第119話・『MIA』レイネス・フォーミュラ⑤
アクセルを踏み込む。死にかけのV型八気筒の心臓が激しく脈打ち、崩れかけのクランクシャフトから伝わる息も絶え絶えの振動がレインの身体を揺らした。
タウルスが加速し、力づくで回したハンドルで進路を左へ修正する。切り立った岩、ジャンプ台への侵入コースは適正だ。
「一日の内に三回も崖から飛ぶことになるとはな」
レインは自虐的な笑みを浮かべ、回らないハンドルから右手を放し、車内のセンタートンネル上のレバーに手を掛けた。
タウルスの後ろに連なる追跡部隊が、レインが何をしでかそうとしているのか見当を付いたらしい。屋根に迫り出した機関銃手が容赦なくレインに銃弾を浴びせながら、怒り狂ったディーゼルサウンドを響かせてタウルスへ突進する。
「……惜しかったな」
レインはチラリと後ろを見やる。背後、クゥエルの装甲車のフロントフェイスがはっきりと確認でき、熱ダレを起こしかけている機関銃の銃身が真っ赤に発光しているのが見えた。
彼はレバーを一気に後ろまで引いた。ジェットエンジンのターボファンが回転を始め、ノズルからアフターバーナーが噴き上がる。強烈な加速力がレインの身体を襲った。
追跡部隊が途端に急制動を駆け、崖から落ちまいとタイヤ痕を地面に切りつけて停車する。
タウルスは更に加速し、ファンの皆を後ろに残したまま切り立った岩を駆け上がる。
アパッチは眼下の装甲車に夢中で、飛び掛かって来る猛牛に気が付いていない。
「よう、俺を覚えてるか!?」
空へ車体が浮き上がる直前、レインは腹に力を入れ、精一杯虚勢を張った大声を上げる。タイヤが地面を離れ、ジェット噴射に押される車体が重量二トンの超大型ミサイルと化し、アパッチのテールローター目掛けて一直線に飛び上がった。
レインは肺全体に空気を吸い込み、衝突に備えて反射的に身体を強張らせる。が、百キロを優に超える速度の二トンの鉄塊と、五トンの空の要塞との衝突だ。
軽く、やわな人体など一溜まりも無いだろう。
レインはふと、耳に届いた別のジェットエンジンの音へ目を向ける。
青紫色の機体。黄色い右目と青い左目のオッドアイが見開かれ、何か叫びながらレインの方へ右手を伸ばすナギの姿が見えた。
レインの身体からハッと力が抜ける。その時、タウルスのジェットエンジンから片側が脱落し、もう片方のボルトでぶら下がっていた部品が突如火花を上げた。
ターボファンがら漏れ出した航空燃料がそこに引火し、空中で爆発を起こす。タウルスの車体がグルンと右へ回転し、レインの身体を固定していた四点式のシートベルト、その根元が衝撃で破損し、自由になった彼の身体が空中へ投げ出された。
レインは空中を飛ぶアパッチのすぐ下側へ放り投げられ、そのまま海へ真っ逆さまに落ちた。海面へ叩きつけられる寸前、タウルスが炎を尻尾を伸ばしながら、アパッチへ突っ込んでいくのが見えた。
やった、とレインは叫んだ。否、彼は叫んだつもりだった。しかし、現実で彼は一言も発していない。彼の身体は高所から海面に叩きつけられ、その際の痛みは河川を三つ挟んだ先の火事の様に、完全な他人事の様に感じられた。
力なく開いた口へ海水が容赦なく流れ込んでくる。鼻も塞がれ、海面へ上がろうともがくが、四肢がピクリとも動かせなかった。
(あぁ、死ぬのか)
レインは悟った。段々と視界が狭まっていき、身体が海原の底へ見えない手で引かれているかのように沈んでいく。その手に抵抗する気力も、体力も、今の彼には残っていなかった。
閉じかけた瞼の向こうで、海面が揺れる。誰かが海へ飛び込んだのだろうか。その答えを確かめる事すら、今のレインには煩わしい。
ごめんな、ナギ。
一言、レインは海の底で呟く。声は泡に吸われ、彼の中の最後の空気がそれとなって海面へ揺れ浮かんで行った。
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