トリックスターシンジ
食堂に着くと、部屋の真ん中ほどのテーブルにエックスたちがいた。
全員もう既に夕飯は済ませたようだ。ほくほく顔でゆったりしている。
「はー。もう満腹なり! 我的睡眠欲!」
と、きょう。なんか最後外国語っぽかった。
「ふー。ご飯イズデリシャスー」
「ばぶー。キュポン」
おしゃぶりを外して、
「こんなに美味な飯を食べたのは生涯初! もう死んでも構わない! キュポン」
と言って、おしゃぶりを再び咥え始めた。赤ちゃんが『もう死んでも構わない』というほどの食事か。
「みんなお待たせー。もうみんなご飯は食べたみたいね!」
「あ! ねえねえ! おっそーい! どこで油売っていたなり?」
「ちょっとね」
言ったら絶対にバカにされるから言わないどこ。
「ばぶー。キュポン。アリシアさん。もしかしてこの小さな宿の中で迷子になって遅れたんじゃ?
さては『お腹減ったー!』とか言いながらリネン室に飛び込んだりしていませんか?」
「流石にシスターでもそれはない!」
「グラちゃん。それは言い過ぎなり! 流石にねえねえもそんなにバカじゃないなり!」
「それもそうですね。はははは。キュポン」
「え、ええ。そんなはずないでしょ。それよりこれでやっとご飯が食べられるわ!」
その瞬間、食堂の温度が一度下がったような気がした。
「あのねえねえ。もう食事の時間は終わったなり」
「シスター。ドンマイ」
「えっ? じゃあ私何も食べられないの?」
「うん」
私は席に座ると隣のテーブルの人たちを見た。
ものすごく派手な格好をした三人組が楽しそうに美味しそうに幸せそうにご飯を口に運んでいる。
食欲を引きずり出すような匂いが鼻腔の奥深くに突き刺さる。
私の口腔は唾液で満たされた。胃の中はもちろん空っぽ。
私は目で食事を楽しんだ。隣のテーブルの人たちが食べているものを穴があくほど見つめた。
まるで目が口になったようだ。目からご飯を食べた。
そんくらい激しく皿の上の料理を見つめた。
「おい。なんか隣のテーブルの銀髪女がこっちを見ているぞ?」
私はひそひそ声を耳で疲労と慌てて目線をそらした。
さっきまで目線が皿に突き刺さっていたから気がつかなかったが、隣のテーブルに座っているのはかなりやばそうな人たちだ。
ひょっとしたら童貞かもしれない。
隣のテーブルに座っているのは、真っ黒な翼のようなものを右肩から生やし、真っ白な翼のようなものを左肩から生やしている中性的な男性だった。
うわー。こいつ絶対に、伝説の堕天使アザゼルだ。
その隣には、ものすごく貧乏そうな男性。頭はハゲかかり、服はオンボロであちこち破けている。
貧乏が服を着て歩いているみたいだ。こいつ絶対に無職だろ。
永遠の無職(笑)ってこいつだろ!
というか笑っている場合じゃないだろうに。
さらにその隣には、ものすごく背の高い細長いお兄さんがいた。
服はフルマラソンの選手のユニフォームだ! こいつ飯を食うときにそんな格好で食うのか。
ゼッケンには『シンジ』と書かれている。
間違いない、こいつが刹那のトリックスターシンジ(永遠)で間違いない! あ、間違いないって二回言っちゃった。
私は三馬鹿がご飯を食べている姿をじっと見ていた。
正直ちょっとだけ分けて欲しい。
童貞を卒業させてあげるから皿に残っている“大きなでっかい美味しそうな唐揚げにレモン汁をかけるために絞ってしなしなになっているレモンの皮”を少しだけ舐めさせて欲しいわ。
「ねえ。きょうちゃん。隣に座っている三人の告白経験を調べてくれない?」
私は小声で訪ねた。
「我が信者の力よ! 我に童貞の告白経験を告げよ! ビビビっ!
あいつの告白経験はそれぞれ十二、二十二、百五なり!」
きょうちゃんは、伝説の堕天使アザゼル、刹那のトリックスターシンジ(永遠)、永遠の無職(笑)の順に指差して言った。
「なら童貞の線は薄いわね。というより、永遠の無職は女の尻を追いかけてないで就職しなさいな」
私は聞こえないように小声で突っ込んだ。
私は左隣のテーブルを見た。そちらには、先ほどの田中拓実、佐藤淳之介、高橋大輝がいた。
「あっちのテーブルの方はどうかしら? きょうちゃん! お願い」
「えーもう今日は童貞を一人片付けたから仕事したくないなり」
「文句言わない!」
「我に童貞の告白経験を告げよ。あいつの告白経験はそれぞれゼロ、ゼロ、ゼロなり」
「おっし! これなら童貞で間違いないわね! よし! ちょっと童貞奪ってくる!」
そして、私は席を立ち上がり、隣のテーブルの空いている席に着いた。
目の前の貧乏そうな少年、田中拓実に、
「あなた童貞でしょう!」
「ギ、ギクリ!」
お次は、スーツ姿のお兄さん佐藤淳之介に、
「あなたも童貞でしょう!」
「ギ、ギクっ!」
こいつも童貞だったのか。人は見かけによらないってこのことね。
最後に、高橋大輝としか形容ができない高橋大輝っぽい人に、
「あなたも童貞でしょう!」
「ギギぎっく!」
私は三人の童貞を大声で周知した。一瞬でこの食堂の中にこいつらの童貞がバレた。ざまあみろ!
童貞の共通する特性は、『童貞であるということに強いコンプレックスを持つ』ということよ。
私が大声を出すことによって、童貞君たちの羞恥心を煽る。そして、
「あなたたち! 私と取引しない? 今ここで童貞を卒業させてあげる!
だからあなたたちのご飯をちょっと分けなさい!」
「い、今ここで? 今この場でってこと?」
「君頭大丈夫か?」
「っていうか君さっき『お腹減ったー』っていいながらリネン室に突っ込んだ人だよね?」
こいつ! 見てやがったな!
「わー! わー! そのことはいいから! それより私と取引に応じる?
あなたたちのお皿の上に乗っている食べかすをほんの少しだけ分けてくれるだけでいいのよ?
そうすれば恥ずかしい思いもしなくなる」
「なんかの冗談か?」
「いいえ。冗談でもなんでもないわ。本気よ」
童貞たちは唾をごくりと飲み込んだ。
童貞たちは目を泳がせて顔を火照らせ始めた。
急にそわそわしだして、周囲をキョロキョロし始めた。
田中拓実は立ち上がりストレッチのようなものを始めた。きっと照れ隠しだろう。
佐藤淳之介は顔を真っ赤にしながらネクタイを締め直す。きっと緊張しているのだろう。
高橋大輝は高橋大輝っぽい顔をして、高橋大輝っぽい動きを始めた。
きっとこいつは根っからの高橋大輝なのだろう。そうとしか言いようがない。
「ったく決断力がないわねー。これだから童貞は! チャンスはあと十秒。
これを逃したらあなたたちは永遠に童貞のままね! はーい! 残り十秒! 九秒! 八秒!」
「はいはいはーい! あげるあげる。皿ごと食っていいから!」
と、田中拓実。いや、皿は食わん。
「俺も俺も! コップごと丸呑みしていいから!」
と、佐藤淳之介。いや、コップは飲まん。
私はこいつらからどう見えているんだ?
本気で皿とかコップごとくうやばいやつだと思っているのか?
「みんながやるなら俺も! テーブルクロスごと食べていいよ!」
と、高橋大輝。だからそんなもん食わん。
「よし! ツッコミどころがあるけど、いいわ! 契約成立ね!」
やった! これで今日の晩飯確保!
「たった今、この場、この瞬間に私アリシアはあなたたち、田中拓実、佐藤淳之介、高橋大輝の童貞を奪いますっ!」
私はテーブルの上に土足で立って勝利宣言をした(真似しないでください。作者より)。
「田中拓実、佐藤淳之介、高橋大輝! 童貞卒業確定おめでとう!」
その瞬間、食堂はある六人をのぞいて大歓喜だった。
「ユーたち卒業おめでとう!」、「坊主、童貞卒業か?」、「これで大人の男の仲間入りだな!」、「これからは胸を張って歩けるぞ!」、「童貞卒業おめでとう!」、「なんかちょっとかっこよく見えるわ!」、「おめでとー! おめでとー!」
食堂がひっくり返るくらいの大反響の中、先ほど右隣にいた黒と白の翼をつけた中性的な人が私にテーブルから降りるようにジャスチャー。
「ん?」
私はテーブルから降りると、
「あなたも童貞なの?」
「いや。そうじゃなくて、俺が田中だ」
「へっ?」
私はもう一度目の前の人の姿を見た。
黒と白の二枚の堕天使っぽい翼を生やした堕天使っぽいお兄さんがいる。
間違いない。その人が、
「俺が田中拓実だ」
「えっ?」
私はこの時までとんでもない勘違いをしていたことにようやく気がついた。
そして、先ほどまで田中拓実だと思っていた人物も立ち上がる。
貧乏そうな身なりでガリガリのヒョロヒョロにシャー芯のようにやせ細ったシャー芯少年が、
「僕は、伝説の堕天使アザゼルです」
「おめーが伝説の堕天使アザゼルかよっ! どう考えても田中でしょ!
田中以外ないわ! っていうかなんで本物の田中拓実は白と黒の羽を生やしているのよ!」
先入観により勘違いされたパズルのピールは次々と埋まっていく。
次に私の目の前に現れたのは、先ほどのはげた無職っぽいおじさん。
「じゃああなたは、佐藤淳之介?」
「ええ。私が佐藤です」
私は視線を横にずらし、スーツ姿の胸板の厚いお兄さんに、
「あなたが永遠の無職(笑)さん?」
「いかにも俺が永遠の無職(笑)だ!」
「なんでスーツ着ているのよー! どこからどう見ても永遠の無職(笑)じゃないじゃん!」
信じられない。こいつ無職だったのか。
最後に私の目の前に現れたのは、当然、
「刹那のトリックスターシンジ(永遠)です!」
「高橋大輝です」
「あんたもっとトリックスターっぽい格好をしなさいよ!
あんたはなんでそんなにトリックスターっぽい格好をしているのよ!
これじゃどこからどう見てもトリックスターじゃないの!
っていうかなんでゼッケンに『シンジ』って書いてあるのよ!」
「「そんなこと言われても」」
食堂は大爆笑の渦に包まれた。それから私たちは大騒ぎした。
テーブルの上に土足で乗って、食いちらかし、飲み散らかし、散々騒いだ。
三人の童貞は“童貞を殺す剣”で奪い取った。食堂にいた全員がその様子を見て、さらに騒いだ。
中にはがっかりする人、中には大爆笑する人、中には大喜びする人。私たちは本当に楽しく騒いだ。本当に騒ぎまくった。
そして、私は宿に出禁になった。
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