あるはずのないもの
第一章 努力の国(エンデヴァー)編
宙に浮かぶ山を三つほど超えて、空に向かって落ちて行く滝の横を通って、地面が炎でできている丘の上を飛んで、努力の国(エンデヴァー)にようやく着いた。
そこは巨大な生物の体の中だった。体は大きな球状で宙に浮いている。体表には苔がびっしりと生えていて宙に山が浮いているようだ。常に移動し続けて位置をごまかすためここに国を作ったのだろう。努力の国(エンデヴァー)に着くとすぐに医務室へ連れて行かれた。医者が言うには頭蓋骨が完全に陥没していて放置していると植物人間になってやがて死ぬらしい。だがその程度の傷ならすぐ治せると言われた。この傷がその程度と言っていいレベルなのか疑問だったが、医者に任せた。
「それじゃー今から処置するからじっとしていてね」
そして医者が指を俺の怪我している箇所に手を当てた。 医者の後ろには三人くらいナースがいてどうってことない簡単な手術をやるかのように談笑していた。そして、医者は呪文のようなものを唱えた。
頭の怪我は完全に治っていた。頭蓋骨に空いた穴から砕けた骨破片が奥に入っていたらしい。その破片を元の場所に戻してくれたらしい。医者が言うにはもう大丈夫らしいが数日は安静にするようにとのことだった。驚く気力もなかった俺は割り当てられた部屋へ行き、長い一日を終えてようやく眠りについた。
ペチペチペチペチ。何だ? 誰かに頬を叩かれている。あやか? まだもう少し寝させてくれ。あと五分でいい。
「おーい。もう昼ですよー」
俺は観念して目を開けると、笑顔のひかりちゃんがベッド脇にいた。昨日の彼女と違って明るくて元気が良さそうだ。きっと普段はいつもこんな感じで、命がけの任務をするときだけ口調が変わるのだろう。
「ひかりちゃん? そうか、昨日のことは夢じゃなかったんだ、ってか何で俺の部屋にいるの?」
俺は昨夜のことが現実ではないことを改めて実感した。いつものように妹が起こしにきてくれていたらどんなによかったか。全てただの悪い夢で、学校に向かうと友達がたくさん俺のことを待っていて平凡な日常に戻れたらどんなに楽か。
「だっていつまでも起きてこないから、それと、これは残念ながら夢じゃないわ。現実よ。でも大丈夫! この基地にはたくさんの種族の人が住んでいるわ! 私以外にもすぐにいっぱい友達ができるわ!」
俺のことを友達だと言ってくれたことが少し嬉しかった。かつて友達だと思っていた人たちが友達でないなら、ひかりちゃんが俺の生まれて初めての友達ということになる。
「昨日、俺は友人を全員失った。と言うより今までで本当の友達なんていなかったのかもな」
「そう落ち込まないで! すぐに落ち込む子は嫌いです。元気を出して! 何度でも言うわ! あなたは大丈夫」
俺は何も答えずに少し笑って返した。
「さあ今日は私が所属するレジスタンスとマタマタ、そしてこの国について説明するわね」
「うん。お願い」
レジスタンスもマタマタも何かわからないが黙って聞くことにした。
「私がいるレジスタンスという組織はこの世界の調和と秩序維持のために作られたわ。例えば不当な扱いを受けている人や生物を助けてあげるの! 昨日までのあなたみたいなね。構成員は二万人ほど。作られてからそんなに時間は経っていないわ。だけど賛同してくれる人が多くてここまで大きくなれたの。そして来るときに見ただろうけどここはマタマタっていう温厚な生き物の中よ。宙に浮かんでいて主食は空気中の窒素よ。変わった生物だからこそ、敵が警戒して近寄ってこないの」
「ふーん。なるほどね。大体わかったよ。わかりやすい説明のおかげだよ。ありがとう」
正直言って話についていけないがここで茶々を入れるとひかりちゃんの気分を悪くしてしまいそうなので黙っておくことにした。
「よし! それじゃあこの国を案内するわね。この国は努力の国(エンデヴァー)よ。その名の通りみんなが努力できる国なの」
「努力? え? それ普通の国と何が違うの? みんな努力することくらいできるでしょ?」
「うん! でもそれだと途中で投げ出しちゃう人が必ず出てくるでしょう? でもこの国は違うの! 目標や夢を設定するとそれが必ず叶うの! じゃあ今から実際に見せるわ!」
そういうと空中にパソコンのポップアップウィンドウのようなものが出てきた。そこにはこう書かれていた。
『ひかり様のただいまの目標 レジスタンスの拡大 所要期間約二年』
「何これ? 目標とそれを達成するためにかかる時間?」
「そうよ!」
「でもこんなの一体何の役に立つんだよ? そりゃあ一生懸命頑張れば誰だって難しい学校に入れる可能性はあるだろ? 俺は無理だけど」
俺は言っていて少し情けなくなった。
「ええその通りよ! だけどこの世界では百パーセント結果が出るのよ。できるかもとかじゃないの。必ずできるの。この世界で生まれた人は小さい頃から必ず目標を設定させられてそれに向かって頑張るの! 文字を書けるようにする。縄跳びをできるようにする。とかどんなに些細なことも今みたいにウィンドウに登録するの! そしてこの世界では指定時間頑張れば必ず叶うのよ!」
俺はそんなことが本当にあり得るのか? と、あっけに取られていた。
「いい? 人間っていう生き物は脳の仕組み上、すぐに結果が出ないものには取り組みたくないと感じるようにできているの。それは勉強だったりスポーツだったり。だからテレビゲームやギャンブルが流行るのよ。ああいったことは人間の脳が喜ぶようにすぐに結果が出るの。だからたくさんの人が依存してしまうのよ。あなたも結果が出なくて途中で投げ出すことくらいあったでしょ?」
「まあ勉強は二時間やったら限界かな。サッカーだって一年で才能ないからやめちゃったし。でもそもそも何でこの国に来た途端に必ず目標を達成できるようになるのさ?」
情けなく笑った。
「さあ? 何でかしら。考えたこともないわ。誰も困っていないし、いいんじゃないの?」
「うう、ん」
俺は納得がいかなかったが、異世界だし俺の元の世界の常識は通用しないのだろう。というより、俺がいたのは限りなく地球の日本に近いだけでただのヴァーチャルリアリティーだけどな。
「でも、とにかくこの世界はあなたの住んでいた、というか住んでいたと勘違いしていたウサギ小屋とは違って、国ごとに何か特殊な文化があるのよ。この国では努力して失敗することはないわ。だから最初にあなたをここに連れて来たの。ここで殺人能力(キリング)を身につけてもらうわ。心配しなくても大丈夫! ここでは途中で投げ出したり失敗してしまうことは考えなくていいの! 気楽でしょ」
「う、うん。そうだね」
実を言うと、俺はひかりちゃんの説明に納得がいかなかった。この世界全体で同じことが起きるならまだわかる。だけど何で一部の地域限定なんだろう? 努力すれば必ず夢が叶う世界、失敗も挫折も味合わなくてもいい世界と言えば聞こえがいいが、少し都合が良すぎる気がする。これはひょっとしたら誰かが意図的に?
「他に何か聞きたいことはない?」
「何もないよ。あ、いやまった! 一つある! 俺に教科書と電子カレンダーを通して話しかけてきたのは誰?」
「何の話? というかなんであの時私が屋上に来ていることがわかったの? 計画ではあの後、機を伺って帰り道で誘拐するつもりだったんだけれども」
「あ、いや。ならいいんだ。と言うか誘拐するつもりだったのか」
知り合いじゃなかったのか? ならあいつは一体誰だ? どうやら敵ではなさそうだったが。
その後、煮え切らない俺をよそに、病院、学校などの主要設備を説明してもらった。
「あまり怖がらせるつもりはないんだけど、夜は部屋に鍵をかけて誰が来ても絶対に開けないで。ノックされても返事もしちゃダメ」
「え? どうして? 急に怖いこと言うなよ」
俺は急に不安になった。
「知ってもどうにもならないからまだ知らなくていいわ。いい? 私と約束して? 誰がきても絶対にドアを開けないで無視するって」
「う、うん」
「それと、この国には三つのルールがあるの。それも教えておくわね。
ルール一、何があっても絶対に諦めてはいけない。
ルール二、この国では努力が無駄にならない。
ルール三、夜十二時以降は部屋に誰も入れてはいけない。
この三つのルールを守ってね?」
「わ、わかった」
「いい? 誰が来てもよ? たとえ私がきても開けちゃダメ!」
なんのことを言っているのか、何を話しているのかわからなかった。それにどういうことだ? 私が来ても開けるな? はっきり言ってすごく怖かった。だけど、冗談を言っている雰囲気ではなかったので素直に従った。
そうして俺の新たな世界での記念すべき一日目は終わった。
[その日の夜]
コンコン。ベッドで微睡んでいた俺は、ノックの音で目を覚ました。
「はーい。今いくよ」
こんな時間に誰だろうか? 俺はドアに向かってロックに手をかけて開けようとした。その時、昼間のひかりちゃんの言葉を思い出した。冷や汗が止まらない。全身から汗が間欠泉のように吹き出てくる。背筋が凍りつき床に汗で水たまりができている。これ以上心臓は速く動かせないくらいドクドク脈動している。汗でぐちょぐちょで気持ち悪いけど気にしている余裕はない。アドレナリンがドバドバ出ているのがわかる。たとえ首を切り落とされても十分ほど心臓は動き続けるだろう。もう返事をしてしまったので起きていることは相手にバレている。意を決して口を開いた。
「誰?」
「わたしよ。ひかりよ」
俺は心臓が止まった気がした。
「開けて! 話があるの」
とひかりちゃん。俺の心臓はドア越しに相手に聞こえているんじゃないかと心配するほど速く鳴っている。怖い怖い怖い怖い怖い。昼間あれだけ念を押していたのになんできたんだ? 矛盾している。絶対におかしい。だけど声は間違いなくひかりちゃんの声だ。絶対に本人の声だ。どうなっている? 何が起きているんだ?
「何の用?」
俺は震える唇で答えた。
「開けてくれたら話すわ。だから早く開けて」
「話ならドア越しにでもできるよね? なんでそんなに中に入りたがるの?」
「いいから早く開けて」
ガチャガチャガチャ。会話の主はドアノブをつかんで俺の部屋への侵入を試みている。怖い。武器を持った怪物よりも得体の知れない何かの方がよっぽど怖い。
「やめろよ! 入ってくるな! 君、本当にひかりちゃんか?」
俺は驚いて叫んだ。
「ええ。本当にわたしよ。この声でわかるでしょう」
確かにその通りだ。声は間違いなく本人のものだ。だけど昼間の忠告が脳裏に浮かんだ。わたしがきても絶対にドアを開けないでと。
「君が本当にひかりちゃんなら俺たちがはじめにあった場所はわかる?」
本人なら答えられるはず。そう思って問いかけた。
「ええ。東京都新谷区立高等学校の屋上よ。住所は東京都新谷区青山町二の四よ。わたしは魔導車であなたを迎えに行った。その途中であなたが突然屋上に来たのよ」
だいたいあっている。本当に本人なのか? 俺の勘違いか? というより住所があっているのかわからない。生徒の俺ですら覚えてなんかいない。くそっ。せっかく聞いたのに答えがわからない。これじゃ質問の意味がない。
「もうわかったでしょ? だから早く中に入れて」
ガチャガチャガチャガチャ。ひかりちゃんは尚も部屋への侵入を試みようとしている。もうドアノブが壊れそうだ。
「待って。最後にもう一個だけ質問させて」
「いいわ、そのあと中に入れてくれるんでしょ?」
「うん。俺が昨日、君に告白したその返事を聞かせて欲しい。君に会ったときから君のことが好きだ。一目惚れだった。俺はそう言ったよね。君は返事を保留にしたよね? その答えが聞きたい」
俺はカマをかけた。こい。嘘をついてみろ。さあ墓穴を掘れ!
しばらく黙り込んだ後に、ドアの向こうの人物は答えた。
「からかっているの? 告白なんてしていないでしょ? もう気はすんだ? 早く中に入れて。いい加減にしないと怒るわよ」
本当に本人なんじゃないのか? もしこいつが偽物ならわたしもあなたのことが好き。気持ちを伝えにきたのよ。とかなんとかいって入ろうとするはず。だけど、どうしても確信がまだ持てない。
「待って! 本当にこれで最後だ」
どうしてもひかりちゃん本人であるという確信が持てない俺はさらに聞いた。
「ふぅー。わかったわ。これで最後にしてね。何?」
明らかに苛立っている。
「ウサギ小屋からこの国に来る途中で異世界の色んな景色を一緒に見たよね? 見て回った順番を教えて。あっていたら今度こそ中に入れる」
しばらくの間があり、ドアの向こうの人物はまた答えた。
「わかったわ。ウサギ小屋から出て、宙に浮かぶ山を三つ超えて、空に向かって落ちて行く滝の横を通って、地面が炎でできている丘の上を飛んで、努力の国(エンデヴァー)に着いたわ。さ、これでいいでしょ。わたしは本当にひかりよ。早く中に入れて」
全て完璧にあっている。そして俺は確信した。こいつは偽物だ!
「いいや。今ので君を中に入れるわけにはいかなくなった。君は偽物だ」
「は? どうして? ちゃんと答えたじゃない」
さらに苛立った様子だ。
「ああ。君はちゃんと答えた。ちゃんと答えすぎたんだよ。まず不自然だと思ったのは学校の住所だ。町の名前まではいい。だけど番地まで正確に言えるのは不自然だ。おかしい。生徒の俺ですらそんなの覚えていない。さらに、ウサギ小屋からここまでの道程があまりに正確すぎる。記憶力がめちゃくちゃ良くて全部何もかも覚えているなら答えるまでに不自然に黙り込んだあの間はなんだ? お前何か資料か何かを読みながら答えているな。どうやったのかはわからないけど正確な情報を持っていて答えている。違うか?」
偽物を問い詰めた。だが、返事はない。沈黙が辺りの温度を下げる。ひんやりとした冷たい空気が背筋を舐める。
「反論してみろ。偽物」
返事はない。
「おい。なんとか言えよ」
返事はない。さっきまであれだけドアの前で騒いでいたのに嘘のように静かになった。
五分。
十分待った。
俺はまだ震える手をロックにかけてゆっくりとロックを解除した。そして不安を塗り潰すように勢いよくドアを開けると、そこには誰もいなかった。夜の静寂は恐怖のどん底にいる俺にさらに追い打ちをかけた。静まり返った周囲に俺の心臓の鼓動とハアハアと空気を肺から必死で外に追いやる音だけがこだました。
その日おれは不安で一睡もできずに朝を待った。
[翌日]
昨夜のことをひかりちゃんに説明した。
「え? ドアを開けようとしたの?」
ひかりちゃんは目を見開いて驚いている。この反応から昨日のどれだけ危険な目にあったか悟った。
「う、うん。だって本人しか知らないことを知っていたし」
俺は答えた。
「ばかっっっ!」
こんなに大きな声で叫んだのは最初にあった屋上以来だ。驚いた俺をよそにひかりちゃんは続けた。
「それは間違いなく偽物よ。わたしは昨夜あなたを尋ねたりなんかしてないわ。というより夜に外は出ない決まりがあるから、殺人鬼以外夜に外をうろついたりなんかしないわ」
この反応で確定した昨日のあいつはひかりちゃんではない。ひかりちゃんの偽物だったのだ。
「殺人鬼? 殺人鬼だって? じゃあ昨日の夜、もし俺がドアを開けたら殺されてたっていうのかよ?」
俺は叫んだ。殺人鬼だなんて冗談じゃない。殺されたかもしれなかった、という不安と殺されなかったことによる安堵の二つの相反する感情が湧き出て入り混じった。
「そうよ。確実に殺されていたわ。この町には月に一から二回ほどの頻度で人が夜に殺されるのよ。これだけ夜に誰か尋ねてきても開けるなと言ってあるのに、みんな部屋の中に殺人鬼を招き入れて惨殺されているの」
俺は心臓が止まりそうになった。びびってる俺をよそにひかりちゃんは続けた。俺は殺されかかって、今までの平和な日常が崩れ去ったことを受け入れる準備ができた。
「あなたが初の生存者よ。それにありがとう。これで手口がわかったわ。おそらく【変身(シフト)】を使って友人になりすまし、何か別の能力を使って記憶を読んで本人だと錯覚させるのね。それにしても嘘がうまいわね。あなたの言う通り、『気持ちを伝えにきたの』とかもっともな嘘はつかなかった。そして、あえて冷たい態度をとって信用させてる。相当殺し慣れてるわね」
【変身(シフト)】が何かわからないがひとまず無視した。
「犯人に心当たりは?」
震える口を必死で動かして、もっともな質問をした。
「まったくないわ。今日の今日まで手口も何もわからなかったのよ。ただ殺しの後は壁に殺人鬼の正体のヒントのようなものを残して行くのよ。きっと、なかなか犯人を捕まえられない私たちをあざ笑って、楽しんでいるのね」
今までの犯行現場を嫌という程見てきたのだろう。悔しそうな顔で少しうつむいている。
「例えばどんな?」
俺は少しでも殺人鬼を捕まえるために力になろうと聞いた。
「うーん、例えば俺は殺人鬼マーダラーだ。とか俺の出身地は魔法の国(キャッシュ)だ。とか」
「ちょっと待って自分の名前を壁に書いているの? じゃあその名前の人が」
俺が言い終わる前に遮られた。
「そんな名前の人この国にいないわ」
ひかりちゃんは呆れたように答えた。それもそうだな。
「そうか。まあ考えてみれば本名を言う馬鹿はいないか。他には何が書かれていたの?」
当然の回答だった。聞いた自分が少し恥ずかしくなった。
「後は俺の好きな食べ物はアイスクリームだとか」
「好きな食べ物? ふざけているのか?」
「ええ。そうよ。殺人鬼はふざけて私たちをあざ笑っているわ。捕まえられるものなら捕まえてみろって」
うつむいて下を見ていたさっきとは違って少しひかりちゃんが怒っているのがわかる。口調から絶対に殺人鬼を捕まえてやるという意思が感じられる。
「ふざけやがって」
俺は、ぼそりと呟いた。
「あまり手がかりはないけど、わたしは第九王国の刺客だと思っているわ」
「第九王国どこ? それ?」
「わからないわ」
「え? なんで? わからないのにそこの刺客なの? どういうこと?」
訳が分からず聞き返した。
「関わった人間は皆殺しにされるからよ。だけど、この国の目的は、他の国を潰して人をさらうこと。でもどうやって大勢の人間をさらっているのかわからないわ。わかっているのは処刑隊と言われる部隊がその国によって作られて、そいつらが主犯だということ。わたしはみんなに殺人者のことを知らせなきゃ。昼間は殺人を犯さないらしいから一人で大人しくしていてちょうだい。じゃ後でね」
俺は、自分がいかに危ない状況にいたのかわかった。せっかくウサギ小屋から逃げて着たのに、ここでも殺し合いか。
[二日目]
ガンガンガンガン。豪快なノックの音で目を覚ました。
「私よ。ひかりよ。起きている?」
ひかりちゃんの声がする。いや、待てよ。性懲りも無くまた来やがった。殺人鬼め! 今度は騙されない。取っ捕まえてやる。
「はーい、今いくよー」
俺は殺人鬼を油断させるために返事をしてベッドの横に置いてあったほうきを掴んだ。高鳴る心臓の音。汗ばむ手。渇く喉。そしてもう一度ほうきを強く握って勢いよくドアを開けた。
ガンッ。ドアは音を立てて豪快に開いた。少しびっくりした顔をしている来客と目があった。そいつはまたひかりちゃんの格好をしていた。おそらく【変身(シフト)】という魔法か何かで変身しているのだろう。
「偽物めっ! 捕まえてやる!」
そう叫ぶとほうきを偽物めがけて振り下ろした。
「わっ。ちょっと、いきなり何するのよ」
偽物はほうきを躱すと、白々しい演技をしている。
「黙れ! 二度も同じ手に引っかかると思っているのか?」
俺は再度ほうきを振りかぶって追撃の手を緩めなかった。先手はとった。これで相手は俺の攻撃を交わすだけの防戦一方になるはずだ。このまま攻撃の手を緩めずに攻撃し続けてやる。二撃目、三撃目と躱されていく。そして次第に勝利の核心は焦りに変わっていった。攻撃が当たらないのだ。
「くそっ。いい加減にしろっ」
焦りから言葉が乱暴になる。攻撃は次第に雑になってただただ武器を振り回しているだけになった。そして七撃目の攻撃が空ぶった後ひかりちゃんの格好をした人物は俺の手首を掴んで一瞬で後ろに回り込み、俺を地面に押し倒し俺の背中に馬乗りになった。
「くそっ! 離せ!」
俺は力の限り叫びまくった。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。やばいやばいやばいやばい。無我夢中で暴れまくった。すると俺をつかんでいた手は次第に緩くなり俺を解放した。俺は急いで起き上がるとひかりちゃんらしき人物がこっちを呆れた顔で見ていることに気づいた。
「まさか。本物?」
恐る恐る訪ねた。辺りには人だかりができていた。
「そうよ。正真正銘本物です。もし私が偽物ならもう死んでいるわ」
そういうと服の汚れをパッパッと払った。
「あの、えっと、偽物かと思って。あの、その」
恥ずかしさと申し訳なさからしどろもどろになる。
「何か言うことはあるかしら?」
笑顔で俺に尋ねてきたが、俺にはわかる。この笑顔は偽物だ。きっと怒っているに違いない。
「あの、本当にごめんなさい。俺の、いや僕の早とちりでした。すいませんでした」
正直に自分の非を認めて謝罪した。
「まったく。こんな朝っぱらから人目のつくところで殺人なんてしないわよ」
「はい。おっしゃる通りです。返す言葉もございません」
恥ずかしくて死にそうだ。気づいたら野次馬がみんな笑っている。恥ずかしい。
「でも、警戒を怠らなかったことは素直に褒めてあげるわ」
素直な謝罪で許そうと言う気になったのかさっきよりは機嫌が良さそうに見える。ひかりちゃんは続けた。
「今日は街を案内してあげるわ。さっさと顔洗って着替えてちょーだい」
やっと本題に入れるといった顔で告げた。
「わかった。すぐに用意させていただきます!」
ハキハキと答え、それと対照的に痛めた足を引きづりのろのろと部屋に戻って用意をした。用意をしている最中はずっとさっきの出来事について考えていた。ひかりちゃんがあんなに強いなんて思っていなかった。女の力で成人していないとはいえ男をなぎ倒し、屈服させるなんて。というより、俺も強くならないと偽物を見破っても今みたいに倒されるのか。これじゃ偽物を見破る意味が全くないじゃないか。そんなことを考えながら用意を淡々とした。そして、用意が終わり、俺は部屋の外に出た。
「じゃー街を案内するわね。話しながら行きましょう。マタマタは巨大な生物なのは知っているでしょ? マタマタはとても臆病な生物なの。天敵との戦いを避けるために上下逆さまに空中を飛んでいるの。背中つまり下側が保護色を発生させる皮膚になっていて敵に見つかるのを防ぐのよ」
「つまりカメレオンが丸っこくなって空を飛んでいるのか!」
「まもるちゃんの世界だとカメレオンっていうの? じゃあそのカメレオンのお腹の上に住んでいるって考えて! そして私たち人間とマタマタは寄生関係にあるの。私たち人間が一方的に住み着いて利用しているのよ。ちょうどムチュムチュがニコニコの食べ残しをもらうためにくっついて泳ぐみたいにね!」
「たとえが全くわからんがつまり、サメのおこぼれをもらうコバンザメが俺たち人間ってわけか。後、何そのまもるちゃんって?」
「あなたはまもるちゃんよ! 女の子に取り押さえられているようじゃあ、ちゃん付けになっても仕方ないでしょ?」
俺は何も言い返せない。でもあんまり嫌な感じはしなかったのでそのままでいいかなと思った。ひかりちゃんは続けた。
「マタマタは常に空中を泳いでいて一箇所に留まらないの。だから私たちレジスタンスが今日まで存続できているのよ」
「じゃあマタマタに帰るときはどうするの?」
「強力なレーダー装置があるわ。今から見に行ってみましょう」
俺は足を引きずりながらひかりちゃんの後をズリズリ歩いた。
「ちょっと。大丈夫? ごめんなさいね。ちょっとやりすぎちゃったかも。ほら肩貸してあげるから」
さっきと違って若干申し訳なさそうにしてくる、この気遣いがいまの俺にとってはすごく痛かった。自分の弱さと馬鹿さ加減に恥ずかしくなってきた。おまけに女の子に肩まで貸して貰っている。
「うん。申し訳ないけど助かるよ。それにしてもなんであんなに強いの?」
俺は思っていたことを聞いた。
「先生と一緒に訓練したからよ。機会があったら紹介してあげるわ。まもるちゃんももうちょっと強くならなくちゃね」
痛いところを突かれたがもっともなことだった。
それからしばらく歩いてひかりちゃんが言った。
「さ、着いたわ。あれがレーダーよ」
ひかりちゃんはレーダーを指差しながら言った。俺は足の痛みで正直それどころじゃなかったがせっかく案内してくれたので、ひかりちゃんが指差す方向を見た。
そしてそれはそこにあった。見覚えのあるそれは不自然にも街のド真ん中に立っていた。
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