32 完走
さて。
ここから以下、余談である。
無事にジャパンエキシビションでのライブの役目を果たしたメンバーたちはめいめい地元へ戻ったのであるが、本来であればこの物語はここで終わる。
しかし。
いくつかふれておかなければならない話がある。
まず星野真凛であるが、これは翌年の第16回大会の全国大会の1回戦で、江梨加が率いる鳳翔女学院といきなり激突し、僅差で前年度優勝校の八重垣高校が敗れ去るという大波乱を起こすに至る。
当時3年生の真凛はここで音楽の道から身を引き、製菓学校へ進んで洋菓子の世界へ飛び込み、のちに洋菓子の本場のフランスへ渡った。
いっぽうで。
八重垣高校を破った鳳翔女学院高等部〈West Camp〉は2回戦も首位通過で突破し、準決勝で敗退するまで僅差の展開を見せ、鳳翔女学院を軽音楽部の強豪チームにまでノンタン先生とともに江梨加たちは作り上げた。
江梨加と桜花が引退したあと、千沙都と美織、薫子の3人は後輩とバンドを受け継ぎ、たびたび出場しては赫々たる成績を残し現在に至る。
さて。
ジャパンエキシビションでのライブの時点で進路が定まっていなかった江藤ひなたは、そのまま地元の佐賀にある弘道館大学へ進んだ。
弘道館大学では軽音楽サークルの立ち上げに参加し、のちに北海道のギターメーカーへ就職し、やがて純国産木材のギター開発の一員として、テストギタリストの役目を担うこととなった。
北海道へ行くことを勧めたのはノンタン先生で、
──うちの実家に出入りする木材メーカーさんで、道産材ギターを作ってる会社がある。
という話を聞いたひなたは、
「いつか自分で作ったギターでライブをしてみたい」
と言い、それが直接のきっかけとなって渡道した──とのことであった。
のちに自作のギターを手に札幌でライブを開催し、ラジオ局の目に留まったのを機に、会社勤めをしながらパーソナリティをつとめる二刀流生活をするに至る。
ところで。
今出川女子大学へ進んだ神崎せつ菜は、妹のアリスの病気をきっかけに心理学を学ぶようになり、カウンセラーの資格を取得すると、卒業後に弘前へ戻り心理カウンセリングの会社を起業、若くして経営者となった。
「もう少し、アリスのそばにいてあげたら、こんなことにはならなかったのかも知れない」
他日、せつ菜は本心を白澤翼に打ち明けているが、
「それぁアンタのせいやないきに、アリスちゃんに東京ってところが合わんかっただけやき」
それでもせつ菜には呵責があったのか、アリスが寛解の状態になるまで、彼氏を作ることもなく、臥せりがちなアリスの面倒を見ていたようである。
アリスの状態が落ち着いた頃、卒業後にアメリカへ渡っていた清家カンナが、結婚したアメリカ空軍の軍人とともに三沢へ赴任したタイミングで弘前を訪ねた際、せつ菜のもとをおとずれている。
カンナが3人の子供とおだやかに暮らしていることに初め驚いたものの、
「でもカンナちゃんが一番最初に結婚すると思ってた」
せつ菜はそんな予感がしていたらしい。
そのせつ菜も程なく弘前大学の助教と結婚し、夫の地元の札幌へ渡ると、ギターメーカーの小樽工場につとめていた江藤ひなたと再会を果たし、2人で音楽活動を趣味で再開したのであった。
専門学校から声優の道を選んだ東ルカが、バンドのボーカリストの役を勝ち得た際に驚いたのは、ライブシーンのスタッフの一人としての楠かれんと再会したことであった。
「かれんちゃん、ギタリストになったんだ?」
「ルカちゃんも声優さんになるなんて…夢を叶えたんやね」
互いにそれぞれの道を進んだ先で再会を果たしたことを喜びながら、しかしその胸中は少し複雑でもあった。
「可奈子ちゃん、ドラムやめたんだもんね」
ルカが聞いた限りでは、難聴でドラムを叩けなくなってしまったとのことであったが、
「あれだけの子だから、もしかしたらストレスが半端じゃなかったのかなぁ」
かれん曰く、プロの高校生ドラマーとして活躍していた最中での発症であっただけに、かれんも後輩からドラムをやめる話を聞いたとき、何と言葉をかけてよいものか、すぐには言えなかったらしかった。
それでも迷惑はかけたくなかったようで、
「新しいドラムの子みつけといたよ」
そう言って引き継ぎをしてからやめたあたり、可奈子が実は責任感の強い気質で、あの強気な言動はみずからへの厳しさの裏返しであったことを知ると、
「私も何にも分かってなかったんやなって」
かれんには、後悔の念だけが残った。
さて、宥である。
実のところ、宥だけはほとんどメンバーと会わない道を歩んでいる。
「No.1のマネージャーになる」
結果として選んだのは当初の宇治市立大学ではなく、桜花の地元にあった和歌山学院大学であった。
学費が私学にしては安かったこと、関西にあって帰省が楽であったこと、何より系列校にスクバンの強豪校である和歌山学院大学高校があって、参考になると踏んだこと──なんとも宥らしい結論ではあったろう。
2回生になると桜花と再会し、そこで江梨加がソロの歌手としてインディーズレーベルでデビューしたことを聞いた。
「ずっと、桜花ちゃんのことが気がかりでね」
宥は桃花を亡くした桜花のことを気にかけていたらしい。
「もう大丈夫、私は私ですから」
桜花の言葉を聞いて安堵したのか、宥はマネジメントを本格的に学び始めた。
3回生のときには、付属の和歌山学院大学高校のスタッフとしてスクバンの第18回大会に随行、第4回大会以来となるひさびさの決勝進出に貢献し、和歌山学院大学高校も14年ぶり2回目の全国優勝──という結果を残した。
そうしていわゆるマネジメントでの実績を引っ提げて就職活動を開始した宥であったが、なかなか内定に結びつかない。
いよいよ詰んだか──そう思われたときに手を差し伸べたのは、御船さおりであった。
「あなたに私は借りがあるから」
宥は御船さおりに貸しを作った記憶などないが、御船さおりにすれば、何か借りであったのかも知れない。
「私の紹介で良ければ」
紹介されたのは、クイーンレコードという音楽会社である。
御船さおりの紹介ということもあって、難なく内定を得ることが出来たので、返礼品を持って上京すると、
「実はあのときのライブのおかげで、アメリカ大使付に異動することになって」
官房付に3年間いたが、つまり栄転である。
ゆくゆくは大使になる可能性が出てきた──ということらしい。
「あなたのマネジメントの力は私が知ってるから、次に何かあったら頼むかも知れないけど、そのときにはよろしくね」
御船さおりと握手を交わし、このときは別れた。
卒業を控えた日、桜花が卒業後に音楽を離れて一般企業に就職する旨を聞いた宥は、
「うちももうすぐ関西を離れるけど、戻ってきたらまた一緒に海とかドライブしようね」
すでに免許も取り、4月からはクイーンレコード社の新人マネージャーとして働くことが決まっている。
「まぁ最初は上手くいくことなんかなくて、後悔することもあるかも知れへんけど、でもやってみな分からへんこともいっぱいやし、まぁやるだけやってみるわ」
あのときみんなで軽音楽部つくったみたいに──おずおずあらわれた桜花との出会いからは、もう6年が過ぎようとしていた。
「宥先輩、今までありがとうございました」
桜花は深々とお辞儀をした。
「桜花ちゃんも、たまには東京に遊びにおいで」
かれんとルカもいるし──すでに連絡を入れてあるらしく、会う約束も取り付けてある。
東京へ発つ──という日、ひさびさに来た京都駅には貴子と薫子、京都に残っていた美織、さらには堺雪菜と、専門学校から美容師になっていた西葉月が来ていた。
折からの雨はやみ始めている。
「何かさ、照れ臭いよね」
貴子が歌い始めたのは、スクバンの決勝で歌った『なないろのメロディ』である。
「…じゃあ、行ってくるね」
宥は、泣かないと決めていた。
改札を抜け、新幹線に乗るまでは笑顔もあった。
発車ベルが鳴り、ゆっくりと車輌が滑り出し、やがて今熊野のトンネルを抜けて琵琶湖が見えてきた頃、宥の眼からはぽろぽろ涙がこぼれ始めた。
「…何でやろか」
少し過ぎて、窓の向こうの名前の分からない山の稜線のさらに上の青空に、虹がかかっているのを見つけると、
「あ、虹…」
まるで頑是ない子供のような眼差しで虹を追い、やがてそれは薄くなって消えた。
【完】
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