第73話・新生活④
「しかし不用心だな」
基地内の駐車場にウルスを停めながら、レインはぼやく。助手席のナギが丁度良く目を覚まし、目を擦りながら言った。
「何が?」
「この基地。俺はガルタ国民じゃないんだが」
フロントガラスの先に広がる無機質な光景を眺めながら、レインは言った。眼前に建っている航空機格納庫の壁面には、ガルタ公国の国旗が描かれている。今しがたウルスの前を横切って行った軍用トラックは、当然、レインの母国、リーザで採用されている物では無い。
何より、基地をゆく誰もが馴染みの無い制服に身を包んでいるその光景が、レインにはとても新鮮に思えた。ここの軍人は皆、ガルタ軍の黒く重厚な、悪く言えば堅苦しい制服をきっちりと着こなしている。
(リーザじゃ、到底見られない光景だな)
彼らと同じ制服に身を包んだナギが助手席の上で軽く伸びをして、車から降り、レインの方を向いて言う。
「送ってくれてありがと。それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
レインが短く返すと、ナギは小さく手を振って、両手でドアを閉めた。
ハンドルに左手を置き、車内中央の操縦桿に似たシフトレバーに手を伸ばす。
ふとそこで、喉が渇いている事に気づいた。
レインは一度外に目をやる。やはり、軍事基地の中に停まった、派手な赤色の大柄な車体に意識を向けている者はいない様だ。
(なら、いいか)
そう心の中で独り言ち、レインはウルスのエンジンを止め、パーキングブレーキを入れ、車を降りた。
何故だ? とレインは自分に問いかける。いや、疑問の矛先は自分の運命か、はたまたそれを決めた天の神か。
彼はただ、喉が渇いただけだった。
ここは故国では無いし、軍事基地だという事も承知の筈だった。ただ、あまりにも周りがこちらに注意を向けて来ないので、基地内の自販機で飲み物を買おうと考えただけだったのだ。
喉の渇きを潤すために、飲む物を求めるというのは人間として正しい姿の筈だ。
ただ、それだけだったのに。
「……なぁ?」
押し殺した疑問の声は、頭の上の白い髪の少女か、はたまた足にしがみ付く黒い肌の少女か。
いずれに向けられたものなのかは、発した本人にすら分からなかっただろう。
「……何でこんな事なってんの?」
レインは重い右足を引きずって基地内を進みながら、潰れかけの声を喉から上げる。
「……何とか言えよ」
「なんとかー」
彼の頭上。それもすぐ上から、気だるげな声が上がる。組んだ両手を頭に乗せ、更にその上に自分の顎を乗せ、レインに背負われながらくつろぐ白髪の少女は、言うまでも無くレーナだった。
「レーナズルい! 次はカイエがそっち行く番だったはずだぞ!」
「ふっふっふっ、カイエ甘い。こういうのは早い者勝ちー」
「なあぁぁぁぁぁぁぁ!」
レインの足にしがみ付いてで喚くのは、レーナの相方。黒い肌が特徴的なカイエだ。
「あのな、お前等――」
無駄と分かっていながら、レインが口を開くが、その声は足元から上がった叫び声にかき消される。
「レーナ! ズルいぞ! 約束守れー!」
ぎゃんぎゃん喚くカイエに対し、レーナはリズムに乗せた鼻歌を歌う。
背中と足先に少女が纏わり着いた男が、軍事基地を歩いている、というような光景が人目を集めないはずもなく、レインは基地をゆくほぼすべての軍人達の視線を一斉に浴びる羽目となっていた。
しかし、その視線の主のほとんどが、レインの顔を見た途端、あぁ、いつもの事だな、と言うような表情を浮かべ、何食わぬ顔でレインとすれ違って行く。
と思えば、女軍人数人のグループがレインの方を指差し、遊具で遊ぶ子供を見守る母親の様な、優しい笑顔で遠巻きに笑っていた。
(なぜ誰も止めに来ねぇ!?)
心の中で怒りの声を上げながら、レインはウルスを停めた場所へ戻ろうとする。
生憎、まだまだ距離がある。
「なぁ! レイン! お前からも何か言ってくれ!」
泣き顔をレインの方へ上げながら、カイエが言う。
そして、レインが叫んだ。
「お前等二人とも、さっさと降りろってんだ!」
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