第10話

「随分暗くなりましたね。おなか、空きませんか。何処か寄りましょ。」

「あー…そう、だな。」


外は随分暗くなっていた。カーナビゲーションのディスプレイに目をやると、時刻は十八時半になろうとしていた。さっきから、横で片ノ瀬が随分と上機嫌に鼻歌を歌っている。お気楽な男だ。

なんとも言えない違和感で生返事になってしまったけれど、片ノ瀬は気にしていないようで、何がいいですか、嫌いなものはありますか、と訊いてくる。訊いているくせに、返事はいらないらしい。あれもいいなこれもいいなと一人で喋っていた。

勿論返事をする気にはならなくて、なんで俺はこの刑事と晩飯の算段なんてしているのか考える。ちょっと上手いこと使えればそれでいいと思って呼び出したはずが、気付けばこの状態だ。違和感を覚えない方がおかしい。

片ノ瀬という奴はなかなかに強引というか、人の懐に入るのが上手いというか。存外不快に思っていない自分にも少し驚いている。オモテを追い詰めた男の一人であるというのに、何をもって絆されたのか。

ここ数時間の事を思い返してみても、思い付く理由なんてどこにも無いように感じた。


「ウラさーん、ウーラーさーん?」

「あ、え、ああ、何。」

「着きましたよ。蕎麦屋。」

「…ジジくさ。」

「えっ。」


家からはかなり離れているのだろう、大きな平屋建てに立派な門構え。建物を囲うようにして広がる庭には竹が見えた。

悪態をついてこそいるが、本当はわかっていた。人目に付きたくないという願いをわかっているからこそ、家から離れていて、かつ誰の目も気にならないような店を選んだのだと。


「参ったな、まさかの反応。」


笑う片ノ瀬を後ろにつけて、ぐう、鳴き声を上げる腹を擦りながら暖簾を押す。暖簾の先は想像以上に立派で、一瞬足が止まってしまった。

まるで老舗旅館のような風格。流木か?枯れ木か?と思うような大きな木のオブジェがあって、しかしそれは艶やかに磨かれていた。素人目にもただの木ではない、何かしらの立派な芸術なのだろうと分かる。

そんな店に何も物怖じすること無く、靴を脱いで上がる片ノ瀬は何者なんだと思ってしまう。


「あれ!ウラさん、蕎麦アレルギーとかじゃないですよね、まさか。」

「だったら入らねえだろ。」


促されて靴を脱ぐと、片ノ瀬が下足入れに二人分の靴を入れる。二十六、と書かれた札を抜き、いらっしゃいませと出迎える女に預けていた。

慣れたものだ。

女は片ノ瀬の顔を見るなり、ああ、と言って笑う。どうやら片ノ瀬は常連らしい。蕎麦屋の常連なんてジジくさいと思ったが、刑事っていうのはこういう店をよく利用するのかもしれない。想像だけれど。


「アレルギーじゃないなら良かった。ここのお蕎麦、美味しいんですよね。個室だし、足伸ばせるし。美容院って座りっぱなしだからなんか足疲れません?俺だけかなあ。」


"蘇芳"と書かれた部屋に通され、紫色の花が描かれた掛け軸が目に入った。眉間にぐっと深い皺が入る。蘇芳。嫌な名前だと思った。赤黒い偽物の色。そして花蘇芳はユダの木だ。


(裏切りの間ってか。馬鹿馬鹿しい。刑事がこんな部屋使ってたら笑えねえだろ。わかってんのかね、コイツは。)


心の中で毒づいて、ふ、と鼻を鳴らす。分かってないに決まってるだろう、と結論づける。

さり気なく先に行くよう促され座ると、い草の香りがふんわりと鼻腔を擽った。


「お決まりの頃うかがいます。」


す、と女は下がっていった。前を見るとやけに真面目な顔でこっちを見ている片ノ瀬と目が合って、すぐさま御品書きへと視線を動かした。

そこでやっと、違和感の正体に気付く。



ああ、そういう事か。

これじゃあまるで、エスコートじゃないか。





つづく。

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