第二一話

千年余りの歴史を持ち、その初代に『退魔七士』が一人「千切り撫で切り人でなし悪九郎」こと、赤穂弥九郎を持つ西土の名門退魔士一族赤穂家……その直系当主の七人兄弟の唯一にして末の娘が『闇夜の蛍』の登場人物である赤穂紫である。


 歳は鬼月葵よりも一つ年下、現状では一三歳、原作ゲームスタートの時点では一五歳となるこの少女はこのゲームが無駄な程イラストレーターに一線級の人材だけを投入した事もあってその造形だけを言えば他のゲームならば十分メインヒロインを張れるようなデザインに仕上がっている。


 おかっぱ頭の赤紫色の髪に童顔、同じく身体は華奢で胸は姉御様の次くらいに薄い。性格は尊大でプライドが高く、早合点しやすくムキになりやすいが……擁護させて貰えるならば決して悪人ではない。


 努力家であり生真面目で、助けられれば気に食わない相手にでも礼を言うし、一度敵意が薄らげば素直に過去の過ちについて謝る事も出来る。敵意を抱いていない相手には突っかからないし、目上にはちゃんと礼儀を弁える事も出来る。原作主人公相手にも最初は敵意を向け、蔑視していたがイベントをこなせば次第にその態度は軟化していき、遂には甲斐甲斐しく手助けやプレゼントまでしてくれる。所謂時間差デレである。……そして何よりも注目すべき設定は従姉である鬼月葵を尊敬して、羨望している点であろう。


 そしてその設定は彼女自身の劣等感の裏返しでもあった。


 赤穂一族は刀剣を扱う西土の退魔の名門である。両親や親族は無論、兄達も皆ゲームやノベルでは直接の登場はなく名前や逸話くらいしか出てこないが、触れられている設定だけでも相当ぶっ飛んだレベルの剣豪である事が分かる。うん、キロ単位先の大妖の群れを突きの『風圧』で纏めて爆殺したり、木刀で大入道を細切れになるまで切り刻んだり、挙げ句の果てには刀の先から不可避の上に即死のビーム撃って来るとか意味分かんない。


 そんな戦闘力がイカれている一族の内で、赤穂紫という少女は……最弱だった。より正確に言えば一族の本家筋の中での最弱であるのだが……彼女にとっては大した違いなぞ無かろう。


 歳が幼い事や、女の子である事は残念ながら退魔の本家筋である事や一族伝来の刀の一振りを授かっている事の前では何の言い訳にもならない。いや、だからこそ余計悪いのかも知れなかった。一族本家筋にあり妖刀を受け継ぎながらその才能も力をも受け継ぐ事が出来なかった残り滓の味噌っ滓の出来損ない……両親や兄達はそうは見ていないし、作中の描写から十分愛されてはいたのだろうが周囲はそうはいかない。陰口ややっかみは相当なものだっただろう。


 名門の落ちこぼれ……それが赤穂紫という少女に対する周囲の見立てであり、彼女自身も気丈に振る舞いつつも内心ではその事を自覚していた。いや、あるいは主従が逆でその性格も環境から形成されたのかも知れない。


 そんな彼女にとって鬼月葵という少女が憧れの対象となったのは自然な流れであっただろう。血の繋がった従姉妹であり、歳も近く、それでいて自分と違い才能に恵まれた強者……原作ゲームでは流石に公にはされてはなかったが妖による凌辱パーティーの事実があってゴリラ様が周囲から腫れ物扱いされていたのもあり、紫の父は妹の娘を労るために敢えて自身の娘を近付けた。そして紫自身も才能と力に溢れ、大人っぽく優美な従姉に憧れた。……そして、それは悲劇への第一歩でもあった。


 発売当初、鬱ゲーである事すら隠されていた『闇夜の蛍』にて彼女の存在はまさに特大の地雷と化した。事前に公式サイトやゲーム雑誌で他の主要ヒロイン達と共に出てきたために多くのプレイヤーは攻略キャラと勘違いして彼女に接近して好感度を稼いだ。一癖二癖あるヒロイン達の中ではある意味ストレートな古き良き時間差ツンデレである事も理由だろう。斯くして製作陣の仕掛けた卑劣な罠に嵌まる。


『今回は本日発売された話題のギャルゲー、『闇夜の蛍』の最速クリアを配信しようと思います!』


 事前の情報の隠蔽により多くの配信者や走者がそれに気付かずにネット配信しながらゲームをプレイした。彼らの攻略目標はその殆どが事前に一番多く情報開示が為され、ルートに至るイベントが豊富で好感度を上げやすい赤穂紫であった。それが製作陣のあからさまな誘導である事に彼らはその瞬間が来るまで気づけなかった。


 ゲーム販売の一時間後にはネット掲示板は阿鼻叫喚の嵐と化した。そりゃあそうだろう。最も簡単に攻略出来そうな赤穂紫を狙ってプレイしたら最期その悉くが彼女の死亡……しかもバラエティーと創造性に富んだ肉体的精神的ダメージを受ける死に方ばかり演じたのだから。


 赤穂紫は『闇夜の蛍』作中のほぼ全期間、全ルートで死亡イベントを無数に捩じ込まれていた。妖に殺されるのは基本中の基本、酷いのでは自身の妖刀に斬り殺される。朝廷の陰謀を知ったせいで口止めされた上に反逆者の汚名を着せられる。天狗達になぶり殺される。救妖衆の孕み袋にされる。妖母によって妖にされた挙げ句仲間に退治される……しかし特に多いのが他のヒロインによる殺意と悪意に満ちた殺害であった。


 正直、赤穂紫は作中登場の女性陣の中ではかなりまとも……というかサブカルチャーのヒロインとしてはかなりレギュラーなキャラ付けがされた人物だ。あるいはそれが悪いのか、プレイヤーが好感度を上げて良い雰囲気になった途端に狐のプリンにされたり、姉御様に骨一つ残さず焼かれたり、碧鬼には錨でぐちゃぐちゃに潰されて、若作りのババアには罠に嵌められ妖の白濁液まみれにされてハイライトが消え失せた。


 ゴリラ様に至っては心臓を貫かれるルートを基本に一三種類も殺害方法が準備されているという豪華仕様である。うん、尊敬して憧れていた従姉の前でのろけ話した瞬間、塵を見るような目付きをしたゴリラによって腹に腕がめり込んでるとかね。発売日当日に流された某有名走者の実況動画の画面全体がゴリラによる心臓貫通シーンに切り替わった途端視聴者の『はっ?』の弾幕で覆われたよ。何なら貫かれた本人すら信じられないとばかりに絶望しながら絶命していたよ。


 そしてもたらされる公式発表、この作品がただのエロゲーではなくて特大の鬱ゲーである事、更に言えばこれまで散々公式プッシュしていた赤穂紫が攻略対象キャラどころかプレイヤーを曇らせるためのサブキャラに過ぎなかったという事実は、彼女とプレイヤー達に更なる悲劇を生み出す。


『お前らのたった一つの望み……可能性という名の神を信じろ』

『認めたくないものだな。自分自身の……若さ故の過ちというのは』

『お前ら…止まんじゃねぇぞ。止まらなきゃ……その先に俺はいるからよ。だからよぅ、お前ら……止まんじゃねぇぞ………?』


 多くの名のある走者、あるいはゲーマー達が諦め切れずに何処かに隠されている(と信じている)赤穂紫ルート開拓のためにこの鬱ゲーにのめり込んだ。そして彼らの多くが上記のような台詞を残して燃え尽きた。挙げ句の果てにゲームソース解析して改造してまでルート開拓しようとした奴までいるのだが……製作陣はそこまで読んでいた。


 改造したゲームで赤穂紫ルートのハッピーエンドクリア……した瞬間に画面が突如真っ暗に変わった時、再び動画視聴者達の「ふぁっ?」という弾幕に画面が覆い尽くされたのは最早伝説である。


 製作陣は改造される事すら見越し、改造して無理矢理捏造された赤穂紫ハッピーエンドルートがクリアされた瞬間に隠しエンディングが割り込むようにソースコードを仕込んでいたのだ。


『実は全て監禁されて絶望していた彼が現実逃避のために見た一時の夢に過ぎなかった。そして残酷な現実が戻ってくる。目の前には狂気に飲み込まれた瞳で貴方への愛を囁く狂人、そしてこれからも貴方の地獄の軟禁生活は続くのだ。貴方は絶望に打ちひしがれる。そしてショックからか、あるいは薬物でも使われたのだろうか?再び意識が遠退いていく。最後、その瞳に光を失った貴方がぼんやりと見つめたのはかつて彼が愛を告げた赤紫色の少女に贈った髪飾りだった。床に無残に打ち捨てられたそれは酷く傷み、その表面は赤黒く汚れていて……』


 ………製作陣の悪意の総仕上げともいうべきエンディングが流れた瞬間プレイヤーと視聴者達の心は完全にへし折れた。


 その隠しエンディングの衝撃、そして実際問題ストーリー構成的に余りにも死亡フラグ回避が困難過ぎて二次創作の最強系主人公物ですら諦める者が多く、RTA物に至っては敢えて殺してイベント前倒しまでしようとする発想のものまであった程だ。ファンからは最早「抑止力に殺され続ける紫ちゃん」扱いである。余りに死に過ぎるため某動画サイトでは機動戦士な団長が彼女の身代わりに希望の花を咲かせまくるMADが大流行した。


 ストーリーと公式、そして二次創作ですら散々に殺され続ける不憫過ぎる哀れな少女、それが赤穂紫であった。あったのだが………。


(あー、まぁ流石にこれはゴリラ様もうざがるわな)


 さっさと飯を胃に流し込み、部屋の隅に無言で控える俺は仮面の内側からジト目でその光景を見つめていた。


「……でして、それで最近の都ではどうやら舶来物の衣装が流行りそうなんです!この前私も東市の呉服町に行って見たのですがこれが中々新鮮な意匠で………」

「ふぅん、そうなの」


 長々と、何処か必死に捲し立てる赤穂紫に対して、ゴリラ様の態度はそっけなかった。それは何処か詰まらなそうで、暇そうで、面倒臭そうな表情であった。彼女が目の前の親族に対して何らの愛着も、関心も示していないのは明らかであった。傍らに控える半妖すら退屈そうな素振りを見せている。


(必死過ぎるんだよなぁ……)


 赤穂家の末の娘の会話を俺はそう評する。色々と事前に調べて来たようだが、必死に話しすぎて早口言葉になっていた。しかも緊張しているのだろう、相手が話に飽きている事に気付いているようには見えない。


 お喋りは一方通行ではなく双方向のものでなければ意味がない。その上で相手が関心を持って共感してくれなければただの時間の浪費に過ぎず、苦痛でしかないのだ。その意味で目の前の少女のそれは失敗であると断言出来た。


(ゴリラもまぁ、良く付き合っているものだな)


 此度の茶話もはっきり言ってやる気はなさそうではあるが……それでも原作でのぞんざいな扱いよりはマシであろう。少なくとも相槌を打って一応聞くふりはしているのだから。少なくとも無言で無視よりは遥かに思いやりはあった。マジで原作ゲームでの態度は酷かったからなぁ……。


 ゲームでの対応よりは温情……それが何を意味するのかこの時点は判断し切れなかった。ここからゲームスタートの頃までにそのまま態度が悪くなるのか、それとも凌辱イベント回避がゴリラ様の思考に何らかの変化を与えたのだろうか……?


「伴部」

「……はっ、姫様。何用で御座いましょう?」


 思考の海に意識を沈めているとふいに俺の名を呼ぶ声が響き、俺は即座に応じて傍らに控える。仮面越しにゴリラと相対して座る赤穂紫が不機嫌そうな表情で此方を見やる。何だ?


「そこの従妹のお茶が冷めてしまったわ。新しいものを淹れて来て頂戴」

「女中をお呼びすれば良いのでしょうか?」

「いいえ?貴方が淹れてくるの。あぁ、序でに私のもお願いね?」


 そう宣い、盆の上に湯飲みを置いて笑みを浮かべる鬼月葵。このゴリラ………!!


「……承知、致しました」


 余り調理場の女中達には良い顔されないだろうな、と思いつつも拒否する権利がない以上、俺は渋々と命令を承るしかない。


 使い捨て上等、何処の馬の骨とも知れぬ出自の下人は賎しい存在だ。公家の屋敷で働く女中達からすればそんな小汚ない奴が自分達の仕事場に顔を出すなぞ嫌がるだろう。完全に嫌がらせだな。……とは言え、ノーと言えないのが悲しい立場である。


 俺は湯飲みを二つ盆に載せると隠行の技術も応用して立ち上がり、歩き、障子を開けて、退出する。その間、殆ど無音だった。


『技術の無駄遣いだな』


 廊下を歩く俺の耳元で響いたのは人の形を模した小さな紙切れだった。否、紙ではない。式神である。松重の翁の式神だ。俺の右肩に寄り添うように飛ぶ式神……。


(毎回の事ながら、良くもまぁ結界を擦り抜けて入って来れるものだな)


 最悪の最悪、小さな式神が都の中に入る事は『裏技』があるので不可能ではないが……内京の、しかも公家の屋敷にまで入りこめるともなれば話は違う。流石元陰陽寮の斎宮助兼理究院長といった所か。隠行の出来は当然として、明らかに独自の加工技術で式神を作っていた。


「……何用でしょうか、師よ」


 周囲を意識して聞き耳立てる者がいないのを確認して歩きながら小さく俺はリモートで師事を受けている札付きの退魔士に尋ねる。式神はくっくっくっ、と嘲るように耳元で空気を響かせる。


『何、大した事ではあるまいて。少し家庭訪問をしに来ただけの事じゃよ』

「家庭訪問、ねぇ。それはどちらのです?」


 俺は探るように式神に尋ねる。ゴリラと違ってあの翁が単に面白そうというだけで態態労力を割いて式神を送り付けて来る訳もなし。そして家庭訪問という言葉も加味すればその目的は一目瞭然であろう。


「私も警戒はしておりますが、今のところは怪しむべき点はないかと」


 白狐の小娘の動きを俺はそう評する。


 妖絶対ぶっ殺爺な翁からすれば邪悪な妖気の大部分を失っても尚、半妖の餓鬼が警戒対象から外れる事など有り得ない。寧ろ都の内側に居座る以上その警戒は一層厳しいものとなるだろう。少しでも疑惑のある行動を取れば、実力行使さえしてきかねない。


『妖は卑怯で卑劣じゃからの。そして物事への認識も遠大じゃ。周囲の警戒を解くのに十年二十年演技をするなぞ簡単な事じゃて。まして化け狐のような頭の回る輩だとな』


 途中、屋敷の女中と擦れ違ったのでだんまりとしたまま会釈、若干怪訝な表情を浮かべる女中であるがそのまま去り、気配が消えると俺は会話を続ける。


「成る程、それは否定出来ませんね。化物共の時間感覚は人間とは違う。しかしだとしてもあのおどおどした態度を取りますかね?」


 化け狐は確かに狡猾で頭が回るが同時に気位が高い。庇護欲を刺激する演技はお手の物であろうが……あの子供らし過ぎる態度は流石に演技ではなかろう。ましてや自身の子供時代を恥部扱いして切り捨てた狐璃白綺があんななよなよした演技をするとは考えにくい。


『ほぅ、随分とまた自信のある物言いな事だな。外見が幼いからとほだされたか?あの成りではあるが本質的にはあれの年齢は主の十倍以上だと言う事を忘れるな』

「それは無論承知しておりますよ」


 原作ゲームでの所業を思えばな。とは言え、少なくともあの態度は演技ではないのは確かだ。少なくとも今の意識は完全に子供であろう。問題は今後であるが……。


『おやおや?浮気とは酷いなぁ。しかもあんな幼い狐なんて……これは驚いたなぁ。御姉さんみたいな大人の女性は好みじゃなかったのかな?』


 俺が歩きながら考え込んでいるとそう式神越しに声を上げたのは翁ではなかった。……というかおい。


「……翁、それは声帯を変化させる類いの術式でしょうか?」

『そんなに俺が話し相手でない事を祈るように話さないでくれないかい?流石に俺も悲しくなるじゃないか?』


 大して悲しくもなさそうな飄々とした口振りで答える女……いや、鬼の声。


「……翁。奴は今何処に?」

『文字通り儂の目の前じゃな。鬼らしい傍若無人な態度な事だ。此方側でこの会話を仲介させておる式神がおるのじゃが、先程ふんだくってくれおった。今使っているのは予備の式神じゃて』


 その声は左側……俺の左耳に現れた式神に僅に驚きつつもその事はおくびにも出さない。


「何故鬼がそこに?」

『仕方ないじゃないか!流石に俺でも、いや俺だからこそ都に入り込むのは厳しくてね。泣く泣くその御老人の御自宅で御世話になっている訳さ』

『こやつのような格の化物となると最初の結界の網すら誤魔化せんよ。一歩都に足を踏み入れれば直後何十と退魔士が参上してくる事じゃて』


 千年以上生きる鬼ともなれば大昔に力の大半を失っても尚、そこらの有象無象の凶妖よりも遥かに危険なのは言うまでもない。ましてや朝廷は都に入り込もうとする化物にどこまでも敏感だ。


『負ける積もりはないけれどね。別に都を滅ぼそうって訳じゃないんだ。態態騒ぎなんか起こしやしないさ』

 

 余裕綽々といった口調でそう嘯くがその実都に詰める朝廷の戦力にガチで怯えているだろう事を俺は知っていた。そりゃあ千年前にあんな酷い目に遭えば二度と戦いたくないだろうさ。


(というかまた監視されるのか。……凄ぇげんなりするな)


 鬼月の屋敷にいた頃もいつ見られているか知れたものではなくて生きた心地がしなかったのだ。鬼の逆鱗が何処にあるのか知れたものではない。それを都の公家衆の屋敷の中なら……と思ったのがこの様とは。


「……見世物だな、これでは」


 そう小さく呟いて俺は早歩きするとそのまま目の前に見えていた炊事場の障子を一気に開く。


 すると目の前には恐らくは障子の隙間から珍獣を相手にするように此方を見て何やら噂話していた数名の女中達。俺が目の前で見下ろせば彼女らは息を止めて緊張の面持ちで此方を見上げる。


「……失礼、姫様とお客人のお茶を淹れたい。そちらの仕事に介入する事になるが……命令なので御容赦願う」


 俺が手を持ち上げた途端恐怖に肩を竦める彼女らは、しかしそれが盆の上に湯飲みを載せただけのものである事を理解すると一度此方を見て、言葉を理解すると同時に小さく小刻みに頭を縦に振るう。


 此方の様子を窺いながらわたわたと緑茶を煎じる準備に取り掛かる若い女中達を一瞥しながら俺は今の会話が聞かれてなかったかと一瞬慮る。


(腹話術と防諜用の指向性話法でも練習するかね……?)


 ふと、自身もまた女中達と共に茶を淹れる準備を始めながらぼんやりとそんな事を考えていた……。


 



 温かい煎茶を湯飲みに淹れてもらい、序でに何処からか白の話でも仕入れてきたのだろう、女中の一人から彼女への餌……ではなくておやつとして金平糖の入った小袋を受け取った。


(いや、雑用かよ)


 どうやらあの狐、人見知りでゴリラ姫を除けば俺くらいとしか碌に会話もしたがらないらしい。そして、俺と幾度か話している所を見ていた女中達が彼女を餌付けするために俺を利用しようとしているようだった。いや、別に怖がられたり、侮蔑されるよりはマシだけどさ。


(いや、まぁそれはそれで好都合か……?)


 下人という立場は余り目立つ行動は出来ず、情報を集めるのも難しい立場だ。下手すれば他の雑用と会話する事すら注目されかねず、悪目立ちしかねない。


 ならば、あの狐娘はある意味では良い隠れ蓑では……?


 そんな事を考えつつ、俺は盆を手にその部屋へと戻った。障子の前でまず片膝を突いて申し出る。


「姫様、お客様、御申し付け通り茶を淹れて参りました」

「御苦労様、入りなさいな」


 その声に応じて、俺は隠行術を応用して静かに障子を開いていく。


「そうそう、追加で命令してあげるわ。………全力で足掻きなさい」


 障子を開いた直後、眼前に何かが光ったのを俺は視認した。コンマ一秒後、俺の身体は条件反射的に湯飲みを載せた盆を前に向けて投げ付けていた。霊力で脚力を強化して全力で後方に後退する。


 すっ、と仮面に浅い切り傷が入った衝撃を感じ取れた。これはっ……!


「……ほぅ、今の居合いに反応しますか。寸止めで終わらせる積もりでしたが杞憂でしたね。これならばもう少し本気で斬りにいっても良かったです」


 軽く三丈は飛んで屋敷の庭園に着地した俺は緊張しつつ目の前の声の主を見やる。障子を開いたすぐ目の前、そこにいるのは剣呑な表情を浮かべて長刀を構える赤穂紫の姿。彼女の足元には真っ二つになった盆と湯飲みが二人分落ちていた。部屋の奥には物見見物するような表情で脇息に肘をつく澄まし顔の桃色のゴリラにその傍らでプルプルと怯え震える白狐……。


 「……赤穂様、これなるは何事でありましょうか?客人の身でありながら訪問先にてこのような所業、僭越ながら御家の名誉に関わるものと愚考致しますが?」


 俺の発言に機嫌を損ねる赤紫色の髪をした少女。剣呑な表情を維持したまま彼女は刀を持つのとは反対側の手に携えていたそれを放り投げる。それが俺が置いていった半月前に支給された班長用長槍(三代目)である事に気付くと咄嗟にキャッチする。この殺気の満ちた空気の中で武器もなしにいられる程俺の神経は太くなかった。


「その件ならば心配御無用です。御従姉様より御許可は頂きましたので」

「この屋敷は逢見家のものなのですが……」

「安心しなさいな。私が上手く取り繕って上げるから。あるいは貴方が大人しく斬られるなら庭も荒れずに済むわよ?」


 冗談じゃねぇよ、と内心で愉快げに嘯くゴリラ様を罵倒する。


「御従姉様、心配なさらずとも流血沙汰なんぞには致しません。たかが下人、手加減くらいは出来ます。どうぞそこで我々の実力差が如何程のものか御鑑賞下さいませ」


 仏頂面で従姉大好き少女は鬼月葵に宣う。俺はそれに釣られるように彼女の表情を一瞥する。


「あらそう」


 彼女もまた仮面越しなのに俺の視線に気付いたようで、従妹の声に興味無さそうに生返事。そして……。


「ふふっ」


 小さく含み笑いを浮かべて此方を見つめた。

 

 ………はは!こいつ、遊んでやがる………!!


(ゴリラらしいと言えばらしいけどよ………!!)


 原作の傍若無人ぶりや自堕落、気分屋我が儘ぶりで思えば何も不思議ではないのが笑えない。この野郎、従妹焚き付けやがったな……?

 

「………主君の御命令とあらばこれに逆らう理由はありません。若輩、非才、未熟者の身故に満足頂ける手前ではありませぬが御容赦を」


 最早この嫌がらせを回避出来ない事を悟った俺は腹を括る。同時に可能な限り怪我をしないようにするために仕込みをいれておく。


「っ………!?それは嫌みかぁ!!?」


 次の瞬間、赤穂家の娘は予想通りに口元をわなわなと震わせて、顔を紅潮させ声を荒げた。そして……目の前から消える。


「っ………!?」


 俺はその一撃が来る方向に向けて『事前に』槍を構えた。同時に鳴り響く金属音……!!


「こっ……のっう!?」


 余りにも重い衝撃は、安物の槍では素材自体に霊力を注いで耐久性を高めても受け止めきれない事を直ぐに察した。故に瞬時に槍を傾けて衝撃を逸らす……!!


 剣撃が逸らされた事で激しい衝撃波が後方の庭園に向けて襲いかかる。次の瞬間轟音と共に粉塵と吹き飛ばされた庭園の木々の枝葉が宙を踊る。おい、今の本当に手加減してたの!?


「なっ……!?」


 一方、俺が今の一撃を逸らす事が出来た事に衝撃を受けたように目を見開く少女。いや、まぁ今のはカンニングなんだけど……って!?


「いや待っ……ちょっ……!?」


 肉薄する距離から妖刀の二撃、三撃が襲いかかった。俺はそれを一発目は回避し、二発目を槍の柄で軌道を逸らす。しかしそれを想定していただろう三撃目が襲いかかり……!!


「やっていられるかっ!!」


 咄嗟に足払いを仕掛けて相手のか細い華奢な足元のバランスを崩す。そして生まれるほんの僅かな隙を狙い俺は……距離を保つように後退した。直後に俺のいた場所の足元で生まれる視認すら出来なかった四撃目の斬撃の爪痕……!!


「今のに気付きましたか……!!」


 距離が出来たために一時小康状態に陥る状況……目の前の少女、赤穂紫は心底忌々しげに俺を見つめる。あるいは恨めしげにか。いや、今のもただのカンニングだよって……言っても納得しねぇよなぁ。


「手加減、して頂けるのでは?」


 僅か数十秒の内に荒れ果てた他所様の自宅の庭園を一瞥した後、先程の組み合いで汗をどっさりとかいた俺は尋ねる。


「しておりますよ。貴方を殺す積もりならば八撃は放てましたから」


 そう悠然と宣う目の前の少女は汗一つかいていない。そしてその言葉は嘘ではない。実際彼女が本気ならば先程の鍔迫り合いで十撃は叩き込めただろうから。


「姫様……」

「精々頑張りなさいな。目をかけてやっているのだから、一応応援してあげるわ」


 頑張りなさぁい、と扇子を振ってやる気のない応援を送るゴリラ姫。おう、知ってた。  


「……はは、やるしかないな。こりゃあ」


 さてさて、どう上手く負けようかね……?万一の勝機すらなく、勝っても碌な事がなさそうな理不尽な状況で、俺はどう最良の負け方に持ち込むかだけに思いを馳せて槍を構え直していた………。

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