第74話 思い出したくない過去は誰にでもあるとかないとか

日本水仙花開道にほんすいせんはなかいどうというのは、双海町にある海岸線沿いの丘陵に咲き誇る水仙畑のことである。


水仙は12月から1月下旬頃に見ごろを迎えて、海の潮風と、甘い水仙の香りが漂う絶景スポット。


高台からは「日本の夕陽百選」にも選ばれた、双海町の夕日と雄大な瀬戸内海を見渡すことができる。


空と海の青と、可憐な水仙の白が美しいコントラストを映し出す…………らしい。


いかんせん、自分で行ったことがないのでよく分からない。


ただ、とても美しくて凄そうというのは伝わってくる。


「海きれいですね。」


窓から外を見た関が言う。


「瀬戸内海だね。内海だから穏やかで綺麗だよね。」


運転している俺は見れないが、部長は外を眺めながらつぶやいた。


この穏やかな海を見ていると、心が洗われるようだよ。あぁ、社畜時代のあれこれで溜まっていたストレスが、一気に晴れ渡ってい……きはしない。


さすがの瀬戸内海でも、溜まりに溜まった上何年も放置されて熟成した我ら社畜のストレスには敵うまい。


ただ、会社も何も忘れられるくらいには絶景だ。


「私も会社辞めようかな。」


ポツリと部長がつぶやいた。


「部長まだお若いでしょう。」


「辞めてください! 今部長までいなくなると、マジで回らなくなります。俺ら死にます。」


俺は笑いながら、関はマジなトーンで部長を止める。


部長良い人だし、あんなに髪がなくなるまで働かなくてはいいと思うけど、まだもう少し頑張ってもらわないとみんなが困るだろう。


あの会社上層部の唯一の良心と言っても過言ではないからね。


「そうだね。なんとかしないと辞められないよね〜。アハハ、ハハ……ハ……はぁ」


笑う顔から徐々に真顔になり、最後は放置しておいた明日締切の案件を見つけたときのように、見たくない現実に直面した諦めの表情になる様子は、ある種のホラーである。


部長……苦労していらっしゃるんですね……。


「着きましたよ」


俺はせめて、瀬戸内海と水仙で心を癒やしてもらおうと車を停めた。


「ここから少し歩きますね。」


俺は車から降りて背伸びをしながら言う。


「お疲れさまです。部長も、色々お疲れさまです。」


関も背を伸ばしながら、労いの言葉をかける。


「うん、大丈夫。今はまだマシだから、関くんは知らないかもだけど一時期本当に全員が死にかけたときあったから。その時に比べれば、ね?」


「そうですね。一年くらい前から比較的楽にはなってきましたよね。入社してすぐは……控えめに言ってこの世の地獄でしたから。」


部長の言葉に、俺は思い出したくない記憶を思い出して苦笑いしながら答える。


「そんなにですか?」


関は今よりもっとひどいというのが想像できないようで、首を傾げながら言う。


「うん……思い出すのが嫌なくらい。就業時間と週末なんて存在せず、休んでないのになぜか減っていく有給に、日々降ってくる書類の束……。」


部長は言葉尻に行くに連れ、髪のない頭を抑えてうずくまり。


「同じ人数で仕事の量は増えてウキウキな上層部と、毎日誰かがぶっ倒れ、栄養ドリンクが転がりまくり、パワハラセクハラすら起きることもなくただひたすら己のタスクに打ち込んで寝ることしか考えれない俺たち……。」


俺はその場にないパソコンのエンターキーを叩き始める。


「「地獄だよ?」」


しまいには、二人同時に立ち上がって虚ろな目で輪唱した。


「辞めてください。もういいです。聞きたくないです。すみませんでした。」


関は世界の闇を見たとばかりに耳をふさいで、もう結構の意思を示す。


「よく生きてたよね〜」


「ほんと、なんで健康体で生きてるんでしょうね〜」


「怖……」


俺たちは各々の感想を述べながら、道を歩んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る