第八九話

北土の冬は厳しい。それこそ地域によっては街道が完全に使えなくなり、多くの集落が春まで孤立を余儀なくされる程にである。


 それでも、いやだからこそ商人にとっては商売の狙い目でもあった。全ての集落が冬が来るまでに十分な食料を蓄えられた訳でもなし、豊かな村や街でも物流が途絶している故にそういう時期に訪れた商人は物珍しさもあって歓迎される。


 尤も、機会とは言え流石に大店や豪商は山賊や妖の被害を恐れて二の足を踏む事が多い。故にこのような博打染みた商売を行うのは若手の行商人らに多く、時としてそのような危険を冒した彼らの中には成功者も現れる。


「まぁ、失敗する連中の方が多いんだがな」


 壊された馬車に息絶えた馬、そして雪に残る血痕を一瞥して惨劇の現場を発見した軍団兵は宣った。


 兵一五名に馬十頭、官吏二人に雑人二人が詰める作井駅を基点として、豪雪が積もる街道を馬に乗って粉雪の降り頻る中を巡回していた彼ら三名の軍団兵らはその日の昼頃にその現場を発見した。


「馬鹿な奴が命あっての物種ってのにな。欲の皮が張るからこうなる」

「それにしても酷い有り様だな。……山賊か?」

「いや、馬車の中を見ろ。品物が山盛りで残っている。山賊ならこうはならんよ」


 この冬季に山賊共が街道を襲うとすれば理由は一つしかない。食糧が不足していて、しかし村や駅を襲う程に頭数もないので旅人や商人から強奪する訳だ。大体犯行の隠蔽や時間稼ぎのために目撃者はこの時殺されて雪の中に埋められる。

 

 しかしながら肝心の馬車の荷が手付かずともなれば、その線はほぼ消えよう。つまり、有り得るのは今一つの可能性………。


「糞、化物共か」

「見ろよ。引き摺られた跡がある。この分だと随分と暴れたな」

「山の奥まで続いているな。恐らく其処で……御愁傷様だな」


 雪原に僅かに残る足跡に、肩を竦めて苦笑いを浮かべる軍団兵。妖は残虐で残酷だ。人の恐れに歓喜するし、同じ食事ならば殺して食べるよりも生かしながら食べる方を好む。被害者がどんなおぞましい最期を迎えたか、想像するに易い。


「問題は何れ程の規模かだな。雑魚が数体ならば俺達だけでやれるが。大物なり群れなら援軍が必要だ。あるいは専門家か………」


 そう宣って巡回の長が懐からそれを取り出す。


 紙だった。それも朝廷が軍団や治安機関向けに規格化して正式採用している呪具である。


『色浮見定紙符』……それは現場に残る霊力や妖力の残滓から、そこに誰が、あるいは何がいたのかを調べるある種のリトマス紙である。青い紙切れはその場で霊気を感じれば黄色に、妖気を感じれば黒くなる。あるいはそれが呪いであれば赤くなり、妖気でも対象が強大である程にその変色具合は濃くなる。熊や狼等の野性動物が犯人ならば何らの反応もしない。ほぼほぼあり得ない事例だが神気を感じた場合は紙自体が耐えられずに発火するのだとか。


 保護紙から取り出されたそれをヒラヒラと揺らして長は現場の犯行が何物か、その規模を測る。その間、残る二人は其々刀と槍を携えて周囲を警戒する。


「たく、年末だってのに面倒な事になったな」

「いっそ小物じゃなくて大妖の方が良いな。下手に雑魚だと俺らにお鉢が回りかねねぇ」


 軍団は退魔士家とはある種の同業者であり、潜在的な仮想敵である。同じく扶桑国の治安を預かる立場故にその権限は重複し、時には対立もある。そして退魔士家が反乱予備軍である以上、軍団兵らはいざと言う時には退魔士家を討ち取る役目を負っている。


 故に相手が中妖大妖であれば兎も角、少数の小妖や幼妖であれば退魔士家に借りを作らぬためにも自分達で討伐する事もあった。そして、彼らは専門家でない故にそのような雑魚相手にも油断すれば犠牲を出す事も珍しくない。


 後半月もすれば年の瀬である。都の公家やら豪商やら、あるいは退魔士家のように清酒に御節で何日も祝宴とは行かない。それでも濁酒は振る舞われるし、餅に雑煮にはありつける。十分な御馳走だ。それをこんな所で死ぬのはご免だった。


「全くだ。化物の相手は化物だな。俺達は遠巻きに観戦しているのが一番だ。そうでしょ、火長殿………」


 槍持ちの軍団兵は豪快に笑いながら上司に同意を求める。返事はなかった。叱責すらも。


「ん……?」


 奇妙に思って振り向いて、更に兵士は首を傾げる。此方に背を向ける上官は、ずっと其処に立ちっぱなしだった。無言で。


「火長殿?何かしました………」


 訳が分からぬままに兵は雪原に佇む上官の元に足を進める。そして彼は火長の顔を窺う。


 顔面が半分噛み千切られていた。


「はっ?」


 唖然として、そして兵は足元からたなびく煙に気付いて下方を見た。


 毒々しいまでにドス黒く染まった紙符が燃えていた。


「っ………!!」


 兵は次の瞬間には豹変したように駆け出していた。向かうは己が騎馬。鞍に乗れば直ぐに疾走する。


「お、おい!!?一体どうし………」


 今一人の兵はいきなりその場から逃げ出した同僚の行動に困惑して問い掛けるが、その声は最後まで続かなかった。直後にはそれは悲鳴に変わっていたから。獣のような叫び声、骨が砕けて、肉が裂ける音が背後から鳴り響く。


 逃げ出した兵は振り向く事もなく馬に鞭を振るう。荷物を直ぐに捨てた。槍も捨てた。そんな物ではどうにもならない事を彼は理解していた。


「糞っ!!ありゃあ大妖……違う凶妖!?しかも禍神かよ……!?どうしてそんな……!!?」


 怪物に堕ちた神格に出会すなんて、彼は想定もしていなかった。出来る訳もなかった。ただただ、彼は己の駐屯する駅に向けて馬を走らせる。仲間に事態を伝えに向かう。そして内心で自己弁護する。己が仲間達を見捨てて逃げ出した訳ではないのだと。


 何れ程馬を走らせたか分からない。気づけば彼は其処に辿り着いていた。僅かに安堵するが直ぐに気を引き締める。結界を潜り抜けて、門前を抜ける。


「糞っ!?大変だ!!伍長と五郎が喰われた!!凶妖だ!!禍神が………」


 声を荒げての報告は、しかし途中で途切れる。それは彼が思わず口を止めたためであるが、どちらにしろ意味はなかっただろう。


 誰も、彼の話を聞く者はいなかったのだから。


「あっ?」


 駅の中は壁一面に血痕が飛び散っていた。肉片が散乱していた。地面も床も、不恰好に人の形をした塊が転がっていた。


 頭が半分千切られた兵士が杯を持ったまま椅子の上に座りこんでいた。ある兵士は刀を抜こうとした姿勢で内臓をぶちまけながら床に転がっていた。驚愕の姿勢のままに机の上に置かれた上半身だけの官吏がいて、雑人が駅の出口に向かう姿勢で転がっていた。体の後ろ半分は抉られたようにしてなかった。


 其処は文字通りの地獄だった。死臭満ちる、死屍累々の地獄の底そのものだった。


「あ、うぁ………」


 見知った仲間の惨状に、己の置かれた状況に、彼は思わず呻き声をあげる。


 そして気づく、背後の気配に。己の迎える末路に。


「は、ははは………」


 思わず漏れたのは笑い声だった。恐ろしく不恰好で、震えた笑い声。顔は絶望に歪み切っていた。目を見開き、瞳孔は開ききっていた。


 そして彼はゆっくりと振り向いた。己に待ち受ける運命を見るために。


 それは彼よりも遥かに背が高かった。じっ、と此方を見る人外の一対の目玉が何を考えているのかは皆目見当がつかない。少なくともそれが彼に益となるものではない事だけは確かだった。再び男は笑う。泣き笑いする。そして……半ば現実逃避するように呟く。


「ははは、嘘だろう?冗談は止してくれよ?」


 己に迫り来る乱雑に生え揃った無数の牙、それが彼の人生における最後の記憶であった………。


 






ーーーーーーーーーーーーーーー

 清麗帝の御世の一三年師走の上旬、鬼月家に隣接する花鳥院家からの伝令を受けて、なまはげ監視のための監視団が鬼月家の屋敷から出立した。


 退魔士三名、下人七名を中核として総勢二十名余りに及ぶ大所帯であり、それはこれ迄同任務に関して鬼月家が派遣して来た戦力と比して、数だけで言えば二倍から三倍近い人員に達していた。


(尤も、数が多いのも手放しには喜べねぇんだよなぁ)


 ひらひらと粉雪が降りしきる曇天の空の下、黒馬に騎乗して隊列の先頭を進む俺は、背後をちらりと振り返るとその隊列を見て嘆息する。


 人数が多いのは心強くても、その管理と世話は煩雑になる。単純に考えて人数が二倍三倍となれば飯だけでもその分用意せねばならない。寝間着や薪、薬、その他の消耗品も必要で、途上で宿に宿泊するために金もいる。予算は多めに貰ってはいるが………。


「そう考えると『迷い家』は助かるよなぁ」


 俺は隊列の丁度中頃を進む牛車に視線を向けると独り言を呟いた。物資の輸送には本来多くの牛馬に車、そして人足が必要で、それらもまた養う必要がある以上、大規模かつ長期間の行軍は指数関数的に求められる物資量も増大し、事故や横流しによる喪失分すら勘定せねばならない。


 北土の旧家退魔士家が有する『迷い家』はその問題と費用を解決してくれる重要な装備だ。内部空間を数十倍に拡張する故に、長期間の移動においては『迷い家』は動く倉庫、補給基地となり得た。


 尤も、『迷い家』自体が元は人道に背く禁術の類いであるので、少なくとも公式には新規の生産はなくどれもこれもが誕生後数百年という代物ばかり、減る事はあっても増える事はない。………まぁ、設定集に記述されていたあの作り方を思えばねぇ。


「………」

「どうしたんだ?えぇ?余所見なんざしてよぉ?」


 暫し脳裏に過った設定を思い返して黄昏ていると傍らからそんな指摘。左下方に視線を向ければ其処に人影が映りこみ、目があった。ニヤリ、と不敵な笑みを向けられる。


 俺含めた多くの下人同様の僧兵を思わせる意匠の黒衣を着こんだ、しかし面は半ばまでしか着けず、刃先を布地で繰るんだ鉞を肩に乗せて悠然と歩む半妖の女の姿………。


「入鹿か。……いや何、先々の事を考えていただけさ」

「お守り相手が多くて面倒臭い、か?」

「自分の事か?」

「辛辣だな、おい」

 

 入鹿の質問に俺は限りなく本気の冗談で答える。実際、お前も厄介者枠だろうが。


(いや、まぁ………それでも自衛出来るだけマシなんだろうがな)


『迷い家』の内にいる連中や随行する人足等の事を考えて、俺は嘆息する。世の中思い通りには行かぬというが………仕方あるまい。人生とは配られた札で勝負するしかないものなのだから。

 

「………不景気な面だな。出発して直ぐ溜め息なんざしてくれんじゃねぇよ」

「お前さん、説得はしてくれなかったのか?」

「したさ。あいつが頑固なだけさ」

「しかし………」


 そのまま話を続けようとして、しかし俺が言葉を切ったのは近付くその気配を受けてのものだった。ちらりと背後を振り返る。


「下人衆允、まさかと思うが行軍中にお喋りでありますかな?」

「……まさか、今後の予定について話しておりました次第です」


 栗毛馬に騎乗した隠行衆の尋問に近い問い掛けに俺はさらりと答える。尤も、布地の隙間から見える視線は尚も此方を訝るようであったが。


 表向きの理由としては前回のなまはげ監視の任を受け持った経験から補佐役の一人として派遣されている隠行衆第四席である無邪は、しかしその真の目的が俺や入鹿の監視任務である事は明白だった。


 理由?原作シナリオでもこいつ主人公様の監視任務に就いてるんだよ。何ならノベル版でその手の監査に積極的に充てられている事が記述されている程だ。状況的にも設定的にも真っ黒黒助である。


(確か原作では呆気なく殺されているだったか?)


 主人公の監視をしていて、油断してなまはげに惨殺される噛ませであるが、残念ながら初見殺しに奇襲、卑劣戦法上等この世界においてはそんな描写如きでは真の強さを把握出来ない。


 左大臣に皆殺しにされる陰陽寮の精鋭組然り、デブ衛門然り、この作品の味方も敵も外伝やら設定集やらで印象の変わる人物は山程いる。描写的に雑魚と思っていたら普通に実力上位陣だったりするので笑えない。


 今回目付役の隠行衆もその例に漏れない。原作のなまはげは凶妖だからどうしようもないが外伝では中妖程度ならば単独で始末して見せてるし、卑劣な搦め手を使えば下級の家の出とは言え勘当された退魔士崩れを取り巻きの山賊共ごと暗殺して見せている程である。俺だって、油断したら何時寝首を掻かれるかわからなかった。


(お守りをしながら自分の首も心配しないと行けないとは、少々ハード過ぎないかね?)


 コンティニューもリスタートも出来ぬというのに………ルナティックでないだけマシ?さいですか。一瞬納得しそうになったのがガチで笑えんな。


「そうであれば宜しいが………此度の任、代々朝廷より命じられている鬼月の大切な奉公でありますれば、補佐役とは言え気を引き締めて役目に励まれますように」

  

 つまりは、「また勝手に動くんじゃねぇぞ」という事か。いやはや、日本語……いや、扶桑国語は隠喩に婉曲表現が多くて嫌だね。


「………肝に銘じさせて頂きましょう」


 俺は機械的に淡々と答える。隠行衆は暫し俺を見て、次いで傍らを歩く入鹿も一瞥する。そして手近に「失礼」と口にすると隊列を監督するように手綱を引いて馬の向きを変えて走らせる。それを俺は冷めた目で見つめていた。


(全く、やりにくいな………)


 お目付け役の目を盗みながら彼是動く必要があるというのは厄介だった。いや、お目付け役がいるだけならばまだマシなのだ。問題は目配りといざという時に尻拭いの必要がある輩が多い事で………。


「全く、本当に頑固な奴だよな………」


 牛車に再度視線を移して俺はぼやく。ある意味、あのやんちゃで気の荒い妹らしいと言えばらしいのかも知れない。本質面で昔と変わらない事を、さて喜べば良いのか嘆けば良いのか………更に言えばゴリラ様や若造りババアの気紛れや打算で捩じ込まれた面子の事も考えると溜め息が出そうだ。


(………これは、いざって時には腹を括らねぇとな)


 シナリオ的に悲惨ではある。あるが………対策さえしておけば回避は不可能ではないし、そもそもこの案件の肝は直接的な生き死にと言うよりも、主人公様を……そしてプレイヤー達を……曇らせるためにあるイベントだ。その面ではあいつらの生存の目処は十分にある。他のイベントに比べればかなりマシな位だろう。


 何にせよ、既に決まった事は変えられないのだ。精々、やれるだけはやってやるさ………俺は改めてそれを決意して前を見定め『グゥー』………。


「………」

「ん?あぁ、覚悟決めてる所で悪りぃんだけどさ。小腹減って来たんだけど何か食うもんねぇか?」

「知るかボケ」


 取り敢えず、人の緊張感と決め所を腹の音で台無しにしてくれた狼女に、俺はそう罵倒していた………。

 





 



ーーーーーーーーーーー

 さて、締まらない門出ではあったが、それはそれとして隊列は豪雪の中でも予定通りの道程を辿っていた。


 途上で幼妖・小妖と幾度か遭遇したがそれらは俺達下人衆が仕留めた。任のために退魔士が移動する際、その本命のために彼らは霊力を温存する必要がある。退魔士が出張るまでもない道中の雑魚共を駆除するのは下人衆の仕事だ。


 いやまぁ、原作シナリオでは付き添いの護衛が少なかった事もあって雑魚共相手に主人公様が実戦訓練をしていたのだが………この際は仕方無い。一度勧めては見たが傍らにいた死亡フラグちゃんが反対した。秩序と決まりを破るな、という事らしい。そう言われてしまえば下人である俺も退魔士としては素人の環も反論は出来ない。………何か此処暫く気が立っているようにも思えるのは考え過ぎであろうか?


 そんなトラブルもあったが先程言った通りに移動自体は大きな問題はなく、隊列がなまはげが通り抜けると想定される稗田郡に進出したのは当初予定していたのと同じ師走の十日の事であった。


「………にしても、しけた街だな」


 舌打ちしながらそう評したのは入鹿であり、彼女にそう評されたのは先程足を踏み入れたばかりの稗田郡の郡都に対してである。それは不躾な台詞ではあったが、同時に的を射た台詞でもあった。


 人口は二千人程度、低級な霊脈の上に立つ街は道中の村々同様に明らかに活気がなかった。先ずそもそも街の大通りを通る人も馬も牛も少なかった。そして通りに面した商店の品揃えもまた貧相だった。まぁ、そう思うのは品物に溢れた鬼月谷や白奥、都の市場を見た経験のある俺の目が肥え過ぎただけかも知れないが……。

 

 比較的霊脈が少なく、その規模や質も御世辞にも宜しいとは言えない稗田郡は、それ故に鬼月家が管轄を命じられている地域においては二番目に貧しく、それに比して土地は無駄に広大だ。


 それは朝廷の行政管理が理由である。扶桑国がその領域を広げていき、その国土を土邦郡に再編する際、朝廷は各邦・各郡が反乱を起こしにくいようにその国力を出来るだけ等分化した。豊かな土地は細分化し、貧しい土地は一纏めにして石高を水増しにしたのだ。税収の徴収をしやすくして、中抜きを防ぐ目的もあったらしい。


 尤も、それは逆効果で貧しい地方はその土地の広さから国道の管理運営が重荷になり、また石高に比して官吏を多く必要とするか一人当たりの担当する土地を広げる必要がありその監督能力は著しく低下した。一方で豊かな邦や郡は細分化された事でその逆の現象が生じる事となる。


 百年前の玉楼帝や先代の帝である陽穣帝等、幾人かの名君がこの点に関して改革を行おうとはしていたがそれらの多くは保守派の抵抗で中途半端に終わるか、既得特権の反発で骨抜きにされるか、あるいは帝の急死病死によって道半ばで頓挫していた。理由は言うまでもない。二次創作でこの世界の皇族に憑依や転生したらNAISEIチートで頭角現す前に急いで信頼出来るボディガード作れって、それ一番言われているから。


(まぁ、上から目線で貧しいって言える立場でもないけどな)


 俺の地元の方がずっと貧しかった事を思えばこの寂れ具合でもまだまだマシであった。腐っても郡都だもんね。霊脈の上だもんね。………今更ながら俺の故郷って環境糞過ぎない?


「さて、と。進むぞ。郡司殿に挨拶に向かわないとならないからな」


 正確には挨拶するのは俺じゃないけど。


 隊列はそう時間も掛からずに郡の中心地に辿り着く。郡の役所にて主人公様達が面倒臭そうに政務をしていた郡司と面会するのにはそれから半刻も要しなかった。


「あぁ。そうですか。もうそんな時節に………」


 応接室を兼ねた執務室にて、余りやる気の無さそうな郡司殿が思い出したようにそう答えた。


「ええっと、少しお待ちを……あぁ。これですね」


 眼前に並ぶように座る若い退魔士三人を一度ちらりと面倒そうに覗き見て、次いでそのまま背後の棚を探る。暫ししてその巻物を見つけると棚から引き抜き、止め紐を解いて机の上にて広げる。


「………ほう、なまはげの監視ですか。いやはや、遠路遥々御苦労な事ですねぇ」


 無言で巻物に記述された内容を読み取り、しかし再び開かれた口で郡司殿が口にしたのはまるで他人事のようなぼやきであった。その態度に参列していた環は怪訝な表情を浮かべる。


「御苦労って……郡司様、そんな呑気に仰らないで下さい!朝廷から命じられた大事な任務なんですよ!?そんな軽い物言いは……」


 初任務で気負っていた事もあるのだろう、郡司の適当な物言いは環にとってかなり衝撃的だったらしい。


 ………尤も、原作の流れから俺はこのやり取りを半ば予測出来ていたがな。


「そうは言いましてもねぇ。私もここに左遷されたのが去年の夏の事でして。引き継ぎも簡単に済ませてしまったものですし……」


 環の糾弾に、しかし郡司は尚も面倒臭そうな態度で愚痴る。北土の、それも貧しい郡の司なぞ上級役人からすれば完全に左遷先であろう。郡司の態度は明らかに今の仕事に対する熱意も責任もなかった。適当に今の部署をやり過ごして給料を貰い、次の人事異動の機会を待っているだけに見えた。


「っ………!!?」


 その返答に環は再び唖然として、絶句する。勅命であり、同時に人命も掛かっている神聖な任務をここまで軽んじている事に環は理解が及ばなかった。


「え、ええっと………?」


 一方でこの任に選ばれてからここに来るまでの道中、ずっと周囲に先輩面を吹かせていた赤穂家の娘は完全に混乱して、困惑していた。いざ現地に着いてからのこの流れを読めなかったらしい。何をするべきか分からずただただ戸惑い、あたふたとする。


「………」


 そんな郡司や環達を横目に見る白若丸は憮然として、詰まらぬ態度をして沈黙するだけであった。完全に冷めた表情で無関心を装う。あるいは僅かに冷笑と侮蔑の感情も垣間見れた。


「……失礼。此度の任に際して郡より支給される予定の物資について、問題は御座いませんでしょうか?」


 さて、このままでは埒が明かないので三人の背後にて隠行衆と共に護衛兼補佐として控えていた俺は横から会話に入り込む。この際郡司殿の意識はどうでも良かった。問題はより即物的なものであった。


 郡内の村人を避難させるのだ。それも真冬の豪雪降りしきる北土の、である。人は霞を食べては生きて行けないし、真冬に着のみ着で放り出すなぞ殺人に他ならない。故に避難させる村人らの衣食住の保障は不可欠だった。


「それは………少し待て。避難予定の村は確か……」

「鬼月家における過去の記録によれば八から十村前後、人数は最大で二千名程となります」

 

 動揺して過去の帳簿を開いて確認しようとする前に、俺が先に宣言する。どの道、郡側の記録は当てに出来なかった。


「なまはげの移動速度にもよりますが二千名に対して一日二食、最大で三日程避難をさせる予定となりますので一万二千食の食糧が求められます。暖を取るための薪や天幕も必要でしょう」


 当然ながら馬鹿みたいな出費である。そしてそれらを直ぐに用意する事は出来まい。先程までなまはげの存在すら把握してなかった郡司殿ならば尚更だ。


 ………それが原作における悲惨な結末の一因となる。


(結構、このイベントは人災だからなぁ)


 脳裏に過るのは原作のシナリオ、初任務にして散々の成果、故郷を失った主人公がいきなりその決意を果たせずに絶望に顔を歪ませる光景………何が酷いってシナリオ内で選べる選択肢で最善手を選んでその惨状だって事なんだよなぁ。


「それは………いや、待て。下人が何口を挟んでいるのだ!?貴様、分を弁えたらどうなのだ!!?」


 郡司殿は俺の問い掛けに返答に窮して、しかし話題を逸らすようにそんな事を指摘する。悪いがその手には乗らんよ。


「郡司殿、その前に先程の問いへの明確な返答を願いたい。今現在、郡司殿の発令で避難に際して必要な物資は用意可能なのでしょうか?」

「ぐっ………」


 傍らの隠行衆の反応を窺いながらの俺の再度問い掛け、それに反応するように主人公様達の視線も郡司を射抜く。当然ながら郡司は目を逸らすだけではっきりと答えられない。答えられる訳もない。今この瞬間に聞いたばかりなのにそれに応じた物資を事前に用意している筈もない。


「………もし、即座に勅命に応えるだけの物資を備蓄出来ておられぬのでしたら、今からでも徴発を開始するべきでありましょう。軍団兵の動員も必要と存じ上げます」

「それは、だが………」


 郡司は俺の提案に対してはっきりと答えない。軍団兵の動員を面倒と思っているのだろう。しかしながら此方も引く事は出来ない。原作は無論、今回派遣された人員ですら千人単位の村人の避難の監督と統制は難しい。


「下人、余りでしゃばるのはお止めなさい。郡司殿に失礼ですよ」

「………はっ」


 俺の行動に、紫は咎めるように視線を向ける。俺はその反応に内心で舌打ちしつつも恭しく応じた。その様子を見て郡司はほっとしたような表情を浮かべるが………そうは問屋が卸さない。  


「ですが、確かに一理ある発言ではありましたね。もし宜しければ蔵を見せて頂けませんでしょうか?実際、必要分の物資があるのか確認をしなければ………」


 紫のその何気ない台詞に、郡司は今度こそ顔を引きつらせていた………。




    



ーーーーーーーーーーーーーー

『闇夜の蛍』初期クエストの一つである「なまはげ監視任務」はその本来の難易度の低さに比して、度重なる怠慢と失態、そして想定外から悲惨な最後を迎える任務であった。


 定期的にほぼ同じ進路を巡回するなまはげの監視と避難、過去二百年間特に被害もなく続けられたその任務はそれに関わる全ての者達の意識を油断させた。


 仕事のやる気のない郡司は直前までなまはげの存在すら知らなかったし、村民の避難計画すら画に描いた餅の状態であった。飢饉や避難用に蓄えられるべき食糧はしかし、郡都の蔵にはなかった。


 何が酷いかと言えばその大部分について郡司殿は関係のない事である。食糧を横流しや着服していたのは郡司の前任者を筆頭に年貢を徴収する代官、輸送を受け持つ人夫、街に駐屯する軍団兵士、その他諸々……食糧以外の物資もいつの間にか転売されていた。


 堕落していたのは朝廷の連中だけではない。なまはげを監視していた他家の退魔士共も、糞適当な監視のためになまはげの不可解な動きに全く気付いていなかった。ましてや村人に至っては………二百年も大きな問題なくルーチンワークしていた弊害でもあるが、まさかの関係者全員現場猫案件とはたまげたなぁ。……どうして?


 尚、選択肢によっては主人公すらうっかり現場猫しでかして多くの村人を犠牲にする事になる。何なら現場猫しなくても多くの村人が犠牲になる。素敵ですね。


(どちらにしろ、原作だと退魔士や朝廷に不審を抱いてダース・タマキに堕ちる布石だったからなぁ。回避出来るならば回避した方が良いのは間違いないからな)


 俺は昼間の郡司との面会を思い出して一応安堵する。原作シナリオでは土壇場になって物資がない事が発覚してあたふたと大騒ぎになっていた所を、今回は早期に発覚した。


 すっからかんの蔵を前にすれば流石に言い訳のしようもない。郡司は急いで軍団兵の動員と物資の用意を約束した。約束せざるを得なかった。さてさて、期限内に最低限必要な物資が集まると良いのだが………。


「よし、そろそろ就寝とするぞ。夜番は交替で当たれ。………この辺りの警備は笊だ、信頼するなよ?」


 物思いに耽り天を見上げ、既に月が高く昇っている事に気づいた俺は長屋に顔を覗かせて宿泊する部下達にそう命じる。こんな田舎の軍団兵のやる気に期待するのは止めておく。盗人くらいは警戒せねばなるまい。


 郡司との面会の後にこの郡都に泊まる事になった俺達は貸し出された長屋に屯していた。お役所に近い場所に設けられたその長屋は郡都に来るお客人の配下の者達に宛てがう用途に建てられたものである事は間違いない。壁は薄いしボロいしで糞みたいな住み心地であるがね。


 序でに言えば主人公様達は郡司以下から馳走を振る舞われて持て成されている頃合いであろう。そちらには入鹿と隠行衆が護衛についている。


「さて、と。俺も見回りに行くか」


 流石に槍は大仰過ぎるので腰に短刀、懐に手車を仕込んで俺は先に長屋と役所周辺を見て回る。ははは、やっぱり警備の奴らバックレてやがる。   


 武士団、退魔士家と共にこの扶桑国の武力の三本柱であり、国軍の数的主力である軍団兵の質はピンキリだ。


 主に徴兵した平民が主体の彼らは唯人で、時代の変遷によって微妙に制度は変わるが、今現在は主に土地を継げない食いっぱぐれの農家の次男三男をその中核として編成された常備軍だ。


 邦単位で徴収される彼らの練度と装備は制度上は兎も角、その実態はバラバラで、豊かな邦や都や白奥を初めとした重要拠点に配備される軍団兵は規律や士気も高く、装備も火砲や鎧兜と充実しているが、一方でこの稗田郡のような貧しい地域では兵の練度や士気が低いのは当然として部隊の定数割れや装備の横流しも珍しくない。給与の中抜きや書類上にしか存在しない幽霊兵士も茶飯事だ。だからこうやって持ち場を勝手に離れる奴らも出る。


 因みにルートによっては主人公や一部ヒロインが愚連隊な彼らにヤラれるルートもあって、薄い本では特に凌辱物で竿役の一角を立派に務めていた。………立派って何だよ。


「たく、いい加減な仕事を……ん?」


 呆れたように俺がぼやこうとした刹那、その囁くような声に俺は気がつく。


「離しなさい!」


 そして、直後に聞き慣れた声音から叫ばれるその拒絶の言葉に俺は駆け出していた。嫌な予感と共に。

 

 その現場には直ぐに辿り着いた。役場の裏手の厩の敷地、そこに出来た小さな人だかり………それを構成しているのが主に軍団兵である事、その人だかりの中心部に閉じ籠められるようにして囚われている相手を一瞥すると、俺は思わず頭に血が上る。目を見開く。驚愕する。


 そして、彼女の手首が兵士の一人に掴まれた瞬間、俺は咄嗟に霊力を放ちながら其処に向けて疾走していて…………。





ーーーーーーーーーーーーー

 一言言えば、それは彼女の見通しが甘かったという事であった。


 己の意思で友人でもある主君と奴婢に付いていった彼女は、鈴音は、しかしやはり世間知らずと言わざるを得なかった。


 ある意味で仕方無い事ではあった。彼女の幼い頃に住まう開拓村は全員が顔見知りである程に小さく、そして奉公先の屋敷はこの世界の基準に則れば住民は善人ばかりと言える環境であったのだから。用心棒として雇われている荒くれ者達とて、筋の通った任侠であって、決して悪人ではなかった。


 だからこそであろう。碌に警備の仕事もせずに遊び呆けていた兵士達が、偶然に通りがかって来た彼女らにちょっかいを掛け、それに対して鈴音が強い口調で詰ったのは。それが郷ではよくあった事だから。


 残念ながら彼らは郷の呑んだくれ共よりも遥かに下劣であった。


「ぎゃあぎゃあと調子に乗るんじゃねぇぞ。小娘の癖してよ!」


 既にかなり酒を飲んでいて気が大きくなっていた事、相手が所詮は女中に過ぎぬ事、そして自分達が数が多かった事が重なって、それは起きた。鈴音達を取り囲んで脅して、それにたじろいだ鈴音が、しかし怯えるより先に強い口調で彼らを更に辛辣に非難した事が火に油を注いだ。


「女中風情がお高く止まりやがって!」

「やっちまえ!!」

「えっ!?ちょっ……止めなさ………!!?」

 

 鼻持ちならない女中に対して兵士達が誰が先とも言わず叫ぶ。そしてそのまま狼狽する華奢な彼女らの手足を取り押さえようと腕を伸ばし、そして………。


「皆様、ふざけるのはその辺りでお止め頂きたい」

「あっ……?うお、おっ!!?」


 嫌がる鈴音の白くて華奢な手首を強く掴み上げた兵士は、直後に肩を掴まれて驚き、咄嗟に振り返る。そして、思わず動揺する。


 月明かりと篝火しか光源のない中で、闇夜から浮き出るようにして現れた黒装束に目と鼻の先で直視する事になった般若面はその兵士を驚愕させるのに十分過ぎた。


「だ、誰だてめぇ!!?」


 肩を掴まれた兵士が思わず叫び、周囲の仲間達も同じく身構える。同じく動揺した鈴音は、闖入者が何者なのかを理解すると兵士達よりも僅かに冷静になる。


「えっ………?」


 そして気付く。面の隙間から彼が己を見ている事を。優しく此方を見つめている事を。その瞳に、少女は何処か既視感に囚われるが………しかし、鈴音が口を開く前に彼の口上は続く。


「畏れ多くも、彼女らは朝廷より授けられた此度の任の同行者。これ以上の狼藉は許されませぬ。どうぞお引き取り下さいませ」


 淡々と、感情の起伏のない機械的な口調で下人は警告する。事を大きくせぬように兵士達に要請する。尤も、そんな思慮があればそもそも彼らはこんな騒動を起こす事なかった。


「だ、誰だてめぇ!!?」

「鬼月家にお仕えしております下人衆の允職、伴部と申します」

「下人だぁ!?」

 

 狼狽する軍団兵に向けて下人が説明すれば、同時に兵士らに浮かぶのは蔑みの視線だ。


 元より中途半端な霊力持ちは妖を引き寄せるだけの厄介者で、ド田舎では発覚次第間引きされる事も珍しくない。そして下人の供給源としてはそんな厄介者の霊力持ちが人身売買される場合が多い。農民出身の多い彼ら軍団兵にとって、下人とは疎むべき下賤な存在そのものであった。


「何か問題でも?」

「大有りだ!穢らわしい下人如きが汚い手で触れやがっ……痛たたっ!!?」


 嘲りの罵倒を口にしようとした直後、軍団兵は肩を握られた力が強まった事に気付き、同時に悲鳴をあげる。余りの激痛に思わず鈴音の手首を掴んでいた手を離してその場に蹲る。


「野郎っ!!ふざけ……ぐふっ!?」


 側にいた別の兵士が殴りかかろうとしたのを顎を殴打されて昏倒する。それに呼応して背後から襲いかかろうとした兵士は足払いを食らって倒れた。


「ち、調子に乗るな……!あぎっ!!?」


 最初に蹲った兵士が立ち上がって腰の刀を引き抜くとそれを振り上げる。刃傷沙汰になる暴挙に幾人かの兵士が慌てて止めようとするがもう遅い。そのまま振り下ろされた刀は黒装束の男の面を叩き割らんと迫り……次の瞬間には刀が折り曲げられる。


「へっ!?」


 思わず唖然とする軍団兵。鋼鐵製の脛当てで回し蹴り、霊力で身体強化した上での角度を計算しての一撃は刀を飴細工のように折り曲げたのだった。眼前の人外染みた行いに軍団兵らは怖じけづく。


 退魔士達からは一山幾らの雑用であり、妖共相手には雑魚でしかない下人も、霊力持ちである事に変わりはなかった。十分に鍛え、装備も揃えた下人の実力は唯人の兵士相手ならば数人纏めて相手するのに十分であったのだ。更に言えば、軍団兵らは下人という存在を知ってはいてもその真価までは誰も理解していなかったので驚きは一入であった。


「刃傷沙汰になります。武器を抜くのはどうかと」

「あ、う………」


 下人の申し出に、軍団兵らは言葉も出せずに間抜けに口をパクパクさせる。その態度に下人は呆れるように目を細めた。少なくとも、鈴音はそう反応したように見えた。


「ここでお引き下されば、悪酔いしただけと考えて見逃しましょう。これ以上続けるのであれば、此方とて相応の対応をせねばなりません。如何に?」


 下人の言葉を聞いて、軍団兵らは顔を青くして互いを見合う。眼前の出来事に今更ながら自分達のこれまでした行いがどういう意味を持つのかを理解したらしい。


「如何に?」


 先程よりも更に強い問い掛けが決め手だった。軍団兵達は慌ててその場から退散する。その姿はいっそ滑稽ですらあった。その背中を一瞥した後、下人は鈴音達の方向に足を向ける。


「え、あ………」

「伴部さんっ!!」


 鈴音が口を開く前に、彼女の傍らから小さな白い影が泣き声を上げながら通り抜ける。そして黒装束の男は飛び掛かるその影を受け止める。


「こ、怖かったです……!!」

「あぁ、分かるぞ。大丈夫だ、お灸は据えておいたからな、もう安心だ」

 

 白い狐の尻尾に狐の耳を生やした、白丁着の少女が彼に抱き付いて、彼はそんな少女の頭を撫でてあやす。その様子は二人の関係が決して浅くない事を示唆していた。………鈴音の心の内に僅かな不快感が芽生える。


「………鈴音殿も御無事でしょうか?見回りをしていた所に出会えて幸いでした」


 そして鈴音の視線に気付いたのだろう、下人は面を被った顔を上げて宣った。


「………はい。問題ありません。助かりました」


 鈴音は淡々と下人の言葉に答えた。先程の不快感も、あるが、どの道彼女にとって目の前の男は敵とは言えないまでも完全には信頼出来なかったから。


 顔を隠しているのは仕方無いとしても、自分達が鬼月家に預りとなった郷の騒動への関わり、そして主人に対して己を此度の任から外す事を進言していた事を鈴音は知っていた。どうしても身構えて警戒してしまうのは当然の反応であった。………決して、目の前の白狐の少女と仲良くしているためではない。


「私も助かりました。本当に有り難う御座います」

 

 鈴音の傍らでほっとした口調で謝意を示すのは、彼女よりも幾分か年上の女中であった。此度の任に際して先輩風を吹かして音頭を取る赤穂家の少女退魔士に同行していた女中で、名は陽菜と言った。


「いえ。感謝の必要は、しかし………」

「どうか致しましたか?」

「一緒にいる顔ぶれが珍しく思えましたもので」


 陽菜が首を傾げれば、下人は疑問を口にする。


「それは……」

「あ、その………白若丸様方が接待をお受けしていますので、私達は外で控えていたんです。それに、元々牛車の中で面識はありましたので………」


 鈴音が口を開く前に、白狐の半妖が下人に説明をする。女中は下人程に卑しくないが、それでも決して常に主人の側に侍る事を許される訳ではない。一応女中らのために既に寝屋は整えられていたが、彼女らは主人達が歓待を終えるのを待って控えていたようであった。


「成る程、そういう事か。………全く、入鹿の奴何してやがる?こういう時こそあいつの仕事だろうに」

「おいおい、無茶言ってくれるなよ」


 下人の問い掛けに即答するように放たれる背後からの声。その意味を察して、下人は溜め息を吐く。そして声の方向に顔を向ける。


「遅いし、今更伸しても意味ないぞ?」


 下人がそう声をかけたのは張り倒されて、気絶させられた軍団兵達を引き摺る狼女の姿である。


「勘弁してくれよ。こちとら護衛として役場ん中にいたんだぜ?必死に旨そうな匂い我慢してたのを、この騒動だ。小便って言い訳して慌てて抜けて来たんだからな?」


 苦笑いしながら自己弁護する入鹿。面を半分しか被っていないためにその苦笑いした表情ははっきりと見て分かる。


「それで?こいつら、どうする?ぶっ殺すのか?」


 そして入鹿は伸ばして引き摺った兵士達を一瞥して、ニヤリと不敵に笑いながら允職に尋ねる。まるで相手を試すように。


「馬鹿を言うな。外に寝かせておけ。質の悪い酒で悪酔いしたんだろうさ」

「そういう事にしておく訳か」

「そういう事だな」


 互いに呆れたように肩を竦ませる下人二人。その仲の良さげな様子に鈴音は再び機嫌が悪くなった。


「………白、鈴音達から離れるなよ。鈴音殿、そろそろ此処から離れた方が良いでしょう。入鹿から環様方に話を通します。これ以上騒ぎを引き起こすのは宜しくないでしょう?」


 そんな鈴音の心情を知ってか知らずか、允職はそう申し出る。


「そう、ですね。流石にあの狼藉様は………目付きや態度が宜しくないとは感じましたが、まさか彼処まで風紀が悪いとは思いませんでした」


 答えたのは陽菜であった。彼女も主人達の任に同行する事はあるが、赤穂家の拠点とする西土は豊かな邦が多く、比較的軍団兵や官吏らの規律も整っている土地柄だ。故にまさかこのような目に出会すとは思ってなかったらしい。女中の表情は不安と焦燥に満ちていた。

 

 鈴音もまた二人の言に賛同した。先程はつい強い言葉で兵士共を罵ってしまったが今思えば迂闊であった。無論、下手に出た所で無事に済んだのかは分からないのだが………。


「と、伴部さん………」

「悪いな。急ぎじゃないのなら、今は話を聞いてやれないんだ。許してくれ」


 不安げに側に来る半妖の少女を允職は嗜めて、宥める。


「い、いえ……すみません。伴部さんも、どうぞお気をつけてくださいね?」

「あぁ、気を付けておくよ」


 恐縮しながら白が言えば、允職は苦笑しながらそれに答える。そして互いに視線を交えて、小さく頷き合う。其処には深い信頼関係が見て取れた。


「…………」


 鈴音は無言でその様子を見つめる。見つめて、湧き出る何とも言えぬ感情に困惑する。そうしている内に半妖の少女は此方に向かってとてとてと戻ってくる。


「では、お頼み致します」

「はい。白ちゃん、鈴音さん、行きましょう?」

「っ……!?は、はい」


 三人の中で一番年上の赤穂家女中に呼び掛けられて、慌てて鈴音は答える。そしてこの場から退散する。


「………」


 去り際に今一度後ろを振り返る。入鹿と允職が何やら話をしていた。


 その光景に鈴音は奥歯を噛み締めると、しかし次の瞬間には未練を振り払うようにして前に向き直っていた…………。






ーーーーーーーーーーーーーー

「じゃあ、入鹿。お前さんはそいつらを放り捨てた後に持ち場に戻れ。………念のために言っておくが向こうで騒ぎは起こすなよ?」

「へいへい。分かってるっての」


 俺の指摘に生返事をする入鹿。こいつ、本当に大丈夫なのか………?


「全く、信用が出来な………っ!?」


 入鹿の態度に詰ろうとした俺は直後にその気配に感付く。それは入鹿も同じで、頭から生える狼耳が動き、顔をしかめさせる。


「おい、下人。こりゃあ………」

「あぁ、分かってる。………目的は俺だ。お前さんはさっさと持ち場に戻れ」


 警告しようとする入鹿に、俺はそう言い捨てる。旅は道連れ世は情けとは言うが、態態関係ない奴まで厄介事に付き合わせるつもりはなかった。


「………分かった。俺は御暇するぜ。お前も大変だな?」


 何とも言えない苦笑いを浮かべて、入鹿はさっさとその場から引き下がる。そして俺もまた周囲を確認したあとに………腰元の短刀を引き抜いて背後の鬼へと切りつけにかかる。


「おっと。相変わらず危ないねぇ?」


 ………まぁ、当然のように参上してきた碧鬼に白刃取りされるんですけどね?ちぃ、さっさと離せ!この馬鹿力め………!!


「存在自体が危険なてめぇに言われたくはねぇよ。何の用だ?また面倒事を伝えに来たのか?」

「嫌だなぁ。その物言いは心外だぜ?寧ろ俺はお前さんの大切な相棒?じゃねぇかよ。この前の一件だって俺が警告や手助けしてやったじゃないか?」


 飄々とそんな事を宣いながら酒瓶をラッパ飲みする碧鬼。飲んだ後に「安酒だな」等と偉そうに評する。多分郡の役場からくすねて来たものなのだろう。今更驚くには値しない。


「用件があるなら早く言え。無いなら失せろ。こんな人目につく場所に何時までも居られたら困るんだよ」


 いや、本当に困る。お前さんの討伐クエストでも発生して見ろよ。俺も主人公様も全滅しかねん。いや、多分する。


「けけけ、用件ね。いやぁ、どうしようかなぁ?」

「勿体ぶりやがって」

「そうイライラするなよ。折角さっきの行動で気分が乗って来たんだぜ?いやはや、英雄様らしい振る舞いは見ていて興奮するねぇ」


 そんな事を口にする碧鬼はいつの間にか俺の正面から背後に回っていた。背後に回って俺の肩に顎を乗せて来る。吐き気がする程の酒精の匂いに俺は顔をしかめ、裏拳を顔面に叩き込むが……当然のように避けられるわな。圧倒的な実力差にはうんざりさせられる。


「ちっ、誰か来やがったな」


 そして、そうこうしている内に遠くから早馬の足音が響き渡る。何処からか郡都に知らせが来たらしい。


「おうおう、意外と早いお着きな事だ。こりゃあ俺が出張る必要もなかったな。まぁ、精々頭回して頑張りたまえよ、俺の英雄様よ?」

「何………?」


 鬼の妙な物言いに俺は振り向くが、その時にはその姿は煙のように消えていた。ただ、鼻を擽る酒の匂いの残滓だけが奴が其処にいた事を示していた。


 直後、全力疾走で役場の門を潜り抜ける騎馬に俺の視線は向かう。騎乗する伝令が息も絶え絶えに報告の叫び声をあげる。


「色麻駅より郡司に急ぎ報告申し上げる!昨日明朝、巡回の兵が付近の猪戸村が壊滅している所を発見、生存者は発見出来ず!調紙の検査により、妖による被害と断定!至急来援を求むとの事です!!」


 郡役場全体に響き渡る宣言に、役場にいた役人共は皆窓を開け、戸を開けて伝令を見やる。その中には郡司と接待を受けていた主人公様達もいた。内容を理解して、役場は次第にざわつき始める。そして、俺もまた………。


「………おい、マジかよ」


 猪戸村、その地名に俺は覚えがあった。原作シナリオにおける「なまはげ監視任務」にて、一時避難の対象になっていた場所である。つまりは………。


「おいおい、幾ら何でもいきなりそれはねぇだろ?」


 明らかに原作とはズレた事態、それは本来バタフライ・エフェクトの影響を受けにくい筈のこのイベントが、既に規定の路線から逸脱している事を意味していた………。

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