第20話 青空と嵐のきざし

 お休みが明けて朝、カテリナが王城に出勤すると、国王陛下と彼の私室の前で出会った。

 カテリナが出勤する前からギュンターが仕事をしているのはよくあることだが、そこはもちろん国王陛下の私室なのであって、カテリナは近衛兵にあいさつをしてから部屋に入れてもらう。国王陛下が自分で鍵をかけて部屋を出るという場面に出くわすのは、普通のようで全然普通ではない。

「おはよう」

 カテリナは昨夜のサロンのことを瞬間的に思い出して一歩後ずさろうとしたが、それを制するようにギュンターから鋭く言われた。

「……おはようございます。何をしていらっしゃるのですか」

「出勤だ。君も毎日そうしてるだろう」

 ギュンターはちらとカテリナを見て、目の前の扉に目を戻した。

「何も持たなくていいから一緒に来なさい」

 ギュンターはそう言って鍵を回し終えると、それを自分のポケットに仕舞って先に歩き出した。

 カテリナは肩掛けカバンをぱたこんと揺らしながら彼の後ろについていった。ギュンターは会議に出るときのような詰襟とサーコートという公務用の格好だが、彼がそういうときによく小脇に抱えている書類はまったくなく、仕事中の常である難しい顔もしていなかった。

 ギュンターは歩みを止めずに、ふいに後ろを歩くカテリナに声をかける。

「カティはどうして騎士になったんだ?」

 彼女は唐突なその質問に勘ぐる性格でもなく、素直に答える。

「父が騎士で、同じ仕事がしたいと思ったからです」

「奇遇だが私もそうだ。父が国王だったから、同じ仕事に就いた」

 ギュンターはちょっと声をもらして笑ったが、サロンで女性たちに見せる貴公子然としたものとは違う、なんだか気楽な笑い方だった。

「ずっと重荷ばかりだと考えていたが、この仕事をしていてよかったと初めて思ったよ」

 彼はそれきり別段何か言うことはなかったが、やけにすっきりした顔をして窓の外の晴れ渡った空を見て、つかつかと歩いていった。

 ギュンターが席に着いたのは四階の中央に位置する会議室だった。普段カテリナが事務仕事をしている彼の私室とは違って円卓になっていて、重臣たちが集まっては重要なことを決める、いわば公的な国王陛下の仕事場だった。

 カテリナが部屋を出ようとすると、またギュンターから鋭く声がかかる。

「待て、カティ。君はそこだ」

 カテリナも壁際で警護をしていたことはあるが、今日のように席を決められたのは初めてだった。さすがに重臣たちと同じ円卓ではないが、国王陛下に書類を差し出す斜め後ろの補助席に着くようにギュンターから言われて、肩掛けカバンを下ろしてメモの準備をした。

 陛下の隣であるマリアンヌ王妹殿下の席をはじめとしてまもなくすべての席は埋まり、定刻を確認すると、ギュンターから口を開いた。

「集まってくれて感謝する。たびたび議題に上った、降臨祭の最後のダンスのことだが、結論が出たのでみなに知らせようと思う」

 カテリナはメモに視線を落としながら緊張に身を固くした。それは自分が休暇中にもう決まっていると思っていたが、いざ耳にするとなると逃げ出したくなった。

 その瞬間に自分の仕事が終わってしまうから、熱心にいろいろなことを教えてくれた陛下が遠くにいってしまうから……陛下が最愛の人とダンスを踊るから。最後の一つは誰にとっても喜ばしいことのはずなのに、カテリナはなんだか喜ぶことができなかった。

 ギュンターは息を吸って、一同を見渡しながらその答えを告げた。

「決めた。降臨祭の最終日、私が贈った星の金貨を持って現れた女性とダンスを踊ろう」

 彼がそう言った途端、カテリナは昨夜、母から譲り受けたドレッサーの引き出しに大切に仕舞った金貨のことを思い出した。

 でもあれはイミテーションで、女性慣れしている陛下ならきっといろんな人に配っているもので、そう心の中で言い訳したカテリナに、至極真面目な陛下の声が聞こえてくる。

「私が星の金貨を渡した女性は三人だけだ。アリーシャ、ローリー夫人」

 ギュンターは目を伏せて、どこか独り言のように言った。

「もう一人は……すぐ側にいると知っているが、最終日に現れてくれるかはわからない」

 相手にも準備があるのだからと前もってダンスの相手を決めようとしていた陛下としては、まったくらしくない不確かな選択だった。重臣たちとしても陛下の相手が決まらないことには精霊との約束が守れないわけで、反対は必至のようにも見えた。

 陛下の隣で身じろぎをして、最初に意見を述べたのはマリアンヌだった。

「最愛の人は陛下の御心にあるということですね」

 マリアンヌは誰よりも陛下と長く過ごしてきた落ち着きをもって、重臣たちの不安を優しくなだめた。

「おそらくもう陛下の御心は決まっていらっしゃる。けれどその女性が自分を選んでくれるかどうかだけが、陛下にはわからない」

「……そうだ」

 ギュンターが深くうなずくと、マリアンヌはうなずき返した。

「では、私には反対の理由がありません。それこそが精霊の望みだと思うからです」

 マリアンヌが微笑んで一同を見やると、重臣たちは今この国で王に次ぐ高貴の意思の力に怯んだ。

「ご意見のある方はいらっしゃいますか?」

 結局その場で反対の意見は出ることなく、御前会議は解散となった。

 カテリナが肩掛けカバンにメモを仕舞って退出しようとすると、マリアンヌから声をかけられた。

「カティさん。陛下のお側を片時も離れないでくださいね」

 お願いの形を取った命令と気づいてカテリナが大きな目でまばたきをすると、マリアンヌは笑って陛下を振り向く。

「陛下もそろそろ、最後のダンスより降臨祭の後のことが気になっていらっしゃる頃かしら」

「マリアンヌ」

 ギュンターは怒ったような声で言ったが、本気で怒ってはいないとマリアンヌにはわかっているようで、彼女は楽しそうに笑っていた。

 そういうところは長い間築いた信頼関係でしかできないものだとカテリナが感服していると、ふいに二人の前に進み出た者がいた。

「失礼。折り入って、陛下とマリアンヌ殿下にお願いしたいことがございます」

 熊のような見上げるばかりの巨体を案外繊細な仕草で丸めて礼を取り、王と王妹の前に膝をついて二人を見上げた男は、カテリナもよく知っている。

 カテリナは素直だまっすぐだと言われるが、その元となる彼は、敵地で最後の一人になっても戦い続けて、命がかかった会談でも王に自国にとって最良の選択を進言した忠臣だ。

「可及的速やかに、カティを騎士団に返していただきたい」

 彼はカテリナの元上司の上司のそのまただいぶ上の総帥、ゲシヒト・バルガスという難しい名前なのだが、もっと簡単な名前もある。

「……カティがいないと夜も眠れない者もいますから」

 顔を伏せてつぶやいた言葉こそが彼の本音だと知っているのは、カテリナが彼の実の娘だからだった。

 父が下を向いた目がだいぶ潤んでいて、今にも泣きそうな顔になっているのを、カテリナだけが知っていた。

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