ねこのここねこ

 涼生はいぶかしげな衛を無視して、小皿に盛った煮干しを猫に与えた。まるで来客にお茶菓子でも出すかのように。


「出がらしですが、どうぞ」


『おおこれはありがたい』


『煮干しなんて久し振りね』


 今度こそ衛は腰を抜かした。目の前の猫が喋ったのである。


「喋った……?」


「今のあんたなら聞こえるだろ? うんコレなら助手には十分だ」


 衛は何が何だか分からなかった。ただ、大慌てをして醜態をさらすと涼生の鉄拳が飛んでくる事は予想できた。


『まぁ、助手さん。心強いわ』


 白猫がおっとりとそう言う。口調からしてどうやら雌のようだ。


『して、涼生殿。我々の依頼を受けてくれるか』


 どっしりとなにやら威厳のある黒猫は雄猫らしい。


「いいよ、さぁ話しな」


 涼生はそう言って、二匹の猫を促した。


『あれは三ヶ月前の事です……私は子供達に乳を与えていたのですが、気が付いたら一匹居なかったのです』


『ちょうど俺も、その場を離れていてな。すぐに子供の行方を捜したが、いまだに亡骸もみあたらない』


「あんたたちは野良だろ。そういうのが運命なんじゃないのかい?」


 そう涼生が口を挟むと猫の夫婦はちょっとうなだれたように見えた。


『この生き方が、過酷なのはご存じの通りです。でも……』


『今回、お願いしに来たのはちょっと気になる噂を聞いたからだ』


「気になる噂?」


 涼生の片眉がピクリとあがる。


「なんだい、聞かせてみな」


『近頃この辺に腹を空かした化け狐が出ると言うんです。そして、弱った生き物を端から食らってしまうって。そして食われた生き物は成仏できずにその狐の手下になるというんです』


『普段なら天命だと、我々も諦めるんだが……こんな噂を聞いてしまったら居ても立っても居られなくなってしまった。自由こそ我々の誇りなのだ』


 黒猫はくやしそうに尻尾を床にたたきつけた。


「それで? その居なくなった子猫を探せばいいのかい?」


『はい』


「支払いは?」


『我々は金銭を持たないので、この店のゴキブリ共を追い出してやります。これでどうか』


 ふーむ、と涼生は猫の話を聞きながら首をひねった。


「もし、化け狐に食われたってなったら、やっかいだ。両隣の家も追加でどうだい」


『分かった。俺もこの辺りのボスだ。二言は無い』


 黒猫の言葉を聞くと、涼生はパンと膝を打った。交渉成立、と言った所か。その間、衛は引き攣った顔で黙って話を聞いていた。


「じゃあ、衛。あとは頼んだよ」


「えっ!?」


 涼生は話を聞くだけ聞くと奥へと引っ込んで行った。残されたのは猫と衛だけ、という状況である。


『衛殿、といったか。我が子の行方をよろしく頼む』


『よろしくお願いします』


「は……はぁ……」


 衛は頭を下げる猫に戸惑いながら、キチンと正座をし直した。


「それで、その子猫ちゃんの特徴は?」


 三ヶ月も前に居なくなった子猫がそうそう見つかるとも思えないが、最低限これだけは聞いておかないと話にならないだろう。


『私と同じ、白い毛に青い眼です』


 そう白猫が言った途端に、客間のふすまがパーンと勢いよく開かれた。


「わー! ねこちゃんだ!」


「あっ、あ、瑞葉! ちょっと衛くんはこの猫さんとお話があるから」


「ずるーい、瑞葉もねこと遊ぶ!」


「これは遊びじゃなくて。お仕事!」


「えー」


 瑞葉が不満そうに口を尖らせる。それを見ていた白猫は目を潤ませて言った。


『あなたにもお子さんが居るんですね。分かるでしょう、この気持ち……』


「あ、いや……僕の子じゃないんですが……」


 でもまあ、瑞葉まで居なくなってしまったら自分はどうしたらいいか分からない。考えてみれば気の毒な話だ。


「子猫さん、見つかるといいね」


『ええ、衛さんが頼りです』


「衛くんせきにんじゅうだいだよ!」


「ああ、そうだな」


 ここで衛ははた、と気づいた。瑞葉と猫が普通に会話している。


「瑞葉、そいつらの言う事が分かるのか」


「うん」


 なんとも不思議な話だ。しかし、衛が猫の言葉が分かるのも妙な話なのだ。あとで涼生を問い詰めなければ。


「白猫さん、さわってもいい?」


「少しならどうぞ」


 瑞葉はいつの間にか白猫を膝に乗せて撫でている。


「いいなー、瑞葉もねこ飼いたい」


「食品扱ってるから動物はダメだと思うよ」


「えー、藍那ちゃんのところも猫飼ってるんだよー!」


「よそはよそ! うちはうち!」


 衛は瑞葉から白猫を引きはがした。まったく、子供は手がかかる。


『あのー、離してくださる?』


「これは失敬」


 衛に掴まれた白猫が迷惑そうな声を上げて、思わずパッと手を離した。


「とにかく……探しますから今日はお引き取り下さい」


『分かった、よろしく頼む』


 猫の夫婦が去って行ったのを見届けて、衛は店を閉じた。さて……ああは言ったもののどうしよう。それから今日もクッキーが五個も売れ残った、どうしよう。涼生の嫌みを考えると衛は胃が痛くなった。そんな時に背後に涼生が立ったものだから衛は口から心臓が飛び出るかと思った。


「さーて、化け狐退治に行かなきゃかね」


「涼生さん……え、退治とか出来るんですか?」


「さあどうだろう。低級の動物霊ならはじき飛ばせばいいんだけどね。……狐か……」


 涼生はいつの間にかお数珠のような物を首に巻いていた。


「さ、ともかくも気配を追う事だ。瑞葉、お前は分かるね」


「うん、お兄ちゃん。こっちだよ!」


 涼生に言われた瑞葉が指を差して表に出た。


「瑞葉……そんなのが分かるのか?」


「うん、さっきの白猫さんに似た感じがあっちの方からちょっとする」


 瑞葉を先頭に衛と涼生が続く。瑞葉はお不動さんの通りを抜けて境内にあがった。


「こっち」


「……嫌な予感がしてきたね」


 瑞葉がたどり着いたのは境内の外れにあるお稲荷さんだった。


「確か、化け狐が弱い生き物を食って手下にするんだっけ……」


 衛は黒猫から聞いた噂話を反芻した。思いっきり祀られてて悪さをしそうにないのに……。


「荼枳尼天(だきにてん)、お邪魔しますよ」


 涼生はそう断って中央の祠へと足を進めた。


 涼生が祠の前に立つと、突然突風と共に煙が上がった。衛は瑞葉をとっさに庇う。


『あーらたつ屋の小僧じゃないの』


 白い煙の去った後には、赤い着物のポニーテールで長い髪の女性が一人立っている。さっきまでどこにも人影が無かったというのに。


「あんたに小僧呼ばわりされる筋合いは無えよ」


『あーあ、可愛くないったら……で? この葉月様に何か用事かい?』


「ふん……近頃、腹を減らした狐が弱った生き物を食い散らかしてるって聞いてね。お供えもんでも足りないのかと」


 涼生は妙なオーラを放つ、その葉月という女に臆する事もなく、言い放った。


「は? お供えならキチンとされてるわよ。いい加減な噂ね」


「そうか、じゃこのクッキーは要らないね。瑞葉、これ全部食べていいよ」


「ほんとー?」


「ちょっとお兄さ……涼生さん、いつの間に……瑞葉を肥満児にさせる気ですか!」


 ほとんど空気になっていた衛はここで初めて声を上げた。


「冗談だよ、これはお供えだ」


 涼生は持って来た売れ残りのクッキーを葉月に手渡した。葉月は警戒する事もなくクッキーにかぶりつく。若そうに見えるのに威厳のあるその姿とクッキーには違和感がある。するとその顔がパッと輝いた。


「……おいしくなってる!!」


「あ……」


 葉月はつかつかと衛の目の前にやって来た、そして食らいつくように問いかける。


「お前、お前だな。これを作ったのは」


「は、はい」


「以前より、美味くなってるぞ」


「あ、配合を変えてみてバターもいいやつにちょっと変えまして……」


 久々だな、料理の事を褒められるのは、と衛は思った。こんな状況じゃなければもっと素直に喜べるんだけど、とも思った。


「どうだい、満足かい」


「ああ、今度は買いに行く。いいだろう?」


「構わないが……あんたの隠し事を吐いて貰ってからかねぇ」


 そう言って涼生が数珠を慣らすと、葉月はビクッと震えた。


「な……なにを……」


「とぼけるんじゃないよ。じゃあなんだ? この辺りに漂ってる気配は……!」


 涼生と葉月が睨み合う。その横で辛抱も限界に達した男がいた。無論、衛である。


「ちょっと待った! 置いてけぼりにして勝手に話を進めないで下さい!」


「は?」


「え?」


「はー? じゃないですよ。そもそもこの女の人誰なんですかどっから出てきたんですか気配ってなんですか!」


 衛はもうパニックを起こしていた。


「衛くん、瑞葉もクッキー」


「クッキーはまた明日!」


「ふえー」


 とばっちりで叱られた瑞葉が泣き出す。普段静かな境内の一角がやかましい事になってきた。


「あっはははは」


「何が可笑しいのさ」


「これが穂乃香の婿殿か、道理で……」


「ちょっと、聞いているんですか!?」


 衛は無視されて、血が上り葉月の肩をつかもうとした。ところがスルリ、と彼女は身を躱し衛は地面に倒れ込んだ。


「おっと失礼。それでは自己紹介しよう。私は葉月。荼枳尼天(だきにてん)にお仕えする狐の一匹さ」


「……狐?」


「そうさほれ、そこに像があるだろう……さては婿殿、信じてないな」


 衛は、図星を付かれて冷や汗をかいた。そんな様子の彼を見て、葉月はそっと頭に手を置いた。パッと払うと現れたのは尖った耳とふさふさの尻尾だった。


「これでどうだい」


「化け狐……本当にいたんだ……あ、あの白い子猫を知らないですか?」


「いいや」


「まさか食べちゃったんですか……!」


「人聞きの悪い! ちゃんとここにおるわ!」


 葉月は牙を剥き出しにすると、袂から白い毛玉を取りだした。すると涼生はニヤリとした。


「やっぱりお前の所にいたか」


「あっ、しまった……」


 葉月の手の中の毛玉は眠っていたようでもぞもぞと身じろぎをすると大きなあくびをひとつした。


『ふあーあ。かあさま、どうしたの』


「かあさまぁ?」


「いや……これは……」


 子猫に母様と呼ばれた葉月は顔を赤くすると、ぼそぼそと言い訳をはじめた。


「三つ月ほど前、カラスにつつかれとったのを拾ったのだ。怪我の具合を見ているうちに懐いての」


「その子の両親が探してるんですよ」


「いやしかし……」


『かあさま、どうしたのー』


「ほれ、この通りでな」


 白い子猫は葉月にしがみついている。


「うーん、これはどうしたらいいんだろう」


「そんなのこの子に決めてもらえばいいんだよ」


 困った顔の大人の中で、唯一瑞葉だけがさも当然というように答えた。涼生が瑞葉に問いかける。


「決めるって、どっちの親についていくのかって事かい?」


「うん」


「それが一番早いし公平だね。それじゃ俺は猫夫婦を呼んでくるよ」


 涼生がその場を立ち去ると、葉月は白い子猫を抱き寄せて撫でた。


「白玉……」


「それはその子猫の名前ですか? ……あんた、その子を心から可愛がりました?」


 気落ちした様子の葉月に衛は思わず声をかけた。


「当然だ。私は乳は出ないからペットショップでミルクを買って、タオルをかけて……」


「なら、どんと構えてなよ。子供ってのは親を見ているもんだし」


 しばらくすると宵闇の向こうから猫夫婦と涼生さんがやってきた。


「この子猫で間違いないね」


『ああ……そうです……』


 白い母猫が声を震わせて近寄る。葉月は、恐る恐る白玉を手放した。


『かわいい子……母さんだよ、分かるかい?』


『かあさん……?』


『そうだよ、ずっと探してたんだよ』


 子猫の白玉は困惑した顔で白猫と葉月を見比べた。そしてこう答えた。


『……白玉の母様はそこにずっといたよ』


「白玉……」


 葉月は一瞬喜びの表情を浮かべたが、すぐに母猫の顔を見て眉を寄せた。


「白玉はこう申しておるが、いかがか」


『……この子がそう言うなら、そうなのでしょう。いいんです、生きていてくれたのなら。野良の世界では生みの親と育ての親が違う事もままありますし』


『ここのお社にいつもいると分かれば、いつでも会いに来られるしな』


 猫の夫婦はそう言って立ち去っていった。


「やーれやれ。狐のくせに猫を飼うとは」


「うるさい」


「これは御利益をばんばん出して、しっかり養わないといけねぇな」


「だまれ、たつ屋の小僧!」


 ――それからしばらくして、不動尊の端の稲荷神社が出世に良いパワースポットとして一部で有名になったのは言うまでもない。




「それじゃあ、説明して下さい。涼生さん」


「そうさぁねぇ……」


 その日、『たつ屋』の店の奥の居間では涼生を前に衛と瑞葉が膝をそろえて座っていた。瑞葉ななんとなく真似をしただけだが。


「簡単に言えば血かねぇ。俺の母も祖母もそういう『見える』人間だったのさ。霊視とか見鬼とも言うね」


「って事は……」


「無論、穂乃香もそうだった。本人はあやかし相手のよろず屋なんて嫌がって短大出たら家を出て行ってしまったけどね」


「それじゃあ、瑞葉も……」


 衛は横に座っている瑞葉を見つめた。


「ああ、まだ小さいから『力』がだだ漏れだね。あんたが猫の言葉や葉月の姿を見られるようになったのもそのせいだと思うよ」


「それって危なくないんですか?」


 衛は瑞葉を心配そうに見た。そんな衛を安心させるかのように涼生は笑った。


「ははは、過保護だねぇ。自転車だって転びながら乗り方を覚えるだろう?」


「でも……」


「衛くん、瑞葉はちょっとへんなのが見えるけど。なれちゃったしへーきだよ」


「瑞葉……」


 なんだ、へんな物とは……。


「それじゃあ衛ちゃんにプレゼントでもしようかね。それ、これをはめておくといい」


 そう言って涼生は二つの貴石のブレスレットを差し出した。衛にはなんという字か読めないが、いわゆる梵字と言われる文字が刻まれている。


「これで、瑞葉の余分な『力』をあんたに循環させる。瑞葉の力はコントロールしやすくなるし、あんたはその分力を出しやすくなる」


「えっ」


「だってこの仕事を手伝うんだろ? 客も来ない喫茶店でうだうだするつもりかい? この穀潰しが」


「……なっ」


 涼生の口の悪さに衛が絶句している間に、涼生がブレスレットを衛と瑞葉に填めた。


 ブレスレットはまるであつらえたように二人の腕にぴったりと嵌まった。


「なんかへんー」


「うん……」


 衛の身体に何か妙な感覚が走った。なにか柔らかいものに包まれているような、そんな感覚だ。瑞葉もなにか異変を感じたのか涙目になっている。


「さ、これで準備万端だね。今度お客が来たらしっかり頼むよ」


「そんな横暴な……」


「嫌なら出ていきな、じゃあ俺はひとっ風呂浴びてくるから」


 取り残された衛は考え込んでいた。喫茶店のバイトは時給千円で仕事もキツくないし、家賃、光熱費はタダ。穂乃香が戻るかどうかも分からない以上、せめて社会人になるまでは……。衛は唇を噛みながら涼生の条件を飲む事にした。


「ねーえ、衛くん」


 その夜、隣の部屋でで眠っているはずの瑞葉がふと衛を呼んだ。ドアを開けると眠そうな瑞葉が立っている。


「どうした? 眠れないのか」


「お姉ちゃんは帰ってくるよ……だから衛くん、大丈夫だよ」


 半分うとうととしながら、瑞葉は言った。帰ってくる……それなら早く帰って来て欲しいと衛は思った。


「……衛くんの所に居るって……」


「……? 瑞葉?」


 寝言のようなその一言に衛は聞き返したが、瑞葉はそれには答えず自分の部屋に戻っていった。


 衛はその謎めいた言葉に首を傾げたが、今日一日の怒濤のような出来事の疲れもあってそのまま眠りの淵へと落ちていった。




「おはよー! 衛くん!」


「げほっ」


 翌朝、勝手に部屋に乱入してきた瑞葉のボディアタックで目を覚ます。いかん、寝過ぎたと衛は慌てて起き上がった。


「すいません、すぐに朝食作りますんで!」


 慌てて、衛は台所に駆け込んだ。そんな衛を涼生は冷めた目でお茶をすすりながら見ていた。


「もうちょっとゆっくりすりゃいいじゃないか、土曜日なんだし」


「え? あ! 本当だ!」


「騒がしいねぇ……身体はだるくないのかい」


「え? 特に……」


「丈夫で何よりだ。その輪っかを填めたら普通は一日くらい寝込むもんだけど」


 それを聞いた衛は自分の左手首を見た。これの事か。


「そんな危ない物を人に……」


「まぁいいじゃないか、なんともないのなら。さあとっとと朝食作っとくれ、卵は半熟だよ」


「……分かりましたよ」


 衛はそれ以上意見する事を諦めて、朝食作りに取りかかった。まずはトースターにパンを入れ、続いてサラダ、そしてベーコンを弱火でじっくりとフライパンで炙りカリカリになった所で、卵を落としてベーコンエッグを作る。


「っと、グッドタイミング!」


 ちょうどいいタイミングで、トーストが焼き上がる。香ばしい匂いに釣られて瑞葉も台所に現れた。


「さぁ、朝ご飯できましたよ」


「いただきまーす」


「いただきます」


 手を合わせて朝食を頂く。朝からしっかり朝食を作るのは衛の信念だ。そして朝ごはんがパンなのは涼生の流儀だ。なぜに普段から和装なのに朝はパンなのか。


「瑞葉、たまごのぐちゅぐちゅきらい……」


「なんだ、それが美味いんじゃないか」


「ああ、ああそれじゃ衛くんのと取っ替えようね」


 賑やかな食事である。こんな食事風景も、穂乃香が行方不明になった時は無くなってしまった。こうやって落ち着いてご飯が食べられるのも、涼生のおかげでもあるのだ。


「お兄……涼生さん、その……」


「なんだい、もごもごしないではっきり言いな」


「よろず屋さん? ですか、その仕事手伝います。……穂乃香の戻るまでは」


「そうかい」


 涼生はそっけなく答えてコーヒーを飲んだ。口には出さないが、少し嬉しそうである。


「瑞葉も手伝うよー!」


「うんうん、そうかい」


 なんでも真似をしたがる年頃の瑞葉が衛くんの後に続くと、今度こそ笑顔で涼生は頷いた。それを見た衛は焦って注意した。


「危ないのはダメだぞ!」


「大丈夫、大丈夫。俺も付いているんだから」


 ははは、と涼生はご機嫌に笑い、衛は盛大にため息をついた。




 さて休日である。やらなきゃいけないレポートはあるがとりあえずそれは後回しにしたくなるいい天気だ。


「瑞葉、公園にでも行くかー?」


「うん!」


 幸い近くにそこそこの大きさの公園があるから、そこで縄跳び。元学年縄跳びチャンピオンの腕前を瑞葉に披露した。


「すごーい」


 ここからだと穂乃香と一度行った夢の国の遊園地もそう遠くない所にあるのだが、手持ちの貯金を考えると出費はなるべく抑えたかった。


「二重跳び上手くなったんじゃないか?」


「えへへっそお? 二十分休みにみんなでしてるの」


 瑞葉の通う数矢小学校は大通りを通らずこの公園の先を渡ったところにある。


「そろそろお昼か。瑞葉なに食べたい?」


「ラーメン!」


「それじゃあ赤札堂寄って行こう。何ラーメン? 塩か醤油か……」


 袋麺の買い置きが無いので、衛がスーパーに寄ろうとすると瑞葉はこう言った。


「瑞葉、お店のラーメンが食べたい」


「お店……お店かぁ……」


 瑞葉の言葉に衛はしばし考え込む。ちょっとした外食くらいは構わない。しかし、小さな子供連れで入れるラーメン屋となるとこの辺にあったかどうか……ファミレスが無難か。


「ちょっと待ってて。すみませーん、この辺のファミレスってどこにありますか」


 衛は散歩中のお爺さんを捕まえて聞いて見る。やっぱり地元の人に聞くのが一番早いと思ったのだ。するとお爺さんはこう答えた。


「ファミレス……ああ一駅くらいかかるねぇ」


「そうなんですか」


「前にあったけどなくなっちゃったんだよ。どうしたんだい?」


「いや、この子がラーメン食べたいって言うもんで」


「そしたら、そこの伊勢屋にいけばいいよ」


 老人の指さす方向の先には、確か和菓子屋兼甘味処があったはずだ。


「えっ、あそこ甘味処じゃないんですか」


「ラーメンもあるよ」


「へえ……」


 甘味処のラーメン……なんだか妙な取り合わせだが、まぁ近くだし覗いてみよう。衛は老人にお礼を言って瑞葉を連れて伊勢屋の前に来た。


 だんごに羊羹に生菓子などなどが並ぶ横が喫茶店というかレストランになっている。


「本当だ……ラーメンがある、っていうか色々あるな……」


「瑞葉どうしようかなー」


 ガラスのショウウインドウの中には食品サンプルがずらりと並んでいる。あんみつやみつ豆だけじゃなく、丼物や定食なんかも並んでいた。


「それじゃここに入るか」


「うん」


 店舗に入ると、二階の広い飲食スペースに通された。


「お決まりになったらお呼びください」


 そう言って店員はお冷やと熱いおしぼりを置いて行った。


「懐かしい感じだなー」


 今は簡易的な紙おしぼりの所も多い。店内の雰囲気も時が止まったようである。


「さー、何にするか……」


「瑞葉はよいこセットにする」


「ほー、ラーメンにジュースとデザートとキャンディがついてくるのか。俺もラーメンにしようかな」


 そう言って衛はメニューに目を落とす。とにかくラーメンが多い。と、いうかなぜだか中華料理屋並に中華のメニューが揃っていた。どれにしよう。その時、ふとあるメニューが目に止まった。


「ラーメンと……あんみつセット……?」


 衛は正直甘党だ。しかしラーメンの後にあんみつか……だけどここは甘味処だもんなぁ。衛はちょっと迷いながらも店員さんにラーメンとあんみつのセットとよい子セットを注文した。


「ラーメンなんて久々だな」


「梨花ちゃんがね、前にラーメン食べたって言っててー、瑞葉も行きたいなぁって」


「その梨花ちゃんとは仲良しなのか」


「うん。あ、キャンディはいつ食べていい? 食べ終わったらいい?」


「うん、全部食べられたらいいよ」


 無邪気な瑞葉の姿は穂乃香が失踪して不安定な自分の癒しだ。


「衛くん、ラーメンきたよ」


 物思いに浸っていた衛は、瑞葉の声で我に返った。


「おお、こりゃ……」


 ラーメンだ。今時珍しい普通の醤油ラーメンにそんなにミニでもないサイズのあんみつが付いている。


「食い切れるかな、こりゃ……」


 瑞葉の頼んだよいこセットは、衛の頼んだ醤油ラーメンの小ぶりなものと杏仁豆腐が付いていた。


「とにかく……いただきます」


「いただきまーす」


 瑞葉がさっそくラーメンをすする。さて、と気合いを入れて衛もラーメンと対峙する。スープはすっきりとした醤油スープ、具は刻んだねぎにわかめ、そして今や珍しいなるととチャーシューが一枚。


「これならいけるか」


 わっし、と麺を掴むと本当になんの変哲もない中華麺が出てくる。それをスープと共にすすり込む。


「あー……美味い……」


 旨味や油分で美味いのでは無かった。基本の基本、普通のラーメンを食べることがあまりに久々で懐かしさで胸が一杯になったのだ。これは、小さい頃中華屋で食べたラーメンだ。衛は盛大に麺とスープを掻き込む。


「おっと、この辺でチャーシューだ」


 衛はチャーシューを箸で掴んだ。見た目よりも柔らかい。噛むと肉の旨味がじゅわっとしみ出してくる……これは懐かしいとかじゃなくて純粋に美味い、と衛は思った。確かメニューにはチャーシューの追加もあったな……とちらりと思い出して、隣のあんみつを見て頭を振った。


「衛くん、おいしいねー」


「そうかそうか」


 いつか、瑞葉もこの味を懐かしく思い返す事があるんだろうか。衛はそう思いながら残りの麺を啜りきった。


「ふう、それじゃいきますか……」


 衛はラーメンを食べ終えると、あんみつに取りかかった。その前に。


「ほら、このサクランボは瑞葉のな」


「わー」


 赤いサクランボを瑞葉にあげると、衛は黒蜜をあんみつに回しかける。そしてあんこにスプーンを差し込んだ。甘い。甘さが口中を駆け巡った所で塩豆と寒天を放り込む。これならいつまでも食べていられそうだ、と思いながらあんみつを食べきった。


「ねー、飴食べていいでしょー」


「お、おう……」


 衛はふうふう言いながら、瑞葉に返事をした。瑞葉と縄跳びをして適度に運動したところにラーメンとあんみつである。猛烈な眠気が衛を襲っていた。


「あ、すいません……アイスコーヒーを……」


 衛はあまりの眠気に思わず店員を呼んで、アイスコーヒーを頼んだ。そして、今度はあんまり欲張って食べるのは止そう、と心に誓っていた。


「うー……くらくらする……」


 ふらふらになりながら、衛は瑞葉を連れて家へと戻った。


「ただいまぁ」


「おや、どこまで行ってたんだい。……どうした、具合でも悪いのかい」


 玄関先に迎えに出た涼生は衛の顔色を見て眉を寄せた。


「いやぁ……なんだか眠くて……」


「そりゃあ、その腕輪の力に振り回されているんだろう。とっとと横になんな。夕飯は俺が仕度するから」


「そうさせて……貰います……」


 衛は二階に上がって、横になるといびきをかいて眠ってしまった。瑞葉は二階を見つめながら首をかしげた。


「お兄ちゃん、瑞葉はなんともないよ」


「まああんたのはだだ漏れなのを抑えているだけだから。それにしても朝はケロッとしていたのにねぇ。衛は鈍いのかね」


「うーん、そういう所もあるかな」


 涼生と瑞葉のそんな会話も知らずに衛は深い深い眠りに落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る