出会い④
ダメだ。僕は完全に今、ミサリィに主導権を握られている。
早くこちらに手綱を引き戻さなくては。
「ははぁ、わかったぞ。さては無名作家を持ち上げられるだけ持ち上げて、何かの情報商材を売りつける気だな? 危ない危ない、危うく引っかかるところだったよ。モデルにも女優にもなれそうな麗しい容姿をした若い女の子が、見ず知らずの無名WEB小説家に会いに来るメリットなんて何一つないもんな」
軽く涙ぐんでいたミサリィの顔は、僕の芝居がかった長台詞を聞いているうちに、デフォルトの表情へとリセットされてしまった。
「先生、私の言葉を全く信じてませんね?」
「僕はネット上で知り合った人間を、信用しないようにしてるんだ」
「とにかく、先生は先生が思う以上の小説家さんだということです。いつか、私が言った言葉が正しかったとわかる日が来ますから」
「はいはい。あっ、それと対面に座ってもらえる? ソーシャルディスタンスは守ろうね」
それから僕は、テーブルに運ばれてくる焼き鳥やらチャーハンやらを食べながら、ミサリィに対して身辺調査をしていった。
本名は
現在は
大学の文芸サークルで代表を務めており、年に三回、文芸フリマで同人誌を出している。
バイトは派遣型の家庭教師で、女子中学生二名相手に週四回、それぞれ数学と英語を教えているらしい。
実家は徳島にあり、現在はさいたま市で独身生活をしている叔母のマンションに部屋を借りて下宿中。そこから新座にある大学へと通っている。
たしかに今まで僕がTwisterで見てきた情報とも符合する。
フォローしてくれたときは高校生だった彼女が、こうして立派な大学生になったというのは感慨深いものがあった。
「卒業後はどうするとか決めてる? ってか今、就活中?」
「地方公務員になるために試験勉強をしています。なるべくこの辺りで勤められたらいいなと」
「地元には帰らないの?」
「それだけは無いですね」
何か家庭の事情でもあるのか? それとも昔トラブった元カレに会いたくないとか?
「ふーん」
「将来的には先生に長期的なサポートが出来ると思います。現在なさっている清掃業のバイトを辞められるくらいのサポートは――」
「いや、それはいい。返せる見込みも、人様からお金を借りる義理も無いし」
「返さないで結構ですよ?」
「ちょっとミサリィさん、逆の立場に立って考えてみてよ。初対面の男から『あなたの大学生活を支援したいので百万円をお渡しします。あと、これからはお小遣いも差しあげます』って言われたら、そのお金受け取る? 何考えてるかわかんなくて怖いでしょ」
「でも先生とはリアルでは初対面ですが、三年以上もTwister上でやりとりしてきた関係じゃないですか」
「いやいや、それは金銭的な利害関係がなかったからだよ。一万や二万のプレゼントをもらうような話じゃないんだよ?」
「先生のことは私が誰よりも理解しています。もちろんまだ先生の全てを理解しているとは言えませんが、これから先生の全てを理解していくつもりですから」
『先生のことは私が誰よりも理解しています』……か。
やっと、僕の腑に落ちるストーリー展開になってきた。
そうか、そういうことか。
彼女は“そういう類の人間”だったのか。
今の発言で、外見の清楚さや、真っ当なキャリアからは想像も出来ないような彼女の心の深い闇が垣間見えた気がする。
一言で言えば、熱狂的信者。
売れないヴィジュアル系バンドマンに、痛々しいほどの献身的サポートをしてのけるバンギャのようなものだ。崇拝対象が音楽から小説になっただけ。こういう人って、本当にいるんだなぁ。
「なるほど。気持ちは嬉しいよ」
「おわかりいただけましたか?」
「うん、わかった」
君のことはわかった。わかってあげられないことが、わかった。
それから僕たちは二時間ほど世間話や好きな作品のことを話して、オフ会をお開きにした。
「まだ終電まで時間があるので、二次会しませんか? 今度は私が持つので」
「いや、今日はここまでにしよ。改札まで送ってくよ」
「あ、実は私の下宿先、この駅の反対側なんです」
「えっ、そうなの!? じゃあ、ここで解散にしよっか」
「ではまた、近いうちにお会いしましょう」
今は同じ市内に住んでいるとは知っていたけど、まさか最寄り駅まで同じとは。しかも駅の反対側とか、僕のウチと同じ方向じゃん。なにその偶然、こわっ。
彼女の後ろについて歩いてってストーカーに思われるのも嫌だったから、僕は彼女に手を振って、小走りでその場をあとにした。
駅の階段を上がり、会社帰りのビジネスマンたちでごった返す改札口を通り過ぎ、各商業施設と接続した高架歩道橋を渡って降りて、住宅地へと繋がる暗い小道を進んでいく。
それから十分後、僕は自宅アパートの隣にあるコンビニに立ち寄り、ATMでお金をおろすことにした。
三万円を引き出したあとの残高は五万九千円ちょい。十万円という最終防衛ラインが突破されてしまったというのも、引退宣言をした理由の一つだった。
「先生、なんでこんなところにいるんですか?」
お札を財布に入れながら聞き覚えのある声に振り向くと、黒いマスクをつけて、黒いリクルートスーツを着た女の子が、こちらを見ながら立っていた。彼女はコンビニのビニール袋を手に持って、店から出ようとしていた。
「もしかして、私を尾行してました?」
「いやいやいや!! ないないない!! ってか、僕の方が先に帰ったっしょ?」
「たしかにそうですね」
まるで漫画のように、こめかみから汗の雫が垂れていく。
ミサリィと一緒にコンビニを出てきたはいいものの、このあとどうするのが正解か全くわからない。ただ、ここから徒歩一分の交番まで、腕を引っ張られていくのだけは勘弁してほしかった。
「えっとぉ……ミサリィさんの下宿先もこっちの方なんだ?」
「はい、というよりも近所ですね。もうすぐそこです」
「え゛? そうなの? じゃあ、すぐに別れた方がいいね!」
「あっ、あれ、あのマンションです。私の下宿先」
指で差されたのは地上三十階建てのタワーマンションで、なおかつそれは僕が住んでいる三階建ての安アパートを上から見下ろしていた。
「はああああ!? ええーっ??」
目と口を全開にしてフリーズ状態の僕の目の前に、ミサリィからカード状の何かが突き出された。それは学生証の裏面で、彼女の現住所らしきものが記されていた。しかもその住所は[〜丁目]の部分まで、僕の住んでいるところと一言一句変わらない文字列だった。
「先生はどちらに住んでいらっしゃるんですか?」
「ここのアパートだけど――」
僕がそう言いつつ親指で後ろにあったアパートを指すと、ミサリィは口元を手で押さえながら、またもや瞳を潤ませていった。
「うそ……運命じゃないですか……」
なんてこった。安っぽい恋愛小説の第一章かよ――いや、待てよ?
そこで僕は重大なミスを犯してしまったことに気が付いた。
あらゆる個人情報の中で、最も重要かつ秘匿せねばならないであろう現住所を、あろうことか僕の作品の狂信者である彼女に教えてしまったのだ。
脳内で流れていた華やかなアップテンポのBGMは、次第にホラー調の不協和音へと変わっていった。
「それじゃあこれから、毎日先生のお宅に伺えますね!」
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