第八八話

扶桑国が、その建国の理念としてある種の人間至上主義を掲げ、魑魅魍魎に神霊精霊の否定を謳っているとは言え、何事もその通りに行く訳ではない。


 そも、人間はそれら人理の外側にある存在に比べ基本的に弱者であるのだ。それをあの手この手と小手先の技と謀略でもって補い、今の極東における人界優勢の情勢がある。その情勢とて必ずしも磐石ではなくて、油断すればいつひっくり返るかも知れぬ危うい均衡の上にあるものだ。


『なまはげ』は、ある意味でそんな扶桑国の立場を象徴する存在であった。


 元ネタが東北における民家に訪れては囲炉裏から子供を引き離して怖がらせる妖怪として伝承されるそれは、更に源流を辿ればある種の神霊、来訪神に辿り着くとされる。無論、そもそも妖怪自体が歴史的・民俗学的に見ると貶められたり伝承の歪んだ神格の類いも多いのだが……特にこの世界における「なまはげ」に関してはその学説を意識した存在として設定されている。


 ゲーム『闇夜の蛍』において扶桑国北土一部地域に出没する妖「なまはげ」は、その特性から朝廷が処遇を一時棚上げしてそのまま放置している、放置せざるを得なくなっている半神的凶妖だ。


 元ネタ同様にその源流を北土に根ざす神格として設定されたそれは、妖にその身を貶められた後も『人妖大乱』に参加しなかった。そんな事にこの妖は一切関心がなかった。


 一定の期間に一定の道程に沿って放浪するその妖は訪れた人里でその権能を発揮する。


 妖にとって、神格にとって、短命で定命の存在たる人間は皆それら魑魅魍魎と比べれば文字通り「大人と子供」というべき年の差がある。そしてそれら魑魅魍魎は人間の信仰と畏れの影響を過分に受け、その価値観と思考は人間のそれとは大きく逸脱している。


 ギリシャ神話の例を持ち出すまでもなく神話、特に多神教において神は己を試したり、蔑ろにすれば容易に人々に災厄をもたらす。それと同様になまはげは流れた先で訪れた村落にて神格として敬い持て成し、贄を捧げぬ者達は悪徳を重ねた『悪い子』として罰を与える。神罰として村の者達を次々と食い殺す。


 扶桑国が神格すらも土地の肥やしとする国である以上、なまはげを敬い信仰するなぞ、その力を増大させる行いを認可する事は有り得ぬ事で、そもそも生け贄が必要な以上論外である。


 そして村民を食らえばその分妖として強大な存在とも化す訳で……朝廷がそんな存在を許す筈は本来なかった。


 一度ならず、朝廷は勅命を出してこれの討伐を退魔士家に命じたが、それらは徒労に終わった。再三に渡る討伐作戦は失敗に終わり、少なくない犠牲を払った朝廷は最終的に妥協した。妥協せざるを得なかった。


 朝廷は教条的に人間至上主義であるが、同時に現実主義でもあった。必要とあらば人外の怪異共相手に一時的な妥協はする。目溢しをする。朝廷の支配領域が少なからず点と線であり、その領域内、その外縁に幾つもの禁地を設けている事はその証明だ。


 将来的な討伐を見越して封鎖した地に巣くう凶妖のその権能を調査して、その妖群を常に一定の数になるように間引きする。戦力を整え、作戦を練るまでの時間を稼ぐ……それは妖に対して妥協するでなくて、あくまでも将来的な勝利のための布石。朝廷のその建前は言い訳ではあるが、同時に現実的な政策でもあった。


 なまはげの行動範囲とその道筋はほぼほぼ一定の周期を繰り返す安直なものだ。朝廷は退魔士らに命じてなまはげの行動を式神で、あるいは遠方からの目視で常時把握する。そしてなまはげが人里に迫る前に住民を一時的に疎開させる。


 信仰も畏れも与えぬために人間との遭遇自体を阻止する。そうして弱体化するのをひたすらに待ち続ける。それが朝廷の出した今現在のなまはげに対する対応であり、その方針は最後の討伐が失敗に終わり、時の帝である陽煌帝が苦々しく陰陽寮からの具申書に印を押して以来二百年以上に渡り変わらない。


「まぁ、丁度私も初陣はこの監視任務でしたが……実際、其ほど危険な任務ではありませんでしたよ」


 なまはげの監視任務……その内実について、鬼月黒羽、嘗て隠行衆において葉山と呼ばれていた青年は気負いもなく答える。それは彼にとってその任務が然程困難を伴うものではなかった事を意味していた。


 彼が言うにはなまはげの徘徊するのは冬季の、それも雪の降る日に限定される。何千里という距離の道程を周期的にさ迷い、それを一巡するのはおおよそ平均して三、四年程。割り当てられた北土退魔士家は計一六家であり、各々の家が自家の管轄する地域をなまはげが通り抜ける間常時監視に努める。


 なまはげの移動速度に応じてその道中と周辺の集落の人間を疎開させる。なまはげとの遭遇を避けるように避難させる。そしてなまはげが通り過ぎた後には住民を戻し、自家の管轄する領域から離脱するまで尚も監視し続け、次の家にその動向を報告、朝廷には報告書を提出する。


「環姫の不安も分かりますが、そこまで不安に思う事はありませんよ。これまでも何度も行われて来た任務ですが、直接なまはげによる死者は皆無ですから」


 元隠行衆は俺の隣で話を聞く環に対して安心するように声をかけた。鬼月家にとっては四三度目になるこの監視任務であるが、その間事故や他の妖に遭遇する等しての死者は数人発生しているが、肝心のなまはげによる犠牲者は一人として発生していない。


「そ、そうなんだ。………うん、分かったよ。教えてくれて有り難う」


 黒羽からの経験談に、蛍夜環は尚も緊張した表情を浮かべ、しかし僅かに安堵したように微笑んで感謝の意を示す。


 清麗帝の一三年霜月の最後の日、鬼月家から家人としてその最初の任を命じられた蛍夜環が緊張に顔を強張らせるのを見た俺は、彼女の不安を解すために引き合わせたのが以前その任務に就いていたという黒羽であった。


「強いて言えば、防寒に気を付けた方が良いですね。大体は式神で監視出来ますが、どの道厳冬ですので住民の避難時の護衛がかなり冷えます。実際に自分の時は大変でした。指が凍傷になりましてね」


 ははは、と自身の失敗談を苦笑しながら語る黒羽。それに釣られるようにして環もまた苦笑して、手元の温かい煎茶を口にする。


(まぁ、確かに本来は気楽な任務の筈なんだけどな………)


 そしてそんな彼らを一瞥した俺は面の下で神妙な表情を浮かべていた。黒羽の言は全て事実である。鬼月家も環の初任務に対して危険性最小限のこの案件を持ち込んだのは本来何らも可笑しい事ではない。妥当で、常識的ですらあった。そう、本来ならば………。


「はやま」


 原作のシナリオを思い暗く沈む俺の思考は、直後に幼いその声で断絶した。視線を向ける。障子の陰からひょっこりと顔を覗かせる少女の姿。桔梗姫という名前を直後に思い出す。


 土蜘蛛と河童の妖乱によって壊滅した退魔士家、蓮華家の血脈の生き残りとして鬼月に保護された少女は以前見たおかっぱ頭よりも髪が伸びた、俗に姫カットと呼ばれる髪型をして、手鞠を両手に持って此方を無表情のままにじっと覗く。


 俺はふと黒羽を見ると困り顔の少年もまた此方と視線を合わせる。その意味を理解した俺が恭しく頭を下げれば黒羽は済まなそうな表情を浮かべた後に童に手招きをした。すれば直ぐにとてとてと黒羽の元に駆け寄って、その膝の上に乗り掛かる。無表情で。


「え、えっと………」

「申し訳御座いません、環姫。彼女、甘えん坊で………」


 突然闖入してきた少女の行動に環が困惑し、黒羽は謝罪する。俺もまた助け船を出すように環の耳元で桔梗姫の境遇について耳打ちする。


「断絶した退魔士家の生き残りです。家族が居ないので鬼月にて預かっております」

「それって………うん、分かったよ。大丈夫、気にしないで。気持ちは分かるからね」


 俺の説明に察しがついて、打って変わって環は複雑な笑みを浮かべた。どうやら、己の境遇を思って桔梗に同情したらしい。主人公様にとって、桔梗は自分にもあり得た事態であった。


「はやま、貝合わせの約束の時間」

「そう言ってもなぁ、今お客様の御相手をしている所なんだよ?全く、甘えるなら綾香、そうでなくても女中らにしても良いだろうに………」


 どうやら定期的に遊び相手としてねだられているらしい黒羽は、桔梗の要望に嘆息する。一方、そんな黒羽を膝に座ったままの桔梗は無表情で見上げていた。


「あ、すみません。話が逸れましたね。なまはげの任務について、他に注意があるとすれば……」

「あ、ううん。もう良いよ。今回は此れくらいで御暇させて貰おうかな?また後日時間がある時にでも訪ねるよ」


 そして慌てて愚痴を切り上げて本題に戻ろうとする黒羽に向けて、苦笑しながら環は退席を願い出る。


「しかし………」

「それよりも、その娘の相手をしてあげて欲しいな。僕が言うのも何だけど、その年頃の子は遊ぶのが仕事なんだしね。横から勝手に予定を入れたのは此方みたいだし、今回は、ね?」


 そう言って、此方に向けて頼み込むように目配せする環。それは此度の面会の仲裁を受け持ったのが俺であったからであった。俺はこの場の三人の表情を一人ずつ確認する、そして結論を出すと黒羽に向けて頭を下げる。


「本日は急な面会をお受け頂けました事、感謝致します。勝手ながら、此方も別件が控えておりますれば此度はそろそろ退席させて頂きとう御座います」


 恭しく、仰々しくそう申し出れば困った表情を浮かべる黒羽。そして膝に座る童を一瞥して、そして再び此方を見ると観念したように応じる。


「そういう事でしたら、致し方ありませんね。分かりました。………明日の夕刻頃でしたら時間が空いている筈です。その時に改めて、良いね?」


 最後の言葉は桔梗に向けてのものだった。こくりと頷く姫君。俺と環は一礼して席を立つ。


「せめて見送りくらいは致しますよ。桔梗」


 膝に座る桔梗に囁く黒羽。僅かに不満げに、しかし童女は素直に退いた。


「本当、申し訳ありません。折角頼んで頂けましたのにこんな……」


 黒羽は与えられた屋敷の対を俺達と進みながら恐縮したように口を開く。


「いえ、黒羽殿はお気に為さらず。此方こそ御迷惑をお掛けします」


 俺の言葉は謙遜ではなかった。原作のように隠行衆の一員に過ぎない頃であれば兎も角、今の彼は退魔士ではなくとも名家である鬼月一族の一員なのだ。今こそ唯の屋敷預りであるが何年もしない内に何処ぞの村でも受け継ぐ事になろう。下人衆の允職なぞとは立場が違うのだ。


「そうは言いましても………では、私は此にて失礼を」


 渡殿を通り過ぎ、屋敷の出入口の階前に辿り着いた所で黒羽はその先の言葉を口にする事を止めてそう申し出る。そして其処に控えていた人物に向けて一礼をした。


 俺と環はそんな彼の礼をした先に向けて視線を移して………その人物を、俺達を待ち構えていた人物を見出だす。


 腰に刀を差した、紫髪の少女が心底不満げに両腕を組んで屋敷の門前に待ち構えていた………。





ーーーーーーーーーーーー

 赤穂家の見舞いの使者の随員である紫が鬼月谷の屋敷に残留したのは本人の希望によるものであった。


 彼女にとって叔母に当たり、尚且つ諸国を一人渡り歩きその所在の掴めなかった鬼月菫。その刀術の実力は赤穂家においても第一級のものであり、その剣技を一目見て見惚れて、紫は弟子入りを希望し、姪子のそのいきなりの申し出にしかし菫は賑やかに応じたのだという。


 当然ながらいきなり過ぎる話に見舞いの使者の代表である赤穂家の長男である赤穂誠一郎幸成は最初困惑した。


 しかしながら彼は兄弟達の中では最も物分かりが良く、誠実で、ましてや人を疑う事も訝る事も蔑む事もない御人好し………というかそんな性格でも余裕であらゆる罠や謀略、不意打ちを正面から破砕出来る理不尽な実力の持ち主であった。御免、妖の初見殺し権能に対して直感で最適解を選んで仕留めるとか意味分かんない。


 結局、彼は紫の強い申し出に微笑みながら応じて、幾人かの使用人らだけを残して自家へと帰還する。一年後に都にて家族と合流するという約束を交わして。………いや待て。嘘、お前それマジで可能だと信じてるの?


 正直死亡フラグの塊のようなこの娘をチート過ぎる親兄弟達の目の届かぬ所に置くなぞ、凶妖だらけの妖の巣穴に全裸の霊力持ち処女を放り込む以上の暴挙にしか思えないのだが………残念ながら全ては俺の手の届かぬ所で決められてしまった事である。現実は受け入れるしかなかった。

 

「なので、取り敢えずはこうしてフラグをへし折る作業をする訳で………」

「何をぼそぼそと言っているのですか!?私の話を真面目に聞いて………うきゃっ!?」


 俺は何故か地面に投げ捨てられていたバナナの皮で滑る紫の身体を即座に支えて転倒を防ぐ。因みに転けたら位置的に庭石に頭をぶつけて死んでいたと思う。よし、これでデイリークエスト消化だな。


「あ、えっと………」

「足下にはご注意下さいませ」


 何が起きたのか分からぬように動揺している紫に、俺は淡々とそう指摘して立たせる。まぁ、足下注意したら次は投石とか流れ矢とか来そうではあるが。


 冗談抜きで数日に一度くらいの割合でこの娘は大なり小なりの命の危険に晒されていた。いや、これ………嘘だろ?善く今日までお前生きて来られたな?それとも本編開始したせいなのか?何にせよ油断も隙もない。


(流石に目の届く範囲で死なれたら寝覚めが悪いんだよなぁ)


 登場しないルートでも製作陣に態態画面の外で死んでると明言されちゃうピクミン以下の生命力であるが、可能ならば生きていて貰った方が良いのは間違いない。ましてや先程のような糞みたいな理由で死なれたら洒落にならなかった。


「あ、う、え………え、えっと?」


 そんな事を思っていると、当の紫はずっとそのままその場に佇んだまま謎の言葉を口にしていた。いや、えっとって何だよ。此方が困るわ。


「くすくす、説教しようとした所を助けられて照れてるんだよ」


 そんな紫の様子を見て、囁くようにして環は俺に答えを伝える。あぁ、成る程ね。そりゃあ決まりが悪いわな。


「紫様、申し訳ありません。先程のお話を今一度お願い致します」


 俺は混乱する紫にそう助け船を差し出す。俺の言葉に、何を言うべきか迷っていた紫は慌てて思い出したように俺に指を突き出して叫んだ。


「そ、そうです!貴方は何時も勝手で無礼ですね!先程黒羽殿の屋敷への訪問も私を誘わないなんて良い度胸です!!!」


 鼻息を荒げて、紫は俺をそう糾弾する。それこそが先程馬鹿みたいな理由で死にかけた直前まで、彼女が俺と環に向けて愚痴愚痴と説教していた内容であった。


 同じように菫から刀術の指導を受ける、謂わば兄弟弟子ならぬ姉妹弟子となった環と紫、そんな理由からか此度のなまはげの監視任務において環に同行するように懇願された紫であり、それを彼女は鷹揚に受け入れた。


 そんな彼女からして見れば今回、俺が環と共に黒羽の元に向かったのは己だけがハブられたように思えて不満だったのかも知れない。妹弟子となる環に対する競争心もあっただろう。


 ………いや、そもそも俺からすればその任受け入れるなよって言いたいんだがな?


「下人!だから私の話をちゃんと聞きなさい!!」


 此方が他の事を考えている事に気付いたのか、紫が俺を叱責する。こういう時に限って勘が良いので困る。どうせなら普段から此れくらい感覚が鋭ければ俺も安心して余所見出来るのにな。


「そ、そんなに怒らないでくれないかな?伴部君が黒羽さんの所に訪問したのは僕のためなんだよ。その、僕が不安そうにしているからって………」

「環さん、貴女には聞いていません!私は其処の下人に向けて問い詰めているのですよ!?邪魔しないで下さい!!」


 助け船を出そうとして、しかし返される紫の文句に困り果てた表情を浮かべて環は俺の方をちらりと見やった。それは恐れているようであった。自身のために他人に迷惑をかけてしまった事を悔いているらしかった。


(実に主人公様らしいね。直ぐに他人に責任転嫁を行うのがデフォなこの世界だ、魂が輝いて見えるぜ)


 尤も、俺からすればまかり間違って環に紫の悪感情が向く方が厄介であった。なので、環を庇うように俺は紫に向けて弁明する。


「……紫様は名門赤穂家の出身です。鍛練も技量も十分、既に幾度か退魔の職務を全うしておりますれば、此度の案件に特段問題はないと判断した次第。環様は武術の心得はあれども退魔の経験は皆無なれば、念のためにと。御心証を害されましたならば全ては配慮の及ばなかった私の落ち度です。謝罪致しましょう」


 そう説明して、深々と俺は謝意を示す。この死亡フラグ娘は、しかしゴリラ様や碧鬼程には捻くれてはいない。素直に此方の落ち度を認めて謝罪すれば渋々許してしまうくらいには甘い娘であった。だから俺は全ての泥を被って謝罪する。するのだが………。


「なっ!?そこの家人を庇い立てですか!?貴方は本当に人の事を馬鹿にしていますね………!!?」

(これは、失敗したか?)


 俺の謝罪に対して、しかし紫の反応は激昂であった。立腹する彼女の態度に、俺は内心で舌打ちする。どうやら俺の謝罪は火に油を注いだだけに終わったようだった。これは……流石に少し甘く見過ぎたか?


「紫様……」

「下人の分際でそんな気安く名前を言わないで下さい!無礼でしょうが!!」


 俺は慌てて宥めようとするが、当の本人からそんな事を言われてはそれ以上俺は何も言い返す術を持たなかった。そして紫は反論の手段を失った俺から環に視線を向ける。むすっと不愉快そうな表情を浮かべて。


「貴方も!この下人に余り親しげに話すのは止めた方が良いですよ。貴女は家人、この男は下人です。上下の秩序を乱さぬように、厳しく立場を意識して交流する事です!」

「え、そ、その………」

「では、私は一人稽古があるので失敬を!!」


 地団駄を踏んでそう吐き捨てて、紫は踵を返して一人すたすたと去っていってしまう。その不機嫌そうな後ろ姿を見つめて、俺は小さく嘆息する。


「………あの、その、御免ね?僕のために、やっぱり迷惑かけちゃったね?彼女、随分と怒ってたよね?その……大丈夫、かな?」


 傍らに来て、気まずそうに環が宣う。己のせいで紫との仲が拗れたとでも思っているのだろう。どうやら紫が何かしら俺に報復でもしてくるのではないかと心配しているようであった。


「お気になさらず。あの姫様は少々気性は荒いですが……決して不当な行いをする方ではありませんよ」


 根本的には悪人になるには不器用な娘なのだ。口では彼是言ってもその悪意を行動に移すような性格ではない。


 実際、彼女が悪意に満ちた行動を実行に移そうとしたのは妖母様によって化物として「産み直し」されて倫理の枷を失った時のみだった。その点においては俺は彼女の言葉を然程真剣には受け止めてはいなかった。どちらかと言うと大股でその場を立ち去る紫が凍った水溜まりにでも滑って転ばないかの方が心配なくらいで………本人が聞いたら傷つきそうだけど、世界の真理なので仕方無い。


「環様こそ、此度の件で遠慮は為さらないで下さいませ。退魔の職務は生半可な覚悟で出来る事ではありません。不安や疑問があれば私でも、私以外でも頼りに出来る方に相談や質問を好きなだけお求め下さいませ」

「う、うん。……そ、そうだね」


 環は何とも言えぬ表情で、しかし俺の警告を真摯に受け止めたように緊張の面持ちで返事する。冗談抜きで下手したら死ぬからね。下手しなくても油断したら死ぬし、油断しなくても死にかねないが。


 ………うん。やっぱりあの娘、善く今日まで生きて来られたよな?


「………それはそうと、此度の監視任務についてお聞きしました。鈴音様と入鹿も同行させる予定なのですか?」


 何とも言えない気分となり、俺はそれを切り替える意味も兼ねて環に向けて入鹿から聞き齧った話について尋ねる。


 既に下人衆より俺を除いて一班五人、目付役として隠行衆が一人が派遣される事が決まっていた。臨時雇いの荷駄も数名いる筈だ。其処に環と紫、そして恐らくは御意見番が捩じ込んだのであろう白若丸を加えればそれだけで此度の任務としては余りにも大袈裟な人数の派遣であった。


 素人含めても退魔士三人………原作では主人公の他に付き添いの家人が一人で、下人と雑人が一人ずつであったのを思えば一層過剰な戦力であるという認識が強まる。退治ではなく監視である事を思えば異常であった。


 まぁ、簡単な任務と言えるのは今の内だけではあるのだが……其処に更に環の付き添い役の二人が追加されるかも知れぬという話を俺は聞いていて、その真偽についての問いであった。


「迷惑かな?入鹿は一応腕は立つし、鈴音は………危ないとは言ったんだけど、側にいるのが仕事だからって」

「それはまた………」


 今更ながら、あのやんちゃな妹が随分と生真面目になったものだと思った。父や祠の件で妖の恐ろしさは多少は理解しているであろうに。覚悟が決まっているというべきか、危機感が足りないというべきか………。


「やっぱり、残した方が良い……かな?」


 俺の反応に、窺うようにして環は尋ねる。俺が彼女らの同行に不快感でも抱いていると思っているのだろうか?個人的には鈴音は残しておきたいが………。


「入鹿は分かります。ですが女中の方は………出来れば説得して頂きたいのが本音な所です」

「そう、だよね………」


 俺の申し出に環は心細げに頷く。初任務に際して、側に気心の知れた友人がいて欲しいと思っているのだろう。気持ちは分かる。分かるが………。


「あ、大丈夫だよ。気にしないで。一度頼んで見るよ。僕も鈴音には危ない所に来て欲しくはないからね」


 あはは、と無理したような笑みを浮かべる環。その姿は憐れみすら感じ取れた。しかし………。


「………どうぞ、お頼み申し上げます」


 しかし俺は、そんな彼女を励ます事も出来ず、ただ改めて要望の言葉を口にするしかなかった。


 そして当然ながら、俺だってお気楽じゃあない。最悪の事態を考えざるを得ない。


(どの道、主人公様の闇堕ち防止のためにもやるしかねぇよな………)


 さて、では俺も仕込みをするとしますかね………?


 




「それで、何だ?此方も仕事が詰まっていて暇じゃあないんだがな?」


 呪具衆の工房で刀を鍛えていた久賀猿次郎は、環と別れた後にアポも無しに訪問してきた俺に向けてそう問い掛ける。


「その刀は新しい家人殿ので?」


 此方を一瞥したきりに刀鍛冶に意識を集中させる猿次郎に向けて、俺は質問で以て返した。


「あぁ、その通りだ。言ってもこいつは間に合わせだけどな。仕入れて来た刀を打ち直して呪いを仕込むのさ。簡易的なものだけどな」


 先日新しく加入した家人である環の武器は刀であるが、そう簡単には武具の用意は出来ない。


 退魔士が本来扱う武具は妖との戦いを前提とした代物であり十重二十重の呪いが重ね掛けされているものだ。そんな代物をポンポンと作るのは簡単ではない。少なくとも鬼月家の退魔士らがメインウェポンとして使うような業物は。当然ながら環に向けて宛てがえる物は悪意がなくても用意するのは困難だった。


 呪具衆の允職は取り敢えずは橘商会から購入した逸品物の名刀に間に合わせの呪いを掛けていき、専用の武具を取り敢えずでっち上げようとしているようであった。


(元が名刀なだけマシ、か………)


 本来のこの時期の主人公様と言えば消耗品の何らの対妖対策もされていない刀を押し付けられていた事もあって、これでもまだ恵まれている方であると言える……そんな事を思っていた俺は、猿次郎に向けて更に問う。


「少し話すような時間もない程に忙しいのですか?」

「忙しいと言ったら?」

「折角御馳走しようと思っていた、この葡萄酒は御預けですね」

「安心しろ、今暇が出来た所だ」

「それは上々」


 俺は猿次郎の半ば予想通りの返事に苦笑しつつ、取り出した硝子杯に瓶の中身を注いでいく。透明な杯を真っ赤に染める深紅の液体……尤も、俺は昼間から飲む訳にも行かないので水筒の白湯を杯に注ぐが。


「その代わりに摘まみは此方持ちってか。ほれ、煮干で我慢しな」


 俺の何時もの行動に肩を竦めて、猿次郎は戸棚に隠していた肴を取り出す。


「にしてもこの前の一件、随分と派手にしてくれたようだな。此方にも人が来たんだぞ、えぇ?」


 片や葡萄酒、片や白湯で互いに乾杯。それを呷ってから、猿次郎は俺に向けて問い掛ける。


 郷に散乱するクレイモア擬きを始めとした装備の入手先は限られている。呪具師衆に鬼月の者が尋問に来たのは当然の事であった。


「どう答えたので?」

「命令に従って出荷しただけって伝えておいた。……直前に来た式神からそう命令されたからな」


 恐らくは雛辺りだろうか?口裏合わせに抜かりはないらしい。俺は手前に用意された椀から煮干を摘まむ。


「………先方の反応は?」

「特に言う事もなく帰ったよ。特に監視も何も無さそうだ」

「それは良かったです」


 心からそう思う。元よりあの時は事が事なので後先考えずに行動していたが、当然ながら猿次郎に向けても何らかの罰則があっても可笑しくはなかったのだ。油断は出来ないが………兎も角も今の所は杞憂で済んで幸いだった。


「……理由は聞かねぇがよ、危ない橋を渡ったもんだな。えぇ?雛様がいなけりゃあ下手したら今頃斬首だぜ?馬鹿な真似をしたもんだな?」

「………」


 葡萄酒をもう一杯注ぎながら猿次郎は宣う。俺は表向きの顛末を否定せぬためにもその言葉を肯定せず、しかし反論もしなかった。沈黙によって暗に己の心中を述べる。時として沈黙は言葉よりも雄弁であった。


「たく、下手な態度の癖に頑固な奴らだな?……無茶はしてくれるなよ?」


 そしてそんな俺の態度に嘆息して煮干を口に放り込み、葡萄酒で飲み込んだ呪具師衆允職。飲み込んだ後に此方を見据える。


「そうだ。丁度そっちに卸す予定の武具があったな。あれだ。此処に来た序でに持っていけ」


 クイッ、と硝子杯を持ったまま手で指し示す方向に俺は視線を向ける。工房の壁際に掛けられた二本の武具が視界に映しこむ。


「槍の方はお前さんのもんだ。毎度毎度派手に壊してくれるもんだからな。ちゃんと依頼が来なくても用意していたんだぜ?商会経由で取り寄せた物に呪いの刻印を仕込んでおいた。取り敢えず壊れにくくはなった筈だ」


 皮肉と嫌味を含めての猿次郎の説明。残念ながらそれを否定出来ない俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。事実だからね、仕方ないね。


「後で帳簿に費用を記入しませんとね。……もう片方は?」

「新入りの狼女のもんさ」


 入鹿に支給予定の装備という事らしい。成る程、しかし………。


「斧……いや、鉞ですか」


 それは大きな片刃の戦斧、鉞と呼ばれる類いのものであった。更に言えば刃の反対側は鉄の塊が嵌め込まれていて槌のようになっていた。無骨で、装飾性皆無の実用性の塊のような印象を受けた。


「何か疑問でもあるのかい?」

「いえ、想像とは違っていたもので。あいつが刀を使っていた所は見てますが斧の類いは見た事がなかったので」


 都でも郷でも、あいつの使っていた武具は同じく刀だった。


「安心しな。本人に聞いたさ。刀でも使えねぇ事は無さそうだが別に専門でもないそうだ。寧ろ御主人様と被るよりかは特性の違うものの方が良いとさ」

「だから鉞ですか」

「この手の武具は腕っぷしさえありゃあ刀や槍よりも使い易いからな。半妖なら体力には困らんよ」


 斧は究極的には振り回して相手を殴り殺す武具だ。間合いと小回り、重量が不安なので俺は選ばなかったが入鹿ならばそれらの問題は殆ど問題にはなり得ない。そう考えればこのチョイスは悪くないものに思われた。


「有り難く頂戴致します」

「礼は要らんよ、仕事だからな。……さて、お望みはなんだ?」


 俺の謝意をそう断った後、猿次郎は本題に入る。毎回俺が物を持って此処に訪れるという事がどういう事かを彼は良く理解していた。


「………なまはげ監視の任を仰せつかりました」

「なまはげか。話は俺も聞いた事はあるぜ。楽な仕事じゃあねぇか」


 どうやら猿次郎もなまはげという妖については知っているようであった。まぁ、普通はこんな反応だよなぁ。


「だと良いのですがね」

「何か不安でも?」

「何分、お守りも兼ねておりますので」


 その点については下人衆頭である思水からも内々に指示があった。安全安心の任務故の主人公様含む素人退魔士三名、その補佐役としての意味合いが俺にはあるらしい。………問題はその安全安心という前提条件すら不安しかない事である事だがね。


「成る程な。それで?どういった類いの物を拵えて欲しいんだ?余り大袈裟な物は用意出来ねぇぞ?先日の事で睨まれているし、そもそも出立までそんなに日取りはねぇだろう?」


 猿次郎の言は尤もで、出立は四日後の事とされていた。睨まれぬ程度に用意出来る代物は限られる。


 それで良かった。別に俺も今回の案件に関して大それた事をするつもりはなかった。そもそもなまはげはそんな付け焼き刃でどうにかなる手合いではない。


 あれは妖母様と同じ類いだ。糞っ垂れな負けイベント……いや、もっと質が悪いだろう案件だ。初っぱなから主人公様を盛大に曇らせてくれる。しかし同時に、やり様によっては惨劇を避ける事は難しくはない。………多分な?


「そうだな。俺が欲しいのは………」


 そして俺は猿次郎にそれを要請する。決して用意するのは困難ではない、しかし今回のイベントにおいて必要なその道具の仕込みについて………。








ーーーーーーーーーーーーーー

「邪魔するわよ。構わないわね?」


 とある下人が必死に頭を回して己に待ち受ける事態を打開せんと策を弄していた頃、桜色の姫君はその部屋に乗り込んだ。


「ふふふ、態態足を運ばせて悪いわね。今お茶を用意するわ。茶請けは何が良いかしら?」


 ひたすらに甘い香の薫りが充満する薄暗い部屋の上座にて、その空間の主人は……胡蝶は宣った。充満する香と同じくらいに甘ったるい淫靡さを感じさせる声音で。


「いらないわよ。そんな長居をするつもりはないもの」


 客人の返答はにべもなく冷たかった。しかしこの部屋の主人が何れだけ油断ならぬ相手なのか、この香の効果が何をもたらすのか、それらを知っていれば鬼月の二の姫の冷淡な返答は当然なものと成り果てる。彼女に用意された物を飲食してはいけないというのは北土の退魔士達にとって最早常識である。


「訪ねて来た理由は知っているわ。……彼の事ね?」

「正確にはそれも含めて、ね。この前失敗したばかりだというのにまた性懲りもなく………呆れるわね」


 なまはげの監視任務………本来ならば新人退魔士に幾人か補佐を付けるだけでもこなせそうな詰まらない仕事だ。それを………。


「随分と大盤振る舞いな事ね。それだけあれが気に入ったのかしら?乗り換えするのは構わないけれど、彼の梯子を外すのなら許す訳には行かないわよ?」


 葵は悠々とした態度で、しかし其処に殺気を忍ばせて警告する。葵からすれば目の前の好い歳して過去にすがる毒婦が彼を狙う事を止めるのは構わないが、同時にそれを理由に彼への擁護を止めてしまうのは許す訳には行かない。彼女は彼について余りにも多くの事を知り過ぎている。必要ならば葵は目の前の祖母を物理的に口止めする覚悟があった。


「うふふ、安心なさい。わたしはそういう趣味はないわよ。あの娘は別、無論あの娘はあの娘で大切ではあるけれど」


 胡蝶は孫娘の懸念を蠱惑的に笑いながら否定する。実際、胡蝶は女同士の愛欲に興味はなかった。


「そんなものを見せられても納得出来ないわね。………随分とみっともないこと」


 葵は広げた扇子で口元を隠して毒づく。眉を顰めて蔑むように見下す。祖母の膝元に横たわる半裸の人影を見て。


「あっ……❤️う、あえ………?❤️」


 清らかな姫君の装いをした稚児は阿片中毒になっているかのように周囲の状況に無関心だった。正確には認識出来ていなかった。


 胸元をはだけさせて、汗だくで、酒に酔ったように白い肌は紅潮していた。幻覚を見ているように恍惚の表情を浮かべていて、口元からはだらりと情けなく涎を垂らす。垂れた涎が銀の糸を伸ばして少年の胸元に零れ落ち、そしてその薄くなだらかな丘陵に沿って更に腰元まで流れて落ちていく。白い肌を粘液で汚していく………。


「あらあら、だらしのない。……まるで赤ん坊ね。駄目よ?そんなのじゃあ彼に無様な姿を晒しちゃうわよ?」


 膝に倒れる少年の惨状を見て、胡蝶は困ったように嗤う。嗤って零れる涎を掬っていく。腰元からすっと白魚のような指で以て、胸元まで遡る。


「ふっ……!?❤️ひぃ…あぁう………?❤️」


 びくりびくり、と血抜きのために喉元を切られた牛のように全身を震わせて痙攣する元稚児。その姿を見て、一層葵は侮蔑する。


「こんな様で本当に役に立つのかしら?残念だけれど、私には信用出来ないわね」


 無様に屈服して、尊厳を踏みにじるようにしてなぶられたい何処ぞの商家の御令嬢様であれば兎も角、この餓鬼の役割は違う。そんな娯楽目的の存在ではないのだ。


 いざという時に彼を人の世に留めるための保険であり、使い捨ての道具である。床に零れた汚物を拭って吸い取るための雑巾、吐き出された欲望を包んで捨てる塵紙だ。消耗品だが、故に逆説的に葵はその品質に拘る。


 その肉、その魂、その尊厳、その純潔を以て彼を人の世に引き戻すのだ。消耗品であろうとも、いやだからこそ葵は目の前の中古品の有効性に疑念を抱かざるを得ない。こんなお古で、しかもこんな様で果たして本番で役に立つのだろうか?


「あら酷い言い様ね。可哀想に。確かにお古だけれど、元の質は確かなのよ?」

「んっ、あ゙…❤️あ゙ぁ…❤️ぁ………?❤️」


 なでなでと赤子をあやすように頭を撫でる胡蝶、それを受ける稚児は首を傾げて呆然とそれを受け入れる。


「………睨まれているでしょう?貴女の敷地に何時までもいる訳にも行かないわ。下手に危険な任を押し付けられるよりはマシではないかしら?」

「だから彼もいれたと?」

「御不満?代案があるのなら聞くけれど?」

「………」


 祖母の言葉に孫娘は沈黙する。確かに何時までも己の敷地の内で最愛の人を閉じ込める訳にはいかなかった。下人衆の允職はそんな暇ではない。ならば先手を打つのは誤りではなかろう。それに、あの男が目覚めた今、葵が衆議で己の意見を一方的に貫くのは難しい。


「それに、あの新入りと彼が仲を深める事も悪い事だとは思わないわよ?味方は多い方が良いでしょう?」

「仲良く、ね」


 胡蝶の言葉に不愉快そうに嘆息する葵。


「嫉妬かしら?」

「違う、と言えば嘘になるわね。女なんてそういうものよ」


 色事に関しては女の友情は……何なら男の友情だって儚いものだ。最愛の人に自分だけを見て欲しいと思うとは当然の話だ。


「葵………」

「安心して下さいな。私は分別ある女よ。あんな感情で動く奴とは違うわ」


 そう嘲るように宣う二の姫の脳裏に浮かぶのは不本意にも血を半分受け継いだ姉の顔だ。


 そう、全てはあの女のせいなのだ。あの女のせいで彼の今の苦難はある。あの女の我儘のせいで………。


「私は違う」


 冷たく、そして強い意志を以て、明言する。明示する。


 愛とは狂気である事を葵は両親の所業から知っている。けれども葵は己の愛の在り方が父よりも、母よりも、姉よりも、ずっと深いものであると確信していた。あんな後先考えぬ奴らとは違うのだと……。


「だから彼が誰と仲良くしても構わないわ。何なら彼が望むなら場だって整えるわよ」


 狂っているからこそ、葵は彼の意識が他者に向かおうとも許容出来た。


「…………」

「分かったわ。此度の件は納得するとしましょう。………期待しているわよ、どんな形になるかは知らないけれど、精々彼の役に立つ事ね?」


 踵を返した葵はちらりと少年『だったもの』にそう嘯いた。……当の本人は己に何か言われたのかすら曖昧に、涎を垂らしながら放心し続けていたが。


「私も、貴女とは別に保険を掛けるわよ?構わないわよね?」


 そして思い出したように宣言する葵。胡蝶はそんな孫娘の発言に微笑を以て応じた。鼻白む葵は、冷たい視線で祖母を睨む。そして再び部屋の出口へと向かった。この甘ったる過ぎる匂いをこれ以上嗅ぎたくなかったから………。


「……ふふ、怖い子」


 孫娘の後ろ姿に苦笑する胡蝶は、そして己の抱く少年の耳元でひたすら囁き続けた。言霊術でもあるそれは抱く稚児のその待ち構える末路を暗示したものだった。怪物を宥めて慰める巫女の辿る末路、その鎮魂の人柱として受けるだろう激しい嵐のような恥辱と屈辱と凌辱………しかしてそれを聞いた稚児の表情に浮かぶのは恐怖ではなくて寧ろ………。


「大丈夫、貴女は清純よ、清らかよ。純潔よ。だからね?安心して、その時が来れば迷う事なく身を委ねなさい。後は彼が全部やってくれるわ」

「あに、き?……へへへ❤️あにきぃ………❤️」


 頬を撫でながら囁かれる胡蝶の言葉に返るのは蕩けきった譫言のような呟きだった。身体をよがらせて震わせて、とろりと溶けたような幸せそうな表情で、胡蝶を見上げる元稚児。その脳裏にどのような幻覚を見ているのかは今更考える迄もない。


「………」

 

 そして少年の内股に手を伸ばした胡蝶は、衣服の下に手を伸ばして、その具合から彼の心情を解すると優しく微笑んでいた。


 愛玩動物を可愛がるように、優しく微笑んだ………。




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