第37話・追跡⑨
暫く拭き続けていると、彼女の頭が急に、力が抜けたように重たくなった。首の支えが無くなり、放っておくと前後左右どれかの方向へ倒れて行くような状態だ。
「ナギ?」
レインが彼女の頭を支えながら言った。が、返事は無い。彼が少し黙っていると、ナギが静かに規則的な呼吸をしているのが分かった。それに合わせて肩が上下している。
(あ、これ……)
彼はナギの頭を支えながら、ゆっくりと彼女の身体を左へ倒していく。なんの抵抗も無く左へ倒れ、彼女は小さく喉を鳴らすと、足を折り畳み、ソファーの上で丸くなった。
(やっぱ寝てる)
レインは溜息を付くと、椅子の前に回り彼女の身体を持ち上げる。よく眠っているようで、宙に浮いているのにも拘らず呼吸一つも乱れなかった。
そのまま部屋の隅のベットに向かい、ナギの身体をそこに横たえ、彼女の足下に丸まっていたブランケットを肩まで引き上げた。
(そういや、初めて会った時もこんな感じだったか)
ふと思い出しながら、レインは壁に埋め込まれたスイッチで部屋の電気を消し、ソファーの方へ向かう。その上に放り投げていたミリタリージャケットを丸め、それを枕代わりに置き、ソファーに仰向きに寝転がる。
そのまま目を閉じ、少しして彼は眠りに就いた。
微睡みから覚醒し、上体を起こす。机に置かれたままのブレスレットから映し出されるホログラムには7:00とデジタル数字で表示されている。
目覚まし無しで狙った時間に起きるのは、彼の得意技の一つだ。
ホログラムの赤い点が小さく動いているのが眼に入った。どうやら基地の中を移動しているらしい。ザイツらの身柄は、またどこかへ移されるようだ。
レインは立ち上がってホルスターを手に取り、ホルスター本体とそれを脚に固定するためのバンドホルダーを取り外した。ホルスター本体をジーンズのベルト部分に差し、腕を通したミリタリージャケットの裾でそれを隠す。
「ナギ、起きろ」
明朝、静かで済んだ空気が充満する部屋の中で、レインの声が通る。声色は今まさに任務に就こうとする軍人のそれだ。
「ゥん~?」
だが、それに返された声はこれでもかと言うくらい間の抜けた声だった。何処にも力が入っていない体から発せられたとすぐに判る声色で、声の主のナギはボサボサ頭をゆっくりと擡げる。
目は半分眠ったままの様に細くしか開いておらず。どんな夢を見ていたのかと問いかけたくなるほど、口元は至福そうに歪んでいる。
「クマさん何処行ったの~?」
そんな調子のまま、彼女は続ける。
「……何言ってんだ?」
レインは思わず顔を顰め、言った。ナギは小さく左右に揺れながら、歪んだ口元から気の抜けた声を漏らすだけだ。
彼は彼女の前で右手を振ってみたり、肩を揺らしてみたりしたが、ナギの様子は変わらなかった。少し思案した揚句、彼女の目の前で手を打ち合わせてみる。
「……ハッ!」
ナギの目が大きく開き、双眸がレインを捉えた。
「起きたか」
「レイン? 何があったの?」
「連中が動いた。支度しろ、すぐ行くぞ」
淡々と告げたレインに対し、ナギがもじもじとした様子で返す。
「……ちょっと掛かるかも」
「なるべく早く頼む。遅れは取りたくない」
そう言って、レインは窓の外を覗き込もうと足を動かす。そんな彼のジャケットの裾を、ナギがつまんだ。
「何?」
レインが問うと、ナギは彼から視線を外して言った。
「ジャケット貸して」
「どうして?」
「……着替え」
「着替え?」
ナギは察しの悪いレインに吊り上げた目を向け、言う。
「向こうの部屋に置いて来ちゃったの! パジャマで外歩くの嫌!」
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