天国の鍵穴―神が愛した男外伝―

PAULA0125

第一説 紛失した瞻仰《せんぎょう》から恩啓《おんけい》への手紙

 メシアひこばえの僕で、きびすの兄弟である瞻仰せんぎょうから、父なる神の愛と、メシアひこばえの守護の裡にある兄弟恩啓おんけいへ。貴方のいる地と友に祝福が与えられますように。

 メシアひこばえが愛しておられる人よ、まずは教会の建立ご苦労様でした。それについては先の手紙でも書きましたが、この前私の弟子が、きびす司教からの追伸の手紙を見つけまして、そのために返事を書くのが遅れました。お詫びします。

私が今回手紙を書いたのは、私が貴方について何も特別な感情を持っていないと言うことを、どうにも理解できずにいると思ったからです。

 貴方の手紙は、エフェソを通り、ここオスロエネまで来ています。貴方が今どのような試練にあるのかも、手紙は大体読んでいるので分かっています。

 しかし私は、貴方から特別な感情を向けられるような者ではありません。寧ろ貴方にそのように思われることは、貴方のメシアひこばえさまへの献身や愛の妨げになるのではないでしょうか。私にはそちらの方が大事です。

 聞けば、貴方は長らくコリントにいるとのこと。コリントと言えば、ギリシャ中の知恵者や偏屈な理屈好きが集まる町です。斯様な町に貴方のような弟子を派遣なさるとは、メシアひこばえのご采配もかくやというもの。その恩恵を鑑みれない貴方ではありますまい。貴方は神が愛した男たちの一人なのです。その愛を受け取るだけ受け取って、熱くもなく冷たくもない、ぬるま湯のようでいるのは、決して御心ではありますまい。どうか目を覚まして、ご自分の職責を果たして下さい。

 貴方がきびす司教や塔婆女とうばめなどに寄越した、私の足跡を尋ねる手紙も、もう二度と出さないで下さい。私はオスロエネで忙しく働いています。いくら彼らに手紙を送っても、そして彼等が貴方の意志を尊容して何度手紙を私に寄越しても、私はその返事を書く時間も、能力も、体力もないのです。

 貴方は弟子達の中で一番幼い者でした。つまりは、それだけより長く、若くいられるということです。貴方はまだ三十代でしょう。いえ、もう四十代になられましたか。いずれにしろ、私にとって貴方の年というのは、遙か昔に通り過ぎた過去の出来事。つまりはそれだけ、私は貴方より年を取っているのです。貴方よりも老いているのです。目も悪くなり、夜の灯火だけで文字を書くことも出来ないし、最近は専ら、弟子に手紙を書かせている始末で、この手紙も、口述筆記で書いています。ですから、私としては、貴方の名誉の為にも、私の弟子に恥部を話したくはないのです。

 無論、メシアひこばえの御心によって、私達は聖なる者、神に連なる者とされました。私達のことを知らない者は、西はローマ、東はこのオスロエネまで、殆どいないと言っていいでしょう。貴方の権威を辱めることは、私の真意ではありません。例え私が貴方にどのような感情を抱いていたとしても、それは貴方には関係の無いことで、同様に貴方が私に対してどのような思いを持っていたとしても、私には関係の無いことです。どうしてそんな簡単な事が、貴方のように聡明な神の僕に理解できないのか、私は理解できません。貴方をそんなにも愚かにするのは、一体どのようなものなのでしょうか。しかしこれについての返事はなさらなくて結構です。

私にそれを告白されたところで、私はどうにも出来ません。私はこのオスロエネから離れるわけにはいかないのです。ここには、神を求めながら、崇める神を間違えた子羊が沢山います。彼等を導かなくてはいけません。羊とは、家畜の中で最も愚かな動物です。自分がいた元の群れにさえ、一度はぐれてしまえば戻る事は出来ません。オスロエネの羊は、一匹一匹が断崖の麓にばらけてしまっているようなものなのです。毎日毎日彼等を追いかけて牧しているので、他の些末ごとには気を取られたくないのです。それは、その些末ごとにたいして誠実に関わりたいということです。どんな人であっても、私の力を必要とするのならば、それはメシアひこばえが姿を変えた人です。私に、メシアの兄として生きていた私に、そんな人を邪険にすることは出来ません。しかしもし、その人が実は有力な人で、自分で物事を解決する力を持っているとするならばどうでしょうか。私は貴方がそのような者だと思っています。

 貴方は、私がいなくてもやっていけます。いいえ、寧ろ私がいてはいけないのです。貴方の輝かしい人生に、私のようなつまらないものは入れなくていいのです。貴方はそのままで、十分に恵みを頂いているのですから、他の者から施しを受けなくて良いのです。貴方は施す側なのですから、寧ろ受け取ってはいけません。

 貴方はいつも喜んでいなければなりません。今あるものだけで、悦んでいなさい。そうすれば貴方は毎日幸せに、喜んでいられるでしょう。私は貴方がそういう強い人間である事を知っています。貴方は誰であっても悦ぶ事が出来ます。貴方はそういう人間だと、私は知っています。神の恵みを一心に受ける貴方は、他の如何なる弟子よりも幸福に振る舞う事が出来るはずです。

 貴方は神が愛した男なのですから。神が、貴方を愛しているのですから。

 貴方は他の誰よりも愛され、罪を赦されている。その恩恵にありつけない者がどれだけいるのか。私達十二弟子の中に、どれほどいるのか。貴方は分かっていない。全く分かっていない。

 罪を赦されていることを知りなさい。罪を赦されていることを理解しなさい。罪を赦されていることを思い出しなさい。

 この世には、罪を見いだせない不幸な人もいるのです。罪のない者にとって、この世は地獄に勝る苦しみの土地です。神の恵みも慈しみも、憐れみさえ与えられないからです。神と一切繋がることが出来ないからです。それがどれほど悲しくて孤独で恐ろしい事か、貴方は知らないでいるという恵みを既に受けているのです。貴方は恵まれているのです。神の恵みが、燦々と降り注いでいるのです。貴方がすべきことは、その降り注いでいる光と温もりを分けることです。この世は闇で、病んでいて、神への愛が止んでいます。止まった世界を動かすのが、我々十二弟子の勤め。そして、メシアひこばえさまの願い。何度貴方はあのような手紙を寄越して、思考を濁らせるのですか。無駄なことはお止めなさい。何もかも、無駄なのです。何もかも、空しいことなのです。何故それを悟らないのですが。貴方はメシアひこばえさまの教えを忘れてしまったのですか。

 貴方は分かっていない。名前からして恵まれている貴方は、穢れを知らず、罪を覚えず生きてきて、また恐らくそれが、一生続くであろう貴方は、何も分かっていない。

 私達を裏切った、あの会計士を覚えていますか。私はあれと似た名前です。あれが、エルサレムで千業せんごうと、発音を変えて呼ばれています。私はあれと同一視されないために、名前を変え、尚赦されず、エルサレムを出ました。きびす司教の為にも、私はエルサレムを出なければなりませんでした。あの方はエルサレム司教だからです。メシアひこばえさまの兄で、私の弟だからです。だから私は、二人を穢さない為に、離れるしかありませんでした。それもこれも、千業せんごうがあのようなことをしなければ、避けられたはずの、有り得なかったはずの、とんだとばっちりの所為です。

 何故メシアひこばえさまが、あのようなものを傍においておいたのか、私には分かりません。もしかしたら、千業せんごうを更生させたかったのかもしれません。しかしそうなると、メシアひこばえさまでもおできにならないことがあるということになります。ならば、そうではないのです。メシアひこばえさまは、千業せんごうがご自分を、私達を裏切ることをお認めになった。瞻仰せんぎょうという名前をも呪われることをお認めになった。

 メシアひこばえさまは、私の名前すらも卑しいものにされ、私にはメシアひこばえさまに捧げられる心すらない。メシアひこばえさまは、私の心も信仰もお求めになってはいない。そうだから、そうなのです。千業せんごうは十二弟子を裏切った。けれども私は、同じ名前だったというだけで、十二弟子からこぼれ落ちた。

 そのような不幸を考えたことはありますか。

 そのような人を考えたことはありますか。

 ありますまい、このような手紙を次々と。貴方は自分と、自分の神を愛していることに忙しいのですから。

 神が愛した人よ、どうかお元気で。栄光ある生を全うして下さい。もう手紙は書きません。


 ―――以下、踏みつぶされ、焼却されたもの。彼を愛した者のみが内容を知る手紙。


 何を勘違いしているのかは知らないが、ぼくはお前が嫌いだ。それはお前が変態だからとか、ぼくの寝床の職人としての腕前をほいほいつまみ食いするからとか、そういう意味じゃない。無論そういう意味もあるが、一番お前を憎く思うのは、お前が嗣跟つぐくびすとそっくりだということだ。兄弟だからじゃない、もっと血の濃さを感じる。お前達が穢したぼくのようなモノも、メシアひこばえは用いて、オスロエネへ神授しんじゅと遣わして下さった。だが実際のところはどうだ? ぼくは盗人のように教団を出たじゃないか。ただ、澹仰せんごうと名前が似ている、それだけの理由だ。もしお前がオウムのように繰り返していた愛とやらを本当に持っているのなら、お前がぼくを庇っても良かっただろうに、お前はそれをしなかった。

 自惚れるなよ、庇って欲しかったわけじゃない。ただお前は、ぼくに傍に居て欲しいと願うのに値する努力もしていなければ価値もなかった、ただそれだけの話だ。そんなお前が、メシアひこばえの兄であったぼくよりも、エルサレムに近いコリントにいるだって?

 バカバカしい、図々しい。だけど見物だよ。あそこの人間の議論付きの屁理屈好きはこのオスロエネまで届いている。色ボケの弟のお前が、いつまでたってもぼくに付きまとっているお前が、コリントの自称知識人に殺されるのを待ちながら、ここで教会を建てることにするよ。お前みたいに強い後ろ盾があるわけではないからね、ぼく達は。だから一から教会を建てるしかないんだ。だのにまたここでも金欠だ。お前はどうなんだ? コリントなんて所にいるんだから、さぞかし私腹も肥やせるだろう。さっさと手放して、天に富を積め。

 まあ、お前の早漏で汚した硬貨を、神の前に差し出せるなら、っていう話だがな。

 ぼくは何も悪いことはしていない。何も後ろめたいことはない。大工が建築技術を売るように、ぼくは寝床で商品を売っただけだ。だけどお前の金は汚れている。あの後どんなことがあったって、お前はぼく以外を抱くことなぞ出来まいよ。どんな女でも、仮に頑張って男らしい女を捜したとしても、結局お前はどうしようもなく、ぼくを重ねてしまうんだろう? 神殿にはそうやって拗らせたバカが、よく娼婦仲間と揉めていたよ。そんな思いで、欲求不満を他人の尊厳を使って満たそうとする事の方こそ、邪淫だというものさ。だってお前はそんなことをしなくても生きていける、食っていけるのだから。ぼくらとは違う。技術も知識も無く、売れるものが何もなかったぼく達とは違う。お前の邪淫は、身勝手なものだ。愛がないものだ。

 それなのにお前はどうせぼくに、まだ好きだのまだ愛しているだの、そんな舌の為す心地よさを求めている。舌は罪しか犯さないというのに。

 もう二度と会うこともあるまい。お前がこれ以上、気の毒な娼婦を増やさないために言っておく。


 ぼくの心には、もう四十年以上前から、棲んでいる人がいる。そしてその人はもう、死んでいる。


 幼く、イスラエル人としての教育を受けられていなかったぼくを、異教の神殿から救い出してくれた人だ。

 大切な初子の守り手にと、ぼくを選んでくれた人だ。

 ぼくが失っていたものを、もう一度くれた人だ。

 ぼくが欲しいと思っていたものを、適う限り与えてくれた人だ。

 お前なんか比べるまでもない。比べるということが、あの人への侮辱で冒涜だ。ぼくはそれくらいこの人のことを愛している。

 ついでのことだから、はっきり言っておく。ぼくはお前が嫌いだ。嗣跟つぐくびすの次に嫌いだ。ぼくの弟を残酷な処刑に誘った澹仰せんごうのことなんか、恨んじゃいないけど、お前達兄弟は恨む。この怒りは正しいものだ。この怒りを鎮めぬことが、ぼくを罪人とするものなのであれば、神ですら出来ないことなのだ。もし、謦咳けいがいではなく、ぼくに天国の鍵が渡されていたなら、ぼくは真っ先に殉教して門番になって、お前達二人を地獄に追い返すことを望むよ。まあ、きっと弟は、そんな兄の本性を知っていたから、鍵を渡さなかったのだろうけどね。

 これで終わりだ。もうお前の署名も見たくない。同名異人ですら、傍に居るのが苦痛なんだ。二度と手紙なんか寄越さないでくれ。お前の筆跡もお前の弟子の筆跡も覚えてある。お前のだと分かったら、すぐに火の中に入れてやる。返事どころか、お前の話だって一語たりとも読むもんか!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る