第2話 初乗務

あれから何年もの月日が流れ、ようやく耳と尻尾を消して制服を纏うのも様になってきた。そんなある日のことだった。

「やっとうるさい上の許しがでたんだ。さぁホン、今日はお前が機関士だ。行くぞ」

そう言って師匠がブレーキハンドルとともに渡してきたスタフ(注3)を見た瞬間血の気が引いた。

記載されていたのは、非力なミナコには厳しい峠越えの路線。さらに引っ張る車両は重量のある荷物車(注4)や郵便車(注5)ばかりの編成だった。

「こんなの無理だよ」

思わずそうつぶやくと、すかさず師匠から突っ込みが入る。

「よく見ろ、荷物車は空車だし、郵便車も積車はたったの1両だけじゃないか。換算(注6)計算してみな」

「えっと、郵便車はオユが積車で、あとはスユニとスニが空車、荷物車はマニの空車が6両だから……換算48両。ギリギリセーフ?」

「だな。何、いざとなったら俺がついてる。心配すんな」


◆      ◆      ◆


ホームに上がるとピィーッという短い汽笛が聞こえ、元気よく黒煙を噴くミナコが遠くに見えた。

あいつまたふかしやがって。さては途中の坂で失速して持ち返そうと回復運転でもしていたんだな? 師匠がボソッとつぶやいた。


「荷8814レ(注7)、異常ありません」

「ご苦労様」

「ご苦労様です」

「いやぁ、交代が師匠なら安心ですね。自分の腕ではこの先の区間はとてもとても」

「ほう? そんなこと言ってるとホンに負けちまうぞ?」

「えっ、今日ニホちゃんが乗るんですか?」

「あぁ、今日はホンの初乗務だ」

こくんとうなずいたニホンオオカミはかなり緊張しているようだった。

「ほれ、先乗って椅子の高さでも合わして待っとけ」

「うん」

そういうと彼女は一足先に運転席へと消えた。

「大丈夫ですか、ニホちゃんで」

「大丈夫だよなぁ、ホン。ハンプ(注8)で練習したもんなぁ」

「えっ!?」

「あぁ、いい、いい。気にすんな!」

「ワキハマ操(注9)の入れ替え用DE(デーイー)(注10)が壊れたとは聞きましたけど、ハンプにDFがいたのはやはり師匠の仕業でしたか」

「ああ。困っとったから、ホンの特訓にちょうどいいわと思ってな」

「無茶なことしますね」

「何を言う。昔はみんなああして本線の機関車の練習をしたんだ」

「いつの時代の話ですか。もうSLが走っていたような時代じゃないんですよ?」

「まぁこまけえことはいいんだ。いい練習になったろうからな。じゃ、後は任せろ」

「はい、御安全に!」

「御安全に」


乗務員室に入って扉を閉めると椅子に腰かけたニホンオオカミがいっちょまえに喚呼をしていた。

「ブレーキ圧力よし、ATSよし、列車無線よし、エンジン回転数よし、冷却水温度よしっ!」

「ホン、肩の力を抜け。別にこいつのハンドル握るのはじめてじゃないだろう」

「でもはじめての本線だから……」

「へーきだ、平気。事故さえ起こさなきゃなんとかなる。客はのってないから急制動も平気だぞ?」

「もう、師匠ったら酷い」

赤面したニホンオオカミはきっとはじめてミナコのハンドルを握った時、ブレーキの効き具合がわからなくて低速なのにブレーキをめい一杯にかけた時のことを思い出しているんだろう。たしか添乗していたらすっ転びそうになったもんだから軽く拳骨を落としたんだったかな?


出発を前にした運転室に一瞬の静寂が訪れ、心地よいアイドリング音が聞こえる。

「ほらそろそろ時間だぞ」

師匠がそう言うと前方のポイントが切り替わり、出発信号機に青い光が灯った。

「出発進行、ワキハマ定時!」

ブレーキハンドルを緩め位置に戻し、ノッチを入れるとエンジンの咆哮が一段階高く大きくなり、エンジ色の巨体がゆっくりと進み始める。

「制限35!」

ガタゴトと大きな音を立て車体を左右に揺らしながら分岐器を越えると単線の線路は緩やかにカーブしながら山並みへと続いていく。

「列車両数10両、制限解除!」

最後尾の車両が分岐器を渡り合えたという標識を超えたので歓呼と共に再びノッチを進めていく。

「ホン、あんまり慌てて進段するなよ? 急にエンジン吹かすと電圧上がりすぎてモーター空転するぞ。ちゃんと電流計見てな?」

運転席のパネルに埋め込まれた電流計をちらっと見ると針がふらふらと動き、少しずつ下がっている。耳をすませば針の動きに合わせて時折モーター音が甲高くなっていた。この位の空転ならと思い進段を続ける。

「ホン、峠の前に速度を稼いでおきたい気持ちは充分わかるが、まだここは序の口だ。そんなにむきになって速度をあげなくても平気だからな?」

師匠がそう言うと10‰の勾配表示が目に入った。

「これぐらいならミナコはまだ加速できるさ。本当にまずいのは25‰を超えるゴホウ、イナリハラ間だからな。まぁそれだってこの前のハンプよりは緩いんだからあわてるな」

落ち着いて進段速度を緩めると空転は収まり、エンジンの唸り声と高らかなモーター音を奏でながらミナコはずんずんと山道を上っていく。


ミナコもといDF50形ディーゼル機関車はディーゼルエンジンで発電機を動かし、その発電機で生み出される電力で台車につけられた6基のモーターを回して走る電気式という方式を採用している。走行用モーターの回転数制御はエンジンの回転数を変動させ、発電機から出力される電圧を変化させることで行っている。だから急にエンジンをふかすとモーターにかかる電圧が急上昇し、空転が起こってしまうのだ。

そしてこの電気式は大出力に耐えられる液体式変速機が出来るまでの繋ぎに過ぎなかった。大出力に耐えられる液体式変速機が実用化された今日、発電機とモーターを搭載するために車両単価が高い、車両重量が大きい、エネルギーロスが大きいというデメリットを抱えた電気式は淘汰される定めにあった。

特にDF50では設備が貧弱で重量のある機関車では入線できないようなローカル線でも運用できるように設計されたため、車両軽量化への要求水準が厳しかった。このため充分な出力のエンジンと発電機を搭載することができず、パワー不足気味となり、より扱いにくい機関車となってしまっていた。  

さらに老朽化のために暖房用SG(注11)の故障件数が急増し、DDやDEによる代走が発生していた。

この状況を打開すべく、パーク鉄道では更新工事を実施した。内容は故障ばかりで半ば重石となっていたSGの撤去と機関更新であり、施工された車両は300番台へと改番が為された。

しかし、見込みよりも出力の改善が見られない、暖房の必要な区間では旅客列車をけん引できないなど問題も多く、わずか数両で更新工事は打ち切られた。

そして本土国鉄の事業見直しで余剰となったDDやDEがパーク鉄道に譲渡されると、すっかり旧式化したDF50は急速に姿を消していった。

ニホンオオカミがハンドルを握ったこの日、ミナコがひとりぼっちになってからすでに7年の月日が経過していた。乗務員室内に置かれた重連用ジャンパ連結器(注12)はどこか所在無げだった。

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