陰陽恋

西村しゃど

第1話

西陽が教室の壁を橙に染める頃、橋爪健斗の静寂を校内アナウンスがぶち破った。彼は読んでいた本―ヘミングウェイの『海と老人』を栞を挟んで閉じ、アナウンスに耳を傾ける。日はまだ明るいが、教室の時計の針は18時を表していた。窓際の席に座る彼は、窓の下の舗道を見下ろす。すると部活終わりの同学校生徒の集団を見かけた。彼らは終わるのが遅いと有名な弓道部だろうか、持っている荷物の形状から弓道部か薙刀部だと推測できる。ということは他の部活も終わっているとみて良いだろう。「とっとと帰れガキ共」という旨のアナウンスを聞き終え、彼はふうっと息を吐き出し、立ち上がってそそくさと鞄に荷物を詰め込み始めた。教科書、弁当、貴重品、筆箱、体操着などなど。それらを順番に綺麗にリュックに入れ、綺麗に揃った荷物をまじまじと見つめるのが彼にとっての楽しみのひとつであった。

彼はいわゆる陰キャである。

積極的に多くの他人とコミュニケーションを取ろうとせず、休み時間は教室で読書や勉強を黙々と独りで続ける。他人と会話ができない訳ではなく、他人との会話よりも独りで何かをする方が好きなのだ。相談事や話し合いの場など、話しかけられた時は普通にニコニコと対応している。

また彼はアニメや声優、漫画、ライトノベル、アイドルなどのジャパニーズサブカルチャーをこよなく愛する多種オタクである。そのため、Twitterで複数のアカウントを有し、それぞれ別のDMグループにて多くのユーザーと雑談やオタクトークを繰り広げている。それも彼の人生における楽しみのひとつだった。

彼が荷物を全てしまい、そういえば明日はTwitter友達の○○の誕生日だな、とか、帰ったら誰のYouTube見ようかな、など思考を巡らせながらリュックを背負おうとした、その時。

ガラガラガラッ

教室のドアが開き、クラスメイトの美人な女子が「やあ」と入ってくる。

彼女は佐藤奈琉香。この学校に[暗黙の了解]として存在するスクールカースト上位のクラスメイトで、清楚系の美人。髪の毛は濃い茶色で、肩にかからないくらいの長さで内側にウェーブがかかっている。全体的にスタイルも良い。普段は、同じくスクールカースト上位の本田七星ら数人と共に校内で行動している。

その本田七星というのは厄介な男で、スクールカースト下位層の人間を完全に見下している。彼らは勉強もある程度できることから、ただの馬鹿集団でない所が更にウザいと橋爪は思っていた。しかし佐藤はそんな彼とは逆に、周りに対して非常に優しいことでも知られている。1部の男子からは、聖母!聖母!と言われている始末だ。

「あのさ、橋爪くん」

佐藤は橋爪に用事があったらしい。忘れ物かと思った彼の考えは外れた。彼女は少し真剣な面持ちで橋爪に話しかける。

「好きなアニメは?」

橋爪は少し困惑する。

「えっ......エヴァンゲリオン」

彼女の意図が読めないため、とりあえず有名でありつつも考察によく時間を費やす作品を答える。エヴァンゲリオンは言わずと知れた日本のアニメで、多くの国民がそのタイトルくらいは知っている。

「そんな有名なやつじゃなくていいからさ」

「えー......博多豚骨ラーメンズってやつ」

「ほう、あれいいよね。じゃあ、好きな声優さん」

「杉田智和さんかな、銀魂も好きだから」

「じゃあその銀魂で好きなキャラは?」

「ツッキーとのぶたす」

「男はその2人だよなー」

橋爪は思考を巡らせる。この質問の嵐は何か、そしてこの彼女の反応はなにか、と。最近は陽キャの間でもアニメは一般的になっていると言うが、博多豚骨ラーメンズなんぞ知っているのは一部の人間だけだろう。元々ライト文芸と呼ばれる、ライトノベルと一般小説の中間のようなジャンルの作品で、博多を舞台に個性的な裏稼業に携わるキャラクターが暗躍するという物語である。彼はその作品をライト文芸の第1巻時代から知っており、アニメ化が決定した時は心の底から喜んだ。グッツこそ買わなかったが、全話見逃さずリアタイし、原作との違いや声優のマッチ具合などを、同作を知るTwitterの友と語ったりもした。ちなみにアニメ2期は未だ放送されておらず、ファンの間では期待が高まっているようだ。少なくとも橋爪に関しては、あくしろよと思っている。

また、杉田智和さんは声優好きならみんな知ってる程の有名人だ。独特なダンディーボイスと、真顔で下ネタやパロディネタを言うような面白さから、もはや嫌いなアニメファンはいないのではないかと思う。彼の代表作は涼宮ハルヒシリーズやボボボーボ・ボーボボ、銀魂など。銀魂では主人公の坂田銀時を演じたのだが、坂田銀時という人間は杉田智和そのものと言っていいほどの性格をしており、ファンは非常に楽しんだ。そして、今のところ最後の質問。銀魂で好きなキャラ。これの回答は一般人は知らないであろう、人気女性キャラだ。銀魂の世界に登場する吉原遊郭の自警団・百華の頭領の月詠と、警察組織見廻組の副長、今井信女。この2人は非常にクールだが、月詠は銀時に恋をしていたり、今井信女は真顔でサイコパス発言をしたりと、それぞれユニークな面とのギャップが人気なキャラクターだ。

「実はね私、あいつらとつるんではいるけどさ、趣味はアニメとかアイドルとか、完全にオタクなんだよね」

なるほど、そういう事か。と彼は納得する。彼女はオタクとしての話し相手を探していたのだ、と彼は短絡的に結論づけた。

「そうなんだ!僕で良かったら色々話そうよ」

彼女の表情が、その一言でパァっと明るくなり、すぐに少し赤面したような表情になる。

「じゃあ、付き合っちゃおっか」

「え?」

唐突な恋展開に、橋爪は驚き困惑する。まず情報量が多すぎて頭が追いつかない。いつまでたっても情報が完結しない。五条先生に領域展開されたような気分だ。されたことないけど。漏瑚の気持ちが分かる気がする。まず、先程の質問の応酬自体、未だに頭の中で整理出来ていない。さらには、スクールカースト上位の清楚系美人がこんな自分と付き合おうなんて、そんなアホみたいな話はあるのだろうか、と言うことのせいでもっと頭がかき乱されていた。それこそラノベの中の話である。

「じゃあ、決まりね!校内ではアイツらがいるから、なるべく校外で話そ」

ここまで流れに乗せられて、やっと喉から言葉が出てきた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、なんでそんな急に......しかもなんで僕なの?」

橋爪は教室から出ようとしている彼女にそう軽く叫び、問いかける。

「『好きになるっていうのは、その人のことをもっと知りたいと思う気持ちのこと』だからね」

橋爪の推しているアイドルグループである乃木坂46の『図書室の君へ』という歌の冒頭のフレーズだ。

「じゃ、後でLINEするから。再見!」

ガラガラガラッ

「......シンエヴァ、見たのかな」

橋爪はしばし唖然として、ふと我に返ると、片手に持っていた本が手汗で蒸れているのを感じた。彼はその本をカバンにしまい、放心状態のまま帰路に着いた。

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