第4話 夜会とお役目


 誤解を解きたくて、私は、毎週、いつもの待ち合わせ場所へ行っている。

 でも、もう、レンはあの場所へ来てくれなかった。


 私は、レンのことを何にも知らないんだとあとで気づいた。

 レンの家も、レンと連絡を取る手段も何も持ってないことに今更ながら愕然とした。


 お父様は、何度も出かけては、憔悴しきって帰ってくる私に何も言わなかった。



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 あれから、クアッド様と初顔合わせがあった。

 さらさらの金髪に、孔雀緑の鮮やかな瞳。素敵な方だ。

 物腰も優雅で、穏やかに微笑み、息をするようにきれいな言葉を紡いで女性を気分良くさせる。とても年下だと思えない。

 間に合わせ婚約者が必要になるわけだ。


 私はひたすら貼り付けた笑みを浮かべてやりすごした。



 クアッド様はそれからこまめに贈り物や手紙をくれる。

 お礼のお手紙を書かなければならないが、書きたくなんかない。

 間に合わせ婚約者に手紙なんて、本人が書いているかどうかだってわからないではないか。

 礼儀上、返事を返さないわけにはいかない。


 手紙を書く相手が、レンだったらいいのに。

 連絡先さえ知らないという事実がまた私を打ちのめした。





 クアッド様との顔合わせから数週間たち、今日は初めてクアッド様と夜会に出席する。


 大事なお役目の日だ。お役目はきちんと果たさなければならない。


 数日前に素敵なドレスやアクセサリーが家に届いた。

 多分、間に合わせ婚約者にしては、よくされている方なのだろう。


 当日はクアッド様が家に迎えに来てくれた。

 穏やかな微笑みを浮かべながら卒なくエスコートして、侯爵家の赤い内装がきれいな2頭立ての馬車に乗り込む。

 座り心地のよいクッションに向かい合って腰掛ける。


「レイア、とてもきれいです。あなたのとび色の髪に、そのエメラルドが似合ってよかった」

 言われて気が付いた。孔雀緑のエメラルドのついたネックレス。クアッド様の瞳の色だ。


「私の色をあなたにまとってほしかった」


 私は唇をかみしめた。

 リップサービスにもほどがある。

 私なんかがきれいなわけないし、まとってほしかったって何?

 私はクアッド様の持ち物じゃない。


 間に合わせ婚約者なんだから、適切な距離感ってものがあるでしょう?

 私はお役目を果たすけど、それは婚約者として最低限のことだけにしたい。

 強制されたくないし、踏み込まないでほしい。

 胡散臭い美辞麗句。

 思ってもいないことを言うくらいなら言わなければいいのに! 逆に失礼だわ。


 なんて、私の立場で言えるわけがなく。


「ありがとうございます。クアッド様にふさわしくあるように努力いたします」


 ……お役目はいつ終わるんだろうか?




 今日の夜会は、シュテルン公爵家で行われるものだった。

 初めてクアッド様と参加する夜会だ。

 今年デビューした一番の有望株と名高いクアッド様が選んだ令嬢だと一瞬ざわつくが、私の爵位や容姿をみて、みんな興味をなくす。間に合わせ婚約者だと早々に悟ったらしい。


 クアッド様は穏やかに微笑みながら私と一緒に会場を巡る。

 クアッド様の笑顔は、もう胡散臭く見えて仕方がなくなってしまった。

 でも、私以外は誰もそんな風に思わないのかも。



「久しいね、ベネデッティ殿。最近はいかがかな?」


「おかげさまでつつがなく過ごしております。ヤリス閣下もご健勝そうで何よりです。紹介します。婚約者のレイア=ボノセッティです」


 穏やかに微笑み、そつのないクアッド様の挨拶に合わせて、私もそっと淑女の礼をとる。


「おめでとう。ベネデッティ殿はよき婚約者を得られたようだ。ところで、私の姪が、あなたをサロンへ招待したいと言っていてね。いかがかな? 今度案内させるが」


「……婚約者も一緒でよろしければ」


 婚約者の前で、あからさまに女性からの誘いをにおわせる。

 とても非常識な行為だ。……私が偽の婚約者でなければ。

 婚約破棄のその後を見越しての発言。


 ただ、いつものよどみない返しと違い、一瞬ためらうクアッド様。

 困っているのが感じ取れる。

 もしかしたらかの令嬢とは何かあったのかもしれない。


 私の役目は風よけ。


 私がいる間は、こういった言葉から、彼を守ることが私の役目。

 お役目はきちんと果たさなければ。


「クアッド様。私、あなたに他の女性のサロンへ行かれるのはいやですわ。嫉妬してしまいます」


 クアッド様の腕を取り、しなだれかかるように上目遣いに見上げる……のは無理だから、クアッド様の袖を引いてちらりと見上げてみた。

 クアッド様には効き目がないだろうけれど、いいのだ。

 周りへのアピールが大切。


 クアッド様は一瞬いつもの笑みを崩して、無表情になった。


 気持ち悪いかもしれないけど、合わせなさいよ! あなたのためなんだから!


 クアッド様はアイコンタクトに気づいたのか、そのあと、花が開いたように微笑んだ。


「婚約者にこのように嫉妬されては従わないわけにはいきません。残念ながら姪御殿にはうかがえない旨お伝えください」


 そして、私の手をとると、その指先に口づけた。


 ヤリス閣下は、一瞬おもしろくなさそうに顔をしかめたが、私たちのお芝居を受け入れたようだ。


「姪にはそのように伝えておこう。まあ、時が来た折には、よろしく頼むよ」



 その後も同様の会話が繰り返される。

 クアッド様が誘われ、私が断らせる。

 時には嫉妬を覗かせ、時には相手に失礼だと言って傲慢にふるまい。

 初めての夜会は、間に合わせ婚約者の役割を周りに印象付けられたと思う。


 夜会が終わるころにはクアッド=ベネディッティの婚約者レイア=ボノセッティは、嫉妬深く、婚約者をたいそう束縛するという悪評と、間に合わせ婚約者としてなかなかやるな、という賛辞とを獲得したのだった。


 悪評も私個人に対しての評価であり、ボノセッティ家が貶められるほどではない。

 どうせ私はすぐに社交界から消えるのだもの、言わせておけばよいのだ。



 ずっと微笑を浮かべているクアッド様。

 でも、夜会が終わるころには、彼の笑みに不自然なものが混じっているのを私は感じ取った。


 なんで何にも言わないんだろう。

 これって……。


「クアッド様、私、人に酔ってしまったようです。少し休憩したいのですが……」

「ああ、気づかなくて申し訳ない。行きましょう、レイア」


 クアッド様は休憩室へと私を連れてきてくれた。


「ここで少しお休みください。馬車の手配をしてまいります」

「いいえ、休むのはあなたです」


 私はクアッド様を長椅子へ押し込んだ。

 男の人なのに、驚くほど軽い力で押し倒すことができた。


「私は元気ですよ。クアッド様。調子が悪いのはあなたでしょう? 無理しないで言ってください。あ、もしかして、我慢する理由がありましたか?」


 クアッド様は、いつもの笑みを少し引っ込めて耳を赤くする。


「……お酒を飲みすぎてしまいました。顔に出ないのですが実は弱いんです。あなたの前で、こんな情けないところを見せたくなかった……」


 いつもの胡散臭い笑顔でなく、年相応の男の子の顔をのぞかせて、私はちょっと笑ってしまった。



 同時に私は反省した。


 周りの人たちをリラックスさせるのは、私の得意技だったはずだ。

 それが緊張させてしまっていたんだ。


 調子が悪いことを言い出せないほどに。


 年下の男の子なのに。


 レンと会えなくて無意識にピリピリしていた。レンのことは彼のせいではないのに。


「私が、緊張させてしまっていたんですね……すみません。……あの、今から私、失礼なこと言うけど、怒らないでくださいね」


 私は、ちょっと考えてから続けた。

 お役目を果たすのにも、今のままの状態はよくない。


 彼は、わかりました、と小さくうなずく。素直ないい子だ。


「あの、私の前では表情だけでもいいので嘘をつくの、やめてくれませんか?」


 私は、彼の目を見て、真剣に告げ、そのあと安心させるように、表情を崩した。


「私たちは、婚約者になりました。

 あなたのために、私は婚約者としてできる限り努力します。

 でも、嘘で返されると、私は十分にその役目が果たせないこともありますし、努力がないがしろにされたようで悲しい」


「それに……、その笑顔、胡散臭いです」


 クアッド様は目を瞬かせて微笑みを固まらせた。


 言ってしまった!


 私もたいがい失礼だ。言えないことがあるのはわかるけど、でも、表情だけは、嘘で返されたくないのだ。


「わかりました……あなたの前では、表情を作るのはやめます」


 クアッド様は、一瞬声を詰まらせたが、落ち着いて応じてくれた。




 そして、なんと見事な無表情になった。


 笑わなくなるだろうなーとは思ってたけど、予想を超えた、こう来るか!というぐらいの無表情。

 ここまでの落差だといっそすがすがしい。



 帰りの馬車の中を沈黙が支配した。が、前ほど不快ではなくなった。

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