パンツが床に落ちるまで
新井 しん
第1話 このエンディング後に福音を
どこかの女神は作戦なんざ考えてはいなかったのだろうが、全てが終わって振り返ってみれば敵本陣のスキを突く爆裂強襲となった魔王討伐から一日。俺はダクネスと一緒に魔王討伐の報酬をどうするかで相談していた。幹部単品が3億とかだったし、その元締めとして長年世界を苦しめてきた魔王には、さぞ途方もない賞金が掛けられているんだろうなと思っていたことは確かにある。
それこそ一生遊んで暮らせるだけの大金だろうなとか、とはいえリスク高すぎだし俺に縁なんてないだろうとか。が……実際に提示された額を見た俺は頭を抱えていた。魔王を討伐したことによる正当な報酬ではあるのだけれど、以前、カジノで有名なエルロードへの資金援助交渉に付き合った事のある俺は、この国の懐事情が決して芳しくない事を知っている。
魔物との戦いは基本的に社会の敵に対する防衛戦争。魔物をどれだけ倒した所で領民や財宝が増やせる訳でもなく、その土地で迷惑なのを倒せば多少は使える土地も増えるかもだけれど、殆どは食材や素材になれば御の字という程度だから、経費を賄うのは厳しいだろう。
「なぁダクネス。これ、こんなに出したら国がヤバくならないのか?」
「ヤバいだろうな。そしてこれらは魔物の脅威に晒されながらも日々を生きる民からの血税だ。決して無駄にしてよいものではない」
「だよなぁ……魔王が倒れたとは言え魔物がいなくなるわけでも壊れた暮らしが戻る訳でもないんだよなぁ」
世界を救った勇者がその後の土木工事とか畑仕事を手伝うなんて聞かないし、魔王が倒れたからって兵士や騎士や冒険者の傷が癒えるのも、焼かれた畑に再び実りが巡るのも、日銭を稼いで生きる人々の暮らしが楽になるのも、まだ先だ。最初からチート持ちでこの世界に来た訳じゃなく、使命よりもその日一日をどう生きるかに翻弄され馬小屋暮らしからこの世界を歩いてきた俺には日々の暮らしに命を繋ぐことの大変さが身に染みて分かっている。
ちなみに魔王を討伐した俺には報酬の話と同時に王女様との結婚も打診されていた。血の涙を流しながら俺に書状を持ってきたクレアが中々手放そうとしなかったから、ややシワが寄っているが王家の証印がある公式な物。ザックリ言えば俺が望めば俺の大切な妹枠である、第一王女のアイリスを奥さんにすることも可能ですよって内容だ。
「どうする? 命を懸けて魔王を倒したお前はこの先、遊んで暮らしたって誰も文句は言わないさ。私とめぐみん以外はな」
「正直、財産をほぼマナタイトに変えちまった上に割とピンチで物入りなんだけど。これ持って王家に婿入りすることが前提で、そこから上手く帳尻を合わせますよって意味の額だと思うんだ。国民への宣伝込みの誇大な数字なんだろ」
そう、これは野球選手やサッカー選手の年俸のように新しい王族が大物だと周囲に伝える役目の金。後で大半が税金として回収される類の金と言う匂いがする。
「私の口からは言えんが、ふふ、賢い男だよお前は」
「しょおがねえなあああああ! お兄ちゃんの俺が妹に苦労を掛けるのは違うしな。なぁダクネス。俺は報酬とアイリスとの結婚を辞退して、できたら指輪も返したい。魔王を倒して取り返したとか何とか、そこらへん、上手く頼めるか?」
「ああ、任せておけ。公の場には文書のみ。アイリス様とは個人的に挨拶でいいか?」
「流石はダクネス、分かってくれて嬉しいよ」
低ステータスの器用貧乏を体現した俺の冒険者カード。魂の写しのようなそれに記された魔王の名が何かの間違いか悪い夢のように思える。王家の指輪も手違いとは言え、こいつを盗んで代わりに玩具の指輪を贈るとか冷静に考えたらないわー、って感じなんだがアレもコレもやっちまったもんは仕方がないよな。
だだっ広い王城も久しぶりに来て眺めれば俺なんかには場違いだ。ダクネスがいない状況でふと我に返っちまったら立ち竦むこと請け合いだろう。こんな場所でも堂々と前に進めるダクネスの背中が有難い。
アイリスの部屋の前には先程の血涙はどこへやら、至上の笑顔と完璧な礼節で接してくれるクレアと静かに頭を下げるレイン。そして、部屋へと通された俺にはアイリスが涼やかな笑顔で迎えてくれる。
「よっ、久しぶり元気にしてたか? あのセクハラメイルを着て前線にいたって聞いた時はお兄ちゃんひやっとしたぞ」
「はい、お兄様。アイリスはこの通り元気です。最後の幹部は惜しくも取り逃がしましたが、決して遅れは取っておりません」
「あー、でさ。魔王を倒した俺から返したいものがあるんだ」
「ララティーナから聞いております。見せて頂けますか?」
俺が差し出したのは以前、アイリスから手違いでスティールしてしまった王家の指輪。生まれた時からつけていて、将来結婚する相手に渡すという聞くからに重いものだ。返したいとは思っていたが口封じに消される可能性を示唆されて今日まで返せずにいた。アイリスはそれを受け取ると傍らに控えるクレアに差し出し、クレアの方は金の刺繍の施された高そうなミニ座布団でそれを受け取り、恭しくアイリスの2歩後ろに立ち位置を変えた。
「お兄様、意地の悪い質問をしてもよろしいでしょうか?」
「お、どんな質問か知らないが、意地悪勝負なら負けないぞ」
「もしも今、私からお兄様にこの指輪を贈ったら、お兄様は受け取って下さいますか?」
冗談めかしているように見せながらもその奥に宿った隠し切れない真剣さ、結果を半ば覚悟している寂しさ。葛藤と理解が様々な色合いに混ざり合った本気の目だ。こんな目を妹のように可愛いアイリスにさせてしまう事に心が痛む。
「それは無理だな。だって俺はアイリスのお兄ちゃんだ。妹の幸せを望みこそすれ、結婚して子供作ったりってのは少し違うよ。それに俺、基本の部分が弱いしさ、俺の血が入ったせいで王家が弱くなっても嫌だし」
「ふふっ、冗談ですが、少しはどきりとして下さいましたか?」
「緊張し過ぎて腹が痛いぜ、城のトイレはどこだっけ?」
「まぁ、お兄様ったら」
「ま、大切な妹が困っていたならいつでも力を貸すからな。魔王倒したからってそんなに強い訳でもないけど、今までの話だって嘘じゃないって分かってくれただろ? ずるい事、楽しい事なら任せとけ! また一緒に、遊ぼうぜ!」
「はい、また一緒に、遊びましょう。長居し過ぎて城の皆を困らせない範囲で」
今はまだ妹と思えるくらい幼さを残したアイリスも、もうあと四年とか五年とか経ったなら、目の覚めるような美人になるんだろうな。そうなっても、アイリスは俺の事をお兄ちゃんって呼んでくれるだろうか。今日は一度も、お兄ちゃんと呼んで貰えていないんだけどな。
「カズマ殿、貴公を見誤っていた。貴公は真に勇者と呼ぶに相応しい男だ」
「よせやいクレア。そんなこと言われると、まーた城に居座りたくなっちまう。それに俺、お前等が以前、俺にしたこと忘れてないからな?」
「そ、そそっそそ、それは、あああああ」
「今日の決断はあくまでもアイリスの為! 一生遊んでハッピーエンド、王女様と結婚していつまでも幸せに暮らしましたってやつを蹴ったのは1から100までアイリスの為なんだからな? そこらへん忘れんなよ? 結婚した後で王宮にハーレム作って爛れた生活をしていても、お前ら俺に意見できる立場じゃなくなる所だったんだからな?」
「も、ももも、勿論だ、わ、忘れない。忘れないから、許して下さい」
「すみませんでした、すみませんでした、本当にすみませんでしたぁ!」
顔を青くして必死で謝る美女二人。家柄も立場も責任も俺なんかよりずーっとあるのにヘタしたら頭がパーになるポーションなんて飲ませるからだ。許すつもりなんてなかったんだが、頭を下げるクレアの髪の隙間に俺は見た。髪の寄せ加減で隠していたのだと分かる大きなエリス金貨禿げを……!
「……」
そのストレスってやっぱり俺のせいですかね? 公衆の面前でスティールとバインドのコンボとか実家のトイレをテレポート先に登録してちょくちょくお邪魔してやろうかとかアクシズ教団への入信書に代理サインしてやろうかだとか考えていたことはあったんだけど、すみませんでした。
「分かった。じゃあ、二人の事はもう許すよ」
「許されないことをしたのは重々承知しているが……え? 今何て?」
「その前の鬼畜な要求を聞き取れませんでした、すみませんがもう一度……」
「まぁ、なんだ。アイリスの幸せを願うって意味じゃ俺とお前等は同志だと信じてる。だから、俺の妹を宜しくな。あとクレアは俺の屋敷に霜降り赤ガニのいいやつを、レインは高くなくていいから女の子が喜びそうなお勧めの菓子でも届けてくれ。以前の事はお互いもうそれで許そうぜ。俺の態度も大概だった、ごめん。この後テレポート屋できちんとアクセルに帰るから、足代含めて手配頼むよ」
まぁ、綺麗なお姉さんを延々困らせるのは趣味でもない。ましてやアイリスの目の前だ、少しは格好つけても罰は当たらないだろう。クレアとレインは俺の言った事を呑み込めていないのか半分ぼうっとしている様子だったけれど、じっと様子を見守っていてくれたダクネスが良いタイミングで事を動かしてくれた。
「ではアイリス様、私はこの男と共に失礼させて頂きます」
「ええ、下がっていいわ。それではお兄様、またいつか」
「おう、またな!」
こうして王城を後にした俺達は暫く一緒に歩いていた。魔王を倒して一日。めぐみんとの「凄い事をしましょう」の件は現在保留中。それと言うのもエクスプロージョンを連発し過ぎためぐみんは魔法の治療も功を奏さない鼻血だらだら状態。負傷と言うよりも病気や衰弱に近い体調不良によりってことらしい。俺も心配だったし、拭いきれない鼻血の上から新しい鼻血を流しつつ、真っ赤な顔に40度越えの高熱で大丈夫ですからとか言われても「よし約束だ、ものすっごい事とやらをしてもらおうじゃないか」とは言えなかった。小さな体は驚くほど熱くて、今にも壊れてしまいそうで、言えなかったんだ。
「お前は本当に不思議な男だなカズマ。魔王を倒すなど誉れの中の誉れ。望む者は数あれど、成し遂げられた者は歴史の中にも極僅か。まごう事なき英雄の偉業。王族との結婚、新たな爵位、生涯使いきれない程の莫大な財産すら思いのままだというのに……お前はそれを断った」
「俺を誰だと思ってる? 直前でヘタレることに定評のあるカズマさんだぞ。あー、だけどやっぱり惜しかったかなー。それこそチートハーレムだって手の届くだけの事をしたんだよな俺ー」
「ああ、お前は救ったのだ。王家を、民を、この世界の人類を。これは恐らく誇張ではない」
「はいはい、どーも。ダクネスはこれからどうするんだ?」
「我がダスティネス家も新たな領地を賜ることとなった。父も十分に回復したとはいえ一人では手が回るまい。私は一度実家に帰る。そして、真剣に身の振り方を考えようと思う。お前がアイリス様との婚姻を断った以上、王家の盾たるダスティネス家の令嬢がお前の妻にと名乗り出るのは流石に角が立ち過ぎる」
お陰で本当にお前を吹っ切る事ができた、と言うダクネスの横顔は綺麗だった。中身が変態だってことを一瞬忘れてしまったくらいに。
「お前は掛け替えのない仲間であり、恩人であり、友人だ。男と女の友人。お前と私はそれでいい」
「そっか、頑張れよ。しんどくなったら、いつでも相談しろよ」
「ああ、頼りにしている」
痛いのが好きだから防御力に極振りしたあいつ。性癖が変態でも、攻撃の当たらないポンコツでも、清々しい凛々しさに溢れたダクネスは仲間の贔屓目じゃあなくて本当に世界一のクルセイダーだと思う。なぁ、ダクネス。俺の初めてのキスはお前だったよ。お前の背中を見れば分かる。後悔もしていなければ、謝るつもりもないんだよな。どうしてそんなに前を向いて進んでいけるんだ?
俺が、俺達が、俺が、俺が、俺が、どれだけその背中に守られ支えられたか、俺は知ってる。どうしてそこまで俺達を支え続けていてくれたのかは分からない。痛いのが好きで不遇に扱われるのが好きなお前にはどういう感謝をすればいいんだろう。これぞってものが思いつかない俺だけど、ありがとうな。お前の背中に負けないように、俺もちょっとだけ頑張ろうと思うよ。
「……っし、行くか。こっちはあんまり後回しにもしておけないしな」
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