1 こんなはずじゃなかったのに…

 見上げてみれば、秋の空は快晴だった。

 

 青空にはほんのりと白い雲がかかり、その中を気持ちよさそうにトンビが飛んでいる。

 翼を広げて旋回するトンビは、とても大きく見えた。



 「すげーでっけぇ。

 犬彦さん、あのトンビ、1メートルはありますよね、きっと」



 「……」



 トンビが高い声で鳴いた。

 その笛の音のような声だけが、周囲にこだまする。



 「なにを食っていれば、あんなにでっかくなるんでしょうね」



 小鳥かな、それともネズミ…。

 そう言って、あはははと無意味に笑う。


 それから、ちらりと彼を見る。


 犬彦さんは黙ったまま、車のボンネットに軽く腰をかけて煙草を吹かしていた。


 その視線は前方に広がる、無限とも思えるくらい青々とした森林の生い茂るさまを、じっとみつめている。


 眉間のしわが尋常じゃない。ものすごく怒っている。


 ごくりと唾を飲み込んでから、そんな犬彦さんの様子に気付かないふりをして、俺はめげずに明るく話しかけ続ける。 



 「ネズミって、森にいるんですかね。


 人間が住んでいれば、残飯を目当てにネズミは寄ってくるんでしょうけど、こんな人里離れた山奥に、ネズミの食い物なんてあるんでしょうか。


 こんな、人気のない、山奥に…」



 そこまで喋ったとき、犬彦さんの煙草を持つ指がぴくりと震えた。


 それではっと我に返る。


 場を和ますつもりが、墓穴を掘ってしまったことに今更ながら気付く。


 こっそりとため息をついてから、俺はしぶしぶとトンビの舞う雄大な青空から視線を下ろすと、我々を取り囲むこの憎き樹海を睨みつける。


 そう、俺と犬彦さんは、ただいま絶賛遭難中だった。


 

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