18 継承
桃花の一件からこの方、桜花は少しだけ行動も変わった。
一人で練習をすることが増えたのである。
もともとドラマーだけに独りでリズムを刻んだりすることの多かった桜花であったが、このところ特に単独行動が増えてきたので、
「桜花ちゃん、大丈夫なんかなぁ?」
宥が心配のあまり、マネジメントの作業を止めてわざわざ様子を見にゆくほどであった。
さりとて。
桜花はうまく人の気をはぐらかすところがあって、それでいて変に気を遣われるのを好まない。
少しばかり
そんな桜花に何も言わず、向かい合ってギターを弾くのがカンナで、カンナは余計なことも言わないし、かといって全く桜花に関心がない訳でもなく、
──ドラムと練習をしたいから。
そうやってパキパキした東京弁でクールに言うのである。
「カンナ先輩って、何か昭和の匂いがする」
というのは江梨加の述懐であるが、口数は少なくても別に冷たい訳ではなく、ただ穏やかに見守るカンナがいることに、桜花は安心感を得ていたのも事実であった。
桜花はカンナに、
「何でいつもいてくれるんですか?」
問うたことがある。
カンナはしばし考え込んで、
「うーん…信じてるから、かな」
とだけ答えた。
転んだときに手を差し伸べる人も、優しく言葉をかける人も世の中にはいる。
しかし黙って信じて隣にいる人の、その数の少なさを考えたとき、カンナの行動は実に重要であるように桜花には思われた。
他方で、バンドリーダーである貴子だけは、桜花の気持ちを慮ったとき、せめて今からでも妹である薫子のことだけは大切にしてあげなければと思ったのか、
「薫子、セッションの練習しよ」
姉妹で過ごす時間を増やすべく心がけるようになった。
貴子はバンドリーダーという立場である以上、時間は限られている。
しかも全国大会まで1ヶ月を切っていた。
全国大会が終わればすぐ受験の対策もあって、薫子と過ごせる時間は少ないのである。
薫子もそこは理解していたのか、
「別に実家ぐらしやし離れて暮らす訳でもないんやけど、まぁそこは空気読んで、付き合ってあげなあかんよね」
美織と千沙都の1年生組で集まっている方が薫子は楽しくて好きであったのだが、貴子の思考を何となく読めるだけに、スクバンの全国大会が終わるまでは、相手をしてやろう──と、そんな風に思っていたフシがあった。
全国大会まで残りあと半月ばかりとなった頃、桜城高校の櫛引慧子が鳳翔女学院を訪ねてきた。
「その節はありがとうございました」
櫛引慧子の手には紙袋がある。
「先日、cherryblossomのみなさんからお預かりしたのですが」
という前置きで渡された紙袋には、桃花が部室に遺していた歌詞ノートや譜面、日用使いのペンやら様々なものが入っていたが、
「白川桜花様へ」
と記された封筒があった。
「何やろ?」
桜花が封を切ると、それは今回の事故で軽症であった部長・
「白川桜花様 この度は不躾ながら一筆啓上いたします」
という書き出しで始まり、事故の前に桃花が桜花とステージでの対戦を楽しみにしていたこと、日頃の練習から常に桜花のドラムを非常に高く評価していたこと、そして桜花が桃花のことを重圧に感じているであろう心境を知っていたこと──という内容がしたためられてあった。
最後は、
「桃花の無念を思うと胸が張り裂けそうになりますが、どうか桜花さんらしく、全国大会を戦ってきてください」
と書かれ、芸事の神様である
「この御守は代々桜城高校で必勝祈願をする際に渡されるものです」
今回も祈願の際に授けられたものであったが、
「みなさんに庇護がありますように」
と締めくくられてあった。
手紙を読み終えると、桜花は黙ったまま唇を噛みしめていたが、やがてみるみる顔が歪んで膝から崩れ落ち、嗚咽の声をもらし始めた。
「…桜花が泣くとこ、初めて見た」
この子、1年生のときに学食で先輩にプリン横取りされても、悔しがったり泣いたりせぇへんかったのに──江梨加はわざと明るく言って、冗談めかそうとしたがそれは徒労で、江梨加はそっぽを向いて天を仰いで、泣くまいと拳を握りしめた。
しばし、
「桜花ちゃん…何となく、分かってたのかも知れへん」
薫子が、ポツリと言った。
同じ妹という境遇から、勘が働いたのかもわからない。
「それって…?」
「双子って、お互い無意識に分かるらしいんよね」
薫子は仄聞したことがあったらしい。
桜花が、顔を上げた。
「…大丈夫、みんなおるよ」
薫子は手を取ると、
「桜花ちゃんの悲しみは、うちらの悲しみでもあるしね」
桜花はハッとした顔をしてから、
「うん!」
ようやくそこで笑顔になることが出来た。
週明けの放課後。
桜花が部室にあらわれた。
「桜花、それは?」
江梨加が気づいたのは桜花がつけていた、つまみ細工の桜があしらわれた髪留めである。
「これ…こないだの紙袋に入ってて」
未開封で新品であったところから、どうやら全国大会への出場が決まったら使うつもりであった物らしい。
「桜花、それ似合うやん」
「ありがとう、江梨加ちゃん」
前より桜花は落ち着いたようで、
「そろそろ最終の音合わせせなあかんね」
前向きな発言が出てくるようになって、何とか全国大会に間に合いそうである。
「さ、ほなちょっと音だけ合わせとこか」
いつもの調子で江梨加がキーボードの前に座ると、それまで隅でチューニングをしていた千沙都や貴子が、やおら集まり始めた。
遠巻きに宥とノンタン先生はその様子を眺めていたが、
「…あれなら何とか1回戦は突破できそうね」
ノンタン先生は言った。
「ま、スクバンほど番狂わせが起きるものも、そうないんだけど」
「ノンタン先生のときはどうやったんですか?」
「私のときは、途中でボーカルの子の声が出なくなって、サブボーカルの子がメインに変わって、それでも決勝にまでは行けたから、運だけはあったみたい」
「運…かぁ」
「それでも決勝で停電になったり、アクシデントはあったけど最後はアカペラが効いて優勝できて…だからね、最後まで諦めたらダメだし、何が起きるか分からないから準備だけは怠らないって、桜城のときには教えてたかな」
「そうやったんですね…」
「でも、バスが事故ることは予想できなかったなぁ」
ノンタン先生は深い息をつくと、
「でも私たちは、それこそ今出川女子とか桜城の分までの思いを託されてる。もちろん桃花ちゃんの分もね。当然、みっともない戦いなんか絶対に出来ないってことだけは、当たり前だけど覚悟しなきゃね」
「はいっ!」
宥はハキハキした返事をした。
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