[31] 不穏
どうやら困ったことになったらしい。今のところ私には事情が全然見えてこないけど。
依頼人の帰った後の応接間で、ソファに座ってのんびりお茶を飲みながら、アシュリーさんの話を聞いた。
「そもそもきな臭いところのある依頼だった。犬1匹の探索。それに見合わぬ依頼料。それから見た目だけ整えた男。どう見ても裏がある。そのあたりを探る意図もあって私はあえてその依頼を受けた。目的の犬を探しながら、依頼人の裏の方も探ってみたのだけれど――」
「肝心の犬が見つからずに2週間がすぎてたわけですね」
「ああ、情けないことだがそういうことになる。実のところ探索系の魔法はそんなに得意な方じゃなくてね。それも街の中を探索するとなると情報量の多い生物がひしめき合っている、その中から目標のものを見つけ出すとなると非常に難しい」
考えてみるとそれもそうか。
私は私基準でいえばそれができるけど、それはアホみたいな魔力量を使った力任せな方法であって、普通はできない。
普通の魔力量でやろうとすれば、相当に緻密な魔力操作と、それからこの街の特性に合わせた術式構成が、要求されることだろう。
それ2週間かからずやれる人がいたとしたら、一流の魔法の使い手かつ探索に特化したタイプの人だ。
アシュリーさんは前に見た感じだと――うーん、一点集中型みたいな魔力の動かし方が得意そうだった。
ざっくりいっちゃえば、りっちゃんと同じタイプ、力でごり押しする依頼ならなんなく達成してくれそうな気がする。
なんかちょっとバカっぽいみたいないい方をしてしまっている気がするが、決してそんなことはないのであしからず。
ただ最終的な解決策としてシンプルな暴力を使うと、まるくおさめられそうというだけで。
フォローになってない感じもするな? まあいいか、とにかくすごい人はすごい人なんだし。
「それでひとまずこうして、目当ての犬と依頼人とをあわせて反応を見ようとしたというわけですね」
「そうだ。とりあえずのところ依頼が完結したとしても、彼がいったい何者だったのかぐらいは、見極めておきたくてね」
「そもそもあの犬は本当に彼の探して求めていたものだったのでしょうか?」
「その点に関しては間違いないと思う。あの男の反応からして。私のカンでしかないといえばそれまでだが」
「まあ途中までの反応からして、彼が探していたのはこの犬で間違いないと、私も思います」
問題はそこからだ。
アシュリーさんの誘導にあわせて、彼はあっさり引き下がった。自分の探し求めていたものが、すぐそこにあったというのに。
いったいなぜ?
「無理矢理に連れて行くのは不可能だと判断したのだろう」
「こんな小さな犬1匹をですか?」
「ああ。さっき彼が鋭い敵意を見せた瞬間に、その犬の魔力量がけた違いに跳ね上がった」
彼女はあっさりとこともなげに衝撃の事実を告げる。
人間を除いた生物は基本的に魔力を扱えない。
故に魔力を扱うことのできる生物は、特殊な呼称で呼ばれることになる、つまりは魔法生物、略して魔物。
そんなものが街中に潜んでいるとは、思ってもみなかった。
私には、私たちにはといってもいいけど、魔物との交戦経験は数えるほどしかない。
まず冒険者になるにあたっての試練、洞窟の奥底で岩石魔法を使いこなす岩蜥蜴にでくわした。
戦ったのはりっちゃんで、私は見てただけ、結果はりっちゃんの敵ではなかった。
あとはまともにぶつかったのは森で星角鹿と交戦した時ぐらい、2人がかりでぎりぎり損耗なしで勝ち切れた。
その後も森をうろついているが、あんな大物とはあれから出会っていない、幸か不幸か。
もう一度、黒犬を観察する――小綺麗で人になつかないだけの普通の獣に見える。
人間の生活を脅かしてくるような魔物には見えない。
というか目を凝らす、感覚を集中する。やっぱりおかしい、魔力の揺らぎが感じ取れない。
「あの、今の感じだと全然魔力を発しているようには見えないんですが……」
「同意する。どうも平常時には魔力を発散していないらしい。何がトリガーになるかはわからないが、臨戦態勢においてのみ強力な魔力を放出するようだ」
「擬態か何かですか?」
私は岩蜥蜴のことを思い出していた、あれは完全に体そのものを岩に変換していた。
絶対に存在を察知されないように――それと似た仕組みなんだろうか?
アシュリーさんは頭を横に振る。
「どうもそういう感じでもない。というかそもそも彼自身が、魔力を制御できているというようには思えない」
わからないことが多すぎる!
りっちゃんがまずクロの存在に気づいたのはなんでだろう?
彼が特殊な魔法生物であるなら、その微小変化をりっちゃんだけが、感知した可能性はある。
それが理屈に基づいてるのかなんなのか知らないが、りっちゃんは妙に鋭いところがある。
なぜクロは敵意を見せてくるのか? 依頼人の男に対するそれは一際鋭かった。
人間全般に対して不信感を抱いているとも考えられる。
とりわけ彼がもとより知っていた相手に対して、強くそれは現れているのかもしれない。
その憎悪は現実に対してどのような影響を与えるのか?
現時点ではわからないとしかいえない。
魔力の効果は多岐にわたっていて、同じように魔力を操ったからといって、同じような結果が出力されるとは限らない。
人間は基本的に結果をそろえようと、一定のところにおさめようとする。
私とかは特にそういうタイプだ、魔法というものを自分の理解できる範囲に収めようとする。
この考え方は人間の間では主流と考えていい。
もちろんそうじゃない人間もいる――わかりやすいところでりっちゃん。
彼女には緻密な計画性というものは存在しない。その場その場で出力しやすいものを出力している。
魔法生物も人間と同じように大きく2種にわけられる。
数少ない固定された魔法を使いこなすものと、自由に型にはまらない魔法を使ってくるもの。
遭遇経験のある岩蜥蜴と星角鹿はいずれも固定型。
決まった数パータンの魔法の扱いを極めており、それによって自らの身を守っていた。
彼らは基本的に自分の魔法が活きるフィールドに生息しており、環境に適応したそれは非常に強力な武器となりうる。
自由型の魔法生物に出会ったことは今までない、話に聞いたり本で読んだりしたことがあるだけだ。
彼らはTPOにあわせて自由に魔法を使いこなす。生息域も固定されない。どこで遭遇するかもわからない。
長く生き強大な力を得たものの中には、人間から固有の名称を与えられているものも多い。
この黒い子犬は後者にあてはまる。
あれ? 結構やばくないかな? そんなのが無害なふりして、街にまぎれこんじゃっててだいじょうぶなの?
まあ一応今この場には街の上位層に位置するアシュリーさんいるし、若手超有望株(私認定)のりっちゃんもいるし、あとこの世界のバグみたいな存在の私もいるし、なんとかなるっちゃなんとかなりそうな気がしないでもないけど。
とにかくそんな危ない存在を、あの依頼人の男は探し求めているということ、そして彼はクロが危険な存在だと知っている。
さらにいえば彼は、私たちがクロの危険性に気づいたと、気づいている。
確かに状況は厄介である――これどうしよう?
「私は君たちの意志を尊重したい。君たちは巻き込まれただけだ。その犬を私に預けてくれるようなら、あとは私が対処しよう」
アシュリーさんが提案してくれる、非常にありがたい提案だ。
あの男が狙っているのは、黒い子犬1匹であって私たちではない。手放してしまえば、関わり合いにならずに済む確率はあがる。
安全性を考慮するなら、クロとは別れた方がいいことは確実だ。
しかし――私はこの件について、自分が決定権を持っているとは考えてなかった。
隣で犬と遊んでる少女に問いかける。
私とアシュリーさんが話してる間、ずっとりっちゃんはクロと遊んでいたが、あるいは一方的にクロで遊んでいたが、話を聞いていなかったわけではない。
りっちゃんには話を基本聞いてないけど、大事なところだけはきちんとわかっているという性質がある。
むしろ話半分に聞かせてた方が、要点をつかめてる感じすらある。魔法とか関係ないことだけど。
りっちゃんは私の問いかけに、迷うそぶりも見せなかった。
「お前はどうしたいんだ、クロ!」
アシュリーさんが私に、私がりっちゃんに、りっちゃんがクロに問いかけて、質問は行きつくところまで行きついた。
彼に話をすべて理解できてるとは思えない。
魔法生物だからといって、人間とコミュニケーションがとれるわけではない。中にはそういう個体もいるらしいけど。
クロは最初じっとりっちゃんを見返していた。その瞳に敵意はなく、なんだか困惑しているように私には見えた。
わかる。
りっちゃんは、基本文脈というものを考慮しないから、自分の中でだいたいのことが完結しているから、隣にいるとなんか話飛んでるなと思うことが多々ある。
私の場合は隣にいすぎて、どういう飛び方してるのか、なんとなく読めるようになってきたけど、今日会ったばかりの犬ころじゃそうはいくまい。ふふふ。
なんて少し優越感に浸ってられるような状況ではなかったので、即座に脳のはたらきを切り替える。
少しは真剣らしい顔をして、頷きを返してやった。あんまり複雑なコミュニケーションはできない。
そもそも伝えるべきメッセージはそんなに複雑じゃない。非常にシンプルなものだ。
私もそれで構わない、あなたの判断を尊重しよう。だいたいそんなところになる。
まあもっと肩ひじ張らないざっくばらんな表現になるが、大筋においては間違っていない。
クロはその視線をりっちゃんの方へと戻す。しばしの間、1人と1匹は無言で見つめ合った。
1匹の方はまるで観念したみたいにわんと一声吠えた。
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