β

 数日間連続で雨を降らせている悪い狐を、祓う仕事だった。

 現実世界に存在しないらしいので、まずルートを決めて、3人ぐらいで挑む。必要なのは、ひとに会わないこと。誰にも遭遇せず、決められたルートに沿ってしばらく街を歩く。うまくいけば、3人のうち誰かが狐のいる場所に辿り着ける。

 雨であることを利用して、アーケードを迂回して雨のあたる道筋を選んだ。ここなら、おそらく誰もいない。雨でなければそこそこの人通りだが、雨のときは車しか通らないはずの道。監視カメラもかなりある。

 歩いた。

 この分で行けば、狐の場所まですぐ。

 そう思っていたのだが、運悪くひとに遭遇してしまった。

 監視カメラの先にいる同僚に連絡したかったが、やめた。雨に濡れて、しゃがんでいる女性。なぜか、とても、綺麗に見える。

 近付いても、こちらに対して反応を見せない。


「この道を行くひとがいたなんて」


 とりあえず、しゃがんでいる女性の上に傘を。


「大丈夫です。私とあなたの二人分ぐらいは、この傘の大きさなら」


 彼女は、しゃがんだまま。


「あ、そういえばお菓子あったな。食べますか。ポテトスナックです。食べやすい、細長いやつ」


 女性がよろこぶものを、これ以外持っていなかった。このポテトスナックも、狐の気を引くために持ってきたもの。


「おっ」


 彼女が、ポテトスナックに興味を示した。食べ始める。


「おっおっおっ。ハムスターにごはんあげてるみたいですね」


 差し出したポテトスナックを、ぽりぽりと、ゆっくり、食べ進んでいく。


「おっと」


 指を舐められた。くすぐったい。


「それは指です。ちょっと待ってください。次のを。はい。どうぞ」


 こちらが差し出す次のポテトスナックを、ぽりぽりと、ゆっくり、食べる。

 食べ終わったら、指を、ちょっとだけ舐められる。どうやら指を舐めるまでが1セットらしい。

 何度も。

 何度も繰り返す。


「少しは立ち上がれそうですか?」


 十何回目かのポテトスナックを終えて、とりあえず彼女に、訊いてみる。

 それを聞いて。彼女は。


「あっ。あらら」


 しりもちをついた。彼女の濡れていた服の、さらにおしりのところが、じわじわとしみる。ぐちゃぐちゃ。


「しかたないなあ」


 目の前。ちょっと遠いところに、ポテトスナック。食べようとしたけど、届かない距離。これなら立ち上がるかと思ったが、だめだった。食べようとして、切ない顔であきらめている。

 その、切ない顔が。なぜか、胸を打った。


「だめか。じゃあ、失礼しますね。よいしょ」


 とりあえず彼女を、抱えあげる。こんな気持ちになったのははじめてかもしれない。この仕事をはじめてから、あまり仕事仲間以外の人間に興味を持ったことはない。


「はい、ポテトスナック」


 とりあえずポテトスナックをあてがう。彼女は、口で受けとった。


「とりあえずホテルかなあ」


 と言って、彼女の反応を少し探る。ホテルと聞いて、なにを連想するか。

 そして。

 気付いた。

 声が出そうになったが、ぎりぎりで耐える。訊くのもまずい。

 だからか。

 だから、彼女の切ない顔が、刺さるのか。

 とりあえず、監視カメラの先にいる同僚に連絡。


「私です」


『はいこちら監視カメラ。連絡してきたってことはだめだったんだな』


「だめでした。ここの道にまさか人がいるとは」


『しかたねえよ。こちらからは見えてたけど、そっちに連絡したら通信越しに人と接触したことになっちまうし。任務は中止でいいか?』


「ええ。私はこの任務から降ります」


『了解した』


 喋りながら、彼女を抱えていないほうの指で、文字を打つ。


『なに?』


 この女性。

 喋れない。おそらく、声帯ではなく脳のほうに不具合がある。検索を。


『ちょっと待っとけ』


「はい」


 しばらくして、データが送られてくる。

 やはり脳の不具合らしい。


『かなりしんどい人生を送ってるな。喋れないことをまわりに悟らせないために、ひとりで生きている。この分だと、病院の先生ぐらいしか知らないなんてこともありえるかもしれん』


 あの切ない顔は。そういうことか。


『よく分かったな、それにしても』


「あとのことは任せました」


『あ、ああ。仕事のほうはこっちでなんとかする』


「ああ、あと、近場のホテル分かりますか?」


『ホテルね』


「できれば、お風呂が広いところで」


『警戒されないように、女の補助つけようか?』


「いえ。人は要りません」


『そうか。しかしまあ、なんとも難儀な』


「定期連絡は通信で」


『通信ね』


「はい」


『たぶん仕事終わりの事後連になるな』


「分かりました。ではこれで」


 仕事のほうは、仕事仲間がうまくやるだろう。

 それよりも、この女性のほうだった。

 ひとを好きになる気持ちが、自分にもあったのか。ちょっと不思議な感覚。ただ、仕事柄、無理なものは無理だろう。

 1日だけ、彼女を介抱して。そして、いなくなろう。


 そのあとは、彼女をホテルに連れていって。

 彼女をお風呂にいれて。

 眠る彼女に毛布をかけて。

 しばらく、外を眺めていた。狐の影響で、まだ雨は降っている。

 通信。


『よお。事後連だ』


 彼女を起こさないように、文字で打った。


『ああ。仕事は完了した。雨は通常通り。ここから数日は狐の影響ではなく、普通に雨雲がかかっての雨だ。何も問題はない。明日には止むだろう』


 よかった。仕事は終わった。


『彼女とは、どうだった?』


 どうもこうもない。

 精神の糸が途切れ、まるで子供のように振る舞う大人の女性に対して。男として接することはできない。一緒にお風呂入って、眠る彼女に毛布をかけただけ。


『そうか。まあ、それはそれで、つらいな』


 心が戻ってくれば、まあ、たぶん大丈夫。そのときに自分のことは、覚えていないかもしれない。


『一応、フロントに連絡して言伝ことづては残しておいたほうがいいかもな。目覚めたらホテルのベッドなわけだから。たぶん混乱するだろう』


 あなたの彼女さんとのなれそめはどうだったんですか。


『えっ俺?』


 参考までに。


『俺かあ。俺は彼女に背負われたりとか、まあ、いろいろ大変でした』


 大変だったのか。


『お前も大変になるよ、これから』


 いや、今日で終わりにする。


『いいのか?』


 そのほうが、傷口が少ない。彼女のひとりで生きる人生を、邪魔しちゃいけない。


『まあ、そこら辺は自由だよ』


 通信が切れた。

 しばらく、雨を眺めていた。この雨に打たれて。彼女は、何を思っていたのだろうか。喋れない彼女は、何を叫びたかったのだろうか。

 彼女が起きる前に、そっと部屋を出た。

 先にフロントで言伝を頼み、そのままホテルの玄関まで。

 まだ、雨は降っていた。傘は、彼女のためにフロントへ預けた。

 今度は、私が濡れる番か。失恋にしては、ちょうどいいシャワーかもしれない。

 せめて、彼女の人生が良いものであるように。ちょっとぐらいは自分も、意味なく濡れて歩こう。そんな気分になっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る