第5話 扉を開ければ僧がいる

「でも、犯人はまだ捕まってないんでしょ?」

「うん」

「嫌だわ、江里えりがいるのに」


 姉が姪っ子の名をつぶやく。灯は彼女の顔を思い出した。かわいらしい仕草を思い浮かべると、自然と笑みが浮かぶ。間もなく五歳、色々な場所に行きたがる年頃だ。


「あ、待って。ニュースで今流れたわ。殺された子、中学生ですって。……あれは、光風の制服ね」


 姉は口早に、有名私立中学の名前をあげた。制服が可愛いと話題の学校だから、写真だけですぐに分かったのだろう。想像以上に被害者が若く、そのことが灯の胸中をかき乱した。返す返すも残念でならない。


「あそこ、偏差値高くて真面目な子が多いイメージだけどな」


 彼女はどうして、学校をサボってあんなところにいたのだろう。灯は鍋をかき混ぜながら、ぼんやり常暁や捜査の様子を思い出していた。夕方のニュースは見てみるつもりだが、そんなに詳しいことは出ないだろう。……誤解を解くのが速すぎたかもしれない。もっと詳しく聞けばよかった。


「灯。ねえ灯?」


 姉の声が険を帯びているのに気付き、灯はあわてて姿勢を正す。


「ごめん」

「いきなり黙るのやめてよ。死んだかと思ってびっくりするじゃない」

「本当になんでもないんだ。ただ考え事を──」


 微笑しながら言ったその時、背中にぞくっと寒気が走った。次の瞬間、玄関扉が叩かれる。


「誰か来たから一旦切るね。ごめん、江里によろしく」


 姉に詫びてから電話を切り、灯はドアスコープを覗きこんだ。


 扉の向こう、夕暮れを背にいたのは──常暁だった。





「……なんで詳しい事情も聞かずに家にあげたかわかります?」

「俺の人徳だな」

「どっちかと言えば悪名でしょう」


 呪われては敵わないと思ったのだが、真意が見事に伝わっていない。ささやかな抵抗として、緑茶を思い切り熱くしてやった。お茶請けなんてもちろん出してやらない。


「……そもそも、なんで家を知ってるんですか。あの駅から、軽く三十分は離れてるのに」


 灯は若干いらつきながらも、常暁をにらむ。常暁は、涼しい顔で懐に手を入れる。彼が取り出したのは、人の形に切られた和紙だった。足に灯のフルネームがカタカナで書いてある。


「……まさか、僕に呪いを?」


 灯は、自分の顔から血の気が引くのを感じた。用心したつもりだったのに、すでに呪われていたとは。


 拳を握った灯を見て、常暁が猫のように笑う。


「すまんな。相手の名前さえわかっていれば、色々できる。俺が本名を名のらんのも、それが原因だ。場所をつきとめる以外の悪行はしていないから安心しろ」


 想像以上にひどいことになっていた。殺人犯に狙われるより、タチが悪いかもしれない。


 灯の心配をよそに、常暁はクッションソファを占領してご機嫌だ。灯は仕方がないので、ベッドに腰掛ける。


「そこまでしてどうして?」

「俺は山での生活が長く、常識に疎いところがあるらしい」

「……辛うじて自覚してたようでなによりです」

「今日のように、一人で歩くと不自由なことばかりで閉口していたところだ。空いた時間に俺の仕事を手伝ってほしい」

「と言われましても、僕も暇じゃ……」

「金は俺が出す。とりあえず、一時間一万でどうだ?」


 わん、と犬のように首を縦に振りたくなったが、灯は辛うじてこらえた。


「うちの会社、副業は禁止なんですよ」

「話はついている」


 常暁は、一筆箋を取り出した。そこにはやけに達筆な字で、灯の副業を認めるという内容が記されていた。社長の自筆書名の横に、仰々しい判子まである。


「……どうやってこれを?」

「今日、交渉した。俺はいいと言ったんだが、他の奴がわざわざ文書を持ってきてな。なんか、社長が泣いていたとは言っていたが、別におかしなものじゃない」


 常暁は自信に満ちた顔で言ったが、灯は怯えていた。


 たった一日でこの対応。絶対になにかあったに決まっている。きっと社長が流した涙は、感動のためではあるまい。安月給でこき使われる恨みはあるものの、少しだけ彼が気の毒になった。


「……困った人ですね」

「山で俺を飼っている宗主もそう言っている。必要だと思えば、どんな手でも躊躇なく使うとな」


 常暁はくくっと低く笑った。その背後に、苦悩する宗主の顔が見えるようで、灯は深いため息をつく。


「……そんなことで、今までよく無事でしたね」

「幼児の頃は安泰だったぞ。さすがに子供を放り出しては、宗教機関の外面に関わるからな」

「大人になってからは?」

「放り出せ、という声も当然ながら上がった。しかし俺に、普通の仕事なんぞできるわけがない」


 時々現状把握が的確なのが腹立つな、と灯は思った。


「そこで普段の勝手を見逃してもらうために、わざわざ山を降り警察の仕事をして、多少の徳とコネを稼いでいるわけだな。有力者と知り合いになれば、寺にとっても悪い話ではない」


 誰もかもを受け入れる人格ではない常暁が、警察の仕事をしているのはそういう事情か。灯は妙に納得した。


「……犯人を呪い殺すんですか。殺しの片棒は、担ぎたくないんですけど」


 灯がおそるおそる聞くと、常暁は笑った。


「してたまるか。被疑者死亡は、解決どころか捜査本部の失点になる。生かさず殺さずが難しいと言ったろう」


 常暁はそう言って、指を折り始めた。


「事件には四つある」


 犯人が分かっていて、証拠がある事件。

 犯人が分かっていて、証拠がない事件。

 犯人が分からず、証拠がある事件。

 犯人が分からず、証拠がない事件。


「最後のがいわゆる完全犯罪だな」

「一番最初のは、すぐ捕まりますしね」


 警察が始末に困るのは、残った二つである。


「それを解決して回ってるんですか」

「ああ。犯人が分かっている場合は簡単だぞ。呪いをかけて、犯罪の証拠のある場所に行けと指示を出す。そこに警察が張り込んでいれば、証拠を手にした時点で捕まえることができる」


 見立て違いの場合は証拠の場所など知らないから、容疑者捜しは最初からやり直しとなる。やって損はない、と常暁はしゃあしゃあと語った。


「……でも、現場にわざわざ行っても証拠が残ってなかった場合は? 無理矢理自白させることもできるんですか」


 不吉な予感がして、灯は聞いてみた。


「ああ……なんだその目は」

「日本は法治国家ですよ?」


 捜査ならなんでもやっていい、というのは警察の横暴ではないだろうか。庶民を代表して、灯はそう意見した。


「拷問みたいな呪術にかけて、無理矢理吐かせるわけじゃないぞ。知らん奴はそう考えがちだが」


 自分の考えを見透かされて、灯は顔を赤くした。


「むしろ逆だ。そいつを護る術をかける」

「え?」


 灯は目を丸くした。ようやく適温になったらしい茶をすすりながら、常暁は言う。


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