第八章 病人には労りと配慮が必要だよねって件

第一〇〇話

「こな糞がぁ!!」


 疾走する俺は叫んだ。叫びながら直後正面に躍り出て来たのっぺら坊を、その満面の笑みに向けて槍を突き刺す。肉を裂き、骨を打ち砕く。


「ちぃっ!!」


 そのまま槍を振るって化物を切り払い打ち捨てて、その死骸に目もくれずに俺は廊下を駆け抜ける。


 永遠に広がる廊下を突っ走る。


「はぁ……はぁ……畜生!!切りがねぇ!!」


 息切れして、額に汗を浮かべて、しかしそれでも俺は走り抜けるのを止めない。止められない。止めた瞬間に俺に待っているのは確実な死だけであったから。


 ……背後から、無数の声音が鳴り響く。迫り来る。


「っ……!!」


 直後に真横の障子が勢い良く引かれる。白い何かが飛び出して来る。俺は身体をスライディングさせてその魔の手から寸前で逃れる。そして咄嗟に振り向く。


 それは猫の手だった。巨大な猫の手。ニャアニャアと不機嫌そうに唸りながら腕は廊下の彼方此方に爪を立てて引っ掻く。逃れた餌が何処に行ったのかとまさぐる。


「くっ、正面からも来たな……!!?」


 その物音に正面へと向き直れば、先の見えない回廊の向こう側から無数の影が迫り来るのが見えた。


 能面を嵌めた黒子がいた。満面の笑みを浮かべた燕尾服姿の河童がいた。子供服を着こんで泣きじゃくる小豆洗いがいた。包丁を手にして奇声を上げる毛女郎がいた。算盤を弾きながら突っ走る算盤坊主。一反木綿に人面犬。油すまし、その他訳の分からぬ化物共が我先にと廊下を埋め尽くして此方に押し寄せる。


「もう訳分からねぇな、此は……!!」

『ニヤアアァァァァァッ!!』


 前方から迫り来る混沌としている面子に苦笑いした俺は、直後背後からの唸り声に振り向いた。


 俺の尻を狙ってしつこく追跡していた狒狒の首に噛みついて咥えた招き猫がじっと此方を見つめていた。じたばたと噛みつかれた狒狒は暴れるがそれも床に一度叩きつけられたら首の骨を折って息絶える。


『ニャァー』


 一鳴きしてから感情の読み取れない大きな瞳で此方を凝視するお魚咥えたどら猫ならぬ狒狒を咥えた招き猫。視線が交差する。一瞬の沈黙。


 そして……直後、猫はおぞましい笑みを浮かべると狒狒の死骸を放り捨てて、何ならば抱き抱えていた大判も放り捨てて此方に突撃してきた。


「畜生……!!」


 唖然としていた俺は、しかし直ぐに状況を理解して吐き捨てる。最早選択肢はなかった。


「分の悪い賭けだが……!!」


 咄嗟に俺は覚悟を決めて、無数にある障子の一つに手を掛ける。唾を呑む。さて、鬼が出るか蛇が出るか……!!


「糞っ垂れ!!どうしてこうなったっ……!!?」


 障子を引いた先の見えない暗闇に飛び込みながら俺は叫んだ。化物の腸の中で吐き捨てた。


 そして思う。どうしてこんな原作ならばセーブデータをリセットするしかない最低最悪の事態に陥ったのかを。


 俺はここに至る経緯を追憶する……。











ーーーーーーーーーーーーー

「入鹿、古い供え物には手を出すなよ?腹壊すぞ?」

「てめぇは俺を何だと思ってんだよ!?」


 鬼月家の屋敷の後方……小山の上に築かれた無縁塚で掃除と供え物や花の挿し替えを行っていた俺は傍らの入鹿に向けて注意をした。当然のように罵倒が返って来るが気にしない。それだけこいつの普段の行いに問題があるだけの事である。


 年が明けて清麗帝の御世の一四年、睦月の月も中旬に差し掛かっていた。二十四節気で言えば立春の時節であるが北土の冬はまだまだ深い。昨日だって普通に雪が降りまくっていた。そのお陰でこの無縁塚も雪の下に沈む墓が多数に上る。


 どうせ定期的に清掃と管理をしているので、何時もより少し日程を繰り上げて訪れた訳であるが……さて、どうして入鹿の奴が此処にいるのやら。


「失敗したぜ。辛気臭ぇ。お前が旨そうな匂いのする荷物背負ってるから何事だって尾行したらこれだからな。期待して損したぜ」

「勝手に失望するなよ。お前の自爆じゃねぇか」


 そして未だにこいつが俺の側にいる理由は分かっていた。おこぼれ与りに来やがったな?


「ちっ。ほれこいつをやるから摘まみ食いすんなよ?」


 取り敢えず供え物として用意していた饅頭の一つを放り投げる。勝手に用意してきた物を好き勝手横から食われたら堪らない。


「何だよその呆れた目付きは……食い物には罪はねぇから貰ってやるがよ」

「いや、食うんかい」


 特に此方の仕事を手伝うつもりもなく偉そうな事を言いながら饅頭を頬張る入鹿に向けて俺は突っ込みを入れた。何様のつもりじゃ犬っころめ。


「全く、嫌味を言う気力も無くなって来るな……ん?」


 嘆息して清掃に戻ろうとした俺は、直後に気配を感じ取り身構える。それは入鹿も同様で得物を手にする。……尤も、直ぐ様俺は入鹿に武器を下ろすように伝えるが。


「林玄僧侶、この悪路の中で危ないですよ?階段が凍っていますのに」

「はははは。それは愚問というものではありませんかな?であるならば伴部殿こそ此処に滞在なされているのは奇妙な事でしょうに」


 階段を上りきって朗らかに笑うのは僧侶であった。皺の深い、それでいて物腰柔らかく温厚そうな傘を差した老僧。それが俺の言葉に苦笑しながら言い返す。


 鬼月谷における唯一の寺院である鬼割寺。その住職である林玄僧侶は同時にこの無縁塚の管理者でもあり、部下の埋葬や供養と言った作業を共同する事もあって俺とは相応に深い関係にあった。


「仲間の墓ですからね。自己満足ではありますが……普段は林玄殿に管理して頂いていますし。林玄殿こそ、そのお年で此処まで来るのは大変でしょう?」

「なぁに、若い者達には負けられませんよ。それに拙僧も仏の道を求道する身としてはまだまだ未熟。此処の管理は心身共に修行にもなりまする。御気遣いは無用ですぞ」


 朗らかに笑って僧侶は俺の言葉を否定する。修行、ね……。


「ま、まぁ……その筋肉なら確かにまだまだ大丈夫そうではありますが」


 僧服の隙間から覗く老僧の肉体を見れば老人扱いは確かに失礼のように思えた。


 文字通りの意味で老僧の身体は鋼の肉体だった。無数の皺があり骨が浮き出ているもの、彼の身体は芸術的なまでの細マッチョであったのだから。


(流石、古式ゆかしい仏僧という事か……)


 事実か伝説か、なんにせよ故事として某悟りを開いた世界宗教の開祖様はその誕生に際して老預言者から将来この者は世界を統べる覇王となるか、あるいは聡明な宗教家になるだろうと預言されたという。


 知っての通り現実の歴史においては後者の道に進んだ開祖様であるが、どうやらこの世界においては両方の道を突き進んだらしい。天竺発祥の仏の教えにおいて、僧侶は基本的に肉体を武器に出来る程に鍛え抜く事が義務化されている。


 仏の道の開祖様は、というかこの世界における主だった宗教の開祖様方は基本的に誰も彼も武闘派である。対人というよりも対妖という意味で、である。


 おう、弟子に向かって「命に貴賎はありません。ですから、皆殺しにして良いのは妖だけですよ?」と宣うのが仏典における名場面ってどうなのよ?寺の本堂にある仏像がデフォで悪龍の頭踏みつけて捩じ切った鬼の頭掴む構成なのどうなのよ?菩薩様が揃いも揃って返り血塗れの筋骨隆隆半裸姿で慈愛に満ち満ちた笑み浮かべてるのはどうなのよ?というか目からプロトンビーム出して両腕からカメハメ波放って妖群を殲滅してる(公式設定)のってどうなのよ?


 無論、色んな意味で悟りを開いちゃった人が入滅して既に数千年である。仏の道も多くの派閥に分派しているし、扶桑国に教えが流入した時点でも相当変質し、流入後は更に変質した。白若丸の預けられた寺院のようにアレな所とか腐敗している寺だって少なくない。


 その意味において林玄僧侶はかなり篤実な仏僧であると言えた。都の大寺では若い頃より英才と称された。教えに忠実でその心は何処までも仁愛と仁徳に満ち溢れ、その鋼の肉体は小妖如きならば素手で引き裂く。法事や葬儀、勤行等の諸行事も極めて良心的な価格で請け負い、教師として小僧共に鞭を振るうこの老僧は鬼月谷に住まう住民達からも信望が厚い。


「いやいや、其処まで自惚れては御座いませぬよ。拙僧の講義を真面目に聞く小僧共は少ないですからな。書の時間では落書きばかり……説法の集いも御老人ばかりで近頃の若人には飽きられてましてな。仏の道を上手く伝えられぬ己の未熟を痛感するばかりです」


 自虐的に評する老僧は、しかし口調に比して其処まで悲観していないようであった。彼本人としては小僧共の悪ふざけは兎も角、若者が仏道に関心を示さない事に一定の理解を示しているようだった。まぁ、宗教にのめり込む人間が多い世相は決して良い状況ではないのも事実ではある。老僧からすれば祈れぬ者の分まで己が祈るだけの事なのだろう。


 因みにこの老人、原作ゲームだと台詞のみの登場、ノベル版では寺に逃げ込んで来た鬼月谷村の住民を守るために妖共相手に素手で絶望的な闘いを繰り広げる真の漢である。彼の闘いの場面は涙無しでは読めない。


 ……まぁ、其処までして守った村人もヤンデレ共の醜い争いに巻き込まれて滅されるんですけどね?諸行無常過ぎるわ。


「それはまた……そう言えば面倒見て貰っている連中はどうですか?林玄殿にご迷惑を掛けていないのならば良いのですが」


 老僧の会話の中で、ふとその懸念を思い出した俺は尋ねる。内容は老僧に頼み込んで定期的に開いて貰っている下人衆向けの講義だ。


 これ迄は基本的に下人衆内での教育で回していたが、近頃は唯でさえの人手不足に各地での中小の妖騒動が散発、また郷の警備の強化もあって一層実戦組を酷使せざるを得ない状況だった。


 どうしようもなくなり、今年から俺は下人衆頭らに掛け合い年少組の教育の一部、読み書きや薬法、護身用の徒手武術の基礎の鍛練等を林玄に頼み込んだ。無論、完全に丸投げでなく、週に二回程、一度に一刻から二刻程の時間を手透きの時に割いて貰っていた。それだけでもかなり部下達の負担を軽減出来た。問題は目の前の老僧に迷惑を掛けている点であるが……。


「心配せずとも、皆利口でありますよ。歳もありますれば幼い所ありますが、皆真剣に講義を聴いてくれていますよ」

「ですが……此方の勝手な都合、それも無給でとなりますと心苦しい限りです」

「いえいえ、妖は仏道においても打ち倒すべき邪悪でありますれば。民草を守護するための助けになるのでしたらこれもまた修行にして功徳。その上更に報奨を貰おう等とは僧の身にして欲が深いというもの。何卒、お気になさいませぬよう」


 そう宣い恭しく一礼する老僧。生臭坊主ならば当然のようにここで布施を要求するのだが、形ばかりの謙遜や遠慮ではなく本心からの言葉であるように思われた。


「此方こそ恐縮の至りです。……若者の出席率が悪いとの事でしたね?今度の説法には出席させて頂きますよ。たかが下人が顔を出すのは他の方々が良い顔をしないかも知れませんが」


 付け加えるならば正座は足が痺れるし、ぶっちゃけ話も半分以上訳分からんけどな。


「それは有難い話ですな。……さて、長話はこの辺りにしておきましょう。お連れの方も退屈してそうですしな」

「あ?」


 老僧がそんな事を言えば、俺は面の下で渋い表情を浮かべて振り向く。見てみれば墓石の側に座り込んで心底暇そうに頬杖をしていた入鹿がいた。不意討ち気味な老僧の指摘と俺の視線に半妖蝦夷は豆鉄砲を食った鳩のように面食らい、気まずそうに顔を逸らす。


「……家の者が失礼を」

「いやいや、構いませぬよ。此処の清掃と供え物の入れ替えは拙僧がやっておきましょう」

「しかし、それは……」

「遠慮なされますな。元々そのために此処まで登ったのでしてな。それに若い男女が何時までも無縁塚に屯するのでは風情がないというもの。逢瀬であればもう少し風流な場所がありましょう。寧ろこんな所では罰が当たりますぞ?」


 林玄の言葉に俺は表情を引きつらせる。半ば以上冗談であろうが、余り愉快ではない冗談であった。このがさつ女と逢瀬?笑えない。


 入鹿も同じような事を思ったのだろう。老僧の言葉にあからさまにげんなりした態度を取る。


「林玄殿、余り面白くない洒落は……良いでしょう。では、我々はこの辺りで御暇しましょう」


 反論しようとして、しかしその気も起きなくて、俺は嘆息と共に一礼。退散を宣言する。


「入鹿、戻るぞ」

「……あぁ。分かった」


 老僧に別れの挨拶をした後に俺は入鹿に声をかける。若干気まずそうに答える入鹿。同じように挨拶を老僧にした後居心地悪そうに俺に付いて無縁塚の階段を下っていく。


「……あの手の爺は苦手なんだよなぁ」

「お前のようながさつな性格でも苦手な相手がいるのかよ?」

「だからてめぇ、人を何だと思ってやがる」


 入鹿の愚痴に嫌味を言ってやれば入鹿が吐き捨てるように反論する。


「少なくとも淑女とは言えんな」


 普段から胡座掻いて、涎に鼾を喧しく鳴らしながら昼寝するような奴である。何ならば必要ならば肌を晒す事も躊躇しないのはサバサバし過ぎであろう。周囲の空気を気にせずにはっきりと要求を口にする所も含めて女としても、人としても神経が図太過ぎる。


「んな事は知ってるわ。……悪意無しに茶化されるとなぁ。あからさまに敵対されるならやり易いんだがよ」


 口も手も直ぐに出す入鹿であるが、それは無分別に周囲に当たり散らすという訳ではない。あくまでも彼女の暴力と悪意は明確な『敵』に対してのみに向けられるものである事をこれ迄の経験から俺も感覚的に理解していた。それ故にからかわれたとしても相手が敵視していないのならば入鹿は拳は無論、口の切れも鈍るようであった。尤も……。


「都でやらかした奴が言う事かよ」

「さて、何の事やら」


 俺の指摘に鼻唄を唄いながら嘯く入鹿。本人としては身の安全のためにも掘り返されたくない黒歴史のようだった。というかお前鼻唄上手いなおい。


「……そういや、お前はこれからどうすんだ?」


 雑談をしながら無縁塚の最後の階段を下りた所で入鹿が気が付いたように尋ねる。


「ん?そうだな……今日は非番で特にやる事は無いからなぁ」


 今日は久方ぶりの休息日として予定していたため、昨日の内に必要な事務仕事は粗方終えてしまった。引き継ぎの部下の所に顔を出してもやる事はないし、寧ろ気を使わせるだけだろう。鍛練なら毎日日課として早朝にしてしまっている。無縁塚の掃除は先程林玄僧侶に委ねてしまった。となるともう大して予定はない訳で……。


「え、嘘。俺やる事ないの?何も?」


 その事実に俺は少し衝撃を受ける。仕事と鍛練ばかりの日常に慣れてしまい、いつの間にか休息に何をすれば良いかも分からなくなっていた。


「社畜かよ……」


 休日を楽しむという行為自体が出来なくなっている事。

 それを自覚してしまった俺は心底落ち込む。もう、家帰って寝ようかな……?


「……おい。だったらよ」

「あ?」


 打ちひしがれる俺を一瞥して、顎を撫で上げる入鹿は俺に呼び掛ける。頭を上げる俺に向けて入鹿は口元を釣り上げる。


「ちぃと。付き合えよ」


 親指をグイッと背後に向けて突き立て、意地の悪い笑みを溢して狼の半妖は俺に向けて提案した……。









ーーーーーーーーーーー

 鬼月谷の中心地であり鬼月家本邸の目と鼻の先に広がる鬼月谷村は戸籍上では人口千五百人余りの大村である。実際は戸籍に記帳されていない人間も多少おり、また同じく鬼月谷内に点在する幾つかの小村から出稼ぎで流れている者もいるのでもう少し多いかも知れない。何にせよ、村と称しているがどちらかと言えば街に近いだろう。


 無論、村としては大き過ぎるとは言え、平均的な邦都や郡都に比べればその人口は決して多い訳ではない。しかしながら良質な霊脈の存在から蛍夜郷程でなくとも十分に自然の恵みは豊かであり、作物の実りもまた豊穣を絶対的に約束されている。


 其処に北土最大の都市たる白奥に比較的近く、鬼月家のお膝元である事による治安の良さ、そして近頃は橘商会の支店が開設された事による市場の豊富な品揃えから住民の生活は北土の村の中ではかなり良い方だ。俺も雑人見習い時代は雛と遊びに出た事が度々あった。


 ……まぁ、今の俺が村にまで下りるのは供え物の買い出しの時位だが。


(買い出しとかも孫六に任せるようになったからなぁ)


 そんな事を思いながら俺は認識阻害用の外套(二代目)を着込んで村の大通りに佇み黄昏れる。彼方此方と視線を動かしては村の風景と過去の記憶を照らし合わせる。同時に苦い表情になるのは己の所業の報いだ。


 雛の雑人時代は立場と演技のお陰で村の住民ともそれなりに上手く関係を結べていたが下人に堕ちた後はね……あからさまに悪意敵意は向けられなくても通りの者から白い目で見られたり、店頭でも対応が無愛想だったりと余り居心地は良くなかった。買い出しに孫六を重宝するようになった一因であり、今の俺が外套(二代目)を着込む理由でもある。


「それで?態態村まで下りて何の用なんだ?言っておくが俺の財布の紐は固いぞ?」

「何で俺がてめぇに奢って貰うの前提なんだよ?」


 同じく大通りに、此方は顔は晒け出して頭巾と腰巻きで狼耳と狼尾を隠しただけで佇む入鹿に向けて俺は問う。入鹿の突っ込みに対しては日頃の行いのせいだとしか言えない。


「酷ぇ物言いだなおい。……お、見つけた見つけた!」


 舌打ちした入鹿は、しかし通行人の中からその人影を見つけると手を振りながら駆け出す。その先にいるのは……。


「あ、入鹿かい?今日は家にいるんじゃなかったのかい?」

「ん、あぁ。予定変更ってな」


 着物に髪飾りと外行き用に着飾った少年味のある黒髪の少女が入鹿の姿を見て笑みを浮かべる。心から喜ばしそうな笑みを浮かべる。


 蛍夜環が、笑顔を見せる。


「随分と気ままなものですね。せめて一言言ってくれれば良いですのに」


 環の背後からジト目の女中が姿を現す。詰るように入鹿の行動を糾弾するが、当の入鹿は何処吹く風といった態度だった。  


(主人公様に雪……鈴音か。……見た所村で遊びに下りたという所か?)


 霊脈の質は兎も角、人口では蛍夜郷村は本村で八百、周囲の小村含めても千二百程度……だったか。鬼月谷は単純な人口規模で倍、交通の便や地理的位置による人と物の流入を思えばそれ以上に賑わいがあると言える。


 原作では環は第一章で故郷が滅びるまで外の世界を知らず、ましてや姫君であるこの世界線では尚更箱入り娘であった事だろう。稗田郡の都は人口では兎も角活気という意味では完全に寂れていた。その意味で言えば鬼月谷村は環にとってはこれ迄見た中で一番活況している場所なのだろう。村の彼方此方を見る環の目元は明らかに興味津々と言ったようであった。


「はははは。そう言ってくれるなよ。人間、気分が変わる事なんて良くある事だろ?……ほれ、代わりに心強い味方を用意して来たぜ?」

「んっ………、ん?」


 そう偉そうに宣った入鹿が指差すのは俺であった。俺は一瞬入鹿の行動に困惑して動揺する。思わず首を捻る。


 困惑したのは俺だけではなく、環達もだった。外套の認識阻害の影響もあってか環達は暫し沈黙するそして……恐る恐ると尋ねた。


「えっと……伴部、君?」

「……」


 困惑しての問い掛けは外套の認識阻害によるものだった。疑問形でも俺の正体に気付けたのは声質のお陰だろうか?何にせよ、俺は一礼で以て答えた。


 俺の返答に環は口をぽかんと開いて唖然として、そして入鹿の方を怪訝そうに見つめる。


「今日は非番で、もうやる事もなくて暇だとさ。護衛兼荷物持ちに丁度良いだろ?」

「待てやこら」


 入鹿の提案にいち早く突っ込みを入れたのは俺であった。てめぇ、自分の仕事人に振りやがったな?


「えぇぇ……?」

「入鹿、貴女は全く……」


 当然ながら環も鈴音も、入鹿の行動に否定的であった。無論、入鹿も反論する。


「いやいや、だってよ。こいつがやる事ねぇって言うもんだからよ?それにこいつなら此処の道にも明るいだろ?」

「それは、そうだけど……」


 困り果てたような、それでいて此方を窺うような上目遣いの視線で此方を見やる環。その風貌は何処か保護欲を誘うものであった。


 まぁ、そうでなくても俺の選べる選択肢は多くはなかったが。  


「……姫様方が御不満がなければ、護衛と荷物持ちの職務やらせて頂きましょう」


 壁に耳あり障子に目ありである。下手に断って何処からともなく悪評が流れるよりはマシだ。いや、多分断らなくても悪評が流れるだろうが相対的にはまだ良かろう。


「え、えっと……良い、の?」

「どの道やるべき任はありませんので。それに、確かに入鹿の言う通り護衛と荷物持ちは必要でしょう」


 いや入鹿の仕事だろうが、と言いそうになるのは堪える。


「そ、そう……えっと。本当に良いのかい、入鹿?」


 遠慮がちに呟いて、どういう訳か環は入鹿に向けて尋ねる。


「あ?俺は別に気にしねぇ……というかそっちの方が楽なんだけどよ。環は気に入らないのか?」

「う、ううん!違うよ、そうじゃないんだけど……うん。分かった、そうだね。じゃあ……悪いけど御願いして良い、かな?」


 何度も頷いて納得したような表情を浮かべて、最後に環は確認の返事を求める。上目遣いのままに、求める。当然ながら、俺がそれを否定する事はなかった。


「へへへ。感謝しろよ?鈴音の奴を目と鼻の先で見守れるんだからな?」


 耳元で入鹿が囁いた内容に、俺は何とも言えぬ胡乱な視線を返すのだった……。






ーーーーーーーーーー

 鬼月谷村に建てられている大小合わせて三百棟以上を超える建物の内六十以上が所謂商店であり、その他に近隣の村や流浪の行商人の露店も数十店は設けられていた。そしてその多くが大通りに出店している。


 鍛冶屋は認可のある者以外に武器を売る事を禁じられているので店頭に並ぶのは鍋や包丁等の日用品だ。酒屋は居酒屋を兼務しているが……蒼髪の女が酒瓶ラッパ飲みして周囲の客共とドンチャン騒ぎしているのは見なかった事にする。米屋は酒屋と並んで大きな屋敷を構えていた。借本主体の書店は瓦版を販売する認可と引き換えに鬼月家による領内情報統制にも関わっているのは秘密である。


 惣菜を販売する煮売り屋に休憩しながら団子等の甘味も味わえる茶屋、冬場には当然のように列の出来る汁粉屋に豆腐屋に八百屋、飴屋、古着屋、小間物屋。畳屋は実際は障子や枕、布団も売っていた。横路に構える耳掻き小屋は意外に人気のある店だ。


 空き地では焼鳥に果物、餅に煎餅、水売りに野菜や川魚を素材にした天麩羅屋台が軒を連ねる。あるいは谷の外からやって来た骨董品や装飾品、古書の行商人に占い師も店を開いていた。見世物小屋では流浪の旅芸人らが鬼月家からの許可を受けた上で良く演目や演奏、手品を繰り広げ村人らの目を楽しませる。


 道を行き交うのは買い物客だけではない。紙屑買いに灰買い、雪駄売りに油売り、川魚を生きたまま桶に入れて魚売りが練り歩く。全国の町村を練り歩く節季候共はかなりの確率で内に朝廷の監査要員が紛れているので谷に立ち入る前に金子を押し付けて入谷前に退散させている。


「へぇ、こんなにお店があるんだね」


 俺の案内に従い物珍しげに店を見回り、商品を見聞する環。蛍夜郷は豊かであるが百姓中心で商店と言えるものは少なかった。鬼月谷村はその意味では半分近い者が百姓以外の仕事をしている分で大きく違う。


「あ、これ可愛いね!」

「これは……木彫ですが中々良い置物ですね。雛、ですか?」

「お、あの焼鳥旨そうだな……」


 環と鈴音が小間物商の店を吟味する中で入鹿は一人タレの匂いに惹かれて焼鳥屋台に向かっていた。因みに環らの見ている雛の置物は原作ゲームでも入手可能なコモンアイテム『木彫の雛』であった。原作ファンから『聖ヒヨコ様』等と渾名されてるのはとある実況プレイで引き起こした奇跡によるものである。


「なぁー、これ会計頼むわ!」

「だから俺は払わないって……もう食ってんのかよ!?」


 入鹿からの要求に警告しようとして、俺は怒鳴り付ける。両手に食べかけの焼鳥串(鶏肝・タレ)を手にしてやって来たのだから当然だ。というか同行してきた店員が賑やかな顔で代金請求していた。ふざけんなボケ!


「入鹿……貴女って人は」

「ははは。僕が払うよ」


 事態を察した鈴音と環が直ぐ様駆け寄る。鈴音は呆れて、環は苦笑いしながら財布の銭を取り出す。


「お、あんがとよ。流石、環だぜ。お礼に一本やるよ。……逢い引きで女相手に奢れねぇとか男が廃るぜ?」


 銅銭を店員に数枚手渡すと入れ違いのように入鹿は環に手に持つ串を一本差し出しておまけとばかりに此方に対して嫌味を宣う。ご免、何時逢い引きになったんだ?


「そうだ、環。彼方にも旨そうな鮎の塩焼があってな……」

「あはは……」


 ペロリと焼鳥を平らげながら入鹿は環の袖を引っ張る。何とも言えぬ表情で環はそんな入鹿に連行されていった。

 

「あれではどちらが主人か分からんな」

「家の馬鹿が御迷惑をおかけします」


 俺の呟きに傍らの鈴音が深々と嘆息する。そして続ける。


「そちらでも随分と勝手をしていると思いますが、御容赦下さい。私からきつく言っておきますから」

「きつく言って治るんですかね?」

「…………」


 俺の指摘に視線を逸らす鈴音。おう、そうだろうな。


「……まぁ、腕っぷしは頼りになりますから。仕事でアレに助けられているのは事実です」

「……気苦労おかけします」


 微妙な空気になったので俺が擁護してやれば、重ねて謝罪する鈴音であった。妹とか関係無しに同情した。身内の馬鹿は敵より厄介だからな。


「……取り敢えず、追いましょうか」

「はい。そうしましょう」


 気まずくなり、俺が環達の後を追う事を提案すれば鈴音も応じる。そして共に歩き出そうとして……手首を掴まれた。


「「は?」」


 一瞬鈴音の手に掴まれたのかと思ったがそれは違った。彼女もまた俺と同じく間抜けな声を上げて此方を見ていたから。そして共に背後を振り向く。


「ね、ねぇ……お二人方、今逢い引きっておっしゃっていませんでしたか?」


 眼前にいたのは獣だった。目元を充血させてギラつかせた獣……いや、違う。その出で立ちに俺は覚えがあった。原作のモブキャラの一人だ。確か名前は……。


「今、鬼月谷村唯一の茶屋『花水木邸』は逢い引き顧客様に全品三割引販売実施中で御座います……!!」


 その言葉は最早呪詛のようでもあった。此方を絶対に逃がさぬという気迫に満ちていた。


「え、えっと……?」

「どうです!?お買得でしょう!!?」

「はぁ」

「ですよね!?そうですよね!!?大出血御奉仕ですよね!!?ならば選択肢は一つしかありませんよね!!?」


 眼前の娘は怒鳴るように叫ぶ。その迫力に俺も鈴音も何も言えなくなる。


「では、お二人様様御案内で御座います!!!!」

「うおおっ!!?」


 その宣言と共に俺と鈴音は連行されるのだった……。







ーーーーーーーーーーー

 鬼月谷村唯一の茶屋たる『花水木邸』は原作シナリオでも情報収集、体力回復、ミニイベント等の舞台となる店舗であった。


 主に団子やおはぎ、其処に緑茶を売るこの茶屋は店主の娘が看板娘をしている事もあって設定上では村でも人気を博しているとされている。看板娘の椛は『闇夜の蛍』のデフォとして攻略不可で出番が多くもないモブの癖に無駄に美麗デザインである。可愛らしい割烹着姿のお姉さん、と言った所か。


「此方、本店のお品書きで御座います。ジャンジャン注文して下さいねー?注文しろ」


 ……到底眼前で血走った目付きで要求してくる店員と同一人物とは思えなかったが。


「は、ははは……」


 俺も鈴音も、席に座らされながら苦笑いを浮かべるしかなかった。


(おいおい、こりゃあどういうこった?確かお前さんは主人公様相手にもからかい上手なお姉さんキャラだった筈……って、あれのせいか)


 俺は謎の原作逸脱現象に困惑しつつ、しかし『花水木邸』の直ぐ目の前に建てられた店を一瞥するとその理由に納得した。


 喫茶店であった。外見から分かる南蛮喫茶である。其処に行列が出来ていた。其処から漂って来るのは紅茶や珈琲、そして甘ったるい南蛮菓子の香り……鬼月谷に橘商会が支店を出してから、同じく商会資本で喫茶店が新しくできたという話は聞いた事がある。成る程、要は客を取られた……痛たたたっ!!?


「お客様ー、浮気は宜しくありませんよー?あんな軽薄な店に目移りするのもですー」


 此方の首を強制的に動かした看板娘様。俺の目と鼻の先に椛の顔が映りこむ。満面の笑みは異様に怖かった。  


「分かった!分かった!!目移りしない!!だから首が痛い!痛い!!離してくれ!!」

「はい。承知致しましたー」


 にこりと微笑んで看板娘様は俺の首の拘束を解く。首が、首の骨が折れるかと思った……!!


「え、えっと……」

「はぁ……はぁ……鈴音、取り敢えず何でも良いから注文しろ。というかしてくれ。全部奢るから」

「いや、私姫様の元に行かないと……」

「俺の首のために、頼む」

「……はい」


 俺の端的な、しかし必死の懇願に鈴音は即座に応じてくれた。満面の笑みの椛の顔を窺いながら鈴音は慎重にお品書きから注文をしていく。


「はい。ご注文有り難う御座います!」


 ルンルンと鼻歌を歌いながら店の奥に消えようとする看板娘。鈴音が今の内に逃げようと耳元で提案するが俺はそれを拒絶する。


「何故ですか?」


 鈴音の不安げな態度に俺は立ち上がった事で示す。直後に看板娘は店の奥に消える直前に足を止めた状態で静止した。というか何時でも背後に飛びかかれるような姿勢だった。鼻歌は止まっていた。


「……」


 俺は再び座る。看板娘は鼻歌を再開して店の奥へと消える。


「こういう訳だ。分かったな?」

「えぇ。とても」


 鈴音は顔を青くして俺の警告を受け入れた。うん、素直な子は好きだよ。


 ……一応、弁護させて貰えば確かに茶屋の菓子は旨かった。串団子は三色、小豆餡、みたらし、胡麻、ずんだ。おはぎも小豆ときな粉、どちらも逸品だった。緑茶の苦味が甘い和菓子に良くあった。


「美味しいですね」

「あぁ、そうだな」


 村の通りを観察しながら俺と鈴音は黙々と茶菓子を食していく。口の中が甘ったるくなったら緑茶で灌ぐ。特に鈴音は女子かつ立場的に甘い物を好きに食べられる訳ではないからだろう、平然とした態度を装っているがその食べる速度から夢中になっている事が読み取れる。


「あっ……すみません」

「構わんよ。ほれ、持っていけ」


 最後の一本となった小豆餡団子にほぼ同時に触れた俺と鈴音。俺は鈴音に最後の一本を皿ごと差し出す。


「いえ、しかし……」

「流石に口の中が小豆で甘くなりすぎてな。別に絶対に食べたいって訳でもない」

「そう、ですか。では……」


 遠慮がちに、しかし最後は食欲が勝って鈴音は串団子を手にする。一口頬張ればその口元が弛んだ事に気付く。それを見て俺もまた口元を緩める。


「しかしなぁ……」


 対面に鎮座する喫茶店を見て、俺は思う。これだけ旨くても、やはり和菓子というものは小豆祭なのだ。どうしても飽きが来るものだ。鈴音は兎も角、この村の連中からすれば彼方の店に流れるのは至極当然の流れなのかも知れない。三割引大出血サービスなんて宣っているが、実際かなり追い詰められているのかも知れない。


(そいつは、困るな……)


 小イベントや情報収集の面でこの茶屋に潰れて貰いたくなかった。


(それに……多分、あの対面の喫茶店が出来たの、俺のバタフライエフェクトのせいだよなぁ?)


『花水木邸』自体は二百年、先祖代々村で経営していた店だとか。このまま潰れたら椛もその家族も路頭に迷いかねない。


 この時代、多くの場合店や仕事は世襲するものだ。職業選択の自由は余り無く、其処から逸脱したら再起は難しい。


 若干ネタ気味な振る舞いだったが、実際問題椛本人からすれば割と真剣に将来に焦燥していても可笑しくないのだろう。一家離散借金漬けからの遊廓堕ちはこの世界では御約束過ぎる。


「仕方ないな。……娘さん、お勘定」


 其処まで考えて俺は小さく嘆息すると、勘定を頼む。


「中々美味しかったです」

「はい、当然です!我が家の味は菓子の本場、上方の本家から伝授された伝統と歴史ある味ですから!」


 看板娘は大仰に、若干虚勢を張って宣言する。その態度に苦笑して、俺は銅銭の後にその紙切れを差し出した。


「はい?えっと……これは?」

「上方の方に足を運んだ事がありましてね。其処で見聞きした菓子の調理方法についての内容です。彼方ではこんな菓子が流行っているようです」


 限りなく嘘っぱちだ。都には何年も前に上洛で足を運んだが、紙切れに記した内容はそれとは別、俺の前世の記憶を基に記したまだこの国で発明されていないだろう菓子についてのアイディアだ。……無論、これで上手く行く確証はないが。


「それは……」

「余計な御世話と思われるかも知れません。菓子職人でしたら伝統や規則等もあって難しいかも知れません。ですがこれ程の店が売れないのも悔しい話です。……是非、御一考下さい」


 俺の紙切れをふんだくった椛はそれをじっくり読み込み、直後に此方を見上げてぱぁ、と笑みを浮かべる。


「い、いいえ!そんな事……あ、有り難う御座います!!」

「いえ、では御馳走様です」

「そう言えば、見慣れない方……ですね?外の御方ですか?此方に記された品々、今度来られた時までには試作してみます。是非、味見して見て下さい。無料で御馳走しますので!!」

「ははは。楽しみにしておきますよ」


 何度も感謝するように頭を下げる彼女に対して此方も謝意を示した後に退席する。外套の認識阻害の効果で彼女は俺の顔を認識出来ない。そしてその事すらも認識出来ていないし、疑問に思ってもいなかった。結果として俺を谷の外から来た行商人か何かと判断したのだろう。苦笑いしか出来ない。


 正体が分かったらあからさまに塵を見る目付きになるんだろうなぁ……。


 手を振って店を去る。俺の向かう先では先立って席を去っていた鈴音が怪訝な表情を浮かべていた。


「何をしたんですか?」

「いや、団子が旨かった事を言った位だよ。後は少し意見をな。……それよりも、早く環姫達を探そう」


 俺は鈴音にそう伝えて村を練り歩く。途中で幾度か店頭の品物に目を奪われる鈴音は、しかし此方の視線に気付くと関心の欠片もないとばかりに歩みを再開する。


(化粧品に簪、手鏡……あの泥遊び大好きの早食い娘がねぇ)


 雪……鈴音の興味を惹く品物を観察した俺は今更ながら内心で驚く。故郷の村での妹の振る舞いを思えば当然の事だった。随分と淑女になったものだと思う。恐らくは良い嫁にもなるだろう。


(そう言えばもうすぐ……上洛前にでも何か買ってやりたいな)


 故郷での習慣を思い出して、ふと俺はそんな事を思う。嫁入り道具という訳でもないが、何時死ぬか分からぬ己の身である。生きている間に妹に渡してやりたかった。入鹿辺りでも中継すればやれるだろうか……。


「どうしました?急に立ち止まって……」

「いえ。早く姫様方を探しましょう」


 いつの間にか目の前にいて、外套の奥を覗きこむように側に寄っていた鈴音に向けて俺は淡々と答えた。答えて、出来るだけ自然な所作で彼女から離れる。面や認識阻害の効果があっても、心理的に余り顔を覗かれたくはなかったから。


 ……決して広い村では無かったが、入れ違いになったのか環達と再会出来たのは一刻程過ぎてからの事だった。


「お、丁度良かった。ほれ、お前の仕事だ。これ運んでくれよ!」


 ……直後に入鹿から両手一杯の荷物を押し付けられたが。


「おいこら」

「お前の仕事だろーが。……鈴音の奴の衣装や小物も買ったんだぜ?良いだろう?」

「…………」


 最後に耳元で囁くように伝えられたら俺は全面降伏以外の道は残されていなかった。


「ご、ごめんね!?僕も持つよ……!!」

「いえ、問題なく。姫様に荷を持たせるなぞ恐縮です」


 実際問題、郷主の娘に荷物運びなんてさせているのがバレたら洒落にならん。


「……私が持ちましょうか?」

「いえ、御構い無く。自分も男ですからね、格好くらいつけさせて下さい。……それで?入鹿、まだ回るのか?」


 鈴音の提案も遠慮して、入鹿に向けて俺は吐き捨てる。当の入鹿は顎に手をやってうーん、と考え込む。


「どうする、環?」

「うーん。もう少し見ていきたいなぁとも思うんだけどね。ただ……伴部君に余りしんどい思いをさせたくはないしなぁ」


 物足りない、という表情を浮かべつつも俺を見て環は複雑そうな表情を浮かべる。 


「この程度の荷物でしたら、問題ありませんが」

「けど……ううん。良いんだ。また遊びに行けば良いんだからね」


 名残惜しげに、しかしきっぱりと未練を断ち切った環は頷きながら答える。


「そう、ですか……」

「けど、狡いなぁ。途中から鈴音と一緒に遊んでたんだろう?」

「姫様、御許し下さいませ。だって……」

「まぁ、あれはな……」


 少しだけ拗ねた態度をする環に、鈴音は困り果てた表情をする。俺もそれに続く。おう、だって看板娘のあの態度は絶対逃げられなかったしな。


「?何かあったのかい……?」

「それについては帰りの道中でゆっくりと説明します……」


 首を傾げる環に鈴音がげんなりとして答える。その態度に本当に何かあったのだろうと理解した環は怪訝な表情を浮かべつつも無理にそれ以上追究するのを止めた。


「……んじゃ、帰るとするか」


 場の会話が収まったのを見計らって入鹿が宣言すれば、極自然な流れで皆がそれに続いた。そしてとっとと前に進む入鹿を先頭にそのまま村の通りを辿って鬼月家屋敷への帰路に就こうとして……直後、横合いの道から大きな牛車がそれを遮った。

 

「うおっと!?」

「大丈夫かっ!?」


 思わず轢かれかけた入鹿が驚いて尻餅を搗いた。俺はそんな入鹿に咄嗟に声をかけて……しかし直ぐにその牛車が周囲に人形の簡易式のみ侍らせた桜紋の牛車だと気付くと息を飲む。


 ……凄く、嫌な予感しかしなかった。


「……あら、ご機嫌よう。蛍夜のお姫様」


 直後、牛車の物見窓から聞き覚えのある意地の悪そうな声音が周囲に響いた。俺は殆ど反射的に跪く。それに続くように入鹿と鈴音も頭を下げる。但し、二人は環の傍らで、だが。


「え、えっと……鬼月の二の姫様?」

「あら?それ以外に見えまして?」

「い、いえ……ここで会うとは思っていなかったもので………」


 環は年下の筈のゴリラ様の声に、しかし下手に出る。生来の気性の違いに立場の違いもあるのだろうが、それ以上に迫力の違いがこの関係を作り出しているように思えた。


「少し谷を回っていたものでしてね。……この道を進むとなると、もう屋敷に戻る道中で?」

「は、はい。その通りです!」

「ふぅん…………」


 カチャカチャと、扇子で掌を叩きながら思案するような表情を浮かべるゴリラ様……と、直後にその蠱惑的な口元を吊り上げて彼女は提案した。


「家人の立場とは言え、環さんは客人でもありましてよ?出来れば牛車にでも乗って欲しかったのだけれど……」

「それは……すみません」

「責めてはいませんわ。今後は配慮して頂きたいと申しているだけ。……客人を徒歩で歩かせるのは我が家の恥、どうぞ入らして下さいな」


 そう申し出れば牛車の周囲に侍る式神共が牛車の簾を開けて、車の中へと環を招く。


「えっと、僕は……」

「其処の女中と、下僕も相乗りして宜しくてよ。傍に控える世話役は必要だものね?私も一人乗せているもの、文句は言わないわ」


 恐らくは白を乗せているのだろう。問題ないと宣うゴリラ様。


「は、はい。……ご厚意、感謝致します」


 乗車に躊躇する環であるが、流石にここまで言われて遠慮するのは却って無礼である事は理解出来た。謝意を示して環は牛車に乗り込む。続いて鈴音、そして入鹿も同様だ。


「あ、貴方は駄目よ?牛車の傍に控えおりなさい。その程度の荷物、問題ないのでしょ?」

「アッハイ」


 最後に淡々とゴリラ様から掛けられた命令に、俺は即答するしかなかった。


 結局、俺は大量の荷物を背負い、桜色の車の傍に控えつつ屋敷への帰路に就く事になったのである。その姿がある種周囲への見世物であった事は言うまでもない。こん畜生め……!!





ーーーーーーーーーー

 鬼月家の屋敷に帰還し、環達と別れの挨拶を……オマケに彼方からは謝罪された……し、最後にゴリラ様のなぶるような嫌味を散々聞かされた俺は倦怠感と共にその戸口を引いた。


「兄貴、お帰りですか!」


 戸口を開けると同時に炊事をしていた孫六が駆けつけて一礼する。


「あぁ、只い……」

「おう!風呂の準備はしてるか?外に出払ってたんだ。やっぱ冬は寒ぃな。それに埃と汗洗い落とさねぇとな」

「…………」


 俺が帰宅の挨拶をするのを遮って、横合いからすり抜けるようにして屋内に入ってくる入鹿の厚かましい言であった。こいつ、そろそろマジで拳骨食らわしてやろか。


「へぇ、姉御。直ぐに用意は出来ますが……」

「俺が先で良いよな?女の残り汁使えるなんて御褒美だろ?」

「てめぇの後なんざ罰則だろうが」


 家の主人である俺に視線を向ける孫六。機先を制するように入鹿が嘯き、俺が突っ込む。何時もの事であった。残念ながら入鹿の後の湯なんざ俺で無くても喜ぶ者はいまい。耳や尻尾の抜け毛が浮いてるんだが?毎回回収している奴の身になれや。というか自分で回収しろ。


「勝手に入ってろ。抜け毛回収もあるから次は俺だな。その次は……」

「俺は最後で構いません。毬、三番目になるが良いよな?」


 孫六が部屋の隅で縫い物をしている小さな人影に声をかける。盲目の少女は兄からの声に反応して目を閉じたまま顔を上げて微笑む。


「私は皆様の御都合の宜しい番で構いませんどうぞお気になさらず」

「よーし、決まりだな。んじゃ、孫六。早く準備してくれよ」


 常に他者を優先する少女の返答、それを聞き終えた入鹿が命令すると共に装束をぽんぽん脱いでいく。折り畳む事すらしようとしない様は恥じらいの欠片も見えない。最早野生児な糞餓鬼そのものだった。


「お前なぁ……孫六。炊事場の火は見ておくから早く湯の用意してやってくれ。さっさとしねぇと馬鹿が風邪を引く」

「へい、分かりました!!」


 散らかる衣服を折り畳みながら俺は孫六に要請する。それに応じて孫六は竈に薪を幾つか追加すると戸口から炊事場の裏手に向かう。炊事場の竈の熱を再利用する形で五右衛門風呂が小屋の裏手にあった。


「この分でしたら入れそうです!」

「んじゃあ、行くか!!」

「せめて少しは隠せや」


 窓越しからの孫六から返答に脂肪の良く付いた尻と胸を揺らして裸一貫で戸口から出ようとする入鹿、俺は其処に淡々と手拭いを投げつけて突っ込む。人間とは慣れる生き物で、今となっては入鹿のこんな行動にも冷静に対応出来るようになってしまった。


 ……というかこれって子供に対する親の行動なのでは?


『(*´∀`)ソシテワタシノイモウトナノヨ!!』

「「んな訳あるか!!」」


 脳裏に響く声に俺は即座に突っ込んだ。何か外からも突っ込みが聞こえた気がするが気にしないでおく。頼むから籠の中に封じてるのに頭の中に直接語りかけて来るの止めろや。


「と、伴部さん?何かありましたか……?」


 突然の俺の怒声に側にいた毬がびくっと怖じ気づく。怖じ気づいて不安げに此方を見上げる。


「あ、いや……阿呆が阿呆な事をほざいていたからな。お前は欠片も気にしなくて良いぞ」

「はぁ……」


 俺の説明に良く分からなそうに応じる毬。良く分からなくても俺の口調から嘘を言っている訳ではない事も察して困惑しつつも納得する。


「それは……入鹿の奴の装束か?」


 炊事場の火元に注意を払いながら胡座を掻いていた俺はそれに気付くと尋ねる。毬が丁度裁縫していたのは入鹿の黒装束だった。良く見れば俺の物や、恐らくは他の下人らのものらしい衣服も傍らに積み重なる。


 下人用の黒装束は荒事もあるので被れる事は珍しくない。新しい物に替えようにも衣服も安い訳ではないのでポンポンと新着を要求出来ない。そのため大した損傷でないのならば自分達で裁縫しているのだが……近頃は毬がそれらを纏めて縫い合わせるようになっていた。


「余り無理するなよ。身体が丈夫という訳じゃあないだろうが」

「お気遣い感謝致します。ですが所詮裁縫ですので……兄様程でなくても少しは伴部様や入鹿さんのお役に立ちたいと考えております」


 自嘲に近い苦笑。俺はそれに無言で以て応じる。下手な慰めが却って相手の心を踏み荒らす事もある。少なくとも今の毬はそうであるように思われた。


「そうか。無理だけはするなよ?」

「はい。痛っ……!?」

「っ!?大丈夫かっ!!?」


 俺のかけた言葉が逆に集中を途切れさせたのか。返答の直後に毬は針で己の指を刺したらしかった。直ぐに駆け寄って傷口を見る。少し傷は深かった。赤い滴りが床に数滴ポタポタ落ちる。


「も、申し訳御座いません!!血、血が衣服に付いちゃう……!?」

「落ち着け。まだ付いてはいない。ほら、傷口の止血をするぞ?」


 妖は血に敏感な事もあって装束に血が付着していないかと顔を青ざめさせて動転する毬。そんな彼女を落ち着かせて、俺は装束を横に押しやる。そして指の傷を布地で拭って消毒を行う。大袈裟かも知れないが毬は身体は強くない。念には念を入れた方が良い。


「すみません、こんな……言った側から……!!」

「気にするな。横から話して悪かったな。よし、少し血の勢いは弱まったな」


 ある程度出血が止まった所で俺は酒精を染み込ませた綿糸を傷口に当てて、その上から包帯を数回巻く。そして留め具で固定する。

 

「風呂で濡らさないようにしないとな。入鹿に言っておかねぇと」

「はい………」


 俺の言葉に、毬は僅かに落ち込んだような声音で応じる。それは己が迷惑を掛けた事への羞恥であり、そして入鹿に任された事への不安でもあっただろう。


 盲目で身体が弱い事もあり、毬は一人で着替えや湯浴び等を行うのは中々苦労があった。都にいた頃は兄に手伝って貰い、此方に来てからは俺も頼まれて手伝う事も度々あった。あったのだが……流石に最近は彼女の成長に合わせてそれも憚られるようになって任務で出払う時以外では圧倒的に入鹿に任せる事が多かった。俺や孫六が入鹿の奴に強く出られない最大の理由かも知れない。

 

 ……問題は毬の方は兄や俺が出張らなくなった事に怯えている事であったが。


(かなり不安そうに理由を尋ねられたからなぁ……)


 生まれて直ぐに盲目だったからか、毬は入鹿のように無神経ではないが肌を晒す事への羞恥心が薄く見えた。どちらかと言えば羞恥心というよりも相手に対する信頼の高さで風呂や着替えへの手伝いを頼んでいるように思える。


(とは言え、やはり目のやり場に困るからな)


 相手の無知や無自覚を利用して下世話な欲望を満たそう等とは思えない。それが一方的とは言え家族同然に思っている少女相手であれば尚更だ。流石に俺も其処までは腐ってはいない。毬の不安は理解出来るが分かって欲しいものだった。


「そろそろ休憩でも取れ。どうせ直ぐに風呂と飯だからな。根詰め過ぎたらまた指を刺すぞ?」

「はい。申し訳御座いません……」


 俺の指示に対して尚も恐縮して答える毬。そんな彼女の態度に俺は苦笑して頭を撫でる。


「あっ……」

「他の連中の分まで助かるよ。下人衆は万年人手不足だからな。雑務だって手が回らねぇんだ。部下の奴らも感謝していたぞ?丁寧な仕事だってな」

「はい……」


 俺の謝意に照れたように応じる盲目の少女。御世辞ではなくて本音であり、事実であった。本当、ウチは人員不足が酷くてね……。


「おっと、忘れてたぜ!!」


 俺と毬の間で穏やかで静かに時間が流れていた所に勢い良く戸口が開かれた。何ならば阿呆の大声付きで。


「おい入鹿。ボタボタ湯を落とすな」


 一度湯の中に沈んで直ぐにとんぼ返りして来たのだろう。碌に全身を拭かずに戻ってきた入鹿は床に湯を落としながら室内に入り込む。おい、手拭い渡したんだからせめてちゃんと拭いて隠せ。


「どうした?長風呂派のお前が随分と早いな?」

「直ぐに戻るから気にするな。それよりも忘れ物が……ほれ」

「あ?」


 どうやら何か忘れていたらしい入鹿が村での買物した手荷物をまさぐる。そしてそれを見つけると此方に放り投げた。


「おいこら。物を投げるな。……って、ヒヨコ?」


 入鹿の雑な行動に辟易しながら俺は手元で受け止めたそれを見る。掌に乗っかる大きさのそれは……『木彫の雛』?


「この前の迷惑料も兼ねてな。聞いたぜ?もう直ぐ誕生日だろ?」


 恐らくは迷惑料というのは前年のなまはげの騒動の事だろう。誕生日というのは……。


「……何時聞いた?」

「お前さんと出くわす前の事さ。蛍夜の郷で雑談していた時にな。確か海の向こうの風習だったか?」

「……そうだな」


 良く覚えていたものだ、そんな事を思って俺は手元の木彫の雛を一瞥する。誕生日を、それも名声もない個人のそれを祝うなんて風習は実は歴史的にも文化的にも珍しいものだ。扶桑国でも、現実の日本でも嘗ては元日を迎えると同時に全員が歳を重ねるとして七五三や元服を除いて殊更に誕生日を祝う事はなかった。


 前世の記憶からこの国では軽視されている誕生日を祝うという行いを、しかし俺は弟妹らに対してこっそりと、大した事はしてなくともしていた。それは大概野苺や琵琶といった食べ物で、偶にちょっとした玩具で……。


「そうか。覚えていたのか」


 年齢的な問題もあってあげてばかりで、それでもはしゃいで喜ぶ弟妹らの姿を見たら満足で、何よりも妹が自分の誕生日を覚えていたのが嬉しくて、情けなくも思わず目元が潤んでしまって……。


「……って待てや。これ精々三十文位だよな?もしや普段のヤラカシこれでチャラにしようとしてね?」

「ちっ!」

「やっぱりかよ!?うおっ、冷て!?」

「きゃっ!?」


 しんみりとして感謝しようとして、しかし入鹿の姑息な狙いに気付いた俺が問い質そうとしたら舌打ちが返る。何だったらブルブルと振るわれた狼耳や狼尾に染み込んだ水粒があからさまに俺目掛けて撥ね飛ばされていた。それは完全に水浴びした後の獣が行うそれであった。


「へんっ、だ!!」


 その隙に戸口からせっせと湯船へと遁走する入鹿である。鼻を鳴らして小馬鹿にするように逃げ去る。


「あの糞女め……!!ほれ毬、こいつで拭け」


 中途半端に濡れそぼった俺は仕方なく手拭いを取り出して顔を拭うとそれを毬にも差し出す。そして嘆息する。


「たく、呆れた奴だな」


 そう愚痴って、俺は手元の雛の木彫を再度一瞥する。その内に何故か口元が緩んで来る。あいつと話していると己が背負うありとあらゆる課題や問題が大した事ではないように思えてしまうので困る。実際は鬼月家における立場も、それどころか『人間』としてすら薄氷の上としか言えぬ状況であるのだがな……。


「本当、呆れた奴だ……」


 己が二度目に反芻した言葉は、しかし不本意な事に若干柔らかい声音になっているように感じられたのだった……。

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