平将門、坂東を翔ける
宇宮出 寛
御霊現る
「誰だ、名前を言え」
「我らが将門様に栄光を」
「何だ多兵衛どんか。交代の刻限だな?」
「そうだ寒かったろう、入って休め」
「ありがたい、一杯飲んで温まろう」
相馬小次郎将門の豊田郡鎌輪の館の周りは、三日前に野本の戦いから帰って以来、常にはない緊張感に包まれている。二月(陽暦三月)といえば春だが、桜が咲きそうになってからこのところ寒が戻っていた。それでもまだ郎党たちには戦闘の興奮が残っているらしく、夜通しの見張りにも文句を言う者はいない。屋敷の中では篝火が所々で燃えているが、門の外は静かな闇の広がりである。
「ご苦労、変わったことはないか?」そう声を掛けたのは、小次郎の弟の四郎将平であった。
「あっ、これは四郎さま。あれだけ痛めつけたのですから、敵方が元に復するには相当な時日を要しましょう。むろん油断は出来ませぬが」と答えたのは、館に詰めている小次郎の側近の多兵衛である。
四郎は門の外側の敷石の上に多兵衛と並んで立った。目の前には村落の藁葺き屋根が並んでいるが、すでに寝静まって灯も見えず、その輪郭は曇り空の下でぼんやりとした固まりにしか見えなかった。
「此度はちとやりすぎたかも知れぬな、勢いとはいえ罪のない者まであのように――」
そう言った四郎には戦に勝った喜びとともに、伯父国香を自殺に追い込んでしまったという悔いの気持ちと、自軍によって焼き尽くされた村落の惨状が脳裡にあった。この時代、いくさで放火掠奪は普通のことである。それは四郎も承知の上だが、農民らまでに甚大な損害を与えることには、生理的な嫌悪感を抱いてしまうのであった。
「仕掛けてきたのはあちらから、端(はな)にはわが軍とて危のうございました。―しかしながらこれでお館さまの名も上がり、わが党に靡く者も多く出て参りましょう」
小次郎将門がまだ頼りない跡取りの若さまに過ぎなかった頃から仕える多兵衛には、主人が豪族としてその勢力を、この坂東に拡げていくのが嬉しいのである。
「うむ―」
四郎にしてもその想いは同じである。ただ彼がこの時代には異質な、人間に対する優しさを持っていたということだろう。それきり二人の会話は途絶えてしまった。
野本の戦いは承平五年(九三五)二月、常陸の豪族・源護の子の扶、隆、繁の三兄弟が将門を待ち伏せして合戦となったもので、初め囲まれた将門軍が不利だったところ、風向きが変わって順風となったのを機に、攻勢に転じたまま敵を完膚なきまで討ち破り、源三兄弟は戦死、そのまま源家の後援者たる伯父・平国香をその妻である源護の女の屋敷にて自害に追い込むという、大勝利の結果を見たのであった。その時の将門軍は、勝利に乗じて民家はおろか寺社へもかまわず放火し、掠奪の限りを尽くしたと言われている。
この戦いは小次郎将門にとって初めての大規模な合戦だった。父良将の死後、都より帰郷して以来、彼は弟らを始め一族の者どもと力を合わせ、鬼怒川流域の荒蕪地を開拓して私営田の拡張に努め、牧では馬の育成に励んできた。その間喧嘩に近いような小競り合いは何度か経験していたが、今度のような本格的ないくさはしたことがなかったのである。いわば初陣ともいえるこの勝利が、小次郎は言うに及ばず、郎党どもにも興奮状態をもたらしているのは不思議でなかった。
「おやっ、あれは―」
四郎が中へ戻りかけたとき、後ろで多兵衛の声がした。
「どうした多兵衛?」
引き返して多兵衛の指差す方を見ると、門前に聳える椎の大木の、闇よりさらに黒々と繁った常緑の葉群の下およそ三間の高さに、何やら青白く光るものが漂っている。
「鬼火か?」
見上げている二人の前で、光は次第に明るさを増しながら、ぼんやりと人の顔らしきものに変わってきたかと思うと、
「汝ら小次郎将門の家人であろう、将門と話がしたい、これへ呼んで参れ」
と重々しく言ったときには、鼻筋の通った瓜実顔がはっきりと浮かび上がっていた。烏帽子は闇に溶けていたが、威厳と高貴さを感じさせる容貌である。
「おのれ、化け物め―」
多兵衛がそう言って槍を構えるのを抑えて、
「どなたの御霊か存ぜぬが、何ゆえわが兄者に会いたいと申すのか、まさか狸や狐ではあるまいな?」と四郎はさすがに思慮深くそう訊いた。
「麻呂は先の右大臣菅原道真じゃ。将門に申したきことがある」
四郎と多兵衛は思わず顔を見合わせている。
道真といえば、この時より三十年ほど前の延喜三年に太宰府で死んでいたが、その後天候異変や疫病、都のあちこちに落雷ありなどして、それらがみな菅公の祟りだという噂が広まっていた。そして内裏の清涼殿に落雷があって、そのために二人の大臣が死んだのはつい五年ほど前のことであった。
館の中では小次郎と弟たち、そして郎党の主だった者達が酒盛りの最中である。若い小次郎将門を担いだ勢力が、初陣といえる今度の勝ち戦に因って、ここ鎌輪を根拠として拡大していく希望を見出した、という高ぶった気持ちが一同の話す声を大きくしていた。
「なんじゃと?」
呼び出されて縁先まできた小次郎は、いかつくて四角い顔に真っ黒い目玉だけを光らせ、多兵衛に怒鳴った。
「ですから菅公を名乗る亡霊が、お館様を呼べと」
四郎から誰にも知られずに伝えよ、と言われているから小声である。
「面白い」
それだけ言うと小次郎はすぐに庭に下りた。彼もまた興奮状態にある。今はどのようなことでも自分に出来ないことはない、という気がしている。酒の酔いも加わってはいたが。
「おう四郎、亡霊とは―」
「しっ、兄者あそこを」
四郎は門から出てきた小次郎へ、口に指を当てながらもう一方の手で椎の樹の方を指し示した。そこには青白いものが浮かんでいたが、小次郎が近づくとその明るさが増した。
「来たか将門―」
亡霊がそう言うのを、小次郎は目を剥いて睨み付けた。
「菅公の御霊とはまことにあろうか?そもこの小次郎将門に、一体何用でござる?」
「先ごろのいくさで、そなたに興を催しての、行く末面白げな漢(おとこ)とな。それで贔屓しとうなったというわけじゃ」
亡霊の声は大きくはないのだが、殷殷と鼓膜を圧するように響いてくる。小次郎は負けじと腹に力を入れる。
「そもそも己は忠平公に名簿を捧げており申す、御霊殿には敵方の筈ではござるまいか?それに武芸に於いては、天与の才あるをもって任じる者にござる。御助力、必ずしも頼むべきとは思いませぬな」
菅原道真を大宰府へ流したのは藤原時平であり、忠平はその弟で後継者であった。それに小次郎は幼少より身体頑健で、牧を遊び場として馬術にも親しみ、一族の中でも抜きんでた武夫に成長していた。そしてその実力は、滝口の衛士としての働きで、都でも認められたという自負があったのである。
「麻呂には全てが分かっておる。そなたが桓武帝の裔であり、陸奥国鎮守府将軍の子であることもな。それに時平殿には怨みもあったが、藤氏すべてが麻呂の敵ではないのじゃ。その証左に摂政殿には何も起こってはおるまい。それはともかく、そなたは強いことは強いが知略がない。先の合戦は風向きで勝ったのではなかったかな?あれを偶然のことと思うておるようじゃが」
そう言う亡霊の口ぶりには揶揄する風がある。
「たとえ追い風に変わらずとも、わが軍は勝っていたに相違ござらん。そもそもわが郎党の日ごろの鍛錬、働き、心がけはいづこにも勝るとも劣るものではないによって」と小次郎はいささかむきになって返答している。
「それはそうかも知れぬが、ただ喧嘩に強いだけでは、不逞の輩の群れるのと変わるところはなかろう。そなたらも坂東の広さに似合った大望を持ったらどうじゃ」
「我らにも目指すところはござる。今はそれが何かは明らかでないが、必ず新しい風を吹かせてお見せしよう」
そう言った小次郎は、此度のいくさによって党内に変化が萌しているのを感じている。都から帰ってより今日まで、一族郎党たちとともに黙々と働いてきて、この下総に自分たちの存在を主張するだけの基盤は出来た。さあこれからどのように生きていけばいいのか、という時の此度のいくさであった。
「ほう、それは頼もしい、まずは思うとおりにやってみることじゃ。そなたは坂東の王になれるかもしれぬ。麻呂は高みの見物とするが、いずれ力になれることもあろう。ではまた逢おうぞ」
亡霊はそう言いながら闇に溶けていく。
「待たれよ、世間に言う菅公怨霊の厄災とは真にござるか、お聞かせくだされ」と小次郎が声を上げたのに対して、
「さあどうであろうかな、ほほほっ」という声だけが樹下の闇に響いた。
三人はそのまま暫く黙って立っていたが、
「何じゃ今のは、物の怪とも思われぬが」と小次郎が言うと、四郎は真面目な性格そのままに、
「まったく分かりませぬ。このような奇怪なことは初めてのことでござる」と言い、
「お館さまには雷神が味方してござる、これは心強いことではありませぬか」そう言った多兵衛だけがにこにこ笑っている。
「馬鹿、俺にはそんな加勢はいらぬ。一族郎党だけで十分じゃ」
夜気に当たって酔いの醒めたような顔で、小次郎はそう言って苦笑いを浮かべた。
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