第76話・新生活⑦

 ドレンボルトを外し、トレーに廃油を流す。手にかかったオイルにクリーナーを吹き付けてウエスで拭う。


「おう、来てたのか」


 その時、店の外から野太い声が掛かった。レインは声の方へ顔を向ける。

 

 視線の先に、頭を丸刈りにした偉丈夫が立っていた。冬が近いはずなのに日焼けした肌が浅黒く、目力は強いが、何を考えているのか読みずらい表情を浮かべている。


「あぁ、何処行ってたんだ?」


 レインが親し気に言うと、その偉丈夫は腕に抱えた紙袋をレインに見せつけて言った。


「買出し。そろそろ昼飯だからな」

「そんな時間か?」


 時計に目をやりながら、レインは言う。


「早めに準備しておくんだ」

「あぁ、そう」


 偉丈夫が言い、レインも返す。


「そう言えば、アンジェは何処行った?」

「オイルを汲みに。働き者だな、あの子」

「頑張り過ぎるのは良くない、といつも言ってるんだがな。俺を手伝ってくれて、昨日いざ寝たのは十時頃だ」

「……まだ慣れてないんだろう」


 レインは言い、廃油が揺れるトレーの中に落としたドレンボルトをつまみ上げる。それにクリーナーを吹き付けて、ウエスで拭いた。


「フォーミュラさん、オイル入れてきましたよ……あっ!」


 店の奥から戻って来たアンジェが、シャッターの近くに立っていた偉丈夫を見て声を上げる。


「お帰りなさい。ガストンさん」

「……あぁ」


 偉丈夫、ガストンが小さく返す。アンジェが彼の腕に抱えられた袋を見て、言った。


「重そうですね。私、貰います」

 

 そう言いながら、彼女は腕をガストンの方へ突き出す。


「あ、あぁ」


 ガストンは歯切れの悪い返事をしながら、気まずく泳ぐ目をレインの方へ向ける。レインが、どうしろと? と言うような意味を込めて肩を竦めると、ガストンは諦めた様に荷物を渡した。


 紙袋を腰で抱え、アンジェはふらつきながら再び店の奥へ消えて行く。


「なぁ、レイン」

「何だよ?」


 ガストンがバツの悪そうに頭を掻きながら、レインに言う。レインはバイクの整備を続けながら、適当に答えた。


「どうやったら、あの子の父親になれるんだ?」

「知らねぇよ。俺に父親は居なかったし、父親だった事も無い」


 ガストンが肩を落としながら、弱弱しく言った。


「分からないんだ。孤児との接し方が」

「俺だって分からん」


 レインは淡々と言う。アンジェが持ってきたオイルジョッキの隣にあった、ドレンパッキンを交換し、ドレンボルトをオイルパンに手締めしていく。


「そうか、悪いな」

「何で謝るさ?」

「いや、孤児だった奴に聞けば、何か分かるかと思ったんだが……。何か、失礼じゃないか? そういうのは」

「別に気にしちゃいない……っと?」


 ドレンボルトが手締めで止まり、レインは近くにあった眼鏡レンチを手に取る。

 

 その時、ガストンが壁に掛かっていた短いレンチを手に取って、言った。


「レイン」

「うん?」


 返事を返したレインに、彼はレンチを放る。レインはそれを、開いていた左手で受け取った。


「長いレンチだと、ボルトを舐める事がある。そっちを使え」

「そうか、サンキュー」


 レインはボルトを締め、バイクのオイルキャップを開いた。


「……なぁ、レイン」

「今度は何だ?」


 ガストンは目を落とし、言う。


「カレーを作りたい」

「うん?」

「好物なんだ……アンジェの」

「そりゃいいな」

「ただ……」


 変なタイミングで言い淀んだガストンに対し、レインはオイルジョッキを手に取りながら言う。


「作り方が分からない、って訳か」

「……あぁ」


 ガストンが不甲斐なさそうに顔を歪め、言った。


 レインは小さく笑い、言う。


「分かった、手伝うよ」


 

 

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