第4話 日記の内容

  ▪


二〇一八年 五月一日

 今日、弟に指摘されて気づいた。どうやら私は、トモちゃんの記憶が抜けているらしい。

 本名を聞いて、卒業アルバ厶でトモちゃんを探して思い出した。

 何だか最近ボンヤリする。物忘れも酷いし、記憶力も落ちている。勉強に集中出来ない。もしかすると病気かもしれない。でも病院に行っても、特に異常はなかった。

 これからどんどん忘れるかもしれないから、日記をとる。


〈弟から聞いたこと〉

・トモちゃんは幼なじみ

・トモちゃんは大宰府にいる

・トモちゃんは麦茶だと思ってめんつゆを飲んだ。私が入れ替えたらしい。(覚えてない)今日そうめんを食べて、弟が思い出した。


(トモちゃんの写真が貼られている)





六月一日

 掃除してたら、ノートの存在を思い出した。やっぱり、トモちゃんのことを忘れている。

 引き出しの奥に前の手帳が残っていた。どうやら私はトモちゃんと付き合っていたようだ。所々に「デート」と書いてある。

 でも現在の状況を考えて、私はフラれたんだろう。





六月十五日

 弟がトモちゃんのことを言ったので、このノートを思い出した。でも話を聞いても、彼を「思い出した」という感覚がない。知らない映画の話でも聞かされているよう。






六月十六日

「トモちゃん」の名前を聞いて、このノートを思い出した。

 掃除したらまた見つかるかもしれないと思って探す。日記の類はない。三日坊主だもんな、私。代わりに、「トモちゃん」の写真を見つけた。女の人も映っている。多分結婚式だ。


 思い出せないのに、何だか胸が傷んだ。

 私は、「トモちゃん」だけを忘れているみたいだ。

 ネットで検索したら、「解離性健忘」かもしれない、と思った。特定の人物だけを忘れる、「系統的健忘」っぽい。


「解離性健忘」は、強いストレスで起きることがあるらしい。よっぽど酷くフラれたんだろうか。


 とりあえず素人判断はアカンから、とりあえずまた病院に行く。アルツハイマーとかかもしれないし。





二〇一九年 五月一日

 トモちゃんの奥さん、芙由美さんから電話が掛かってきた。

 そうしたら、急に鮮明に、全部思い出した。

 多分芙由美さんは、ほとんど私と関係がないから、脳が拒絶しなかったんだろう。


 そうだった。私がフッたんだ。

 私の目からして、トモちゃんの親は本当に酷かった。トモちゃんに対して無関心なくせに、トモちゃんのやること全部否定して傷つけた。トモちゃんを「自分じゃ何も出来ない子供」に仕立てるくせに、学歴とか名誉とか、人一倍世間体に目敏い人達だった。でもいちばん許せなかったのは、トモちゃんの口座を握っていたこと。トモちゃんが自分たちから逃げないように印鑑を奪って、アルバイトのお金を搾取していた。

 だからトモちゃんは、ここじゃない、遠くの場所に逃げるしか無かった。あのろくでなしから遠ざかるには、物理的に離れるしかない。

 新しく口座を作ると家に郵便が届く。そうしたら、親にバレて、また握られてしまう。銀行の人に相談して、住所は引っ越すまで家にしていた。

 選べるほどの環境があったのは私だけだ。私は大学院を選んだし、トモちゃんは自立するしかなかった。

 でもそれ以前に、トモちゃんは、私の気持ちをずっと疑っていたと思う。


 かわいそうなトモちゃん、不幸なトモちゃん、面倒を見てあげないといけないトモちゃん。

 そういう同情心がなかった、とは言えない。

 でも、好きだったんだよ。好きだから、これ以上苦しませたくないんだよ。


 ねえトモちゃん。

 どんな事があっても、私のはトモちゃんの味方だよ。

 そう無条件に肯定するのは、家族だから。

 恋人に、それは出来ない。


 少なくとも私たちの間では、両立できなかったね。

 トモちゃんの家族は、あんなろくでなしの存在じゃない。私たちだよ。だから、絶対的な味方でありたいんだ。

 恋人って、脆いよね。壊れやすいよね。

 恋人で、どっちかが助けて、どっちかが救われるなんて一方的な関係は、惨めだ。対等でありたいよね。

 それで家族の関係まで失ったら、トモちゃんは壊れてしまう。

 だから、恋人は捨てた。


 きっとトモちゃんは、この広い世界で、色んな人に会う。恋人も出来る。失敗することも、傷つくこともあるだろう。

 だからそういう時は、私たちを思う存分頼って欲しい。この家に帰ってきて欲しい。いや、私たちだけじゃなくていいんだ。安心できる場所、逃げる場所、帰る場所を、沢山持って欲しい。

 そう伝えたこと、覚えてるかな。

 これが『家族』としての私の正直な気持ち。

 でもね、『恋』もあったんだよ。

 トモちゃんが結婚して、悲しかった。寂しかった。トモちゃんが芙由美さんを愛していることが、すごく伝わった。もう本当に、私の恋は終わったと思った。

 記憶を失うには、十分すぎるほどの傷だ。自分でも、把握してなかったけど。


 ……でも、もし、トモちゃんが芙由美さんからの愛を、信用していなかったら。

『病気になった、かわいそうなトモちゃん』として見ている、って思っているなら。


 恋しくて愛おしくて、それが叶わなくて、あまりにもショックで忘れたことの事実を、この日記を渡すことで伝えられるなら。

 身体や記憶を壊すほどの痛みで、私の初恋を示せるなら。


 キミは最後に、「愛されている自分」を知ることが出来るだろうか。



 ▪


「……智昭さんは、夏樹さんに謝りたいって言っていました」


 それから、うれしかった、と。


「ちゃんと喧嘩したことがなかった。多分、家庭的なもので沢山気を遣わせて、夏樹さんに言われるまでわかってなかったことが悔しくて、でもようやく、伝えられるぐらいには対等だと思われたって」


 智昭さんにとって、夏樹さんは尊敬できる大人だったそうです。

 芙由美さんの言葉に、俺は、「んなことないです」と首を振るしかない。


 大人だって? ガキだったよ。

 なんも分かってない、自分のことしか見えてないガキだったよ。変化する環境が怖くて、成長したくないって駄々をこねてた。

 それを壊したトモちゃんが、俺たちから家族を奪った芙由美さんが、憎くて、悲しくて。


 でも姉ちゃんは、それすら飲み込んで、渡したんだね。

 芙由美さんは、それを受け取ったんだ。だから俺に、この日記を渡した。



「すいません、俺は」

「ごめんなさい」


 俺の言葉に、芙由美さんが被せる。


「実は明子はるこさん、既に呼んであるんです。今日は無理でしたが、明日の葬式にはいらっしゃると」


 勝手にして申し訳ございません、と芙由美は笑った。それは泣き疲れても、生きた人間の笑顔だった。

 大切な人が死んでも、残された人は笑うのだ。

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