第5話

「杉本ちひろです、初めまして。」

「こちらこそ初めまして、芙美子です。」

 ちひろにつられて芙美子も頭を下げる。そして二人は同時に頭をあげた。

 ちひろはすらりとした長身で、細いストライプシャツの長袖をめくり、洗いざらしなのか色があせたジーンズをはいている。芙美子が想像していたより、はるかに若い男の姿がそこにあった。

 まだ三十ちょっと過ぎなんじゃないの?

 芙美子の心を見透かしたのか、口元を結んだまま、ちひろは薄く笑った。濁りのない、まっすぐな瞳をしている。その瞳が芙美子を眩しそうに見つめていた。

「若くてびっくりしたでしょう。」

 二人の間を割り込んで、奈美恵の朗らかな声。ちひろの視線が芙美子から隣の奈美恵に移る。

「いきなり押しかけてしまって、すみません。」

「そんな事気にしないでよ。」

 ちひろと奈美恵の馴れ合いの空気。嫌悪感なのか疎外感なのか、芙美子は息苦しさを感じた。

「お夕飯、皆でいかがでしょう。」

 奈美恵の大声に、芙美子ははっと我に返った。ちひろが控えめに芙美子を見ている。申し訳なさそうな、それでいて慈愛のこもった眼差しだった。

「二人とも早くいらっしゃい、お料理がさめちゃうわよ。」

 奈美恵にさかされ、ちひろと芙美子は慌てて食卓に向かった。よほど掃除をしたのか家の中はどこもきれいに片付いている。居間のテーブルには花まで飾られていた。

「この人こういうのが好きなのよ、子供みたいでしょう。」

 ビーフシチューにサラダにライス、食前酒の赤ワインまで用意されている。奈美恵は料理を一通り見渡すと、さも満足げに微笑んだ。乾杯したあとは、シャツ汚さないでとかナプキン取りましょうかとか言って、ちひろの世話をやたらとやきたがる。彼は気恥ずかしそうな表情をして黙々と食事をした。

 芙美子は不思議な思いで二人の様子を見つめていた。奈美恵とちひろは世話好きな姉とはにかみ屋の弟のようだ。途中、彼は食事の手を休めて重い口をやっと開いた。

「芙美子さんは奈美恵さんと雰囲気が違いますね、顔立ちはどことなく似ているけど。」

 この子は父親似だから、と横から奈美恵が口をはさむ。ちひろは続けた。

「奈美恵さんが天真爛漫な人だから、僕はてっきり娘さんも同じようなタイプだとばかり。正直言って、もっと子供っぽい人を想像していました。」

「それは私も同じです。こんな若い人が母と、なんて想像もしませんでした。」

 芙美子の言葉にちひろは肯き、互いに顔を見合わせて声を出して笑った。それからは自然に打ち解け、いろいろな話をした。ちひろは山梨県の出身で実家には両親と兄夫婦が住んでいること。カメラマンといってもフリーだから仕事は不規則なこと。そういった話の継ぎ目に、奈美恵はいといとフォローする。

「ちひろさんは次男だから、まあ何といっても自由でしょう。」

「収入は不安定でも好きなことをやっているんだから立派なものよ。」

 その言い方がわざとらしく、芙美子は吹き出しそうになった。

 奈美恵の無神経ともいえる鈍感さは気がかりだが、ちひろは繊細な反面ひょうひょうとした男にも見える。奈美恵の欠点も片目をつぶって見逃してくれそうだ。話をしているうちに、だんだん二人の交際に前向きな気持ちになっていた。

 夕食後はたわいもない会話を三人で楽しんだ。初対面なのになぜか自然にいられた。

 別れ際は玄関の外まで見送って、母の事これからもよろしくお願いしますと、芙美子は右手を差し出した。ぎこちない笑みを浮かべて、ちひろは彼女と握手した。奈美恵は、二人ともすっかりなかよくなっちゃってと嬉しそうだった。

 何だかうまくいきそうな気がする、星がきれいな夜だった。

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