[30] 探し犬

 まさか私たちが犬を連れて帰るのがわかっていて、それを待ち構えていたわけではないだろう。ただの偶然。

 赤い長い髪が目立つ、さっぱりとした動きやすい格好の、どことなくできる感じの女性。

 うちで一番すごい冒険者のアシュリーさん。

 私たちも仕事を手伝わせてもらったり、なにかと教えてもらったりと、世話になっている。

 頼りになる人だし何より強い。私もりっちゃんもまだまだ歯が立たないし、学ぶところが多い。

 まあ遠からぬうちにりっちゃんの方が強くなるけど、絶対に。

 そんなアシュリーさんがなんだか今日は浮かない顔で宙を睨んでいた。

 今日の空は灰色で眺めたところでそんなに楽しいものでもないだろうに。

 仕事が行き詰っているのだろうか?

 よくわからないが一流の冒険者ともなれば私たちとは受けてる仕事もだいぶ違うのだろう。よくわからないがなんかもっと入りくんだ面倒な仕事もやってるのだろう。よくわからないがそういう仕事の方が私たちよりずっと実入りもいいんだろう。

 ほんとによくわからないが。


「よお!」

「こんにちは」


 私たちが挨拶するとアシュリーさんはこちらに視線を向ける。そうして口を開こうとしたところで、その目が静かに見開かれた。その先にいたのは――他でもない黒犬のクロだった。

 この人、犬とか好きなのかな? まあどことなく雰囲気、大型犬ぽいところあるし、そういうものなのかもしれない。いやでも今までそんな素振り見たことなかったのに、意外な一面というものはあるもんなんだなあ。


「どこで見つけた?」


 私ののんききわまる思考とは反対に、アシュリーさんの声にはどこか切羽詰まったものが含まれている。

 いやまじでなんなんだろうか?


「そこの裏路地」


 りっちゃんが今来た道を指さしながら答える。


「灯台下暗しとはこのことか……」


 アシュリーさんはそれを聞いて、わかりやすく天を見上げて落胆している。

 いったいどういうことなのか、そろそろ説明して欲しいところなんだけど?

 さすがは一流の冒険者なのか、単に察しがいい性格だからなのかそのあたりのことは知らないが、こちらが(主に私が)困惑していることに気づいたのか、アシュリーさんは犬ごと店の中に入れると、夕飯をおごってくれながらざっくりと経緯を説明してくれた。

 なんでも彼女はここ2週間、探し犬の依頼にかかりっきりだったそうだ。

 忙しそうに街をうろついてるなとは思っていたがそんな仕事だったとは。

 それにしても2週間か、たかが犬1匹に。

 アシュリーさんクラスに依頼するとなるとそれなりの金がかかるはず、もしやこの犬そこそこいいところの犬なのか?

 とうの犬ころは今、夢中で肉の塊にかぶりついている。これももちろんアシュリーさんのおごりである。

 しばらく観察していたけれどどうもそんなお上品な犬には見えないな――お上品な犬ってなんだ?

 りっちゃんはといえばさっぱりしたもので、特にクロのことは執着してない様子。

 名前までつけてたのに絶対に離さないとかそういう子供じみたことはいわない。

 あるいは彼女も犬といっしょで今はごはんに夢中になってるだけなのかもしれないが。

 手際のいいことにすぐにその依頼人がやってくるとのこと。なぜだか私たちもそれに立ち会うことになって、応接間に連れていかれた。

 依頼人はひょろりと手足の長い男だった。

 身なりは整っている。整っているが、急ごしらえで着せられている感がぬぐえない。

 なにより所作が洗練されておらず既存の上流階級に属するようには見えなかった。

 見た目だけそれに似せたまがいもの。


「いやはや助かりました。まさしくうちのヨハンセンです。みつけていただきありがとうございます」


 男はにこにこと笑いながらいう。うさんくさいことこの上ない。

 がしかし彼は私たちの仕事の関係者というわけではない。何か口を挟むことはできない。

 だいたいアシュリーさんも私と同じような感想を抱いているはずで、それについて何もいわないということは、そのあたりのことは全部飲み込んだうえで、仕事を受けているということだ。


「じゃあな、クロ! 元気でやれよ!」


 りっちゃんはヨハンセンあるいはクロを床の上に置く。

 ずいぶんと短い付き合いになったが、私も心の中で『達者で暮らせよ』ぐらいのことを思っておいた。

 あとは怪しい依頼人が黒い子犬を連れて帰って話はそれで終わり――のはずだった。


「ワンッ!」


 低い声が応接間に響き渡る。鋭く激しく敵意をにじませた声。

 私に向けたそれよりも数段厳しい、殺意とまでいえるほどのそれを黒犬は男へと向けていた。

 連れていかれることをその動物は拒絶していた。

 気まずい沈黙。これはいったいどういった収拾をつけたものなんだろうか? 私は部外者なので口を出せない。

 アシュリーさんのお手並み拝見とはいかないが、その程度の野次馬気分でその場をながめていた。

 不意に彼女が口を開いた。


「すみません。犬違いだったようですね」

「そうですか、お気になさらず」

「探索の方は続行させていただきます」


 友好的なムードで言葉を交わす。けれども両者の笑顔はどちらも表面だけに張りつけた薄っぺらなもので、まったく感情が伴っていない寒々しいものだった。

 どういうことなんだか私にはさっぱりわけがわからないまま男は手ぶらで帰っていった。

 店のきしんだ扉が閉じる音が聞こえてから、ようやくアシュリーさんは一息ついて、それから私たちに向かって頭を下げた。


「君たちを厄介ごとに巻き込んでしまったかもしれない」

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