第9話
「うんうん、いい感じじゃないですか。」
ドラッグストアまでやけに時間がかかると思っていたら、着きました、と言った場所は美容室だった。確かに髪を染めたいとは言ったが、こんな所まで連れてこられるとは考えもしなかった。染めるだけでいい、と抵抗したが、まあまあ、お金の心配は要りませんから、と、半ば引き摺られるようにして連れていかれてしまった。
どうやらここは片ノ瀬の行きつけらしく、個人経営している小規模な美容室だった。
小さいながら天井が高く、白い壁にベージュのカーテンが窓にあしらわれている。壁のところどころにあるレンガのアーチと、ウッディなテーブルや赤い椅子。吊るされた観葉植物と、小降りなシャンデリアがなんとも言えず愛らしい、それでいて落ち着いた空間を演出していた。なんと言ったか、プロヴァンス風というやつだろうか。暖かい紅茶までサービスしてもらうと、いよいよ居心地は最高だった。
オモテはこういった美容室に行くことは無くて、いつも近所の床屋で済ませていた。いつもと言うほどの頻度でもなく、年に二回やそこらだったが。
こうして初めての美容室で、されるがままに髪を任せた。さすがプロ。出来上がりは予想を大幅に上回るものだ。
もっさりと伸びていた髪は少し重めに切られたが、軽く当てられたパーマと明るめのカラーは白い肌によく映えていた。
「すごく似合ってます、ウラさん。」
片ノ瀬は、ぽうっとしながらそんなことを言う。見蕩れている様子だった。
ちょっと、かなり気持ち悪い視線を向けられている気がするので、あまり構わない事にする。
真後ろで顎に指を添えていた美容師、
「んー、ウラさん。カットモデルしない?」
「いや、なるべく目立ちたくないというか、会社の人間に見つかりたくないんだわ。もう、家の近所ウロつけなくて困ってたから髪染めたいっつってこうなったわけで。」
「大丈夫、顔は撮らないんで。こう、切らせてもらって、横からとか、後ろからとか、写真撮らせて欲しいんだよね。ブログとかに上げる時もあるし、俺のコレクションみたいなところあるから、どこにも露出しない時もあるんだけど。勿論お代はいらないし。」
出来上がった髪の毛先にワックスをつけられくりくりと弄ばれながら、なかなかに魅力的なことを提案される。
「ああ、ちょっと榊原さん!それ俺には言ってくれたことないすよね!」
前のめりに割って入って来た片ノ瀬を、いやあ、だってねえ、と曖昧に流す榊原がすこし面白かった。
何となくわかる気がする。まず、刑事にカットモデルなんて。露出しないとはいっても、業務に差し支えると思うだろ、という言葉は含み笑いと共に飲み込んだ。
「あ、ウラさん、今笑ったでしょ。」
すかさず片ノ瀬が鏡を覗き込んできた。
「うるせえな。」
肩越しの顔面に、わりと手加減せず手のひらをぶちあててやった。どうも片ノ瀬は人を苛つかせるのが上手いらしい。
痛いやなんやと騒ぐ片ノ瀬は刑事とは思えないようなはしゃぎっぷりで、喧しいと無視を決め込んでいてもしつこくちょっかいをかけてくる。ずっとオモテの中で過ごしてきた自分に、こんな風に誰かと接する日が来るなんて考えもしていなかった。苛つかされるのもなんだか悪くないような心情になってきて、ああ、毒されてきたな、と思った。
「片ノ瀬くんは今以上嫌われないようにしなよ。今日はありがとう、モデルの話、考えといて。」
「わかった、近々片ノ瀬から連絡させる。」
「俺ですか、俺なの。なんで自分でしないんですか、ウラさん。」
「面倒だからだろ。」
「ええ…ひどい。」
榊原は笑っていた。片ノ瀬がこんな風に誰かを連れて来たことに驚いたし、こんな風に楽しそうに砕けた雰囲気で会話をしている所なんて随分と見ていなかった。
騒ぐ片ノ瀬とそれをあしらうウラを、
「また二人でおいで。」
と、ドアに凭れながら見送ったのだった。
つづく。
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