空の器
――翌日、衛は瑞葉を連れて子供服を買いに近所のショッピングモールへ行っていた。居候は子守も仕事のうちらしい……。
「かわいいのあって良かった!」
瑞葉は新しい洋服を買ってご機嫌である。
「梨花ちゃんも赤色が好きなの」
「その梨花ちゃん、うちに連れてこないの。そんなに仲が良いなら」
「いいの?」
「いいんじゃないの」
瑞葉とそう会話しながら、衛は首をごりごりと回した。昨日変な格好で寝てしまった所為で、首の筋を違えたらしい。
「あっ、衛くんお祭りだよ」
瑞葉が黄色い声を上げる。お祭り……? といぶかしげに衛が瑞葉の指さす方を見ると、富岡八幡宮の境内に露店が並んでいた。
「ああ、これは骨董市だよ」
「こっとう……?」
「古い物の事だよ」
瑞葉にはまだ早かったかな、と衛は言いながらも八幡様の間を通って帰る事にした。店頭には、着物や器に貴石、蹄鉄なんてのも並んでる。
「このボタンきれい」
瑞葉はしゃがんで古いボタンを眺めている。
「衛くん、衛くん!」
「うーん、どうした? 欲しいのか」
ボタンくらいならそんな高くないだろうし買ってやってももいいかな、と衛がそっちに視線をやると、瑞葉はいつの間にか青い花柄のワンピースの女の子と一緒に居た。
「瑞葉?」
「衛くん、お客さんだよ!」
「……え?」
まさかクッキー買いに来たわけじゃないよな、と衛は思った。という事はこの女の子は人外のあやかしという訳である。
「私は藍と申します。お願いがあってよろず屋さんに伺ったのですが留守だったもので」
「ちょっと買い物に出てました。こんな所で相談事もあれですから家の方へ」
衛は歩きながら『藍』と名乗った少女を観察した。見た感じは十代後半、異常に色が白い以外は普通の少女に見える。
「それじゃあ、散らかっていますけど。どうぞ」
衛は少女を居間に案内した。少女は珍しげにキョロキョロとあたりを見渡している。
涼生はどこかに出かけたのか、肝心な時にいないなと衛はひとりごちた。
「飲み物、お茶かコーヒーかどうします?」
「あ、きれいなお水で……」
「……? じゃあミネラルウォーターで」
「瑞葉はリンゴジュース!」
「はいはい」
衛は台所の冷蔵庫からペットボトルを取りだして、コップに注いで二人に出した。
「くー、うまい」
「……冷たい、おいしい……」
仕事帰りの親父のような事を言っている瑞葉と、対照的にまるでお茶のお点前のように優雅に水を飲む少女。
「瑞葉、お行儀が悪い」
「はぁい」
つい衛の口から、小言が出る。瑞葉は口を尖らせて不満そうに生返事をした。
「あの……そろそろこの姿もつらいので元の姿になってもいいでしょうか」
水を飲み終えた藍は申し訳無さそうに衛と瑞葉に言った。衛はこれも変化の術かなにかなのか、と初めて気が付いた。
「ああ、どうぞ。これは気が利きませんで」
「いえ……では、失礼」
目の前の藍の姿が揺れて霞みのようになったかと思うと、次の瞬間そこにあったのは青い花柄の染め付けの皿だった。ちょっとモダンな雰囲気がある。
『これが私の本当の姿です。大正の頃に伊万里で作られた皿の一つです』
「皿がしゃべった……」
『器物は長い年月を経ると魂を持つそうです。いわゆる付喪神、というものですね』
「はぁ……大正から、だから大体百年位か」
『はい。私が魂を持ったのも最近の事で……お恥ずかしい事にまだ人型になれる時間も限られてまして』
不思議な事にその皿は、先程の清楚な少女の雰囲気そのままである。衛は自分の愛用の大相撲マグカップがもし百年たったらどうなるんだろうとふと考えた。
「それで、ご用件はなんでしょう」
『それが……私には弟と呼ぶ存在が居るのです。私と対になる皿なのですが……今までずっと一緒に居たのに、急に姿を消してしまったのです』
「それは……どっかに売られてしまったとか?」
『そうかもしれません……でも、百年も一緒にいたのに今更バラバラだなんて……』
藍のさめざめ泣く声が聞こえ、皿の表面に水滴が浮かび上がった。
「そうですよね……バラバラは嫌ですよね」
衛は、不憫な様子の藍に心底同情した。それは瑞葉も同じだったのか、衛の腕を引っ張ってこう言った。
「ねーねー、瑞葉達でさがしてあげよう?」
「うん。藍さん、俺達でその弟さんを探してあげますよ」
『ああ、うれしい。ありがとうございます。この姿ではあちこち動けず、人の姿をとれる時間も限られていて難儀しておりました……!』
衛と瑞葉が藍の弟探しを手伝う事を了承すると、青い皿から白い手がにゅっと伸びて衛の手を掴んだ。
「~☆&%/$!!」
そのひやっとした感触に衛は驚いて声にならない声をあげ、スッ転んだ。
『ああ、驚かせてしまいましたね』
「ははは……少し、ビックリしました……」
あやかしを相手に商売をするという事は、今後こういう輩と付き合っていかなきゃならないのだろうと、衛は内心で冷や汗をかいていた。
「それで、弟さんの特徴は?」
『私と同じ青い染め付けの皿で、鳥の絵が描かれています。名は翡翠、と』
「ほうほう……それで藍さんは今どこにおられるんですか」
『蓬莱屋という骨董店におります。日曜日はこちらの骨董市に出ているのですが……今頃探してるでしょうね』
藍はなんだか人事のように言った。付喪神にとって、店は家のように感じる場所では無いようだ。
「それじゃあ、その蓬莱屋さんをまず訪ねましょう」
『はい、それでは……』
藍は再び少女の姿に変化した。ちょっと目立ちすぎると感じた衛は二階に昇り、穂乃香の黒い日よけ帽を持ってくると藍に差し出した。
「これを被っててください」
「あら、いいんですか……似合います?」
藍は黒い帽子を被って衛に見せた。似合っている、が別にオシャレの為にかぶせた訳では無い。衛は失礼、と断って顔が見えないように深く被り直させた。
「とりあえず行ってみましょう」
衛達一行が再び境内に戻った時には、十五時の終了時間に向けて店じまいがぼつぼつとはじまっていた。
「蓬莱屋ってのはどこでしょう」
「あそこです……」
うつむき加減に藍が指さした先には、小太りの老人が店番をしていた。ふむ、と呟いて衛は蓬莱屋に近づいた。
「ふーむ」
客のふりをして品揃えを見て回る。展示してある商品は、陶器や鉄瓶などの食器が多い。
「これは何ですか?」
衛がガラス瓶を指さすと、店主は片目を開けて答えた。
「そりゃ、目薬の瓶だよ。昔はこんなだったんだ」
「へぇー……そうだ、ここに古い皿とかないですかね。自分、料理人でして……」
嘘は言っていない。バイトだったけど色々任されていたし、料理は趣味だし。今だって喫茶店勤務だ。ちょっと閑古鳥が鳴いているが。
「それならこの辺だよ」
「青い皿がいいんですがね」
「そうだなぁ……そう言う皿なら……あれ、一枚あったと思うんだがどこ行った」
蓬莱屋の店主が箱を漁るが当然、藍は衛の後ろで瑞葉と待機しているので見つかる訳が無い。
「あーあ、見つからない……先週も同じ様な皿が売れたんだけどね。今度仕入れて置くよ」
「先週も売れたんですか……やっぱり俺みたいな料理人でしょうかね」
「どうだろうね、地元の人っぽかったけど……」
藍の弟、翡翠はこの店から売られたようだ。
「また来週も来るからさ、そんとき来てよお兄さん」
「はい、ありがとうございました」
衛はもうこれ以上、情報は取れないと判断して引き下がった。後ろで待っている藍と瑞葉の所へと戻る。
「あの店からどうも売られたみたいだな。この深川付近の家にあるかもしれん」
「衛くん、たんていみたい。すごい!」
衛は瑞葉の賛辞に思わず鼻の下が伸びそうになった。しかし、藍の表情を見てすぐに顔を引き締めた。
「そんな……この街にいるなら気配くらい感じられるはず……」
そういって藍は涙をぽろぽろと流した。
「まさか、捨てられちゃったんじゃ……」
「ま、まだそうと決まった訳じゃないし……そうだ、とりあえず家に戻ろう」
泣きじゃくる藍を連れて、衛と瑞葉が家に帰ると涼生が帰って来ていた。
「おや、随分買い物に時間がかかったじゃないか……とそのお皿のお嬢さんはなんだい」
「あ、お客さんです。藍さん、こちら瑞葉のお兄さんの涼生さん。ここの家主だよ」
「ああ、貴女が……すみません、妹さんを勝手に連れ出したりして」
藍が可愛そうな位小さくなって、頭を下げた。
「で、どうなってるんだい。状況を聞こうじゃないか」
衛は涼生に藍の身の上と弟を探している事を伝えた。涼生は難しい顔をして、顎に手をやった。
「うーん、この子の弟ねぇ……俺でも気配がたどれないね」
「そうですか……」
再び気落ちした様子の藍の手を瑞葉が握った。
「大丈夫、どっかにいるよ」
「そうでしょうか……」
「とりあえず、今日は泊っていきなよ。明日からまた探すから」
「はい……」
衛は藍を少しでも安心させようと、腕を捲った。
「夕飯も腕によりをかけて作っちゃうからさ」
「あ、付喪神はものを食べないんです」
「えっ、そうなの」
衛は心底がっかりした。衛にとって飯で人を元気にするのは生きがいだからだ。
「あ、あの……」
すると、藍がほんのりと頬を染めて声を上げた。
「その代わり、というか……料理を盛っていただけないでしょうか」
「へ? それって皿として使うって事?」
「はい、器物にとって最も嬉しいのは本来の使い方をされる事なのです」
そう言って藍は元の皿の姿になった。そうか、それで元気になるのならと衛はその皿を手に取った。
「……よし、まかせとけ」
『はい、よろしくお願いします』
衛は、冷蔵庫から牛もも肉を取り出すと粗く刻み、タマネギとセロリ、にんにくもみじん切りにした。
鍋にオリーブオイルをたっぷりと注ぐと刻んだ野菜を炒める。野菜がほんのり透き通ってきたところで刻んだ牛肉を入れる。じゃわーっと音が立ち、肉の焼けるいい匂いが漂った。
そこに赤ワインとトマト缶を入れ、香辛料を入れて塩胡椒をする。
『ああ……すごい……』
藍が衛の手際の良さに感嘆の声を漏らした。
「あとは煮込むだけ……その間に」
衛はサラダと鯛のカルパッチョをさっと作ってテーブルに並べる。そして太めのパスタタリアテッレを沸かした湯で茹で、先に鍋に仕込んだラグーソースと一緒にからめる。
「それじゃ、藍さん。出番です」
『は、はい』
衛は藍の中央にこんもりとパスタをのせ、ソースを上から足す。そしてパルメザンチーズを惜しげもなくかける。
藍のブルーの色調に赤みがかったソースとチーズの白が美しい。
『ああー……素敵です……衛さん……』
「どうだい元気出たかい」
『はい、とても』
その日の夕食は衛お得意の本格イタリアン。瑞葉は素直に喜んでいたが、涼生は微妙な顔をしていた。
「俺の晩酌用に買っておいた刺身なんだけどねぇ……まぁ美味いけどさ」
「藍さんの為ですよっ」
「ふう……とりあえず、地元の数寄者にでも聞いて回るかね、でないと俺のつまみがどんどんなくなっちまう」
『涼生さん、ありがとうございます。どうかよろしくお願いします』
そんな涼生に藍は丁寧にお礼を述べた。
次の日、衛が大学から帰ると涼生は近所の骨董好きに聞き込みに行っていた。彼が帰ってくるまでヒマなのだが、店を一応開いてはいるので藍と衛は店番をしていた。
「今まで、君たちはどうしてたの」
「伊万里の工房で産まれて、とあるお家に迎えられました。しかし、主人が亡くなって次は世田谷の息子の家に迎えられました。その息子も亡くなると、今度は古道具屋に売られたのです。それが蓬莱屋です」
「そうか、随分長く愛用されていたんだね」
「ええ、とっておきのご馳走を沢山盛って貰いました。そうそう、誕生日ケーキを乗せてもらった事もあるんです」
衛には付喪神の価値観は分からない。ただ、その思い出を語る藍の表情を見ていると、とても嬉しかったんだと分かる。
「物は大事にしないとな……」
ペットボトルに、紙皿、プラコップ、シャープペンシル。便利だけれど、百年は使えない。自分の寿命を超えた先に残る物に衛は思いをはせた。
「帰ったよー」
そこに涼生が帰ってきた。
「どうでした!?」
「いいや、カラ振りだ。最近皿を買ったって人間は居なかったよ。それにねぇ、大正時代の伊万里じゃ相当いい物で無い限り六、七千円だってさ」
「つまり……?」
「好事家がわざわざ買うようなものでもないって事だね」
「じゃあ、普通の人が買ったのかー……」
深川だけでも何人の人が住んでいるんだろう、それを手がかり無く探すのは無謀に思えた。
衛がと涼生が頭を抱えている所に、瑞葉が小学校から帰ってきた。
「衛くん、お皿見つかった?」
「いいや……」
「ねぇ、もしかしたら瑞葉がみつけちゃったかもって言ったらどうする?」
「何? 見つけたのか!? そしたらおやつはプリンだ」
「ほんと! あのねぇ、梨花ちゃんとこのそばの茂みから変な声が夜な夜な聞こえるんだってー。瑞葉、それが藍さんの弟さんじゃないかと思うの」
そわそわと褒めて貰いたそうに身をよじりながら瑞葉は言った。
「瑞葉……すごいぞ……」
「やったね、お手柄だ」
涼生も衛も、重大な手がかりになりそうな証言に瑞葉を褒めちぎった。それから衛はこう付け加えた。
「うんうん。あと、そろそろ梨花ちゃんをうちに呼んだ方がいいぞ」
これでお手上げだった捜査に光明が見えた。
「それじゃあ早速行きましょう。瑞葉、案内を頼む」
「おやつはー?」
「解決してから!」
「ええー」
不満そうな瑞葉を引き摺って、案内してもらったのは八幡さまの裏にある小さな社だった。
「こんな所に池が……おい瑞葉、一人で来ちゃだめだぞ」
「弁天池だよ。……本当に過保護だねぇ、この子は大丈夫だよ」
「涼生さん、注意一秒怪我一生ですよ」
やいのやいのと衛がうるさい所為でいまいち緊迫感がないが、現場は鬱蒼とした緑に囲まれて、水場のせいかじめじめとしていた。
「おおーい、翡翠くーん」
衛は大声で藍の弟の名を呼んだ。そんな衛に涼生はゲンコツを振り落とした。
「このバカ、迷子を探してるんじゃないんだよ。ほら、藍だっけ? この子に触れて似た気配を探すんだ」
「あっ、はい……」
涼生と瑞葉、そして衛が藍の肩に触れ、目を閉じた。それは小さな物音のような虫の音のようなかぼそい声。
『……だ……れ……』
目を開いた衛と瑞葉は顔を見合わせた。そして声のした方へと駆け寄った。そこはまだ新しい、土を掘り返した跡があった。
「ここだ……ああ、スコップでも持ってくればよかったな」
「どいて下さい!」
藍が駆け寄って、その白い手が汚れるのも構わずに土をかきだした。
「……皿だ」
黒い土からのぞいた白い光。衛も一緒になって掘り返す。
「翡翠……!!」
そして現れた皿の姿を見ると、藍はへなへなと座り込んだ。そこにあったのは二つに割れた鳥の絵皿だった。
「ああ、なんて事……」
『その声は姉様……? ぼくは夢を見ているんだろうか……』
「夢じゃ無いわ、貴方を探しにきたのよ」
『本当に……ああ、僕はなんて事を……』
泥にまみれたまま翡翠は泣き始めた。さめざめとした泣き声が緑の間をこだまする。
『僕、悲しくて……片一方だけになったのが悲しくて……いっそ死んでしまおうと身を投げたのです……まさかこんな形で姉様が探しに来てくれるなんて』
「馬鹿ね……私達はいつだって一緒だって言ったでしょう」
藍の白い指が優しく翡翠の表面をなでる。その姿は慈しみ会う家族そのものだった。そしてしばらく翡翠をなでると、藍はすっと立ち上がった。
「衛さん、これで……私を割って下さい」
「なっ」
藍の手には掌大の石が握られていた。
「翡翠はとても弱っています。きっとこのまま息絶えるでしょう。その時は私も一緒に逝きます。ですからこれで私を割って供養して下さい」
「おっ、俺は……」
「ふふふ……最後に立派なご馳走を盛っていただいてありがとうございました」
藍は儚く笑った。そして衛が石を手に取らないのを見て、自ら手を振り上げた。
「ちょっと待った!」
その時、声を上げたのは涼生だった。怖い顔をしてズカズカと近づいて来る。
「はーあ、あんたらあやかしの美学ってやつはねぇ……まぁ、好きにしてくれりゃいいんだが。要するに二人が一緒にいられればいいんだろ?」
「ええ、まあ……」
「俺に考えがある、衛ちょっとこっちおいで」
急に呼ばれた衛が近寄ると、涼生は耳打ちをした。
「えっ、今からですか」
「とっとと行ってこい! でないとこの皿達が心中しちまうぞ!」
「わかりましたよっ」
弾かれたように衛は、駅へと走って行った。
「衛くんどうしたの? 瑞葉のおやつは!?」
「ちょっとお使いを頼んだのさ。俺に考えがある。藍! ちょっとばかり時間をくれ」
涼生はそう言うと、割れた翡翠を抱えて家へと戻った。
そして大汗をかいて衛が買ってきたのは……金継ぎの初心者用キットだった。
「昔の人は偉いね。こうして物を壊れても大事にするんだ」
説明書を読みながら、涼生が苦労して翡翠の真ん中に走ったヒビを埋めていく。
「それに以前より美しく、味があるなんて粋だねぇ……」
――一週間後、そこには金継ぎで見事に蘇った翡翠の姿があった。一本の筋はまるで木の枝が何かのように見える。
「翡翠……」
『姉様』
姉の名を呼びながら金継ぎをした翡翠が人型をとる。そこには、藍によく似た色の白い美少年が立っていた。
「よろず屋の皆様、ありがとうございました。僕の軽率な行動でご迷惑をお掛けしました」
そう言って顔を上げた翡翠の左の目は金色に光っていた。
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