第18話 大家さんに事情説明

「粗茶ですが。」


そう言った大家さんは、明らかに粗茶じゃないお高そうなお茶を差し出してくれる。

こういうのって器を一周回して飲まないとだめなんじゃかったけ?


さすがに俺も商談先でこんなお高そうな器に入ったお茶を差し出されたことなかったから、戸惑ってしまう。


「ありがとうございます。」


そう一言添えてから、変に回したりせずゆっくりと味わってみた。

味わい深い、何というのか茶葉本来と言うか解像度の高いお味だ。


こういうときには、結構な腕前でとか言ったほうが良いのか。


「本日はどのようなご用事で?」


自分も茶を飲みながら、大家さんが尋ねた。


「えっと、新しく猫を飼うことになりまして。」


「なるほど。それは良いことですね。」


にっこりと微笑んだ大家さんが言う。

よかったぁ。まあ断られることはないとは思ってたけど、ちゃんと認めてもらえるとやっぱり安心感がある。


「それで、大家さんに報告しておこうと思いまして。」


俺も愛想笑いを浮かべて、頭をぺこぺこ下げる。


別に悪いことも隠したいことも無いのだけど、いつものクセでやってしまうのだ。

これぞ長年の社畜をやってきた賜物。代償とも言う。


「承知致しました。ご丁寧にありがとうございます。」


俺が無駄にペコペコしていると、大家さんがスッと手を畳について、流れるように腰を落とし…………これぞ本物という、礼を披露してくれた。


うわぁ、すげぇぇ


もうここまで洗練されたものを見せられてしまうと、語彙力なんかふっとんで『すげぇ』としか言えなくなってしまう。


「あとそれと……」


俺は一口お茶を口に含み、もう一つの話題を口にした。

これだって何も悪いこともないんだけど……無性に後ろめたい気分になって言いづらい。


かといってずっとモゴモゴしていても意味ないので、


「今月いっぱいで引っ越しをしようかと思いまして。」


そう一息で言い切った。


カチカチカチ


古い時計が一生懸命に働く音だけが響く、静寂の空間が生まれる。

なにこれ……怖い…………


俺はゴクリとつばを飲み込んだ。


「まぁそれは。なにかご用事で?」


しかし、俺のそんな悩みは杞憂だったようで、大家さんは穏やかな笑みのままつぶやいた。


「はい。少し田舎の方に住んでみようかと。」


俺はホッと胸をなでおろし、本物の笑みのまま理由を説明した。


「なるほど。それは素晴らしいですね。了解いたしました。書類の方は?」


「一応持ってきましたが、これで良かったですか?」


大家さんに言われて、カバンから事前に用意しておいた数枚の紙を取り出して、木製の机の上に差し出す。


俺の出した書類を一枚一枚確認した大家さんは、トンと小気味のいい音を立ててその束を置き、


「はい。完璧でございます。」


そう、優しく微笑んだ。

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