私のために小説を書いて
犬塊サチ
第一章 摩擦
出会い①
駅構内の雑踏の中で、彼女の存在感は際立っていた。
蟻の群れが入り乱れるような改札の周辺に、天井まで螺旋状に伸びた金属のモニュメントが置かれている。
その待ち合わせスポットを取り囲む人々の輪の中に、黒いリクルートスーツを着た一人の女の子が立っていた。
女子大学生にしては背が高く、僕と同じ170cmくらい。
黒いジャケット、黒いパンツスーツ、白いカッターシャツを着ている姿は、まるで就活生だ。
八月の蒸し暑い夕方に、その服装で暑くはないのか。
清潔感はあるが、それ以上に実直さを感じる。
だが、トップスを穿たんとばかりに張り出た二つの膨らみが、その服装が演出するはずの慎み深さを打ち消していた。
黒いマスクで色白の顔の大部分は覆われていたが、黒髪ハーフアップで包まれていたその顔が美形であることはわかった。
その理由はわからない。でも、確信に近かった。
彼女は右手にスマートフォンを握りながらハンドバッグを提げ、左手には白いフリルの付いた黒い傘を握っていた。
僕は彼女から十メートルは離れた壁際に立つと、スマホに送られてきた黒い傘の写真と現物とを見比べた。
間違いない。彼女が〈ミサリィ〉だ。
まだミサリィは僕の存在に気付いていないようだった。引き返すなら今のうち――
そんなことを考えていると、ズボンのポケットに入れていたスマホが震え、Twisterの通知メッセージが入ってきた。
[私のことジロジロ見てるの、箱庭先生ですよね?]
ズギャァァァァンと、雷にでも打たれたかのような衝撃が背すじを抜けていく。
すでに彼女はスマホから顔を上げ、カツカツと音を立てながら、僕の方へと歩いてきていた。
「初めまして。ミサリィです」
顔は近くで見ても目鼻立ちが整っていたし、ふんわりと華やぐ香水は心安らぐ匂いだったが、何より驚いたのは、その凛とした美声だった。
声優やアナウンサーような、一般人とは隔絶した声の存在感が、彼女の声にはあった。
委員長キャラとか、オークに立ち向かう女騎士とか、敵地に潜入した美人スパイあたりの配役が似合いそうな声だ。
「バレてた?」
「こちらの様子を窺っていたことですか? バレバレですよ。カメラモードで、ずっと先生の挙動を拝見してましたから」
そう言われて突き出されたスマホは、画面越しに彼女の豊満な膨らみを映していた。
「うわぁ……」
「立ち話もなんなので、早速お店に移動しましょうか」
「当てはあるの?」
「予約してます。居酒屋でいいですよね?」
「頼りになるね」
「こちらです」
そう言いながら彼女は、人混みを突き進んでいった。僕の前をカツカツとハイヒールを鳴らして歩きだした女の子は、僕と初対面であるにもかかわらず、一切の無駄話をしなかった。
声といい、毅然とした態度といい、まるで有能でクールな社長秘書といったキャラ立ち。僕のストライクゾーンど真ん中すぎて笑う。
駅から徒歩一分。彼女に連れられてやってきた居酒屋は、一杯280円が売りのチェーン店で、予約して入るような店ではなかった。
平日の夕方六時という時間帯で、客席はまだ半分も埋まっていない。
「ここですけど、よろしいですか?」
「あっ、うん。どこでもいいよ」
年上としての余裕を見せてはみたものの、正直なところ助かった。ここなら多少派手に飲み食いしても二人分ちゃんと出せるだろう。
店員に案内されて四人用の席に通されると、彼女と向かい合わせになるようにして座り、僕はビール、彼女は梅酒のソーダ割りを頼んだ。
「箱庭先生とお会いできて光栄です。まさか先生と直接お話しできるような機会がこんなにも早く訪れるなんて、思ってもみませんでしたから」
ミサリィが黒マスクを外したので、僕も同じように素顔を明かした。
やっぱり美人だ。どちらかと言えばアイドルというよりも女優のような、パーツの整った美形といった感じ。
「その『先生』っていうのやめてくれる? 恥ずかしいじゃん、底辺WEB小説家ごときに」
「そんな……私にとって先生は、命を救ってくれた恩人ですから」
ミサリィの大きな黒い瞳が潤んでいる。
「大げさだなぁ」
「先生の作品を読んで私は救われたんです。今日はあらためてそのお礼をお伝えしたくて」
「嬉しいけど、買いかぶりすぎ。砂山に埋もれてた作品をミサリィさんが掘り出してくれたんだよ。感謝してるのは僕の方、今までありがとね」
「先生は宣伝しなさすぎです。もっと初見さんにコメント返ししたり、Twisterで更新告知しないと」
「そういうの、めんどくさいんだよねぇ」
「私も先生の作品は贔屓してご紹介していますが、私一人でやりすぎると自演だと怪しまれてしまうので。あと、一話当たりの文字数は少なくていいので、更新は頻繁に、定期的に行ってください」
「もう僕は小説書かないよ」
ミサリィがその美しい顔を写真のようにフリーズさせたところで、店員がビールと梅酒のソーダ割りを運んできた。
「それじゃあ、乾杯しよっか」
僕はビールの中ジョッキを持ち上げたが、梅酒のソーダ割りはまだテーブルの上に張り付いたままだった。
「なぜ箱庭先生は、小説の執筆をやめようと思われたのですか?」
ミサリィはその視線を鋭利に尖らせて、僕のことを刺し殺そうとしていた。
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