何でもない日の何でもない二人

※金夜さん視点





今日は珍しく夕飯後に朗志と二人きりになった


いつもなら足早に自室に籠ってしまう朗志が今日は食卓で本を読んでいる



アタシも特に理由も無く居座って

理由もなく本を飲む朗志を眺めている



朗志と付き合って1年以上が過ぎ

アタシ達は理由が無くてもいい事に気付けるくらいには進歩したと思う


そして会話が無くとも気まずくはない

そこに居てほしいと思えばずっと居てほしい

ここに居ていいんだと思えばずっと居る


そんな関係になってきた



まぁ、かと言って話しくらいはするけどな



「なぁ」


「んー?」


「お前浮気するだろ?」


半分は冗談だけど半分は本気

実際朗志の周りにはアタシより魅力的な女がわんさか居る


アイリッシュに聖女

悪魔に…最近また1人変なの増えたし



朗志は片眉をピクリと動かしながら本を閉じた


「前提条件が引っかかるが…まぁ、するかもな」


「そこは嘘でも「しない」って言えよ」


「彼女に嘘をつけるほど器用じゃないんで」


馬鹿正直というか…馬鹿だよな


「俺も案外意志が弱いからな…常に受け身だけど押し倒されたコロっと堕ちちまうかも」


「女かお前は」


朗志も半分冗談で言っているのはわかってて

アタシはこの1年でその冗談を笑っていられる余裕が出てきた



だけど半分本気なこともわかってる

そして1年経っても彼氏の浮気宣言を許せる余裕はアタシには無かった



だから

アタシはこの気持ちを利用する術を覚えたんだ



「なぁ朗志、勝負しないか?」


「いいけど、何の勝負だ?」


「よく惚れた方が負けって言うだろ?」


「まぁ、聞いたことくらいはある」


その説で言うならアタシは負けっぱなしだ

たまにはアタシだって勝ちたい



「明日1日頑張るからアタシに惚れたらお前の負けな」


「判定は?」


「挙手制で」


「ルール曖昧過ぎるだろ…」


ルールも曖昧な稚拙な勝負だとしても朗志ちゃんと付き合ってくれる


だからアタシは調子に乗って我儘わがままも追加する



「アタシが勝ったらお前は1年間浮気すんな」


「たった1年でいいのか?」


「1年後にまた同じ事をしてアタシが勝ち続ければ結果的にそれは永遠だ」


「無限ループが怖いってやつか…」


朗志の言ってる意味はよくわからんが体よく恒例行事化することに成功した



「でもそんなこと言い出したら俺はいつも負けてるぞ」


「あ?」


「お前の飯を食うたんびに負けるだろ…たまに出掛けて手を繋ぐ時にも負けてるだろ…最近は朝おはようを言う時には既に負けてるな」


「う、うるせーよ馬鹿っ!」


そんな身近な具体例を持ち出されたら恥ずかしいわ…////


そしてそんな恥ずいことを平然と言ってのけるところが腹立つ…


くそ…これが勝負ならもう負けてるところだ

でもノーカン、今のはノーカンだから…!



「あ、そうだ」


「今度は何だよ…?」


「俺が勝ったら明日寝る前におやすみのチューするから覚悟しとけよ?」



幸先悪し

大連敗


一瞬「負けてもいいかも…」なんて考えた自分が不甲斐ない



アタシは何も言えなくなって顔を熱くしたまま部屋に戻ってきた



「そんなにニヤケてどうしたの、何か良い事でもあった?…出来れば詳細をプリーズ!」


「い…言えるかっ!」


ルリに茶化されながらもアタシの顔の緩みは取れない

結局この日、布団に入って眠るまでその熱が冷めることはなかった




次の日


アタシは朗志が店番で1日店に居ることを知っていた


だから慌てずゆっくりと朝の支度をしていたんだが…



「どうしたんですか?眉間に皺が寄ってます、悪鬼羅刹です」


「人の彼女を悪鬼羅刹呼ばわりするな」


ライチが一緒だったことを把握してなかった


ライチは朗志の膝の上でデカいぬいぐるみ状態

明らかにガードを固められてる



「…はかったな」


「瞬殺の可能性があったからな」


「殺されちゃうんですか!?」


「うるさい、お前は今日は人形なんだから喋るな」


「…風林火山です」


「そう怒るなよ」


「今の…怒りの言葉なのかよ」


パワハラ全開の朗志にどうやらライチは御機嫌斜めみたいだがアタシにはまだ通訳が無いとわからない



「お前は俺の命綱なんだから機嫌直してくれよ、今日のおやつお前だけちょっと多くしてやるからさ」


「本当ですか!?今日から私は忠実な操り人形です!自由自在です!」


ちゃちな賄賂わいろで盾がより強固になっちまった

これだからお子ちゃまは…


仕方ない…ここは大胆に攻めるしかないな



「なぁ朗志、気付いてるか?」


実はもう仕込みは済んでいる

今日はスカートをいつもより5㎝も短く詰めた


大して変わらないかもしれないけど…

これが乙女の精一杯だ


そう簡単に脚なんて見せられない

恥ずかしいだろうが…



「お前こそ気付いてんのか?」



そうだ

アタシは知っている



「今日のおはようはお前じゃなくて、お前のその丸出しのくるぶしさんに言ったんだぜ」


やっぱり朗志はどうしようもないくらいアタシの精一杯に応えてくれるんだって



「だからやたら視線が下に行ってたのか…」


墓穴を掘った

カウンターでノックアウト寸前だ


「気付いてたんなら…何か感想は?」


「感想というか…可愛い踝さんも悪くないんだが、流石にそれだけで動揺するほど俺も想像力豊かじゃないんだよな…」


「馬鹿…これ以上は健全さに欠ける」


「せめてあと15㎝…ふくらはぎさんが拝めればなー」


これが限界だっていうのに更に15㎝だと…!?


無茶苦茶言ってくれるぜ…



だが…ここで引いたら女が廃る!



アタシはスカートの裾を摘まんで膝上までたくし上げた



「大サービス…だな」


勢いとはいえなんて破廉恥ハレンチなことしてんだアタシは…

頭が沸騰しそうだ…////


それに、アタシが蒸発しちまいそうなのに朗志は少し驚いただけ

そんな薄い反応じゃアタシの勝ちとは到底言えねえじゃねーか…!



「朝っぱらから何を見せられてるんでしょうか…しかし今の私は物言わぬ人形です、生暖かい目で見守りましょう」


「随分とお喋りな人形だ」


「あ、ちなみにろうじさんの心拍数上昇中です」


「余計なこと言うなっ!」


密着しているライチには朗志の心音が聞こえるらしい

とにかく、それは有難い状況報告だった


アタシが羞恥心しゅうちしん捨ててるのに朗志に何のダメージも与えられて無かったらショックで立ち直れなかったとこだ



「でもあれだな…とても興奮すんだけど……らしくないな」


「何だよ…アタシがここまでしてるのにまだ何か文句あんのかよ…?」


「いや、文句は無いし、俺のために頑張ってくれてんのは有難いんだけど…そもそも色仕掛けはお前らしくない」


朗志はライチを膝の上から降ろすと立ち上がってアタシの両手首を掴んだ



「俺はお前らしくない花に惚れるつもりはない、無理はすんな」


「む…無茶させたのはお前だろうが……」


アタシを想ってくれている朗志の真剣な顔を見て心臓が騒ぎ出す


「ありがと…そんでごめんな」


アタシが諦めてスカートの裾を放したところで一本目の勝負は終了

初戦は照れながら謝る朗志に完全敗北した



「ま、その内もっと凄いもん拝ませてもらうんだけどな」


「お前は…一言余計なんだよっ!」


折角潔く敗けを認めてたのに最後の一言で全てが台無し

キツい下ネタへの罰を下す


アタシは朗志の横っ面に回し蹴りを入れた


「へぶっ!!」


クリーンヒットでぶっ飛んだ朗志の顔をライチが覗き込む


「大丈夫ですか?…今のは恐らくろうじさんが悪いんですよね?」


「その通りだが…悔いは無い!」


「なぜですか…?」


「白だった…!!」


成立してない会話の中で親指を立てる朗志

アタシは慌ててスカートを抑えながら朗志の腹を踏みつけた


「ごぶっ!!」


「忘れろ馬鹿っ!」


「救いようがありませんね…」


森の神秘、エルフの本気の軽蔑の眼差しに免じてこれ以上の追撃はやめてやる



そしてアタシはまともに朗志の顔が見れなくなって逃げるように部屋に戻ってきた


次の勝負はお昼

それまでに何とか落ち着いてコンディションを立て直さないと勝負どころじゃなくなっちまう…



今日は三人だけだから朗志には昼食は全員分アタシが作ると事前に言ってある


いつも二人並んで料理してるけど今日はアタシ1人

朗志はアタシのエプロン姿を食卓から見ることになるだろう



こんな事は初めてだけど、アタシが1人で飯を作る事に関して朗志は何も心配してない

この1年、朗志に飯を作り続けてきたアタシの腕前は見違えるほど上達した


少なくともここ半年は朗志も血反吐を吐かなかったし普通に「美味い」と言ってくれている


大丈夫…アタシなら出来る!



と、1人で気合いを入れつつアタシは朗志に貰ったレシピ本をしっかりと読み返した



ーーーー




「彼女のエプロン姿を後ろから眺める日がくるとは…俺は今日死んでもいいかもしれない」


「大袈裟だな」


台所に立つアタシに朗志は幸せを噛み締めながら言う

大袈裟とは口で言いつつ、アタシも喜んでもらえて嬉しかった



「それにしても…」


アタシは定位置に戻ってるライチに視線を落とす


「本当に一日中膝の上に乗っけてるのかよ」


「当たり前だろうが、こちとら思春期真っ盛りだぞ…ライチが居なけりゃもう三回はお前を押し倒してたところだ」


案外重要な役割を果たしてた



「…………やれるもんならやってみろ馬鹿野郎」


アタシは聞こえるかどうかの小声で煽ってみる


聞こえてないならそれでいいし

聞こえてたなら朗志がどう出るのか気になる



「ライチ、少しどいていなさい」


「どうしたんですか?」


「俺は自分で煽っといて顔を真っ赤にしてるあの女を襲いに行かなければならない」


まるで魔王でも倒しに行くような精悍さにアタシはドギマギしてしまう


だけど流石に朗志が自分で設けたセーフティ、ライチのガードは堅かった



「何を言ってるかよくわからないですが襲うのはダメです」


両手を拡げて朗志の前に立ち塞がるライチ


そんなライチの肩に手を置くと朗志の顔に憂いが帯びた



「いいかいライチ、男にはやらねばならない時があるんだ」


なんか格好良さげに言ってるけどそれは多分今じゃないぞ…?



「やかましいです、とっとと座ってください…私にはご褒美の三倍アイスクリームが待ってるんです」


然り気無く報酬が吊り上がってる気はするが効果は絶大

子供に手厳しく一蹴された朗志は意気消沈し、すっかり凹んで座り直した


こいつ、見事に役目を果たしやがった…!



アタシとしては…ちょっとだけ残念だけどな



「二人とも今日はやけにテンション高いです、ここはボケとツッコミが逆転してしまった世界ですか?」


「今日はそういう日なんだよ」


「仕方ありません…アイスクリームのために甘んじて受け入れましょう」


アタシの貞操、アイスクリームにかかってのんか

…なんか複雑な気分だ


ともあれなかなか面白いもんを見れてアタシも機嫌が良い


今日はとびきり美味い飯を作れそうだ



「オムライスか」


察しのいい朗志が並べた食材を見てメニューを言い当てる


「オムライス大好きです!」


「きっと俺のには特大のハートが乗っかってるぜ?」


おい止めろ、そこまで先読みされるとやりづらいだろうが…


でも今更計画を変更は出来ないし

お望み通りケチャップで描くハートはデカくしてやろう



「私もハート欲しいです!」


「ダメだ!これは俺だけの特権なんだよ!」


朗志の主張は喜ばしいけどライチ相手に大人気ない

…というかそれはアタシ次第だろ


「ライチにはでっかい星を描いてやるよ」


「本当ですか!?じゃあ一番星でお願いします!!」


え、そんなん描き分けれんの…?

普通にペンで描いても難しそうなのに、それをケチャップでやれって……難易度高ぁ


とりあえずアタシは適当に頷きながら手際よく3人分のオムライスを完成させた



「ほれ、今日も特大の愛情を注いでやったぞ、有り難く食え」


「俺ぁこのハートマークを見てるだけで胸がいっぱいだ、ごちそうさま」


「いいから食え」


「…はい」


そう何度も何度もいちいち頬を染めてやらない

それにこっ恥ずかしい台詞の割りに平然としてるのも気に食わない


朗志が余裕なのにアタシだけ取り乱すなんて恰(あたか)も負けたみてえじゃねーか…



朗志はアタシが描いたハートを崩さないように一口目を口に入れる


それだと味が薄いんじゃないかと思ったがアタシの心配を他所に今日も今日とて美味そうに頬張っていた



「メキメキだ、メキメキだぜおい」


「…擬音だけで説明すんなよ」


「あぶねー…美味過ぎてオノマトペしか喋れなくなってたわ」


「おう、じゃあオノマトペに残業代払ってやれ」


彼氏の言語能力をいちじるしく下げちまった

そんだけ美味く思ってくれてるなら別にいいんだけど…

飯食って「メキメキ」ってなんだよ

骨が軋む時の音じゃねーか



「まぁ冗談抜きで料理の腕前メキメキ上がってんよな」


「メキメキってそういうことかよ」


「他に何の意味が有んだよ?」


「いや…別に」


朗志はハートケチャップの真ん中を掬い取るとアタシの顔の前にスプーンを持ってきた



「ほれ、俺のハートのど真ん中だ、やるよ」



こんなに急に大振りの一撃をカマしてくるとは思わなかった…



だってこれ…


間接キスじゃ…////


ついでにこれって所謂「あーん」ってやつじゃねーか…!?

恋人同士の代名詞!!


返しの一手でこれ程重い反撃をしてくるなんて…

アタシの彼氏は侮れねーぜ



「食わねーのか?心配しなくても今日もちゃんと美味いぞ?」


「いや…だって……そんな…急に…」


アタシが動揺を隠し切れずにいると朗志はしたり顔で微笑んだ



「夜までに抵抗力を下げておかないといけないからな」


「…っ!?」


本気だった

朗志の目はまさに獲物を狩るハンターのそれ


本気で勝つ気でいて

そんで本気で…アタシの…



「★○◆▲※♯~っ!?」


「んぐっ!?」


取り乱したアタシは声にならない奇声を発しながら自分のオムライスを朗志の口の中に何度も突っ込んだ


オムライスが半分以上朗志の口の中に収まった辺りで我を取り戻したアタシはハムスターみたいに膨らんだ朗志の頬をつつく



「悪ぃ…」


そんな状態でもちゃんと咀嚼して味わって食べる朗志は喉をゴクリと大きく鳴らした


「俺ももう一年もお前の彼氏やってんだ、このくらいの照れ隠し朝飯前よ」


「今は昼飯だけどな」


ややこしい事を言うので揚げ足を取ってみると朗志はまた意地悪な顔で笑う


「随分余裕だな、じゃあお返しだ」


「んっ!?」



完全に油断した

熱が下がりきらない内、隙だらけの口にスプーンを入れられた


「ほら、ちゃんと噛まないと喉に詰まるぞ」


言われるがまま、そして朗志の口に一回入ったスプーンを咥えたまま、アタシはオムライスを咀嚼する



緊張するアタシを朗志はただ満足そうに見ていた


味なんて確認する余裕もなくて

緊張と視線に噎せてしまわないようにだけ注意してオムライスを呑み込む



「な、美味かったろ?」


「味なんて…わかんねーよ」


先に視線を反らしながら敗北を実感しているとアタシの頭に朗志の手が乗る



「可愛すぎて頭を撫でたくなったんだけど俺の負け?」


「ひ…引き分けだ…馬鹿」


アタシは頭をワシャワシャと撫でられながら精一杯の強がりを吐く


でもアタシが犬だったらきっと思いっきり尻尾を振ってるだろう


全身の細胞が騒ぎ出すほど嬉しいんだけど

それがなんだか…ほんのちょっとだけ悔しかった




ーーーーー



結局アタシは朗志に致命的な一撃を与えられないまま最終ラウンドにもつれ込む


最後は晩飯の後

敵地に単身乗り込んで行われる



無事に報酬おやつを受け取ったライチももう朗志に纏わり付いてないし、本当の本当に一対一サシの対決




「なぁ朗志」


アタシは晩飯の後の洗い物をする朗志の袖を摘まんで聞く


「このあと部屋行っていいか…?」


朗志は一瞬驚いた顔をすると少しのあいだ悩まし気に何か考えていた



「夜這い?」


「そっちの方がいいか?」


防御を捨てたアタシのカウンターが今日初めて決まった


あたふたする朗志は手に持った皿を放すが床に落ちる前に慌ててキャッチする



「そんな…覚悟を決めた顔しなさんなよ」


アタシはもう真っ直ぐに朗志を見れる


「別にそんな畏まってねーよ、アタシはただこれをやってやろうと思っただけだ」


そう言ってアタシは手に持った耳掻きを朗志に見せ付けた


再会初日、というか付き合った初日にしてもらった耳掻きを今度はアタシが朗志にしてやる


もちろん膝枕でだ



「いやいいよ…自分で出来るし」


「………」


アタシは無言で朗志の手の甲をつねる


「地味に痛いやつ!?」


「お前に拒否権は無い」


「そうか…無いのか、拒否権」


朗志はうだうだ茶番を入れたがるけど今はそんな気分じゃない

二人で洗い物を終わらせてアタシは朗志を強制連行した



ベッドに腰かけるアタシに朗志は右手を伸ばしかけるが直ぐにその手を左手で制す


こいつは1人で何と戦ってんだ…?


「…そう易々と男のベッドに腰かけるのはよくないと思います」


「どうせそんな度胸も無いだろうが」


「わーお…そりゃ心外だ」


この1年、何度もそのチャンスは有ったのに手を出さないってことはそういうことだろ


まぁアタシも人のこと言えないけど…



「いいから寝ろ、ヘタれ」


「一言多いなぁ…まぁ寝るけど」


アタシが自分の太股を二回叩いて招き入れると朗志はすんなりとその上に頭を乗せた


「そういえば誰かの耳掃除なんてしたことねーや」


「大丈夫、鼓膜までなら許す」


「それ大丈夫じゃないだろ…」


彼氏の許容が海より広い…

からと言って鼓膜をブレイクする気は更々無い



「いざ参る」


「え、それ耳掻き始める時の台詞じゃない…怖い」


気合いの入れ方を間違えたがそんなのお構い無しに耳掻きを耳に突っ込んだ


「おう、やべえやべえ…一撃目から城門突破されそうな勢いだこれ」


「少し強いか?」


「いや…強いとか弱いとか、そんな次元の話じゃねーって……鼓膜にダイレクトアタックなんだよ…」


「バーサーカーソウル使っていい?」


「使うな馬鹿、鼓膜のライフはとっくに0だ」


耳掻きの先端を見たら薄く血がついていた


どうやらアタシは耳掻きが致命的に下手らしい

…人の耳って難しいな



耳掻きは潔く諦めてただの膝枕になったから手持ち無沙汰なアタシは朗志の髪をいじくり始めた


「この髪も…全部アタシの?」


「急にヤンデレみたいなこと言うなよ、そして違う」


「病んでねーよ…ただ」


そうだったらいいなって

思っただけだ


朗志の全部がアタシのものだったら…


きっと幸せだ


こんなに不安になったりしないし

焦ったりもしない


全部が上手くいって

丸く収まって


最後は絶対ハッピーエンド




でもそれは違う



心も体も

手も足も頭も髪も


アタシのものなんて何一つ無い



何でもいい

たった1つだけでもいい



一瞬だっていいから…


アタシを安心させて




「そんな切ない顔されたら我慢出来なくなっちまうだろ」


「いいよしなくて…我慢」



朗志の伸ばした手がアタシの頬をつまむ


「いいやするよ、我慢…だってお前が一番大事なんだから、大事なもんは大事に扱うよ」


「ほんほ(本当)に一番…?」


「大事なのは、な」



こんな時でも朗志は嘘をついてくれない


一番でも…大事にされるだけじゃ意味なんて無いじゃねえか



「じゃあ…誰が一番「好き」なんだ…?」


「…………」


つまんだ頬を撫でながら

今度は朗志が切なそうな顔をする


アタシの目を見つめながら、誰の事を考えてるんだ…?


アイリッシュか…?

デイジーか…?

ダキンシューか…?

武器屋の娘か…?


それとも結城か…?



聞くのは怖いのに

どうしても聞かずにはいられなかった




「こっちに来てから1人抱いた女がいる…たった一回、たった一晩の関係で、もう会うこともないのに…そいつがいつまでも俺の頭から居なくなってくれねぇ…」



アタシの知らない誰かはそんな短い時間で朗志に消えない爪痕を残したのか…


少し悔しくて…そして悲しい



「なに素直に話してんだよ…それなら無様に言い訳がましく隠蔽いんぺいされた方が1億倍マシだった」


「最低だろ…別れるなら今の内だぞ?」


「嫌だ…別れるくらいならその女の記憶が失くなるまでお前をぶん殴る」


「お前がそうしたいなら俺は別に構わない」



虫も殺せないような力で1度だけ朗志の頭に拳骨を当てるとアタシは深い溜め息を吐く



「アタシはそいつの代わりなのか…?」


それだけは嫌だ

耐えられない


アタシは誰かの代用品になんかなりたくない



「そんな訳ねーだろ、お前はお前だよ」


「じゃあ今はそれで我慢してやる」



正直もう泣きそうだったから

最後に言ってほしかった言葉だけ聞いてとっとと撤退


「…もう寝る」


アタシは朗志を強引に退かして俯きながら立ち上がる


「ちょっと待てよ」


そのまま部屋を出ようとすると朗志に腕を掴まれた


止めてくれよ…見られたくない顔になっちまってんだ



「俺の勝ち?」


そんなのもうどうだっていい

好きなだけ譲ってやるから…早くアタシを逃がしてくれ


今はただ布団にくるまって溜まった悲しみを全部吐き出したい



「いいよもう…お前の勝ちだよ……だから」


「だから放せ」と言おうとしたら、首に腕を回され力強く引き寄せられた



「そうか、じゃあおやすみ」



ぐしゃぐしゃに泣いてるアタシの唇に朗志の唇が当たる


それは触れるような短くて軽いキスだった







ダメ



そんなんじゃ全然足りない






「俺の負けだよ」



朗志は呟くような敗北宣言をするとアタシの物足りなさを察したかのように唇を重ねてくる


深くて濃くて

そして涙で少しだけしょっぱい



長かったような気もするし

短かった気もする


どっちにしろ、アタシの涙を止めるには充分な時間だった




「…ズルい」


「ズルくねえよ、最初から言ってあったろ」


「違ぇよバカ…」


「じゃあ何がズルいんだよ?」



「アタシの気持ちを賽子さいころみたいにコロコロ変えやがって…それがズルいんだよ」



怒ったり悲しんだりドキドキしたり


アタシはまるで朗志の掌の上で転がされている賽子のようだ



「ちなみに今の出目はなんすか?」


「今は…凄い幸せな気持ちだ……言わすなバカ」



恥ずかしがるアタシを見て、朗志は清々しい笑顔で笑った



「俺もだ」



一番最初も朗志は同じような顔で笑ってて

アタシの心の中でその時と同じ音がした





やっぱりアタシの負けだった




結局また負けちまったけど…

あの時みたいに負けちまったけど


あの時とは違うこともある




今のアタシは自分の気持ちを利用出来すなおにつたえられ



負け惜しみに不意打ちの3回目



「バーカ」



チクチクとムズ痒(かゆ)い心

人生初の負け逃げをしながら溢れる笑みを噛み殺そうとするけど…どうにも殺し切れない




親友ルリの質問攻めは確定だ


…こんな顔じゃ言い逃れも出来ないなぁ



仕方がない…



今日は黙秘権でも使うか




.





《後書き》




後日、ルリに問い質されたのはアタシじゃなく朗志の方だった


食卓の上にエメラルドのような緑色で半透明な石を6つ置いたルリはいつになく興奮気味



「ちょっと加賀くん!何で私が家中に仕掛けた録音石が全部強制停止してるのかな!?」


「藤堂…俺は何でお前に怒られてるのか分からんぞ」


「私の唯一の楽しみを奪ったからだよ!!」



ルリは威風堂々言い切るけど…それって…



「藤堂…盗聴は立派な犯罪だ」


「今はそんなのどうでもいいよ!」


いや…よくないだろ



「百歩譲って盗聴未遂は許そう」


え…許すのかよ?

…アタシはあんなの聞かれてたら恥ずか死してたぞ



「しかしお前があんな刺激的な音声を入手して平気でいられる訳がない…俺はお前の身体が心配だ」


「え、それって…そんな、まさか1日でそこまで行ってたって言うの!?」


たぶんルリは何か大きな勘違いをしている

これは正しておかないといけない



「ち、違うからな!?ルリが思ってるような事はしてないから!」


「くっ…禁断に足を踏み入れられなかった事が尚更悔やまれる!」


あ、もう自分の世界に入ってるわ

聞く耳持って無ぇ



「せ…せめて花ちゃんがどんな声でさえずってたかだけでも教えておくれよ…加賀くん」


「切なくて、可愛い声で鳴いてたぞ」


「お前は誤解されるような事を即答すんな!!」



アタシは朗志の頭に拳骨を入れつつ、泣きながら白米を用意するルリの茶碗を取り上げた


「あ…今の話だけでも3杯はかたいのに…」




厄介事が増える今日この頃



アタシはルリが呟いた「次は映像も残しておきたいな…」という言葉に鳥肌が止められなかった




.

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