………。


 

 



ーーーーーーーーーーーー

「止まれ!止まれ!今夜は此処で野営をするぞ!!各自、事前の予定に従って作業に入れ!!」


 山林地帯の開けた平野に到着した所で俺は馬に乗って隊列の隅々にまでそう叫ぶ。事前に先行していた隠行衆よりこの辺り一帯の地理情報は聞いていた。山道は険しく、天候は変わりやすい。今日はこの地点で休息し、明日の昼頃には目標たる『宝落山の迷い家』の鎮座する地帯に到着する予定であった。


 まぁ、俺としては此処を今夜の野営の拠点に推薦したのには別の理由があるのだが……。


「兎も角、今は拠点作りだな」


 隠行衆に周辺警戒を依頼、飯は雑人衆が独自の指揮系統で切り盛りするので俺は各家の下人衆と雇い入れの人夫達に指示を出していく。


「半数は天幕の設営を、残りは簡易結界の用意だ。馬と牛?彼方の空き地に集めろ。丁度飯も生えてるからな」


 馬を走らせて彼方此方駆けながら、俺は逐一報告をしていく。各家の退魔士連中方にとってはこのような雑事は下っぱの仕事で、各家の下人衆の中で一番指揮系統が組織されているのは鬼月家のそれである。班長級でも組織管理が微妙な者は少なくない。適当にかき集めた人夫共は云わずもがなだ。


 そんな訳で必然的に俺が彼らの間の調整と指揮を行う必要があった。正規退魔士方が士官としたら、俺は最先任下士官という訳だ。……何か微妙な例えだなぁ。


「荒縄はあの木々の幹、それに彼処、其処、其処に結ぶ。重いぞ?引っ張れ!!」


 天幕や薪の確保は仕事柄その作業は日常のために余り問題はない。問題があるとすれば簡易結界の展開である。


 今まさに俺の指示に従って運ばれているのがその簡易結界であった。符が幾つも貼られた太い縄が十名を越える下人と人夫によって運ばれる。木々の幹を基点として縄が張られる。語の起源そのままに縄張りをする。


『遮妖縄』はそれ自体に霊気が編まれた呪具である。結界は基本的に退魔士自身の霊力か、あるいは霊脈からの霊気をその燃料とする。残念ながら前者はそう長い間展開出来るものではない。後者をしようにもこの地の霊脈の本流は『迷い家』が鎮座している。末端の霊脈を確保するにも大所帯が野宿出来る場所にそれがあるとは限らない。即応性も劣る。


『遮妖縄』は高価かつ消耗品ではあるが適当な基点に沿って縄を張るだけで良いので場所を問わず、結界展開のための即応性も高い。術士の霊力消耗が無いのも大きな利点であった。


 尤も、地面に基点を設けて縄を引くのは時間がかかるために事実上不可能、地中からの襲撃には警戒が必要だ。また、相手が霊術に対する耐性や権能がある場合も通常の結界同様に無力である。河童騒動の際もそのために『遮妖縄』ではなくて物理的に逆茂木や柵を築く必要があった。それでも、今回のような短期的・臨時的な拠点を建てる際には有効だ。


「縄張りを完了致しました!」

「あい、分かった。今より吟味するぞ」


 作業を終えた下人の報告に俺は頷くと事前に用意していた籠を手にして縄張りを回っていく。回りながら途中途中で蜘蛛糸で編んだ手袋で以て腕を籠の内に突っ込み、その中身を縄張りの境界線に放り捨てて行く。放り捨てる度に火花と小さな怪異の悲鳴が上がる。


 主に虫の幼妖を捕らえて弱らせておいたそれは、結界が機能しているかの確認用であった。結界の境界に叩きつけられた瞬間に矮小な虫妖怪共は火達磨となっては消し炭となる。縄張りの全てが機能しているのを認めた俺は必要な警備要員を除いての即応態勢の解除と休息を許可した。


「さて、こんな所か……」


 一通りの作業の指示と確認を終えた俺は青毛馬を他の馬や牛を集めた空き地に向かわせる。  


「分かってる分かってる。今向かってるだろうが、落ち着け」


 俺はブルブル身体を震わせて唸る愛馬?を宥める。馬が不機嫌な理由は分かっていた。


 空き地に辿り着くと同時にスキップするように青毛馬は群れの中に突貫した。その恵まれた巨躯で以て他の馬や牛を押しやると芝生の一角に頭を突っ込み一心不乱に貪り始める。恐らく一番旨そうな芝生を横取りしたのだろう。周囲の馬と牛がヴーヴーブルブルと文句を垂れるが当の本人……本馬は何処吹く風である。随分と図太い神経をお持ちのようであった。


「厚かましい奴め。……他の連中と揉め事を起こすなよ?」


 荷後と馬から降りて、その首筋を撫でながら注意する。ブルブルと唸って俺の言葉に答えるが恐らくはただの条件反射で此方の言葉を理解しているとは思えなかった。万一に理解しているとしても適当な返事をしているように感じられた。


『( ´・∀・`)パパワタシモゴハン!!』

「喧しいわい」


 脳に直接訴えて来る間抜けな要求に俺は毒づく。毒づくが、この馬鹿蜘蛛を餓死らせる訳にも行かないのが頭の痛い問題であった。何が悲しくて自分を喰らう化物を養わないと行けないんだ……?


「……この辺りだな。ほれ、ちゃっちゃっと終わらせろ」


 馬から下ろして背負った荷から虫籠を取り出して、適当な茂みを見つけると視線が無いのを確認して其処を分け入る。丁度良い岩を見つければ、その上に座りこんで俺は飯の用意をする。


 袖を捲り、酒精で消毒して、広げた掌程の大きさになった大蜘蛛を腕の上に乗せた。うん、キモい。


『(*´∀`*)イッタダッキマース!( ̄з ̄)チュー♪』


 ふざけた掛け声と共に俺の腕に容赦なく牙を突き立てる糞蜘蛛であった。鈍い痛みが身体を駆け巡る。そのまま蚊のように俺の体液を、血液を吸い立てていく……忌々しい妖母の因子と共に。


「おうおうどうしたこんな草藪ん中に隠れてよぅ?皮つるみでもしてんのかぁ?」

「……それは嫌味か?」


 背後からの酒臭そうな声に、俺は胡乱な目で以て振り向く。案の定、其処に佇むのはみすぼらしい麻服に笠を被った人夫の出で立ちに最早御約束のように何処からか盗み出しただろう酒瓶を手にした鬼の姿であった。此方の表情を見て、蒼い鬼は口が裂けるんじゃないかという位にニヤける。鋭い牙を見せつけ……『( ゚ε゚;)チュルチュル( ^ω^)ワタシノハナラビハキレイヨ!』知るかボケ。


「おいおい、深読みすんなよ。お前さんが言った事じゃねぇか。いやぁ、よりによってあの言い訳は爆笑したぜ?思わず腹抱えて転げ回っちまったもんよ!」


 恐らくは蜘蛛が俺の頭の中で阿呆な事を宣っている事も分かっているのだろう。ケラケラケラケラといつぞや蛍夜郷での一幕を今更蒸し返しながら必要以上に嘲笑う鬼であった。相変わらず性格が悪い事であった。


「ひょいっとな。……へへへ、飲むかい?」

「要らん。というか横に座るな」


 ひょいと直ぐ隣に座りこんで酒瓶を差し出す鬼。俺は即座にそれを拒絶する。懐の短刀を握り締めて臨戦態勢を取る。最早様式美の言葉の応酬であった。


「此処から西に一里半の湖だ」

「は?」


 突然の脈絡の無い発言に、思わず俺は間抜けな声を上げる。そして鬼の顔を見る。視線が交差する。愉快げに笑みを浮かべる碧鬼に俺は顔をしかめる。


「妖共の群れがいるぜ。大将はでっかいでっかい山椒魚の大妖様だ。手下は……まぁ、二百三百って所かねぇ?そろそろ臭いが届いて此方に向かってるだろうな。早めに叩いた方が良いぜ?」 

「……何故そんな事を俺に?」


 情報の真偽も嘘臭かったが、それ以上に嘘臭いのはわざわざそんな話を俺に伝える事だ。百歩譲ってもこいつの性格を思えば想定外の事態で必死な思いをする俺の惨めな姿を安全地帯で酒の摘まみにしている方がそれらしい。あるいは蛍夜郷の時のように土壇場で暴露してくれるか……。


「おいおい、酷い評価だなぁ。これでも俺としてはお前さんを高評価して教えてやってんだぜ?」

「評価だと?」

「そうよ。この前の山姥相手の立ち回りは中々高評価だったぜ?あの醜い化物の力を使わずに決めたのは拍手喝采物だったなぁ!」


 かかかか、と下品な高笑いをして酒瓶を呷る。ふぅ!と酒臭い息を吐いて口元を袖で拭う。そして続ける。


「いやはや、俺も流石に過少評価したなって思ってよ。此方の期待を超えてくれたんだ。その褒美をやるのが道理ってもんさな」

「……ふざけやがって」

『( ゚ε゚;)チュルン?(ノ´Д`)ノワーマダタベテルーノ!』


 お前のためじゃねぇよ、そう内心で罵倒して俺はいつまでも吸血してくれている白蜘蛛の尻を摘まんで持ち上げる。一瞬阿呆面下げてバタバタ足を動かしてお代わりを要求するのを俺は塵箱に放り捨てる感覚で虫籠の奥に投げ捨てる。即座に蓋を閉める。


 さて、先程の鬼の言葉。よもや原作知識を持っている訳でないのならば確かに信じるに足る要素はある。あるが、しかし……。


「まさかとは思うが、俺が貴様の言葉を信じた瞬間に殴打するなんて事はねぇだろうな?」

「さぁ、どうだかなぁ?」


 此方を試すような天邪鬼のような返答。よし、ならば問題ないな。


(寧ろ、はっきり言われる方が嘘臭い)


 鬼の性格の悪さを思えば却って何とも言えない微妙な返答の方が信用出来た。……過信は出来んがね。


「へへへ。どうやら答えは決まったようだな?なら話は早い。俺としては……風情がねぇ奴が来やがったな」

「あ?」


 おやつを楽しみにする子供のような笑顔を見せていた碧鬼は、刹那にその顔を憮然とさせて吐き捨てる。俺がその意味を理解するよりも早くに突風が周囲に吹き荒れた。思わず一瞬瞼を瞑る。そしてその一瞬の内に眼前の悪酔い鬼の姿はまるで夢幻のように消え失せていた……。


「鬼?おい、てめぇ何処に消え……」 

「其処にいるのは誰だ?」


 忌々しい鬼が何処に消えたのか、彼方此方と辺りを探し始めた直後の事であった。その凛々しくも怜悧な印象も与えるその声音に、俺は振り向く。ほぼ同時に、先方も此方の姿を視認したようだった。


「雛……様?」

「允職か。こんな所で出会うとはな」


 俺の呼び掛けに、雛は口元を緩めて嘯いた。その表情は柔らかく、温かみと慈しみに溢れていた。相手を安心させる温和な印象を与えていて……。


「え、あ……はい。それは、もう……」

「ふふふ。余り腑抜けた返事はしない方が良いぞ?私は兎も角、他の連中ならば叱責される所だからな」

「は、はい……いや、これは失礼を!」


 苦笑したように雛が宣えば俺は呆けたように返答して、そして直ぐに今の状況の不味さを悟って頭を下げようとする。


「いや。良いんだ。止めろ」


 直後に俺の側にまで迫った雛は、俺の両肩を捉えて此方が膝を折るのを止める。俺は視線を上げる。その先にいたのは此方を沈痛そうに見つめる鬼月の一の姫の姿で……。


「雛様?」

「…………」

「……雛様?」

「っ!?いや、済まない。少し昔の事を思い出してしまってな。大丈夫だ。何も問題はない。……膝を折らずとも良い。話す時は目を見て話したいんだ」


 心ここに在らずといった風に無言を貫いていた雛は、しかし二度目の呼び掛けに我に返ったかのように微笑むと掴んでいた俺の肩から離れる。俺から離れてそんな要求をする。目を見て話せと。それは、蛍夜郷での一件の直後に彼女の部屋で目覚めた時と同じ要求であった。


「は、はい……」

「そうか。いや、悪い。お前には何時も我が儘ばかり言ってしまうな」

「はぁ……」


 俺はその申し出に、しかし他の選択肢もある筈もなく困惑気味に応じた。和やかに雛がそれに頷く。その反応が更に俺を困惑させる。


 そうだ。正直な話、俺は混乱していた。余りにも奇妙で不可解な空気であった。どうして彼女が、雛が此処にいるのか分からなかった。どうしてそんな表情を浮かべるのか、どうしてそんな事を要求するのかさえも……。


「ふふふ。そんなに怖じける事もないだろう?昔は良く遊んだ仲なんだ。お互い立場があるが……人気のない所で位は少しは砕けても良かろう?」


 雛のその言葉に俺は目を見開く。唖然とする。恐る恐ると俺は彼女を見て、口を開く。


「ひ、雛……様?それは、その御言葉は……つまり………?」

「ふふ。だから怖じけるな。……分かっている。お前の立場では自由にあれこれ発言も出来んのだろう?構わんさ。私が伝えたい事は一つだけだ、私はお前に対して何も思うところはない。お前を微塵も恨んでなぞいない。それだけの事だ」

「…………はい」


 その穏やかな声音に、俺は短く、端的に返答するに留めた。しかし同時に、胸のうちの重しの一つが取れたように感じて気が楽になる。


 そう、分かりきっていた事だ。彼女の性格を思えば当然の事であった。一々幼少期の出来事に何時までも拘るような子供でもない。しかし、それでも……。


(やはり、はっきりと言葉で伝えられるのは違うな)


 小さく俺は嘆息する。安堵する。救われる。


「それはそうと、どうしてこんな叢に?まるでこそこそと隠れるように……何かあったのか?」

「えっ、それは……」


 しかし俺の安堵は一転、直後の雛の指摘の前に窮地に陥る。面越しにでも分かる程に狼狽える。これは、雛の性格からして事実を口にしても即座に始末や封印される事はないだろうが……。


「えっと……」

「えっと?」

「そ、その……」

「その?」


 此方を訝るような雛の視線、反芻、こいつは…………。


「……か、皮つるみを」


 咄嗟の判断、咄嗟の言い訳に、俺は同じ過ちを二度繰り返していた……。








ーーーーーーーーーーーーー

 俺と雛は、縄張りで守護された陣地の周辺を巡回の名目で練り歩いていく。


「中々豊かな森だ。切り拓いたらさぞや良い農地になるだろうな」

「はい、その通りで……」


 殆ど人の手の入らぬ鬱蒼とした、しかし恵み豊かな森林を一望しながらの雛の言に、俺は淡々と、力なく応じる。半ば心此処に在らずであった。


 ……俺のあからさまに怪しい言い訳を、しかし雛はあっさりと受け入れた。妹の時のようにムキになる事も、羞恥に叫ぶ事すらなかった。


「そうか。仕方あるまい、生理現象だからな」

「この事は私の胸の内に仕舞っておこう」

「遠慮は無用だ。私とお前の仲だろうが」


 すんなりと、頷きながら爽やかに理解を示した雛の態度は、却って俺の羞恥心を酷く刺激した。みっともない話ではあるが、可能ならば今すぐこの場に倒れて悶絶して叫びたかった。


 鈴音の時はまだマシだった。妹は俺が誰かを知らない。たかが数日の付き合いの下人として、去り行く他人として此方を認識していた。今回は違う。互いに幼少期を良く知る、自惚れた言い方をすれば幼馴染の間柄なのだ。それであの誤魔化し、あの言い訳をそれを深く理解したように肯定されたのだ。此方の受けた精神的ダメージは計り知れない。


 何が酷いって、今更否定も出来ない事だ……!!


「……どうした?先程から元気がないぞ?体調でも悪いのか?」


 とぼとぼと俯きながら歩く俺を、雛は振り返って尋ねる。首を傾げる。いや、どうしたもこうしたも無いんですけど?俺の尊厳はもうズタボロなんですけど?襤褸雑巾なんですけど?


「いえ。大した事ではありませんので……」

「そんな弱った声で大した事がない訳ないだろうが?」

「っ……!?」


 俺の返答に対して、雛は一歩進んで迫りながら言い返した。凛とした声音で、引き締めた表情で、面を挟んで目と鼻の先まで顔を近付けて。その行動に思わず俺は仰天して一歩跳ねるようにして退いていた。


 ……即座に一歩進んで顔を近付けて来られたが。


「ひ、雛様?その……お顔が近いのでは?」

「お前が視線を逸らすからだ。真剣に、真摯に相手と話すならば、これくらい当然の事だろう?お前自身が口にしていた事じゃあないか」

「それは……」


 それは習い事にお稽古、鬼月の当主の娘としての厳しい躾と教育……田舎の百姓の生活に親しんでいた雛がそれを嫌がるのは当然で、野獣のように反発していたのを俺が諭した時の言葉であった。


『相手だって仕事なんです。せめて真剣に聞く振りくらいはするのが誠意ってものですよ』


 いじけて憤慨する雛に対する助言……発言した直後こそ不満げで懐疑的な表情を浮かべていた雛であるが、いざその通りにして見れば師範役の追及も叱責も減り、拘束時間も減ったので大いに感謝されたのを覚えている。……相変わらず、指導は身に入らなかったようだが。


「言っておくが、これは振りではないからな?詰まらん作法習いならばいざ知らず、お前の身体を慮って問いかけているんだ。それは理解して欲しい」

「それは……身に余る光栄です」


 雛の愚直で真剣な口調、言葉に俺はそう答えるしかなかった。そして一瞬遅れて、俺はある考えに思い至る。直属の上司たる助職なら無視される可能性もあるが、雛ならばあるいは……?


 俺はちらりと雛を見る。此方の視線に気付いた雛は真っ直ぐに俺を見返す。頷く。


「何か、言いたい事があるんだな?」

「宜しいので?」

「遠慮するなと言っているだろう?」


 再度の確認に雛は即答する。躊躇なく迷いなき発言。実に雛らしい振る舞いだった。俺はそんな彼女の好意に応える。


「……私の調べる限り、付近に妖の群れが存在する可能性があります」


 流石に鬼から警告された等とは言えないので、俺は己が式神を飛ばした体で雛に伝える。この付近の湖に潜む妖の群れの存在を。その大将が大妖級である事を。このまま放置していては危険であり直ぐ様対応した方が良いであろう事を。


「成る程……」


 俺の進言に対して、雛は顎に手を当てて考え込む。熟慮する。ちらりと此方を一瞥すると、彼女は決を下す。


「あい、分かった。……では今から掃討するとしよう」

「はっ!……は?」


 雛の宣言に俺は応じて、しかし直後にその返答に思わず唖然とする。それはまさに速攻だった。即断だった。


「来い、黄曜」

「あ……」


 硬直して思考が停止する俺を無視するように、雛が叫べば、次の瞬間には天よりそれが真っ直ぐに降り立った。俺達の前にその姿を現した。


「……!?」


 思わず怖じけづいて一歩退いたのは当然であった。


 それは禍々しいまでの神気に満ちていた。とぐろを巻いて、雛と俺を幾重にも捕らえるように参上する黄金色の鱗を纏う神龍。


 黄曜、鬼月家が代々受け継ぐ本道式、扶桑国とその傘下が退魔士家が所有する十に満たぬ神龍が一、その圧倒的な存在感に俺は圧倒される。圧巻される。


「近場の湖だ。頼むぞ」


 雛の言に甲高く鳴く龍。承諾の返事だった。雛はそんな龍の態度に頷くと当然のように龍の上に、龍の頭を踏みつけて、乗り込む。


「どうした?お前も早く乗れ」

「えっ!?は、いや……しかし……」


 振り向きながらに此方を呼び寄せる雛に対して、しかし俺は前に出る事に躊躇する。眼前の龍の存在の強大さは勿論、その視線が此方を真っ直ぐに射抜いていた。僅かに喉を震わせるのは、見方によっては威嚇にも思えた。もし一歩でも踏み出せばそのまま噛み千切られてしまうのではないか、そんな印象すら覚える。


「黄曜」

『グルルルルルッ…………』


 非難するような雛の呼び掛けに、龍は暫し唸る。唸りながら目を細めて、黙りこむ。


「……こいつは気難しくてな。もう大丈夫だ。来い」

「……はっ」


 再度の雛の呼び出しに、俺は反論する術は無かった。恐る恐ると龍の鼻先を踏みつける。一瞬荒々しく鼻息をする龍であるが、それきりであった。俺は息を呑む。ゆっくりともう一方の足を上げるそして……。


「早くしろ、時間が惜しい」

「うおっ……!?」


 直後、腕を掴まれて一気に引き寄せられる。姿勢を崩しそうになる俺に、雛は此方の腰に手を回して抱き寄せる。密着する。


「ふっ、其処まで怖がるな。女子でもあるまいに」

「ひ、雛様は姫君であったと存じ上げますが……?」


 此方を揶揄う雛の言葉に、表情を引き攣らせて俺は答えた。雛は若干憮然とする。


「姫か、私には似合わんな。……どうする?飛ばすぞ。身体、支えてやろうか?」

「いえ、……そちらの角に抱きついても?」

「……構わんさ」


 冗談とも本気ともつかぬ雛の提案に、俺は丁重に断って龍の頭から突き出る二本の角が一つを指差す。雛の許可を受けて、角に抱き抱えるようにして密着する。


 ……その上から、雛が俺の背中に抱きつくようにして密着した。


「……雛様?」

「飛ばすぞ。……歯を食い縛れよ?」

「あっ……」


 俺の質問を遮るように雛が不敵に笑いながらの警告。一瞬後に俺はふわりと身体が浮かび上がる感触に襲われていた。


 既に、龍は雲を突き抜けていた。そして、一気に急降下……!!


「っ………!!?」


 まるで超絶絶叫ジェットコースターであった。それよりも尚凄まじい。身体に襲いかかる浮遊感、遠心力、周囲の光景が俺に根源的な恐怖となって襲いかかる。俺は思わず龍の角を強く抱く。俺を背後から抱き締める雛が、一層強く抱き付く。その事に色々な考えが思い浮かび、しかし何よりも先に安堵を覚える。


「見えたな」


 空を切り裂く音が鳴り響く中、耳元で雛が呟く。全身に叩きつけられる風圧に怖じ気づきながらも俺は目を見開いてそれを確認する。未だ高度は高く、周囲を見渡せば丸みを帯びた地平線が見えた。俺は直下に視線を向ける。確かに見えた、未だ小さいが確かにそれは湖だった。


「よし、行くぞ」

「はい?」


 雛が宣言すると共に彼女は俺を龍の角から引き離す。そのまま俺の腰と手首を掴んで雛は龍の頭を足蹴する。いや、ちょっ、待て待て待て待て!!?


「それは、それは本気でヤバいいいいいいっ!!??」

『ヾ(*´∇`)ノオソラヲトンデイルミタイー!!』


 龍から、まるで放たれる砲弾のように俺と雛は突貫する。飛び降りる。直後に先程とは比較にならぬ程に全身に風が叩き付けられた。脳内に阿呆な言葉が響くが最早突っ込む余力もなかった。思わず俺は顔を引き攣らせる。目元には涙すら浮かべる。悲鳴を上げる。共に急速に地上は近付いていた。ヤバい、ぶつかる……!!?


「『風枕』」


 俺の懸念は無用の行いだった。直後に雛が引き抜いた刀を振るえば、それによって生じる風圧の緩衝によって俺と雛の落下速度は一気に減じる。そのまま落下傘を開いたかのように緩やかに地面に着地する。


「……はぁはぁ。助かった、のか?」

『(;∀; )エクストリームスポーツメイテイタワ!!』


 絶叫マシーン染みた経験に一気に消耗した俺は心臓をバクバクと馬鹿みたいに高鳴らせては膝を折って嘆息する。おい、白蜘蛛煩せぇ……!!


「雛様、流石に……流石にこれは!!」


 余りにもエキサイティングな移動方法に俺は今更ながら雛の絶叫アトラクション好きな設定を思い出す。そう言えば幼少期にもかなりエグい勢いでブランコで遊んでいたな、等とどうでも良い事を思い浮かべる。


 「ふむ、ここだな。……さて、早速お出迎えだな」

「っ!!」

『!!(゜ロ゜ノ)ノワワワ!?キターノ!?』


 心底動揺している俺とは打って代わって平然そのものの雛は、淡々と周囲を見渡すとそう呟いた。それと共に俺もまた気配を感じ取り荒い息のままに立ち上がる。槍を構える。序に気配を感じた白蜘蛛も驚く。


 岩影から、あるいは水面から待ち構えていたかのように現れるのは井守に家守、蜥蜴、金蛇、蝮、鰐、亀、鼈、蛙、蛞……小さい物は犬程の、大きな物は軽く牛を越える小妖中妖共の群れ。口を開き、牙を見せつけ舌を伸ばす。ギョロリと爬虫類や両生類特有の冷酷な目で以て雛と俺を視界に収め、即座に獲物として認識して一斉に迫り来る。俺は下人としての役割を果たすために咄嗟に雛の前に出ようとするが……。


「失せろ」


 それは刹那で終わる。嵐のような突風と共に雛は引き抜いた刀を振るう。舞うようにして振り回す。五数える前に討たれた魑魅魍魎共は五十を越えて、十数える頃には百に迫る殺戮であり、虐殺であった。次々と鳴り響く悲鳴が辺り一面に響き渡り、河原の水面は赤黒く染まって『(* ゚∀゚)ミヨ!アヤカシガゴミノヨウダ!!』煩い。


 ……そして、それは本命を呼び寄せるための挑発に過ぎなかった。


「来ました……!!?」


 俺が叫ぶと同時にそいつは現れた。水面から殆ど二足歩行に近い姿勢で躍り出たのは小山のような身の丈の山椒魚であった。己の眷属を見境いなく殺戮する人間共に向けて怒りの形相と共に咆哮を轟かせる。


「うおっ!?」

「私の傍を離れるなよ、巻き添えになるぞ?」


 雛は即座に俺の腕を掴むと傍に引き寄せる。肩を密着させる。そして彼女は行使した。己の異能を。 


「『炎舞地獄変』」


 刀を軽く振るった。旋風と共に辺り一面を業火が舐めた。雛の異能、超常の火炎、滅却の火が、広がる。


 津波のようにして押し寄せたそれは辺り一面の妖共とその死骸を纏めて呑み込んだ。焼き付くした。逃げる物も逃れ得ない。水の中に逃げても無意味だった。雛のそれは正しくは火ではない。火の形を取った『否定』という概念そのものなのだから。


「火の粉には気を付けろ。一応、妖共だけを指定しているんだが……未熟だな。まだ完全に使いこなし切れてないんだ。どうしても多少他の物まで焼いてしまう」


 嘆息する雛の視線の先を辿れば恐らくはその一例であろう。同じく火炎に包まれる周囲の物体が『その一部』だけが焼け爛れていた。大きな岩の塊がその一角だけが角砂糖が溶けるようにして消失していく光景、湖面の水が文字通りに『焼ける』有り様は何処か奇妙で非現実的だった。


『グオオオオオオォォォォッ!!??』

「っ!!?まだ!?」


 燃え盛る業火の中、大山椒魚が怒り狂う。全身を巨大な松明にしながらも何事もないかのように動く。『滅却』の異能が効かない……?


「いや、違うな。……粘液か」


 雛は眼前の大妖を見つめて、己の力が効かぬ原因を見抜く。山椒魚は、恐らく全身から間断なく粘液を分泌し続ける事で己が肉体と『滅却』の炎が触れる事を阻止していた。


「粘液が枯れるまで焼き続けても良いが……」

「いえ、姫様。それは難しいかと」

「何?……成る程、そう言う事か」


 雛の提案に、俺が否定の言葉を口にする。同時に指差した先を見て、雛もまた俺の意見に納得する。


 山椒魚はその身体の半分の湖内に沈めていた。しかしそれは決して『滅却』の火から逃れるためではない。


 山椒魚は皮膚呼吸でもするかのように己の下半身から湖の水を吸収していた。『滅却』に対抗するために大量に消費される粘液を、水分を湖の水から補給していたのだ。そして、湖の広さからして消耗戦は明らかに愚行であった。


「では、これならどうだ?」


 焼くのが無理ならば斬れば良いとばかりに斬撃を繰り出す雛。しかし、粘液は万能だった。風の刃の衝撃すらも厚い粘液の膜は受け止める。本体にまで刃は通らない。恐らくは直接刀を突き立てても同様であった。


 相手の攻撃を無力化した事に醜い化物は嘲笑うように喉を鳴らす。そしてそのまま全身を震わせて燃え盛る粘液の飛沫を此方に浴びせてくる……!!


「ふんっ!!」


 水飛沫ならぬ炎飛沫、『滅却』の炎が迫るのを、雛は俺の前に立つと共に刀の一振るいで吹き飛ばす。しかしそれは罠だった。直後に放たれるどす黒い液体。毒液が、真っ直ぐに此方に迫る……!!


「私の後ろから出るなよ?」

「雛様!!?」


 対応せんとした俺に対して制止の言葉を放つ雛。俺の動きが鈍る。その直後、ジュワッと言う肉の焼ける音と共に眼前の少女の身体は融解した。泥のように崩れ落ちる人形。俺は目を見開く。思わず叫ぶ。


「これで終いだ」

『ッ……!!?』


 一瞬後、淡々とした口調で紡がれたその言葉と共に眼前を舞い広がる炎が満たした。ほぼ同時に投擲された刀が山椒魚の口内を撃ち抜く。


 軽く音速を超えていただろう、投げ出された刀はそのままの勢いで妖の頭部そのものを捩るようにして引き裂いていた。さしもの口内に叩き込まれる刀を受け止める事は出来なかったのだ。


 ドスン、と頭を失って崩れ落ちる大妖。俺は思わず言葉を無くして口を開く。間抜けに口を開く。辺りを沈黙が支配する……。


「……さて。こんな物か。ははは、意外と強い毒だな。肉どころか骨まで溶けたんじゃないか?」


 静寂を破るように幼馴染のあっけらかんとした物言いが耳に響いた。同時に俺は彼女が何を狙っていたのかを理解する。理解すると共に、しかしその余りにも軽率な暴挙に怒りすらも感じてしまっていた。


「雛様!幾ら何でもこんな無茶苦茶なやり方は……!!」


 思わず分も弁えずに叱責の言葉を口にしかけて……だが、次の瞬間にはその光景を視界に収めて言葉を失う。失ってしまう。


 それは何処までも神々しかった。其処に佇む人形が纏うのは融解液によって中途半端に溶けて垂れ下がる装束、其処から露呈する毒で爛れた痛々しい皮膚は、けれども現在進行形で焼けては新雪のように瑞々しい純白に染まる。周囲の景色は業火に舞い上がる火の粉と灰。


 そうして灼熱の炎獄に抱かれ続け、紅蓮から再誕したのは肉付きの薄い何処までも華奢な体躯であった。線の細い少女のある種、倒錯的な半裸姿。


 それはまさに火の鳥であった。鳳凰、不死鳥、その具現化、擬人化……そんな言葉が思わず脳裏に過る。嘆息しながら眼前の幻想的な光景に見いる。そうしている内に鬼月の一の姫は此方の視線に気が付くとクルリと振り向く。紅の瞳で見つめる。


「さて、と。もう随分と日が沈んで来ているな。遅くなるといけない。……陣内に、帰ろうか?」


 眼前の姫君は熱風に鮮やかな黒髪をはためかせて、先程まで腐り落ちていたのが嘘みたいに白い手を差し伸べる。その表情に何処までも慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら、周囲の一切合切をひたすら焼き尽くしながら……。


「……はい」


 尚もその情景に魅いられながら、まるで俺は譫言のように答えていた。答えながら、差し伸べられた掌に恐る恐ると手を伸ばす。


 ……彼女が無事である事への安堵と、名状し難い不安と恐怖を抱きつつも。


 昼下がりの空は、何時しか夕暮れ時の茜色に染まり切っていた……。 


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