どんなにカッコよくても恋人だらけの光源氏はゴメン!
「ほら、百人一首習ってるなら、なんとなく分かるだろう?」
保健室で突然、
「え、『いも』は、『恋人』? 恋人を夢に見て? 心の中に燃えている?」
「……これは、宿題だな。明日までに調べてこいよ。中沢、古文選択してるなら、『万葉集』、買ってあるだろ?」
「ありますけど……」
「どうせ授業でもやるから、予習代わりに読んでこい」
「え、どうして私だけ?」
「お前だけじゃなくて、古文選択の生徒は必ずやるの! 早めに教えてやるんだから、感謝しろよ」
「はーい」
「あら、千野先生ったら、勉強熱心なのはいいですけど、具合が悪い生徒には酷ですよ」
カーテンの外から、声が聞こえた。
続けて、養護の先生がカーテンを捲って顔を出す。
「千野先生、女子生徒と二人きりの時は戸を開けておいて下さいね。心配なのは分かりますけど、入学式を抜け出したりして」
「すみません。気になって。それに、戸は開けておいたんですけど。誰かに閉められちゃったかな?」
しれっと言うけど、千野先生、絶対自分で閉めたでしょ?
「万葉集、って聞こえたけど。和歌が好きなの?」
養護の先生、今度は私に向かって質問。
何か疑われている?
「え? いえ、特別には。先生が、急に話し出して」
下手に嘘をつくより、当たり障りないことは、正直に答えた方がいいよね?
「この子が、気になる男の子の夢を見て、夜も眠れない、って言うから、教えてやったんですよ。悩み相談です。『
「『心のうちに燃えつつぞ
「いや、さすが桜女の先生ですね。先生、卒業生ですか?」
「ええ。昔は、みんなでよく
「
「先生こそ、若いのに。ああ、古文が専攻でしたものね。昔の先生方が次々と辞められてしまって、こういう趣のあるお話ができる方が少なくなって……寂しく感じていましたけど、お話できて嬉しいですわ」
「僕こそ、逆に今の人達とはなかなか話が合わなくて。でも、ここの生徒は古風で躾が行き届いて、ほっとしますよ」
「理事長は、お気に召さないようですけどね。古色蒼然として時代遅れだって……あらこんな悪口、先生、黙っていて下さいね?」
「先生も、僕がうっかり女子生徒と密室に二人きりになってしまったこと、内緒にしておいて下さいね。火もないのに煙を出したくありませんから」
「承知しました。お互い、内緒で。あなたもね」
養護の先生は、いたずらっ子みたいに笑って、人差し指を口の前に立てた。
初老、といっていいおばさまだけど、愛くるしい、という表現がぴったりの、桜女のOG。
うん、完全に、千野先生に騙されている。
「さて、顔色も良くなったし、もう大丈夫ね。先生のクラスの生徒でしょ? このまま帰宅させます?」
「体調次第ですけど。帰りのホームルームはしないで解散なので。中沢、部活はどうする?」
「出ます。新歓の打ち合わせしないといけないし」
「無理しなくていいんだぞ?」
「大丈夫です。お昼には終わるし」
「そうか。じゃあ、時間あるから、ついでに古今和歌集も読んでこいよ。図書館にあるから」
「先生!? 本当に心配してくれてます? 宿題増やさないで下さい!」
和歌を嗜む勉強熱心な若手教師とその生徒の姿に、在りし日の桜女の姿を垣間見て格段に好意的になった養護の先生に見送られながら、私と千野先生は保健室を出た。教室に鞄を持ちに行かないといけない。
「先生、和歌をよく知ってるんですね」
「バカにするなよ。俺は古文の教師だぞ?」
「なんか、そぐわなくて。先生に奥ゆかしさとか、感じられないし」
「奥ゆかしいからこそ、二人きりだと直情的、情熱的になっちゃうんだよ。万葉、平安なんて、寝とりアリ不倫アリ、顔も知らないで、メールだけで関係持つようなもんだからな」
「やめて! 夢を壊さないで下さい!」
「お前らが大好きな
「だからやめて下さいって。『源氏物語』の格調が!」
「それを行間で読ませるところがスゴいけど。平安貴族の妄想力、スゴいな。光源氏の養女の
「え? そうなんですか?」
「『
「え?」
「結婚したのに、玉鬘本人も義理の父親の光源氏も、それを喜んでいない。できれば広めないで、って忠告されても、髭黒は大喜びでペラペラしゃべって、源氏もあとには引けなくなる。真っ当な手段で結婚したわけじゃない、ってことは分かる。仲人をしてくれた女房、つまり召し使いの
「……説明されなくちゃ、分からないですね。でも、先生の話、面白いです。授業とか、そういう感じですか?」
「さてな。授業では受験に役立つことをやれって言われているからな。文法とか、そっち優先だろ?」
「えー、絶対先生の話聞いていた方が、興味が湧いて楽しいのに」
「俺だってこういうこと話している方が楽しいさ。まあ、たまには、話してやるよ」
そんな話をしながら、教室に入ると、まだクラスの三分の一くらいの生徒が残っていた。
「あ、ちゃーちゃん、大丈夫?」
わらわらと皆が駆け寄ってきてくれる。
「うん。大丈夫。ありがとう」
「先生もご一緒に?」
「ああ、職員室に寄ったついでに様子を見に行ったから。念のため、な」
「何だか楽しそうですね。何のお話?」
「源氏物語。先生の説明、分かりやすくて面白いの。授業でもして下さいってお願いしていたの」
「わあ、私もお聞きしたいです!」
「私も!」
「また、今度な。今日はこの後、部活の打ち合わせもあるから。中沢、鞄取ったら行くぞ? 三年生待たせているんだろ?」
いや、打ち合わせには先生呼んでないけど。
と、言いたいところだけど、目をキラキラさせて先生を取り囲むクラスメート達の中に千野先生を残していくのも癪だったので、「はい」と素直に返事をして。
言い訳代わりに煽っちゃったのも私なんだけどね。
というか、私、すでにナチュラルに、千野先生を独占しようとしていない?
色々お断りしておいて、先生が他の女子といるのにヤキモチ妬くなんて。
「中沢、お前、あの子達にヤキモチ妬いただろう?」
「な! 違います!」
「ふーん。あんなに目の色変えて元気よく返事しておいて。あんな素直な『はいっ!』っ返事を初めて聞いたぞ?」
「いつでも素直ですから」
「まあ、そういうことにしておいてやるよ。あんまり構って、
「だから、そもそも先生とは……」
「プライド高過ぎて素直になれず、
「嫌ですよ! 正妻って、それこそ
「葵の上は勘弁してよ。あんな死ぬ直前までデレ要素がないツンツンは俺もゴメンだよ。お前はもっと素直に
「だから、恋人だらけの光源氏に喩えないで下さいって! 私は私だけって人と添い遂げたいんです!」
「大丈夫。俺は中沢だけだから。だから、中沢も、俺だけにしておいてくれよ? 他のヤロー誘惑するなよ?」
だから、どうしてそうなったの?
何か反論したかったけど、作法室に着いてしまった。
こうなったら絶対! 浮気は許さないんだから!
……って、あれ? どうしてこうなったの?
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