ご愛読ありがとうございました
大和田大和
世界を救って暇になったしえっちでもする?
『ご愛読ありがとうございました』
空のキャンバスに大きく表示された文字を見て、俺たちは歓喜した。世界が俺を置いて喜びで満ちていく。幸福は色とりどりの空気の束となり、小説の中を駆け抜けた。ついにこの瞬間をもってこの小説は完結したのだ。無機質な小説のページの上を平穏の影が滑っていく。
「やったー! これでこの小説も完結だ! 世界に平和が訪れた!」
主人公である俺が、空に仰いだ。主人公らしい力強い声が沈黙と静寂を砕く。
「長かった戦いもこれで終わりね! お疲れ様!」
「ああ。お疲れ様!」
「私たちってこれからどうするの?」
「どういうこと?」
「小説の登場人物は、物語が完結したら何をすればいいのってことよ?」
「さあ? 考えたこともなかったな」
俺の頭の中は、透明な疑問で埋め尽くされた。
「最初からやり直しになるとか?」
「いや、そんなことないんじゃないか? ゲームみたいに強くてニューゲームなんてないだろ? 平和な世界でニート生活ができるとかじゃないか?」
「そんなわけないでしょ! でもやることもないし、今まで回ったエリアをもう一回見てみる?」
「え? 何言っているの?」
俺は苦い顔をして見せた。
「私たちはこの物語の主人公とヒロインなのよ? しっかりしなさい!」
そして、主人公である俺はヒロインに無理矢理手を引かれて、平和になった世界を見て回ることになった。
俺の時はここで止まるはずだった。この瞬間までは、完結した小説の主人公である俺は、氷の中に閉じ込められて息ができないみたいだった。だけど、彼女の乱暴な行動は廻転する惑星の上で、止まっていた俺の時を進めてくれた。時計の針は再び動き出す、だけどその時計はどこか悲しげだった。
「なあ。ちょっと待てよ! 俺にはやることがあるんだけど!」
俺の制止も振り払いヒロインは急いで近くの村に走って行った。俺がされるがままに手を引かれた。俺たちが村に着くと早速ヒロインは村人に話しかけた。
「私この小説のヒロインです。何か困っていませんか?」
「金髪金眼で整った顔立ちに、綺麗な身なり。この小説のヒロインさんですね! お疲れ様です。今困っていることは特にないですね」
それもそうだな。世界が平和になった後の小説の中だ。困っている人なんているわけがない。そんなことより俺には聞かないといけないことがある。
「なあ! ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」
俺はヒロインに対して話しかけたが、俺を遮るように興奮した村人が話しかけてきた。
「黒髪黒目の主人公さん! サインください。あとあの台詞も言ってください!」
村人の嬉しそうな表情から興奮が伝わってくる。
「ああ。俺は絶対に諦めない! これでいいか?」
サインを書きながら、俺は本編で何度も言った決め台詞を言ってあげた。
「す、すごい! 本物はやっぱり違うな!」
俺は、はち切れそうな笑顔になった村人を見送ると、ヒロインに再度声をかけた。
「なあ! ちょっと聞きたいんだけどさ?」
「後にして!」
ヒロインの方を見ると、彼女も俺と同じようにこの小説のファンに囲まれていた。俺たちの周囲を囲む村人は、この小説の賑やかな平和を体現している。これ以上に平和を伝えることができる情景描写などあるのだろうか?
村人たちの興奮と熱気は俺の冷たい心に再び炎を灯らせた。乾いた心が炎で潤う。俺は主人公でよかったと心の中で呟いた。
「主人公さん! こっち向いて!」
「主人公さん! 私にもサインちょうだい!」
「主人公さん! 握手して!」
俺はたくさんの村人の波に飲まれて、身動きが取れなくなった。
(参ったなこれじゃ、身動き取れないや)
そう思ったが、そんなことは口に出さない。なぜなら俺はこの小説の主人公なんだ!
「わかった! 全部俺に任せな!」
そして、俺は主人公らしく優しくて力強くファンサービスをした。俺は、村人たちの顔をより一層大きい笑顔に変えた。
しばらくして、ようやくファンを捌ききった。疲労が両肩にのしかかってくる。質量を持った重たい空気が体を包んでいるみたいだ。だけどその疲労はどこか心地のいいものだった。
「ようやく終わったな?」
「そうね。小説は完結したのに、まだまだ主人公とヒロインにはやることが多そうね!」
「ああ。そうだな。本編で未回収の伏線でもあれば、もっと仕事が増えそうだな」
「それより、私に聞きたいことって何?」
そうだ! 俺は彼女に聞きたいことがあったんだ。俺が口を開こうとした時、またしても誰かに遮られた。渇いた声が虚空を切り裂く。声は突如、俺たちに平和の終わりを告げた。
「大変です! 主人公様! ヒロイン様! モンスターが現れました。助けてください!」
「本編の未回収の伏線かな?」
俺たちは目を見合わせた。視線が交差する。主人公とヒロインの使命感が脳内を通り抜ける。
「きっとそうね! 話はあとよ! 行きましょう!」
そして俺たちの冒険は再び始まった。完結したはずの小説の時は動き出す。完全に停止していたはずの世界が呻めき声をあげる。読者であるあなたは、いくつかの疑問を頭に抱えながらページを進める。
ここは小説の裏側の世界。実は小説の登場人物は自我を持っているんだ。ちょうど映画の俳優たちがキャラクターを演じているようにね。小説の中では勤勉でも本当は怠け者だったり、すごく性格の悪い奴が実は優しい奴だったりする。
俺たちに名前はない。代わりに与えられたキャラクターを演じるんだ。俺が演じている主人公にはちゃんとした名前があるが、俺に名前はないんだ。作者に設定を与えられて、決められた台詞を言わされる。そこに俺たちの意思なんてない。だけど俺はこの仕事を気に入っている。主人公を演じるのは悪くない。たまにやりたくないシーンもあるけど、そこは我慢する。頑張りたくない時も頑張らないといけないし、負けるとわかっていても強敵に挑まなければならない。それが主人公だ。
小説は、白いページに浮かぶ黒い文字の羅列なんかじゃない。読者が想像してくれれば俺たちは生きていられる。俺たちは、読者の頭の中でしか生きられない。俺たちだけでは、ただの単調な文字の羅列だ。だけど誰かが小説を読んでくれれば、そこに生命の息吹が吹き荒む。ある読者にとって、俺は平凡な顔で平凡なやつ。だけど別の読者にとっては俺はかっこいい最高の主人公。またある読者にとっては、頼りないムカつくやつ。見る人によって俺は姿を変えていく。
あなたの頭の中に俺の姿はどんな風に写っているのだろうか? 小説の登場人物である俺には知る吉もない。
冷たい風が頬を撫でる。俺とヒロインは力の限り走った。目的地に到着すると俺は言った。
「はあ。疲れた。どうせ『目的地に到着すると俺は言った』とかナレーションで一言で説明されるんだろうな。地味なシーンは全部カット! 少しは俺たちの苦労もわかってほしいよ。こっちは必死で走ったのにさ!」
「はいそこ! 文句言わない! この洞窟の奥にモンスターはいるのよね? いつも通り私が切り込むからあなたが大技で主人公らしくとどめを刺して!」
そして、ヒロインは俺を置いて洞窟の中へと進んでいった。
「おい! ちょっと待てよ!」
俺は戸惑いつつも彼女を追いかけた。俺は洞窟の中を進んだ。暗い洞窟内を薄明かりが照らしている。仄暗い空間に緊迫感が張り詰める。刺すように鋭い空気が俺の矮躯を包む。冷や汗に風が触れ、俺の体を強張らせる。
洞窟の中を進んでいくとヒロインが俺のことを待っていた。
「遅い!」
「ごめん。それより少し立ち止まって話をしよう! 聞きたいことがあるんだ!」
その瞬間鉄の扉が、機械的に開いた。扉の隙間に冷たい空気が流れ込む。まるで冷気が意思を持って、俺を先に進ませたがっているみたいだ。
「後にして! まずはこの洞窟を攻略しましょう!」
「わかった。その後ゆっくり話を聞かせてもらう」
そして、扉の中に入った。そこは鉄でできた機械のようだ。数字の書いてあるボタンがたくさんついている。数字のボタンの上には『開』、『閉』というボタンもある。
「なんだこれ?」
「何ってエレベーターでしょ?」
「エレベーターって何?」
俺は聞き慣れない言葉に不信感を抱いた。読者であるあなたの頭の中には、『なぜこの主人公はエレベーターがわからないのだろう』という最もな疑問が生じたに違いない。ひとまずは気にせずこの小説を読み進めてほしい!
「はあ? バカにしているの?」
ヒロインはエレベーターがなんであるかわからない俺に言った。きっと俺が冗談を言ったのだと思っているのだろう。だが俺はエレベーターがなんなのかわからない。俺はこれ以上何か言っても不審がられるだけだと思い口を閉じた。
エレベーターに乗り込むと、沈黙が二人の体を包んだ。単調な機械音だけが静寂を壊す。
そしてしばらくすると扉が開いた。扉が開くと見たこともないような景色が目に飛び込んできた。煌びやかな点滅する灯、楽しげな音楽、そして初めて見る巨大な機械。
「うわっ! なんだここ? こんな場所がこの小説の中にあったのか?」
「えっ? ここって遊園地? なんで洞窟の中に遊園地があるの?」
遊園地? 遊園地って一体なんだ? 俺は聞き慣れない単語を、今度は聞き返さなかった。
一体何がこの世界に起きているんだ? 世界は平和になったはずだ。敵は全員倒した。物語は完結したはずだ。絶対におかしい。モンスターが襲ってくるはずないんだ! 絶対にモンスターなんていないはずだ!
そして、俺たちはモンスターの大群に完全に包囲された。
不穏な空気が俺の体表を滑る。チリチリと焼け付くような緊張感。熱を持って弾ける空気。焦燥感が音を立てて俺の身を焦がす。モンスターは仮面を被った猿のような姿をしている。手足は痩せほそりボロのようなものを纏っている。
「どういうことだ? なんでモンスターがいるんだ!」
「知らないわよ! それより攻略法は分かっているわね?」
「ああ。炎系の技で一掃する!」
俺は本編で得た攻略法を思い出す。獣系のモンスターには炎が効く。そして、俺は本編での修行で炎系の斬撃能力を獲得している。相手が何であれ確実に仕留められるはずだ。
「俺は主人公だ! 絶対に負けない! 主人公に敗北は許されない!」
俺は剣を抜いて空に掲げる。周囲の大気が一斉に震え始める。空気中の分子が音を立てて振動するのを感じる。洞窟内の気温が上がっていく。空気が軋み、空間がねじ曲がる。モンスターたちは怯えて後ずさる。俺は勝利を確信した。俺はこの小説の中に登場する全ての登場人物の中で最も強い。最強で最高の無敵の主人公だ。
俺は右手に力を込めて一文字になぎ払った。火は炎となり、炎は爆炎となり、爆炎は敵を打ち砕く輝く刃になった。次元が歪むほどの衝撃と共に、辺り一面を吹き飛ばした。
俺の炎は辺りを包んでいた不穏の影を消しとばした。
「す、すごい! さすが主人公ね!」
ヒロインが目を見開いて驚いている。
「それよりなんだったんだろうな? 刈り残しのモンスターかな?」
「さあ。それよりこれで私たちの冒険も本当に終わりね!」
「これでやっとのんびりできるな!」
「帰りましょうか!」
「ああ!」
その瞬間、いきなり視界が真っ暗になり俺は気を失った。
まどろむ夢の中は心地がいい。自分以外何もない真っ黒い空間の中を漂っているような気分だ。質量も重力もなく、宇宙空間を泳いでいるみたいだ。無重力の遊泳は気持ちがいい。ただただ力を抜いて波に体を任せる。
そんな時誰かが俺に声をかける。
「起きて!」
うるさいな。もう少し放っておいてくれよ。
「起きてっ!」
さっきより強い声が微睡みを壊す。そして、俺は渋々夢の世界から現実の世界に踵を返すことにした。
俺は目を覚ますと周囲の状況を確認した。俺は縛られて床に座っている。背後には多分ヒロインがいる。そして俺たちの周囲を猿のようなモンスターが囲っている。完全に包囲された。抜け道も逃げ道もない。
「あなたの炎の攻撃効いていなかったみたいよ?」
「らしいな。でもなんで?」
「わからないわ。でも攻撃が完全に無効化されたことは確かのようね」
「炎の攻撃をした後俺はどうなったんだ?」
「後ろから吹き矢のようなもので攻撃されたわ」
なるほど。だから急に気を失ったんだな。
「おい。今から縄抜けのスキルを使って脱出する」
俺は小声でヒロインに言った。
そして、精神を集中させて自分の心の中で叫んだ。
(縄抜けスキル発動!)
そして、スキルは不発に終わった。
「どうしたの? 縄抜けのスキルを使うんでしょ?」
俺には見えないが、ヒロインが心配そうな顔をしている。読者のみんなは、彼女の心配そうな顔を想像してくれ。
「ごめん。失敗した。なぜかできなくなっている。こうなったら奥の手を使う。あまりやりたくないけど変身能力を使ってダンジョンごと全て吹き飛ばす」
「え? アレを使うの?」
「ああ。主人公補正もあるし大丈夫だろう。行くぞ!」
「ええ!」
俺もヒロインも小声で話すのをやめた。変身能力を使えば必ずこの窮地を脱出できる。俺は勝利を確信した。
「変身っ!」
大声で叫んだが、何も起こらない。
「おかしいな。変身っ! 変身っ!」
続けて叫んでも何も起こらない。
「ちょっと? どうなっているの? 変身能力を使うんじゃなかったの?」
「できない」
「え? なんでできないのよ?」
「わからない! でもできないんだ! なぜか弱くなっている! さっきもそうだ。炎の斬撃もあんなもんじゃなかったはずだ。縄抜けも変身もできない! 主人公の力を奪われたみたいだ!」
俺たちが大声で喋っていると、猿の群れの中から一匹が前に出てきた。近くで見ると猿はより一層醜く見えた。無表情の仮面からは何も感じ取れない。全身に纏っている棘だらけの毛皮はひどい臭いがする。そいつは俺の側まで来ると、なんと俺の縄を切って解放した。
俺はすぐに立ち上がって反撃に出ようとした。そして、すぐに拳を収めた。
「え? なんで? 主人公でしょ? 諦めないで攻撃して!」
ヒロインは俺の様子を背後から横目で確認していたのだろう。
「無理だ」
「どうしてよ?」
「お前の角度からじゃ見えないだろ? 人質だ。小さい女の子を人質にとってやがる。俺は主人公だから、子供を犠牲にするような選択はできないんだ。こいつらそれをわかってやっているんだ」
俺は主人公の無力さを痛感した。物語の主人公は、正義感溢れる存在でなければならない。誰かを切り捨てたり、見捨てたりするわけにはいかないのだ。こういう状況に陥った時最も弱いのは主人公だ。主人公という立場は弱い。
「俺に何の用だ? 縄を解いたということは話があるんだろ?」
猿は頷いた。そして俺の方に近寄ってくると、一通の手紙を俺に握らせた。そして、人質の女の子を連れて洞窟の奥へと消えていった。
仮面の猿たちが姿を消すと、俺はヒロインの縄を解いた。
「大丈夫か?」
「ええ。それよりも手紙にはなんて書いてあったの?」
「ここは暗いから一旦村に戻ろう」
村に戻ると俺たちは宿をとった。今、俺とヒロインはベッド脇にある椅子に向かい合わせで腰掛けている。二人の視線は一点に吸い寄せられている。俺が手に持っている手紙からは異様な雰囲気が漂っている。
「じゃあ手紙を開けるぞ?」
「ええ」
そして、俺は手紙を開いた。手紙にはこう書いてあった。
『お前はこれから聖都市グレア、エリア五番、新王国の順番で旅をしてもらう。聖都市グレアへは水の都の玉座の扉からいける。そのあとは道なりに進め。会えるのを楽しみに待っているよ。主人公の弟より』
手紙を読み終わると、俺はヒロインと顔を見合わせた。お互いの顔には、戸惑いを通り越した何かが浮かんでいる。俺はこんなに不思議そうな顔をして人間を見たことがない。
「あなた弟なんていないわよね? 天涯孤独の設定のはずでしょ?」
「ああ。俺に家族はいない。一人ぼっちの主人公が旅の中で仲間を見つけて、絆の大切さを知る。それが俺の本編での設定のはずだ。読者に受けるように、弱かった主人公の成長と友情と愛情が描かれている。俺に弟はいない」
「いったいどうなっているの?」
「ダメだ。わからないことだらけだ」
俺とヒロインはしばらく考え込んだ。
「そうだ! あなたのこと役名で呼んでもいい? 私のことも光って呼んで! お前とかあなたとかなんだか呼びにくいわ。いいわよね? ユウ?」
通常俺たちは小説の外では、主人公さんとかヒロインさんとか役名で呼び合うのだが、正直呼びにくいのも事実だ。
「ああ。わかった」
「それと、私に聞きたいことがあるんでしょ? 何度も聞こうとしていたわよね? 私に何を聞きたいの? ユウ?」
俺はさっきからそれをずっと聞きたかった。小説が完結してからずっと聞こうとしているのに、なぜか邪魔が入って聞けないでいた。ここなら絶対に邪魔が入らないはずだ。そして、俺が口を開いてあることを聞こうとした瞬間、爆音とともに屋根が吹き飛んだ。
目の前に紫色の閃光が走った。大気を揺るがして雷が落ちたのだ。雷気の束は彼女に直撃した。俺はその瞬間悟った。俺があることを彼女に聞こうとするたびに邪魔が入る。人に遮られたり、雷が落ちたりする。これは偶然ではない。明らかに作為的に、誰かが俺を止めている。誰が? 一体なんのために?
そして、読者の心の中に大きな疑問を残したまま、物語は進んでいく。
[二週間後]
窓から差し込む日差しの塊が俺の顔を濡らす。俺は起き上がると、光の寝ている部屋へと向かった。彼女はもう起きていた。朝焼けが彼女の金色の髪に当たって幻想的な空気を生み出す。眩しい日光が彼女の金色の瞳をより一層輝かせる。光は可愛らしい。小説のメインヒロインなのだから当然と言えば当然だ。男性の読者を獲得するためにメインヒロインはいる。可愛いというのも彼女の仕事の一つだ。俺は光に声をかけた。
「光? 体は大丈夫か?」
「ええ。おかげさまでね。そろそろ旅に戻りましょうか? ごめんなさいね迷惑かけて」
「いや、しょうがないよ。落雷なんて予測できるものじゃない。それにメインヒロイン抜きでストーリーは進行できないだろ?」
「それもそうね。どうせ小説には[二週間後]とか上の方に書かれて、時が経過したことになるしね。二週間も療養しているところを読者が呼んでも退屈なだけだしね」
「ああ。着替えたら旅に戻ろう!」
そして俺たちは、準備を済ませて久しぶりの外の空気を吸った。新鮮な空気が俺の肺を満たしていく。自然の匂いとほのかな砂埃が鼻腔をくすぐる。読者にとっては一瞬の出来事だけど、俺たち小説の登場人物にとっては長い期間だった。
「よし! 俺たちが洞窟に向かうことになったきっかけを覚えているか?」
「ええ。ユウが私に何かを聞こうとして、村人に遮られたのよね?」
「ああ。あいつは洞窟の中にモンスターがいると言って俺たちを誘導した。だけどあいつはなんで洞窟に一人で入ったりしたんだ? なんで主人公の俺が勝てないほど強いモンスターだらけの洞窟を出てきたのに、怪我一つしていないんだ? おかしいよな?」
「え? でもそれって脚本上の都合とかじゃないの? ほら、御都合主義ってやつ! 都合よくテンポ良く話を進めるために多少の矛盾を無視するやつ。本編でも何度もあったでしょう?」
「ああ。だけど一応話を聞いてみたい」
俺の真剣な表情は、主人公という役割を完璧に演じている。
「私が寝ている間に聞いていなかったの?」
「光を一人にしたりしないよ。主人公が怪我人を放置できるはずないだろ?」
「あら。ありがとう。ヒロインでよかったわ。じゃああの時の村人を探しましょう」
そして、俺たちはあの時の村人を探した。
案の定、あの時の村人は姿を消していた。あいつは一体なんだったんだろう。その時、あの村人のそばにいた村人を見つけた。俺はその子に声をかけた。
「ねえ! 君たしか二週間前にサインをねだったよね?」
「あ! 主人公様! ええ。たしかにサインをもらいました」
「あの時、俺に『大変です! 主人公様! ヒロイン様! モンスターが現れました。助けてください!』って言ってきた村人がいたよね?」
「え? なんのことですか? そんな人いませんでしたよ。あの時いきなり何もない空間に向かってしゃべり出しましたよね? あれはなんだったんですか?」
「何もない空間に向かって喋った?」
俺は曇った顔になった。あの時の村人は、俺たち以外に見えていなかった。あいつは一体誰だったんだ?
「いや、わからないならいいよ」
「じゃあ、お仕事頑張ってくださいね!」
煮え切らない俺たちをよそに、完結したはずの物語はうねりをあげて加速した。脚本がねじれ、矛盾し、落ちていく。この時の俺たちにそんなこと知る由もなかった。
[水の都]
水の都についた俺たちは、疲れた足を引きずりひたすら目的地へと向かった。
「はあー。疲れたー。もう歩きたくないよ。二週間以上歩きっぱなしだぜ? 読者はいいよなー。小説を読むだけなんだから。登場人物の苦労なんて全く伝わらないよな」
「はいそこ! 文句言わない! ナレーションにも怒られるわよ!」
俺は文句を言わずに、黙ってひたすら足を引きずった。
「いやいや、何このナレーション? 俺に黙れって言いたいのか? いいや黙るもんか! 文句を言いつづけてやる!」
俺は今度こそ文句を言わずに、黙ってひたすら足を引きずった。
「こら! ナレーションに逆らわないの! 主人公でしょ? ユウがそういうことするとみんな真似しちゃうでしょ!」
世界で一番可愛いヒロインが俺にぴしゃりと言った。
「おい! ナレーターが世界で一番可愛いとか言い出したぞ? なんでナレーターを味方につけているんだよ! っていうかどうやって意思の疎通をしているの?」
俺はバカな主人公だ。そんなことを知ってどうするのだろうか? 俺は今度こそ本当に黙って目的地へ歩を進めた。
「おい! 誰がバカだ! たしかに主人公はちょっとバカな方が親しみやすいけど、流石に傷つくな!」
いい加減にしろ! 仕事をやれ馬鹿者!
「ちょっと! ユウ? ナレーターさんも一生懸命ナレーションを考えているんだからチャチャ入れないの!」
俺はバカだ。俺はバカだ。俺はバカだ。俺のバカバカバカバカ。
「おい! これのどこがナレーションだよ? 主観で俺の心情を描くんじゃないのか? なんで自分で自分のことを罵倒しているんだよ!」
その時だった。一人のファンが俺たちのもとに走ってきた。目を輝かせてとても嬉しそうだ。それもそうだな。なんたって俺はこの小説の主人公、いわば最も重要なキャラクターなんだ。他の登場人物の憧れの的なんだ。みんなが俺のことを尊敬している。みんなが俺のことを好きでいてくれる。本当に役得だ。
「私、さやかちゃんっていう村人を演じている者です! サインください!」
女の子が少し恥ずかしそうに言った。
「ああわかった」
俺は主人公らしく応じることにした。
「いやあなたじゃなくて」
女の子は冷めた態度で俺を素通りすると光の元へと行った。
「え? 私?」
キョトンとしている光。
「ええ! この小説のヒロイン様ですよね? サインください!」
「参ったなー」
と、光は照れつつもサインを書いてあげる。
「あ、あの! 俺、この小説の主人公だけどサインなら書くぜ!」
なんだかヒロインより人気がないみたいで悲しいので俺のサインももらってほしい。
「結構です」
そういうと女の子はどこかへ去って行った。胸の中を虚しいそよ風が吹く。虚無が空っぽになった俺の心を蝕む。
「あの、ユウ? 大丈夫?」
光が心配そうに聞いてくる。
「玉座の間に急ごう」
そして、気を取り直して玉座の間に向かって走った。
[水の都の玉座の間]
華麗な装飾と荘厳な雰囲気が玉座を包む。玉座には誰も座っていなかった。小説の本編、つまり完結する前では、ここは呪われた城だった。悪魔が王様のふりをしていて、俺とヒロインで退治した。それ以来、王のいない王国になったんだ。
俺は玉座の奥に無理やり付け加えられたかのような扉を見た。その扉は空っぽの王座と相まって、この小説の雰囲気を変えている。この小説から発せられる不気味な空気が読者の背中を這いずっていく。読者であるあなたは、それでも構わずに小説を読み進める。
「前に来た時あんなのなかったよな?」
「ええ。あの時にあんな扉なんてなかったわ」
俺は胸に浮かんだ疑問を無理やり心の中に押し込んだ。
「とにかく行ってみよう」
そして俺と光は、扉の奥に進んだ。扉の奏でる音は不気味だった。錆びた鉄が音を立てて軋む。鉄は血の匂いにも似た、嫌な匂いを放った。まるで俺たちに先に進むなと言っている様だった。
扉を開けると、そこは見たこともない様な世界が広がっていた。眼前にあるのは絵本の中にある世界の様だった。何もない空中に花が咲いている。俺は空中に足をつけて立っている。水の都の城にこの広い空間は入りっこない。きっとワープの魔法がかけられた扉だろう。踏み入れたものを特定の場所に飛ばしたんだ。
「すごいな。こんな世界がこの小説にあったんだな。こんなの見たことも聞いたこともない」
光に話しかけたつもりだったが返事はない。話す気分じゃないのか?
「早速奥に進むか!」
光に話しかけるが返事がない。俺は扉の方を振り返った。
「おい! 光? 聞いている?」
そこには光はいなかった。通ってきた扉もなかった。俺が一人だけ空中に浮かぶ花畑の中で立っている。辺りには色とりどりの花弁が舞っている。透明な空気を華やかに綾なす。
「光? どこに行った?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます