第66話・蟷螂の斧②
力が抜けたように空中でカインの腕がダラリと垂れ、ジェットエンジンがゆっくりと停止し、そのまま背面へ既に無い頭を下にして落下する。
レインも重力に引かれ、彼は背中を下にして落下する。風を受けて、少しでも落下速度を下げる魂胆だった。
彼は一度顔を回して地面を見やり、十分な高さがある事を確認し、上方のザイツの方へ視線を向ける。
しかし、視線の先で浮遊しているザイツは笑みを浮かべながら、落ちて行くレインを眺めているだけだ。
「おい冗談だろ!?」
てっきり彼が引き上げてくれると踏んでいたレインは、思わず声を上げる。銃を捨て、腹を下に向け、両手を広げる。
が、重力は容赦しない。彼を地面に叩きつけようと、ぐんぐんと下へ引き下げた。
髪が揺れ、風圧が彼を打つ。
(そう言えば、パラシュート無しの降下は三回目か)
妙に冷静な頭でレインは独り言ちる。危機を前にすると、人間は平然を保とうとするらしいが、彼は今その状態のようだった。
だが、時間にして五秒程落下した時、彼の身体を強い衝撃が襲った。細長い物体が突然腹に回され、レインは自然法則に逆らって上空で急停止する。圧迫された腹から胃酸が逆流しかけたが、彼は両手で口を塞ぎ、溢れ出す寸前で吐瀉物を胃に飲み戻した。
「大丈夫?」
頭上から少女の声が掛かる。何処からともなく飛来したミサイルを撃ったのは、彼女だったようだ。
顔を青くしながら、レインは言う。
「あぁ、何とか」
何時か彼女に落とされた時にされたように、レインの身体は大きなテディベアを抱くような態勢で抱えられていた。
頭の後ろには、二つの膨らみの感覚がある。
「お帰り、レイン」
足を下にして、ゆっくりと降下しながら、ナギは言い、レインは返す。
「ただいま、ナギ」
太陽は既に辺りを黄色く照らし、草原に立ったシェラやカーク達の影が伸びる時間になっていた。
マックスも遂に起きて来たようだった。ただ、彼はボロボロになった愛車の前で項垂れ、哀れそうにカークが彼の背中をさすっていた。
ナギに抱きかかえられたレインが地面に降り立つと、辺りを囲んでいたガルタ兵たちが歓声を上げる。ザイツも空から帰ってきて、二人から少し離れた位置に居たシェラの横に着陸した。
レインがナギの方へ向き直り、パージレバーに手を伸ばそうとするが、彼女はそれを手で制し、自分でアーマーをパージする。相変わらずレバーが固いようで、彼女は両手で力いっぱい引き上げる必要があったが。
彼女は自分の足で降り立つと、レインの方へピースサインを突き出し、にっ、と言う感じに笑った。
レインも笑みを返す。空を行くヘリのローター音が響いてきたのはその時だ。
「何だ?」
レインが言うと、シェラが口を開いた。
「ガルタのヘリだ。私達を迎えに来てくれたらしい」
ローターから吹き付ける風が木々を揺らし、草木が波打った。
「お別れだな、レイン」
シェラが言った。その隣で、ザイツがヘリを見上げていた。
「そうか」
「あぁ、君には世話になった」
「それほどの事じゃねぇさ」
彼女は小さく笑い、続ける。
「それほどの事だよ」
カークがレインの後ろから近づき、彼の肩を叩く。
「帰る手段がねぇ、乗せてってもらおうぜ」
「そんなタクシー代わりに――」
「ダメだ」
レインの声を遮るようにピシャリと言い放ったのは、ザイツだ。
「何だと?」
カークが言う。ザイツが続けた。
「……と、言いたい所だが」
彼はそっぽを向き、言った。
「借りは返すべきだ。俺からも頼んでみよう」
「そう来なくっちゃな! 決まりだ!」
カークはレインの背中を叩き、マックスの方へ戻って行く。
「……ねぇ、レイン」
ナギの少し照れたような、そんな小さな声がレインの背後から上がる。
レインがその声に振り向くと、突然彼の目の前が真っ暗になった。
彼女の腕がレインの首に回され、身体が密着する。レインは唇に何時ぞやと同じ柔らかい感覚が走り、飛び付いてきた彼女の勢いに負け、二、三歩後ろに後ずさった。
そこに居た一同が、様々な感情のこもった、あっ! と言う驚愕の声を上げる。
二人の身体が離れ、レインは口元を押さえながら言った。
「ナギ!? 何を――」
彼女は太陽にも負けない様な明るい笑みを浮かべ、言う。
「分かんない? チューしたの」
「いや、だって、次やったら本気で落っことすって――」
わかりやすく動揺するレインに対し、ナギは小悪魔の様な笑みを浮かべ、言った。
「うん、言ったよ」
「だったら――」
彼女はレインを指差し、高らかに宣言する。
「だから、落っことしてやる」
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