第24話 婚礼の話

「愛麗」

愁陽は彼女の名を呼んだ。

彼は、彼女の大きく潤んだ黒い瞳をまっすぐに見る。

「実は、今日は聞きたいことがあって」

真剣な面持ちの愁陽に、嫌な胸騒ぎを覚える。

「なに?」

「結婚…するって、本当なのか?」


彼女はほんの少しだけ息をのんだ。

春の風がさわっと二人の間を吹き抜けて、愁陽の薄水色の衣と愛麗の薄桃色の衣の裾が風にひらりと揺れて重なり合う。

遅かれ早かれ、いつか結婚のことは聞かれるのだろうと覚悟はしていた。

彼にも報告しなければならない。それはわかっていたことだ。

だから、用意していた答えを告げる。


「本当よ」

愁陽が少し感情的に身を乗り出して訊く。

「どうして!?」

「もう決まったことだから」

「決まったって、誰と!」


相手は翠蘭からなんとなくは聞いてわかっているが、愛麗の口から相手のことをどう思っているのか聞きたい。


「いい人よ……きっと。顔は知らないの、お父様が決めたことだから」

愁陽は言葉を失った。顔を知らないだって?

貴族には相手のことを知らず結婚するなんて、よくある話かもしれないが。

愛麗が顔も知らずに結婚するのか?


「なんだよ、それ。知らないって」

「…………」

「相手は十歳以上も年の離れてるって、聞いたけど」

「十くらい大したことないわ」


また姫君らしい作り笑いで答える愛麗に、愁陽は軽い苛立ちを覚えた。

「愛麗は、キミだけは違うと思っていた。自分の選んだ相手と、進むべき道は自分で選ぶと思ってた」

「……仕方ないわ、本当は姉さんが幼い頃、家同士が決めた縁談なの。でも、姉さん死んじゃったから」

「だから変わりだっていうのか?」


なぜだか愁陽は悔しかった。こんなの愛麗じゃない。

愛麗も決めていたはずの答えなのに、愁陽に問い詰められると迷いが生じて視線が彷徨う。


「だって……」


戸惑う愛麗の肩を愁陽は掴み、彼女の眼を覗き込んでハッキリと言った。


「キミは姉さんじゃない!誰でもない!愛麗だ」


至近距離で愁陽の蒼い瞳に射抜かれるようにまっすぐに見つめられ、愛麗は言葉を失う。心が大きく揺れ動くのを感じた。

「私……?」

うまく呼吸が出来ない。


『そう、ワタシは愛麗。姉さんじゃない』

ふいに何の前触れもなく、いきなり女の低くよく響く声が聞こえてきた。

愛麗は、声のしたほう、少し離れた屋敷のきざはしの下を見た。


そこには白い裾の長い衣を纏い、髪は黒く長く背に垂らし、青白い顔に少しつり上がった眼と真っ赤な唇がはっきりとわかる女の姿があった。どこかで見覚えのあるような、知らない女の顔だ。


「……な、にを……言って、るの」

口の中が乾くのと底知れない恐怖を感じて、うまく言葉を紡げない。

愛麗は心臓を鷲掴みにされたような気がした。


『もう、姉さんのかわりなんて、うんざりだわ』

女がそんなことを言う。


「愛麗?どうした?」

愁陽も再び愛麗の異変を見て、心配して彼女を覗き込む。そして、彼女の視線を辿り階の下を見る。

「そこに誰かいるのか?」

『彼には、見えない』

白い衣の女は悠然とそこに立っている。


「あなたは……」


『ワタシは、あなた』


愛麗は目を瞠った。。どこか見覚えがあると感じたのは、自分だからというのか。

女から感じられるのは、恐ろしいほどの禍々しい気だというのに。


「……私は、あなたじゃない」

恐怖でうまく息が出来ない。


『ワタシはあなたの中にいる、もう一人のあなた』

女は真っ赤な口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「どういうこと……」


「愛麗、さっきから何を言っている?」

愁陽が困惑げに愛麗を見ている。

「愁陽、何も聞こえないの?」

「聞こえるって、なにが?」


愛麗は助けを求めるように、愁陽を見上げその両腕を掴んだ

「愁陽には見えないの?あそこに立っている女がっ……」

「女って、どこに……」


愛麗は愕然として、一歩後退った。

「私だから、見えるっていうの……」

『フフフ……そういうこと。ワタシはあなた自身なのだから!』


愛麗自身だという女は、愉快そうに高笑いをした。


「わからない……私、は……」

苦しくて息ができない。愛麗は喉元を震える手で押さえる。

意識しないとうまく呼吸が出来ない。

『あなたこそ、誰?』

「私は、誰?」

「愛麗!」


愁陽の名を呼ぶ声に意識は引き戻された。

ガラスが割れるように何かが弾ける感じがして、呼吸がふつうに戻っていく。

恐る恐る見た階に、もう影の姿は跡形もなかった。

愁陽が触れる腕から彼の温もりを感じる。

けれど、いつでも黒い恐怖が足元から這い上がってくるようだ


思わず膝から力が抜けて後ろに倒れそうになるのを、愁陽が抱きとめて支えてくれた。恐怖で小さく震える愛麗の身体を、愁陽は優しく抱き締める。


「愁陽、助けて、私……っ、私は……」

「大丈夫だよ、愛麗。俺が側にいるから」

耳元に響く彼の優しい声が彼女を安心させた。

このまま愁陽の腕の中にいれば黒い影も消え去り、安全のような気がした。


ふと、彼の衣から香を焚いた匂いがして、ふと自分が彼に抱き締められてることに我に返った。

愛麗は慌てて、愁陽の腕の中から身体を起こすと早口に言った。

「ごご、ごめんなさいっ!私、どうかしてるわ!ちょっと疲れてるみたい」

「あ、……いや……」


「今日は、もう失礼するわ!」

踵を返し愛麗がその場を走り去ろうとした。その瞬間、咄嗟に愁陽は彼女の右手首を掴んでいた。

「待って!」

「っ、」

愁陽は掴んだ手をそのまま引き寄せ、愛麗を腕の中に抱きしめた。そして、耳元で言った。

「俺では、ダメなのか?」

「え」

「愛麗の側にいるのは、俺ではダメか?」

そう言って抱きしめる腕に力を込めてぎゅうっと彼女を抱きしめる。彼女の髪に頬を埋めて言う。

「愛麗、俺がキミを守るよ、約束する」


愛麗もそのまま手を彼の背に回しかけた。このまま彼の傍にいたい。

けれど、それは自分には許されない。

両方の手で彼の胸を押しのけると、ごめんなさい、と一言残して走り去ってしまった。

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