26 遺産
選抜メンバーの練習が始まって間もなく、メンバー全員に対してユズ先生から連絡があった。
「曲数はだいたい10曲、カバーとオリジナルをだいたい5曲ぐらいずつ用意しておくこと」
という内容である。
エッフェル塔広場での使用許可など外交交渉は御船さおりが交渉することとなって、音楽の内容などは選抜メンバーで決めるように──との由で、
「高校生の自主性に任せてなんて書いとるけど、要は丸投げもえぇトコやん」
楠かれんに言わせると身も蓋もない。
しかし。
オリジナルナンバーを5曲もと言われても──神崎せつ菜の嘆きに、宥は何かを思い出したようにバタバタ席を立って、
「あのさ…こういうのあるんやけど」
出してきたのは、何やら紙袋に入った譜面のファイルであった。
もしかしてそれは──宥が手にした紙袋に、桜花は見覚えがある。
「そう、桃花ちゃんの」
かつて桜花が、姉の桃花の形見を託されたときに渡された中にあった、あの譜面が詰まった紙袋である。
「この中からいくつか曲と詞の揃ってるのがあって、それをデータ化したものを今回使おうかと」
それなら曲の準備もできるし、桃花の遺志も無駄にならない──宥は述べた。
「桜花ちゃん…いい?」
「私は構わないけど…他のみなさんが」
桜花はパソコンの画面越しの神崎せつ菜に問うた。
せつ菜は話を聞いて黙って頷き、
「そんな素晴らしい贈り物があるのなら、むしろそれを使わないのは恥ずかしい話です」
他にもありますか──せつ菜の声に宥は、
「今出川女子大学の方から預かってる物もあります」
さらに出したのは、前に新島実穂子から託された、譜面のファイルの入った紙袋である。
せつ菜は桃花の話は薄々耳にしていたので、そこでは驚かなかったが、新島実穂子の楽譜は知らなかった。
「新島実穂子…名前は聞いてます」
関西では知らぬ者なしと言われた、いわゆる消えた天才のような存在のスクールバンドのボーカリストなのである。
その彼女の楽譜があることに驚いたが、
「それだけあるのであれば、作曲の必要はなさそうですね」
バンドリーダーの私の一存で利用を認めます──せつ菜が敢えて一存と言ったのは、もしかすると御船さおりの件が頭にちらついたからかも分からない。
せつ菜は宥から示された楽譜の件を白澤翼や江藤ひなた、星野真凛に提示すると、
「それを使えばいい」
未発表であれば学籍も関係はないルールのはず──江藤ひなたの一言で方針も固まり、他のメンバーからも異存はなく、桃花と実穂子の楽譜からそれぞれ2曲ずつ選ばれることが決まった。
先に宥はユズ先生に報告をすると、
「御船さんには?」
「まだ話してません」
「面倒かもしれないが、御船さんにも相談しておきなさい」
なるほどそうかも知れない──宥は御船さおりにメールを送信し、報告を入れておいた。
すると。
「部外者の楽譜の使用は認められません」
という回答が帰ってきた。
そこで宥は、
「それでは、どの範囲での使用が認められているのか教えて下さい」
と返した。
「それはみなさんで作詞作曲した物に限られます」
御船さおりの返答はそれだけで、あとは部外者であるとの一点張りであったので、
「了解しました」
ここまでのやり取りを文書化したデータを、宥はユズ先生のアドバイス通りにユズ先生へまとめて提出した。
この一連の報告を松浦代表が聞いたのはその直後で、松浦代表は電話をかけた。
「松浦ですが、中島外務大臣はおられますか?」
かけたのは秘書官で、松浦代表が宥から示されたユズ先生の報告をそのまま伝えると、
「大臣に報告しておきますので、後ほど書面かメールで送付をお願いいたします」
との由で、メールを送信すると、
「了解しました。お手数おかけしますが、大臣には報告しておきます」
秘書官からの一連のやり取りが終わると、
「全く…手間ぁ取らせやがって」
とのみ言い、あとは松浦代表は渋い顔で黙ってしまった。
2回目の全体会議の日、異変があった。
「今回から担当となりました、大臣官房の児玉健次郎です」
御船さおりから変わっていたのである。
「あの…御船さんは?」
宥が恐る恐るたずねると、
「御船は大臣官房付に異動しました」
どうも担当を外れたらしく、新しい担当者に変わったようであったが、逆に児玉健次郎を見て驚いたのは、ドラムの児玉可奈子であった。
「…パパ?!」
この言葉にびっくりしたのは他のメンバー全員で、
「まぁ御船くんは慣れない仕事で焦ったりしていたようだったので、適材適所の部署に異動したみたいなんですけどね」
要は体のいい更迭にあったらしかった。
「それでは進捗状況についての報告を、紺野さんと東久保教諭からよろしくお願いします」
あまりにも何気なく始まったので、宥は背筋が凍りついたような寒気を感じたのであった。
まるで宥が、御船さおりを追い出したかのような結論になってしまったので、罪悪感をおぼえたのか宥はノンタン先生に、
「私はユズ先生に言われたまま報告しただけなんですけど…やっぱり桃花ちゃんの楽譜を使っちゃアカンのかなって」
胸中のわだかまりを明かした。
「そうかな?」
ノンタン先生は静かに語り始めた。
「私は、あなたは悪くないって思ってるよ」
歳が若く、宥と歳が近いのもあって、宥はノンタン先生を姉のように信頼しているだけに、ノンタン先生もまるで宥を妹のように接するところがある。
「あなたは桃花ちゃんや実穂子ちゃん、つまり全国に行きたくても行けなかったバンドの思いも、何とか形にしようとしただけ。──それは悪くないし、私はむしろいいと思う」
それが御船さんは理解できなかっただけ──ノンタン先生は見抜いていたらしく、
「人間には不思議なもので、こうすれば順序よく動くのに、何故かそれをバラバラに並べたり、手順を守れない人がいる。でもそれは単にその人にそれが分からないだけで、別に罪でもなんでもないのだけど、それが社会に出ると余計な手間を増やすから、それでまるで犯罪者のような扱いを受けてしまう」
もしかしたらその遠因は、私たち教育者なのかも知れないんだけどね──ノンタン先生は述べた。
ノンタン先生の言葉を聞きながらなぜか宥が思い出したのは、かつて堺雪菜が生徒会長をつとめていた頃に、
──あちこち足りないピースを補いながら、あーでもないこーでもないって言ってくる人たちを納得させなきゃならないし、これほど手間のかかる話はない。これが社会に出たら、ほとんど同じことが約50年続くかと思うだけでゾッとする。
そう言って笑って受け流していたことであった。
おそらく似たようなことが、あったのかも知れない。
それを雪菜は腹立てることもほとんどなく、淡々と事務をこなし、それが宥にはさながら悟りを開いた僧のように映っていたのであったが、あらためて問うてみようとすると、
──もう最近はゼミとかレポートが忙しいから、生徒会の頃のことは忘れがちやねん。
などと、雪菜は宥からのLINEにそれだけを返し語らなかったので、とうとう詳細は分からずじまいであった。
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